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ペンタングルその1「クルエル・シスター」
2005年06月27日 (月) | 編集 |
クルエル・シスター(紙ジャケット仕様) クルエル・シスター(紙ジャケット仕様)
ペンタングル (2005/12/21)
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いい題材なのでペンタングルについては2回に分けて、本編にもう一枚足して紹介したいと思います。テーマは『ロックとは何ぞや?!』(笑)。


命題1 ”ロックとは白人による黒人音楽の換骨奪胎である”

ペンタングルの基本情報はこちらなど。

上は前回ハンブル・パイ編でも取り上げた一種の「定説」ですが。ペンタングルを筆頭とする、ロックの誕生と前後して起きたイギリスのフォーク・リバイバル運動をになったバンドたち(他にフェアポート・コンヴェンションなど)がフォーク/トラッドに対して行った作業は、数多の初期のロック・ミュージシャンたちがブルーズ/黒人音楽に対して行った作業と基本的に同質のものだと思います。

言ってみればこの理性的な近代文明・文化を作り上げた白人たちが、大衆音楽という領域において自らの外部(黒人種)に見出した原始性へアプローチしたのがロックであり、それに対して内部(過去)に見出した原始性へのアプローチがフォーク・リバイバル運動であると、図式的にはそういうことです。(ロックを『文化人類学』に、フォーク・リバイバルを『社会史』に置き換えてみるというのも人によっては分かりやすい比喩になるでしょう。)

似たようなことは後の’70年代末のパンク/ニューウェイヴムーブメントにおいて、今度はレゲエ/カリブを素材としてやや小規模に繰り返されますが(J-ポップでは”沖縄”?)、とにかくこうした「作業」はロックという音楽ジャンルの基本的本質的なパターンであるのは間違い無いでしょう。
この点をネガティヴなニュアンスで見た場合、「ロックとは要するに人類ウン千年の音楽遺産を3,40年で一気に食い潰す・蕩尽することによってダイナミズムを得ていた音楽である」というような言い方がされたりもするわけです。

とにかくそういう意味ではこのペンタングルのようなバンドも、ルーツ・ミュージックや民族音楽の現代的な形態であるというよりは遥かに”ロック”であり、ほとんど電気楽器を使わないという見掛けの特徴を鑑みても尚、ちょっと変わったロックバンドの一つとして聴いた方が自然だと思います。
実際のところ初めて聴いた時にアコースティックだエレクトリックだということはいっさい気にならず、普段使っている「ロックを聴いている耳」ですんなり反応出来ました。

まあ元々僕はブリティッシュトラッド/フォーク系には強く親和する体質のようで、かのツェッペリンなんかも少なくとも4枚目までは、ハード・ロックだヘヴィ・ブルーズだとかいう前に優れたフォーク・ロックをやるバンドの一つとして普通に聴いてしまう部分があったりします。イギリス人がやってるとブルーズもフォークに聴こえるというか。
こうして努めて冷静に書いてますが、歴代で最も典型的なトラッドミュージックに近付いたとされるこのアルバムなんかもうただただメロメロです。しまいには僕の前世はケルトの吟遊詩人だったとか言い出しかねないのでここらへんでいったん閉じます。

なお僕が初めて聴いたのも他ならぬこのアルバムで、ここまで典型的に”トラッド”でも普通にロックとして聴けたとそういうことですが。(その2へ)

(参考)
文化人類学
社会史(特に”アナール派”の項)

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コメント
この記事へのコメント
すごい面白いです.
前回の記事に引き続き,とても興味深く読ませてもらいました.文化人類学と社会史の比喩は確かにわかりやすかったです.いやーバトン回してよかったなー(笑)
2006/12/14(Thu) 15:21 | URL  | guerrero #/HoiMy2E[ 編集]
おお
比喩としての的確性にはそれなりに自信があったんですが、知識としての一般性という意味では正に「人による」ものなので少なくとも1人には効力を発揮したようで良かったです。(笑)
・・・・注をつけてもいいんだけど、分かり易くする為の比喩に更に注がつくというのも間抜けだしなあ。一応探してみようか。
2006/12/14(Thu) 15:22 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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