2006年06月09日 (金) | 編集 |
![]() | 太陽にほえろ! スコッチ&ボン編2 DVD-BOX 沖雅也 (2006/04/26) バップ この商品の詳細を見る |
何となくね。じじいはばあ集まれ!(笑)
ちなみにスカパーch.361ファミリー劇場で悠久の再放送中。(歴代刑事一覧)
”ドラマセット”(ch.722+725+728+360+361+362)加入以来ずっと見てまして、ロッキー(木之元亮)、スニーカー(山下真司)と「熱血な若手」という以上のキャラのない外れニューカマー(私見)が続いたあたりでようやくマンネリ・衰退の臭いが濃厚になって来たかなと思っていましたが、スコッチ(沖雅也)の復帰及び変わり種ドック(神田正輝)の新加入と共にすっかり立ち直って来ました。
本放送時には基本小学生で、親子一緒に安心して、かつジェネレーションギャップを越えて全員が真剣に見ることの出来るほとんど奇跡的な名ドラマでしたが、30代後半に差し掛かった今見てもそのまんま面白いです。
・・・・まあ特に「喫煙」の扱いとかやっぱり時代を感じる瞬間はありますが(笑)。ひとの家来て当然のような顔してスパスパ吸うなよなあ。
ただそういうことより僕が驚いたのが、一人一人の刑事の人物像の見え方がさすがに小学生と今ではかなり違うなということで、それと共に当時は見えなかった群像劇というかキャラの書き込み/書き分けの見事さに今更驚いたり。
ちなみに小学生の僕の不動の一番人気はヤマさん(露口茂)で、これはシブいのかありきたりなのか微妙なところか(笑)。長さん(下川辰平)まで行っちゃうとシブいを通り越して侘びしくなっちゃって、これは今も同じ。
「熱血な若手」をウザいと思う感受性は当時から既に完成されていましたね。ゴリさん(竜雷太)くらいの年齢・バランスになれば問題はなかったですが、俳優竜雷太自身は振り返って結局この”ゴリ”さん役が最高の輝きで、しかもここでは誠実さで好感度を稼いでいたのが他(&その後)ではむしろ軽薄な本質ばかりが透けて見えるので、改めて太陽にほえろの脚本の力を感じたり。
で、特に心境に変化があって見直したのがボン(宮内淳)とドック(神田正輝)というどちらかというとヘラヘラしたタイプのキャラで、当時はボンはただのズッコケヘラヘラあんちゃんにしか見えず、ドックに至っては言動にいちいち怒って「太陽にほえろを壊すなあ!」くらいの勢いでした。
でも全然違うんですよね今見ると。こんな魅力的な、こんなカッコいいキャラだったのか・・・・。
ボンは最高です。熱血というよりは率直な、けれん味のない若々しさと、すぐモラリスティックに凝り固まるロッキーやスニーカーとは一味違う大らかで伸びやかな温かさ、優しさと。「人間愛」なんて大げさな言葉すら浮かんで来ます。カッコいいよアニキ、ごめん俺子供で分からなかった。
ドクもいいです。松田聖子に苦労させられてから味が出て来たなくらいに思っていた神田正輝でしたが、いやいやどうして、デビュー当時から光ってました。まあ元々飄々としたのが持ち味で、それに結婚生活の経験によって重みも加わったという意味では確かに聖子のおかげなのかもしれません。(笑)
昭和25年(1950年)生まれの現在56歳と、ちょっと同世代とは言い難い神田さんですが、このドラマでのある種アメリカ的な合理主義やらミーイズムやら軽い価値ニヒリズムやらを身にまとった役柄のリアリティを見てると、実は”新人類”(笑)のはしり的な感受性を持った人だったんだなと、単に設定の都合以上の親近感というか僕ら以降の世代に通じるものを感じます。
そして実はこの”ドック”の登場と対をなすものとして設定されていたのではないかと感じるのが、その少し前のスコッチの復帰なんですね。
故沖雅也(マジ美形!)扮するスコッチというのは、要するにちょっとオールドタイプで芝居がかった「ハードボイルド」「ダンディ」を具現化した役なわけですが、一見するとヘラヘラ蚊とんぼ”ドク”とは対照的で、実際最初は激しく対立します。しかしある瞬間から見かけは違ってもそれぞれが徹底した形で持っている個人主義/合理主義/価値中立主義が微妙にシンクロし始め、やがては彼らが各々の文脈で主張する合理性や単独行動のエッジの力が作品世界を押し拡げ、風を通し、支えるようになります。直接交わることはそんなにないんですけどね。
思うにやはり『太陽にほえろ!』は1回寿命が終わりかけたので、それがロッキー&スニーカーの不発に現れていた。彼らが奉戴する伝統的『太陽にほえろ!』的ヒューマニズムにはもうリアリティもインパクトもなくて、新人が改めて純粋化して持ち込んでも何ら活性化の効果を発揮出来なかった。
スコッチの復帰自体は多分窮余の一策の昔の名前の復帰で、ドクのキャラ設定も基本的には後追い的な世相の反映でしかなかったのかも知れませんが、何らか原案・メイン脚本の小川英さんにはこの2人を繋げる予感的洞察があったのではないかと思いますし、少なくともある時点からは明らかに2人の異化効果を積極的意図的に使おうとしている気配が感じられます。
ちゃんと研究しているわけではありませんが、これだけの長寿シリーズになると色々あるものです。
今後は逆に「ドック/スコッチ改革」(笑)の効果がいずれ切れて、再び『太陽にほえろ!』ヒューマニズムが今度は回復不能なまでにリアリティ&クオリティを失って行く様をやや意地悪に観察して行きたいなと思ってますが。
次の徹ラガーは最初から駄目だったような記憶があるなあ。それとも何かまた発見があるのかなあ。
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でも全然違うんですよね今見ると。こんな魅力的な、こんなカッコいいキャラだったのか・・・・。
ボンは最高です。熱血というよりは率直な、けれん味のない若々しさと、すぐモラリスティックに凝り固まるロッキーやスニーカーとは一味違う大らかで伸びやかな温かさ、優しさと。「人間愛」なんて大げさな言葉すら浮かんで来ます。カッコいいよアニキ、ごめん俺子供で分からなかった。
ドクもいいです。松田聖子に苦労させられてから味が出て来たなくらいに思っていた神田正輝でしたが、いやいやどうして、デビュー当時から光ってました。まあ元々飄々としたのが持ち味で、それに結婚生活の経験によって重みも加わったという意味では確かに聖子のおかげなのかもしれません。(笑)
昭和25年(1950年)生まれの現在56歳と、ちょっと同世代とは言い難い神田さんですが、このドラマでのある種アメリカ的な合理主義やらミーイズムやら軽い価値ニヒリズムやらを身にまとった役柄のリアリティを見てると、実は”新人類”(笑)のはしり的な感受性を持った人だったんだなと、単に設定の都合以上の親近感というか僕ら以降の世代に通じるものを感じます。
そして実はこの”ドック”の登場と対をなすものとして設定されていたのではないかと感じるのが、その少し前のスコッチの復帰なんですね。
故沖雅也(マジ美形!)扮するスコッチというのは、要するにちょっとオールドタイプで芝居がかった「ハードボイルド」「ダンディ」を具現化した役なわけですが、一見するとヘラヘラ蚊とんぼ”ドク”とは対照的で、実際最初は激しく対立します。しかしある瞬間から見かけは違ってもそれぞれが徹底した形で持っている個人主義/合理主義/価値中立主義が微妙にシンクロし始め、やがては彼らが各々の文脈で主張する合理性や単独行動のエッジの力が作品世界を押し拡げ、風を通し、支えるようになります。直接交わることはそんなにないんですけどね。
思うにやはり『太陽にほえろ!』は1回寿命が終わりかけたので、それがロッキー&スニーカーの不発に現れていた。彼らが奉戴する伝統的『太陽にほえろ!』的ヒューマニズムにはもうリアリティもインパクトもなくて、新人が改めて純粋化して持ち込んでも何ら活性化の効果を発揮出来なかった。
スコッチの復帰自体は多分窮余の一策の昔の名前の復帰で、ドクのキャラ設定も基本的には後追い的な世相の反映でしかなかったのかも知れませんが、何らか原案・メイン脚本の小川英さんにはこの2人を繋げる予感的洞察があったのではないかと思いますし、少なくともある時点からは明らかに2人の異化効果を積極的意図的に使おうとしている気配が感じられます。
ちゃんと研究しているわけではありませんが、これだけの長寿シリーズになると色々あるものです。
今後は逆に「ドック/スコッチ改革」(笑)の効果がいずれ切れて、再び『太陽にほえろ!』ヒューマニズムが今度は回復不能なまでにリアリティ&クオリティを失って行く様をやや意地悪に観察して行きたいなと思ってますが。
次の徹ラガーは最初から駄目だったような記憶があるなあ。それとも何かまた発見があるのかなあ。
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