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UCL決勝(バルサの覇道)
2011年05月31日 (火) | 編集 |
"王者"というより、むしろ"覇者"。

UCL決勝 FCバルセロナ ○3-1● マンチェスター・ユナイテッド(ウェンブリー)

バルサの栄光は、ただバルサのみの為に?


旧ウェンブリーは、The Missionのライヴを見に行ったことがあります。
別にファンだったわけではなくて、5日間のイギリス旅行中に、知っているバンドのライヴはそれしかなかったからですが。(笑)
ライヴは正直つまんなかったですけど(半端なメタルや)、観客席の明るい"カルト"のりは面白かったです。今までニコニコと僕のカメラにポーズを取っていたお兄さんお姉さん方が、始まったほんとに瞬間に、一斉にお揃いの黒マントを羽織って、オドロオドロした振りをビシッと決めて踊り始める。
ある種爽快な変わり身でした。逆に全然怖くなかった。

どうなんでしょうね。例えばあちらのサポさんたちとかも、燃えてるようで、基本いい加減なんじゃないのかという感じは、凄くするんですけどね。ガッと集中はするけど、所詮全部が一つの冗談というか。
場合によっては、暴力沙汰も含めてね。ギリギリのラインを行ったり来たり。
いい加減だけど、その分"抜け"は良くて、重さは無い。
まあハレとケと言えば、あっさりした話になりますが。日本のはどうも、むしろ"ケ"の最たるものという妙なプレッシャーを感じるんですよね。同じ日本人どうし、天に唾するような話にはなるかも知れませんが。

行儀がいいとか悪いとか、そんなのは結果論というか、あくまで市民社会的、"ケ"的基準でしかないというか。

それはともかく。


一言で言って、"ねじ伏せた"という感じのバルサの勝利でした。
「パスサッカー」としては、言う程僕は鮮やかだとは、思わなかったんですけどね、実は。少なくとも"前回"との比較においては。
結構グダグダウロウロしつつ、しかし最後の部分、特にシュートの上手さで、押し切ったかなという印象。
・・・・ただそのシュートの上手さ、その瞬間の落ち着きや"見下ろし"感を支えていたのは、やはり多少無理にでもやり切ってしまうポゼッションの圧倒的優位と、その「余韻」のようなものだったと思うので、そういう意味では、相変わらず"異次元"の存在ではあり続けていました。両者の差は、全く変わっていなかったというか。

しかしまあ、分かっていても、凄かった。酷かった。(笑)
1チームだけ手でやってるみたいというか。よくある言い方ですが、まるで漫画だというか。
漫画・・・・というのはつまり、「頭」に描く希望・妄想と、「現実」に起きること出来ることとの間に、ほとんどギャップが無いということで。
それは「理想を実現した」という綺麗な言い方よりは、自分(たち)の欲望に現実を従わせた、ひざまずかせたという若干下品な形容の方が、相応しいものに感じます。酷いよ、今のバルサは。(笑)

その"酷さ"、「美しい」はずなのに"無残"という印象の混じるところと、そしてこれを実現出来るのはバルサという特殊なクラブの特殊な歴史・蓄積があってこそで、他の普通の「良い」クラブ・チームの、それぞれに真摯な営為を束の間まとめて無駄に見せてしまうという"独り勝ち"感は、人民の希望を担って栄光を分かち合う『王者』というよりも、ただひたすら力でもって世界を自らの恣(ほしいまま)にする『覇者』の方のイメージに、近いものに感じます。
究極のベビーフェイスが、究極のヒールにというか。(笑)

・・・・まあ宮城谷さんによると、元々の中国の春秋戦国の"覇者"というのは、王者・王室が力を失った時に、その王室を立てつつ実力でとりあえず天下をまとめて(ただし"統一"ではない。あくまで盟主)安定をもたらす、人民にとっても実はありがたい存在(たる概念)だったみたいですけどね。


それはそれとして、やはり"みんなの"パスサッカーの「理想」像でもバルサは、確かにあって。
それはバルサを真似するしないというよりも、バルサが実演してみせる"パスサッカー"が究極に来た時の機能性の手本と、勿論"効果"の見本、それが否応なく与えるインスピレーションということ。
"憧れ"、ではないと思うんですよ、単なる。
そうではなくて、ああそうか、そういうことかと、"究極"ゆえに伝わって来る極意や真髄、その自分なりに「感得」したものを、どうしても実地で試してみたくなるんだと思うんですよね。ある意味非常にピュアな、向学心(笑)みたいなもの。
それはそれなりに強い衝動で、決してバルサを真似して同一化していい気分になるだけの助平心でも、身の程を知らない無謀な企てということだけでもない。もっと避け難いものを含んだ感動・感情。

それは何か、僕にも凄く分かります。
僕の立場では「真似」も「試し」も、する機会は直接は無いわけですが(笑)、それでもその半日後に行われたヴェルディの試合を、バルサのサッカーを見ることによって形成された"基準"を使ってどうしても見てしまうところはあって、その結果は・・・・
やっぱり、罪な存在ですかね。(笑)

まあ学ぶ人がちゃんと学べば、やはり偉大でかつ有益な手本になり得ると思いますし、あるいは・・・・もしクライフああいうパーソナリティでなければ(笑)、もう少し普遍的なシンボルでもあり得たのかなとか、ちょっと思いますが。
例えばサッキミランあたりと比べても、何か"閉じた"印象を受けます。
勿論"トータル"にしろ"スペクタクル"にしろ、クライフ的には普遍的な理想やクライフなりの論理的な必然を、あえて言えばサッカー界全体の為に、言っているつもりではあるんでしょうけどね。

対する"敗者"が、サッカー界の良識・常識代表のファーガソンのチームだというのも、何か非常に行きつくところまで行きついた戦いという、感じはしますね。
どうもルーニーは、運が無い。何一つ不足は無いのに、輝き切れない人。星がというか。
地球のチャンピオンはマンUで、バルサは宇宙人ということで納得するのが、いいような気もします。(笑)

まあ、面白かったですよ。ぶっちゃけ一試合寝落ちしないでサッカーが見られたのは、久しぶり。
(イブラの異質性と比べた)ビジャの"同質性"を危うく/物足りなく感じた時期もありましたが、結局完全勝利ですかね、バルサの、ペップの。


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