ヴェルディ、代表、アイドル、漫画、アニメ等
読書日記(’13.10.6) ~江戸、明治、近代、現代
2013年10月06日 (日) | 編集 |
例のアニメ本の方は確認したいことが出来てまた(図書館で)取り寄せてる最中なので、こっちで埋め草。


"江戸"のリアリティ

すっかりお気に入りの東郷隆による、"御用盗銀次郎"シリーズ。
「御用盗」というのは、幕末の志士たちが攘夷(や倒幕)実行の為の資金集め(御用)として、"洋夷"との貿易や取引によって甘い汁を吸っている富商たちから、おしおきを兼ねて金品を供出させる(一応"借りる"形)、いっとき大流行りだった慣行・・・・と一応は定義できますが、実態はほんと様々で、大部分はそれを口実の単なるやくざや食い詰め浪人の生活費稼ぎですが、一方でそれを可能にした"攘夷"ムード自体にはそれなりの実態があり、またそれによる江戸の治安紊乱効果に目を付けた薩摩藩が、西郷の肝煎りで組織的にやらせた形跡もあり、その中から名高い悲劇の"志士"集団「赤報隊」も生まれたりと、まあそんな状況をこのシリーズでは扱っています。
銀次郎というのは、確認できなかったんですが、その御用盗の代表的な集団(これは実在らしい)の、用心棒を務めた架空の剣豪(多分)。そのキャラにとても魅力があったので、結果的にシリーズ化されたと、そんな感じに見えますが。

総じてシリーズの魅力としては、非合法集団を主人公とすることによる、何の虚飾も無い"江戸"の庶民感情の面白さ・濃厚さと、同時に幕末の討幕運動がいかに身も蓋もなくテロと謀略と、もっとはっきり言えば犯罪と残虐行為に満ち溢れていたかという、そういう"実態"が透けて見えるところですね。
綺麗な革命なんて、どだいあり得ないというか。
そのまた背景には、この時代の「人命」の圧倒的な軽さ、今に比べての。それは別に戦乱時代だからとか登場人物たちが非合法集団だからというよりも、一種の"常識"の差、"生命観"そのものの差という、そういう感じがします。
人は結構簡単に死ぬし、人と人の利害や感情がぶつかった時に、暴力が発動するのはむしろ自然なことだし、あとはそれを日常直視するかしないか・・・・それとまあ、武器が近くにあるか無いか
真面目な話、それくらいしか確実に有効な抑止策は無いよなと、そんな感じはします。大事なことだよなという。
現代の"テロ"が脅威ったって、それは要するに昔から/いつの時代もあったものが、「テクノロジー」の発達によって一つ一つの被害が巨大になってしまったと、それだけのことのようにも思いますしね。それに刺激されて、また起こる。効果があるからこそ、やる。ツールの問題。

それはそれとして。では江戸情緒の方を。(笑)
気に入った言い回しをいくつか。


御用盗銀次郎御用盗銀次郎
(2004/10/21)
東郷 隆
商品詳細を見る

p.7

「お前さん、どこの人だい。触帳(ふれちょう)がまわったのを御存知ないのか」
「おれは本所(ほんじょ)の者だが、触帳を読めるような身分じゃねえや」

なんか落語みたいですが。
"字が読めない"ということを、何もそんな偉そうに。(笑)

p.76

「おめえって奴も、居ねえもの貧乏だなあ」
 大事なところへ居合わせなかったばかりに損をする奴。あるいは損をするのが嫌さにどこへでも顔を出す手合いを、江戸っ子はこう呼ぶ。

目撃厨?
あるいはサッカーファンの、「現場で見た俺は勝ち組」自慢?(笑)
まあ実際はどこで見ても、大して変わんないと思うんですけどね(笑)。所詮見物人でしかないし。
"子孫"が聴きたいのも、要するにどういうプレーだったかであって、どこで見たとかそんな自慢は余計な情報。(笑)
それにしても、面白い言い方ですね。さぞかし江戸っ子には、そういう人が多かったんでしょうね。(笑)


大江戸打壊し―御用盗銀次郎

p.186

「雨の日でも、好きものという奴は待てしばしが無え。へっ、この道ばっかりは」

大雨の中、色街に通う客を見ながら。
待てしばし。いいね。(笑)
"店"に入ってからの、○射の我慢についての表現にも、使えそうですが。(笑)

p.249

江戸の川柳に「辻番は生きた爺父の捨てどころ」というのがあるが、まさしくその体である。

"辻番"・・・・江戸城下の武家屋敷周辺の辻々に置かれた警備隊。辻番の詰所は辻番所と称された。
上の川柳の"辻番"はだから、"番所"の方ですね。

別に警官がいるわけではないようなので、交番というよりも"マンションの管理人"に近いのではないかと。
だから老齢の暇な退職者の、第二の職場になる。"捨てどころ"になるという。
しかしはっきり言いますね(笑)。言い難いことを。


赤報隊始末 御用盗銀次郎赤報隊始末 御用盗銀次郎
(2009/12/16)
東郷隆
商品詳細を見る

p.128

「この女どもは、下谷名物歩き淫売(じごく)でやす」
 夜鷹より幾分ましな昼稼ぎの女どもだ。物売りに化けて人の家に入り込み身体を売るばかりか、時には家事の手伝いもする。客はもっぱら下谷辺に住む一人暮らしの職人か貧乏御家人の子弟という。

よくAVで、「派遣されて来たハウスキーパーのお姉さんが可愛いからヤッちゃった」みたいなシチュエーションというかそういうシリーズがあった気がしますが、それを全て折り込み済の"業態"があったという。
一人暮らしの職人か貧乏御家人の子弟。確かに独身男には、需要があるでしょう。何て合理的。(笑)
最初の「歩き」の部分が、言わば現代で言う「デリバリー」にあたるわけですね。
「店舗」でも、「街頭」でもなく。
自ら赴く。ちわーす、家事とセックスのご用命はありませんかあ?
ああ、じゃあちょっとお願いしますかね。今ブログ書いてるところなんで、先家事の方お願いします。終わったら声かけて下さい。

これに限らず、このシリーズを読んでいて圧倒されるのは、いかに江戸の社会の隅々にまで、種々多様な売買春が存在していたかということ。
常勤非常勤(笑)、臨時に日雇いに小遣い稼ぎに、通りすがりに成り行きに。
高額の手当てをくれる在留外国人の囲い者("洋妾")に、自ら望んで応募する人も実は多かった的なエピソードなども、("攘夷"絡みで)作中あり。
勿論"悲劇"も強制も数限りなくあったんでしょうけど、同時に売る側の主体性と合理性の印象もまた、強烈に。
「自立」とまで言ったら、怒られるかも知れませんが。しかし可能性の一つではあると思いますね、女の「自立」の、表現形態の。
妙に"リベラル"な江戸社会。持っている「財産」を、好きに使う"自由"というか。

p.404

 戊辰の江戸町民は、しごくのんびりしたものだった。
 彫刻家高村光雲(あの上野の西郷像を造った人だ)は、明治の頃、幕末の思い出を人に問われて、
「しごく呑気なものでしたよ。朝湯などで流し場へ足をなげ出した町内の熊や八などが、『近えうちに公方様と天朝様の戦争があるんだってなあ』というような話を仕合うばかりでした」
と答えている。

自分の区画じゃなければ、大火事が起きてても平気、みたいな描写もありましたが。
なるほどねえ。
都市住民ぽいというか、もうかなり"現代"に近い感覚でも、あったのかなとは思いますね。
むしろ「明治維新」や「近代化」、そして「挙国一致」体制で、一回文化程度は落ちたというか、まあ割りと最近よく聞く主張ですが。
逆に同時に「階級」社会特有の、"雲の上の話"的な他人事感なども、あったのかも知れませんが。


明治~近代~現代

以下かなりこじつけ的な繋がりです。(笑)
悪しからず。


ププタンププタン
(2001/12)
東郷 隆
商品詳細を見る

p.223

 そこで矢島は「知略」を用いた。髪を肩先まで伸ばして、連隊内を闊歩し始めたのだ。これには誰もが驚いた。
 上官は渋い顔で注意するが、矢島は馬耳東風。しかも、その姿のままで勤務は真面目にこなすから始末が悪い。
 これが昭和の頃の「皇軍であったら即刻処分の対象であっただろう。が、時はまだ明治の、狂信性が希薄な日本陸軍である。困った奴だ、と苦笑いする者もあれば(後略)

同じ作者による、明治の開国後、世界各地に"雄飛"した海外日本人たちの列伝的な作品集。
うっかり陸軍に入っちゃったけど(注・徴兵ではない)早く(また)海外に行きたくて仕方がない"矢島"が、穏便に離隊する為に知恵を絞ったサポタージュ活動を行っている様子。
"国家神道"そのものの編成は既に明治から始まっているわけですが、それが文化・庶民レベルまで良くも悪くも浸透するのは、昭和に入ってからと、そういうことなんですかね。
江戸には敵わずとも、明治は明治なりに、まだのどかだった大らかだったと。


呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)
(1973/11/20)
ジョルジュ・バタイユ
商品詳細を見る


いきなりですが、前のバタイユの残り物。(笑)
"近代"論と言えばマルクス/社会主義は必須と、そういうこじつけ。(笑)

p.278

念のために言えば、人間による人間の搾取がまだ微弱な未開社会において、人間活動の産物が富裕者のところに集積するわけは、ただ単に彼らが社会の保護と指導に奉仕すると見なされているためだけではなく、集合体の催しの出費を彼らが負担せねばならないからでもある。いわゆる文明社会において、富の受けもつ義務が消滅したのは、比較的最近のことにすぎない。

そう、なのか。
ちょっと綺麗過ぎる話にも感じますが。
ここで言ってるのはつまり、金持ちなり大企業なりが、その富を私用せずに社会に還元するのは人類的に当たり前だと、そういう話。理論付け。
別に"善意"とか"篤志"とか、そういう問題ではないという。義務だと。
前回も初期プロテスタンティズムにおける"富"や"生産活動"は、そもそも神の栄光を表す為のもので個人的贅沢に使うようなものではハナから理論的になかったと、そういう話でしたが。人類学的とキリスト教的と、ルートは違いますがゴールは同じ
よっぽど資本主義が嫌いなんですね、この人は(笑)。個人的な"富"(の集中)が。

「義務の消滅」ということについて言うならば、弱い個人、底辺の民衆を救う為に考案された「自由」(拘束からの解放)が、そもそも救う必要も無い権力者や金持ちにもついでに(?)与えられてしまった為に、今日のような無限に続くワンサイドゲームのような状況が現出してしまったと、そういうことでしょうか。
「必要性」が、「原理」として無駄に一般化してしまったというか。

p.279

今日、富の非生産的消費の、自由かつ大規模な、公共的形態は消滅した。
(中略)
富の一定の発達は、疾病と衰弱の徴候をきざしはじめ、果ては自己羞恥と同時にさもしい偽善に到達する。気前のよい、乱痴気騒ぎじみた、破目をはずしたものはすべて姿を消してしまった。(中略)
ブルジョワジーの代表者たちは人目につかぬ態度を採用した。退屈きわまる鬱陶しい因襲に則って、今では富の陳列は壁の背後で行われる。おまけに、中産階級のプルジョワたち、俸給生活者や、しがない商人が、取るに足らぬ、或いは微々たる財産にこぎつけることによって、誇示的消費の品格をすっかり卑しめ、それはいわば小分けされ、もはやくだらぬ嫉妬と結びついたおびただしい虚栄心のあがきしか残されていない有様である。

これはちょっと変わってるというか、一見してかなり分かり難い話ですが、要するに階級社会の王侯貴族たちはまだ良かった、盛大に無駄遣いすることである意味の富者の義務を果たしていた。「公共」性があった。
近代以降の小金持ちはけち臭いかコソコソしてるか、どっちかだ、貯めこんでねえで使え馬鹿野郎、個人的な財産なんて社会的に無価値なんだよクズという、そういう話です。(多分笑)
貯める為に貯めてどうすんだよ、お前それ病気だぞ?という。

これたけ言われても困ると思いますけど(笑)、一応こういうラインで、一貫した理論構成を、この人はしているわけです。
感性的にはやはり、「近代」「資本主義」って、馬鹿げていると、まとめてそういう話ですか。


笑う警官 (ハルキ文庫)笑う警官 (ハルキ文庫)
(2007/05)
佐々木 譲
商品詳細を見る

p.151

警察官は、警察学校で徹底した反共教育を受ける。共産主義者労働組合こそが社会の最大の敵と教え込まれる

そうなのか。それでいいのか。
"共産主義者"はまあ、原理的に反(現)社会だからまあいいとしても、"労働組合"は当面特定の限定的な活動目的の為に存在しているだけのものなわけで、(本音や裏はともかく)として許されるのかという。組合員は、それだけではまだ立派な「国民」だろうが。
どの程度事実でどの程度影響力があるのかよく分かりませんが、"結果的"に秩序を乱す者に対して、警察がいかにシンプルに根本的に、敵意を持っているかという、そのことが想像されてちょっと怖いですね。
ロー&オーダーとは言いますが、警察の奉仕先はオーダーの方なんだろうなという。
「公安」ならまあ、諦めます(笑)けどね。

同じく「社会」を考えても、同じく弱い者を守る使命(感)を持っていても、バタイユ(や社会主義者)と現代日本警察は、相容れないんだろうなと、強引なまとめ。(笑)
そうた警察の"内部"事情を覗いてみたいなと思って手を伸ばした作家でしたが、元警察官としての仲間意識は濃厚に持ちつつ、それなりにバランスの取れた読み物でそこそこ面白かったです。
映画化

笑う警官 [DVD]笑う警官 [DVD]
(2010/05/21)
大森南朋、松雪泰子 他
商品詳細を見る

もされたそうですね。


以上、埋め草でした。(笑)
無料開放ウィークでスカパーは他に見たいものがあったので、ヴェルディの試合は明日の再放送で見ます。


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック