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読書日記(’13.12.18) ~各種"業界"事情
2013年12月18日 (水) | 編集 |
ほんのお目汚しでござりまする。(?)


日本映画を創った男―城戸四郎伝日本映画を創った男―城戸四郎伝
(1999/01)
小林 久三
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この間言った本。
様々興味深いエピソードが詰まっていますが、"本"としての出来は正直微妙。著者が自分の感情を上手く処理出来ていないし、業界の大物にして松竹の王、城戸四郎とのコントラストで、終始うだつの上がらない"映画"人生を送ったある人物をしつこく対置するんですが、その人物自体が微妙過ぎてコントラストが意味不明というか、別に要らないんじゃないのという感じ。結局"逆転"も無いですし。企画倒れ
まあ読む価値自体は、十分にあると思いますが。"感動"はしないまでも。(笑)

"カメラマン"と"監督"
p.86
カメラ助手から助監督。それと同じコースを、木下恵介もたどったが、二人とも(もう一人は小津安二郎)名監督になった。カメラ助手を経てくるというは、監督の仕事にいい影響をあたえるのだろう。
 そういえば、昭和三、四十年代にマスコミのあいだで、名匠といわれた監督は、個性のつよいカメラマンの指示どおりに演出するので有名だった。カメラマンのいいなりに、カット割りから俳優の演技の注文を出して、スタッフの軽侮と嘲笑の対象になっていた。
p.87
映画は、(中略)シャシンつまり映像作品である。監督が演出で、映像に魂をふきこむのだろうが、優秀で個性的なカメラマンになると演出の分野にも踏みこんできて、どちらが監督かわからなくなるような人がいる。

「カメラマン」と「監督」という、外野的には確かにたまに同じことをしているように見えることもある職能が、実際に混同される場合についての話。カメラマンとしても一級の腕を持つ木下監督などの場合には、逆にカメラマンの方が、"いるだけ"状態になっていたという話。小津さんの"完璧主義"も、技術に明るかったからこそ、可能になったという。
映画でもサッカーでも、最終的には監督は監督というか、真にヴィジョンを担う権利があるのは監督一人だとは思いますが、ただ技術スタッフを納得させるたけのものを持たないと、なかなか"自分の"作品には出来ないんでしょうね。俳優や他業種の人がたまに監督をやった時に、よくそういう苦労話は聞きますが。
サッカーで言えば・・・・コーチとかより、"キャプテン"とかボス格の選手が、上の「カメラマン」の位置に来るのかな。ネルシーニョ末期のラモスとか、中期以降(?)のザックジャパンにおける、本田とか。(笑)
まあイングランドでは昔キャプテンだけ選手だけで、チームを運営していたらしいですけど。

松竹東宝における、"プロデューサー"
p.197
プロデューサーといえばきこえはいい。企画からはじまって、監督や脚本家の起用、配役にいたるまで、独裁的な実権をにぎっているようにみえるけれど、プロデューサーシステムをとる東宝とちがって、松竹はディレクターシステムだった。
p.214
 その点、後発で、合理的なアメリカ映画の製作方法をまねた東宝の場合とは、映画のつくり方が根本的にちがっていた。
(中略)
 そのため、東宝のプロデューサーの役割を、松竹では監督が果たした。監督の上に、総合プロデューサーともいうべき撮影所長(例・城戸)がいるという、複雑なかたちをとった。

なお松竹のこの"ディレクターシステム"も、別に最初からそうだったわけではなくてもう一方の"スターシステム"、俳優第一主義への対抗として、それを廃して作品の芸術性を高める為に、城戸が作ったシステムなんですね。ただ結果的に、それだけになってしまったということで。あと"唯一のプロデューサー"としての、城戸の存在が大き過ぎたのと。
ちなみにではアメリカの"プロデューサーシステム"がどういう起源を持つかというと、これは前に書いたと思いますがそもそもヴォードヴィルなどの大衆演芸を上演する小屋の支配人たちが、新しい出し物として「映画」を発見して、それが好評なので自分の小屋でかける為に自分で映画を作り始めたのが"商業映画"の言わば始まりで、ただ自分で作ってると製作本数に限界がすぐ来ちゃうから他人にも作らせて、その"現場"を"監督"させたのが「監督」の始まりなので、長らく監督なんてのは発注元(プロデューサー)の小屋主からすると雇い人でしかないという、そういう認識があったということですね。
と、ある映画史の本には書いてありました。

現在のハリウッド映画は、"スター+プロデューサー"システムという感じでしょうか。日本映画はスターが弱い分、監督が少し強いか。
一方で日本のドラマは、正にハリウッド的バランスですね。アメドラの方は、"プロデューサー+シナリオライター"システムという感じ。2つに共通してるのは、「監督」の影が酷く薄いことですが。
日本の(TV)アニメはそれに比べると監督が強い(脚本家が弱い)かも知れませんが、一番強いのは「原作」ですね、現状。(笑)
韓流ドラマは・・・・"スター+監督"かな?世界的に、ちょっと珍しいパターンな気が。


Dr.HOUSE/ドクター・ハウス:シーズン7 DVD BOXDr.HOUSE/ドクター・ハウス:シーズン7 DVD BOX
(2013/08/02)
ヒュー・ローリー、リサ・エデルシュタイン 他
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Dr.HOUSE S8
#8

「だが能力だけじゃだめだ。イングヴェイに聞け」

ドラマ話?いや、メタル界事情?
単にハウスの口からイングヴェイの名前が出て来たのが、面白くて。(笑)
天下の自己中ハウス先生にすら、駄目出しされるイングヴェイ。(笑)


公安裏警察成りすまし (トクマ・ノベルズ)公安裏警察成りすまし (トクマ・ノベルズ)
(2002/09)
柊 治郎
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p.44
警察官の余命は短い。夜寝ない商売をやった者は、長生きはできない定めなのだ。そのお陰で、警察共済の年金資金余裕しゃくしゃくだ。

そうなんだ。しっかり寝ないとな。(笑)
一方で、長寿化or高齢化社会が、いかに福祉システムの直接的な負担になるのかということについての、逆方向の例という感じ。
どうしたって為政者側は考えますよね、早く死ねよと。
もしくは生きてるなら働いて、保険料&税金収めろと。
その視線が高齢者のみならず貧困者にも向けられているのが、アメリカ型の社会というか近い将来(既に現在?)の日本というか。


直線大外強襲―佐野洋競馬ミステリー傑作集〈1〉 (ハルキ文庫)直線大外強襲―佐野洋競馬ミステリー傑作集〈1〉 (ハルキ文庫)
(1999/12)
佐野 洋
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p.87(「直前競馬」)
現在、競馬の世界では、どこの厩舎でも馬房が足りなくて困っている。それだけ、馬を持つ人が増え、(中略)
それなら、馬房を増やせばいいと考える人も多いだろうが、農林省がそれを許可してくれないという。
もともと、各厩舎の馬房は、厩舎の所有物ではなく、競馬会が立てて、調教師に貸すという形式をとっており、増設には農林省の許可がいるのであった。

あくまで書かれた当時の事情ですが。
今どうなってんのかな。
次々聞き慣れない名前の調教師の活躍を聞くから、だいぶ規制は緩くなってるのではと推測しますが。
とりあえず、"業界"小説の醍醐味あふれる、短編集でした。


跡を濁さず―家老列伝跡を濁さず―家老列伝
(2011/08)
中村 彰彦
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p.212
大名たちに共通する問題点は、他人と対等の立場で議論したことなどまずないため対立意見に歩み寄ろうとしないこと、そして臍を曲げやすいことである。
(中略)
ここに議会制度の萌芽となる可能性を秘めていた参与会議は空中分解し、容堂は仮病を使ってそそくさと帰国してしまった。

大名業界?(笑)
参与会議というのは、こういうものです。
議会制ねえ。まあ"貴族院"っぽくはあるか。元老院というか。
いくら何でも、ちょっと構成員が限られ過ぎている感じはしますが。
まあ"大名の特性"という話は、言われてみればさもあらんということではありますが。
さもあらん過ぎてなんか笑えるというか。(笑)
そりゃ殿様だもんなという。


天地明察天地明察
(2009/12/01)
冲方 丁
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p.56
記憶力が本当に優れている者は、忘れる能力にも長けている。今日打った手のことなど晩に忘れ、翌朝に昨日の棋譜を眺めて新たに続きを考える

ふうむ。分かるような分からないような。
この人そういうの多いな。(笑)
忘れる能力というか、"覚えておくこと"に執着しないということでしょうね。
いつでもまた覚えられる、あるいは思い出せるから。
あるいは軽々と覚えていられるから、そこにとどまらずに常にもっと大きな構図からものを見られる。
上は勿論、"囲碁"界の話でありますが、知能が高い人一般の有利さでもあります。
ある一つの局面だけなら、努力で才能と伍することは可能ですが、局面がどんどん変化したり拡張するようになると、やはり頭のいい人の"スピード"には到底追い付けない。
そのスピードをちゃんと"活かさ"ないと、生涯の「仕事」としては結局"亀"に追い付き追い越される可能性はありますけどね。でも足の速さの差自体は、歴然としている。


ゼウスガーデン衰亡史 (ハルキ文庫)ゼウスガーデン衰亡史 (ハルキ文庫)
(1999/11)
小林 恭二
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p.209
「ヤクザが戦いを嫌うのは、本当のところ命が惜しいからではなく、戦いを続けている限り生活ができないからではないでしょうか?生活さえ保証されていれば、人間なんて永遠に戦い続ける存在ではないでしょうか?人類の歴史を見てください。戦いを嫌う者がどうしてこんなに始終戦います?戦いを嫌う者がどうしてかくまで競争するのでしょう?」

ヤクザ"業界"?もうこじつけもいいとこ。(笑)
ていうかこれ本当は、人類"業界"の話ですし。
「生活さえ保証されていれば」「永遠に戦い続ける」存在って、文明社会にあえて闘争を求める、我々スポーツファンのこととも言えるかも知れませんし。(笑)
好きなんですよね、結局。
そもそも「競争」と"生きがい"や"充実"が、ここまでリンクしているのは異常と言えば異常な気もするわけですし。あえて「競争」を求めずに自足する人へ、社会や異性が示す軽蔑の深さを見よ。(笑)
ちなみにこの本は、文字通りに企業の興亡シミュレーションを楽しもうというつもりで手に取ったんですが、実は筒井康隆絶賛のメタフィクション(?)小説だったのでびっくりという。
いや、まあ、それはそれでいいんですけど、なんかがっつり焼肉食おうと店に行ったら、なぜか変な無国籍ヘルシー創作料理か何か出された感じで、そりゃないよというか何度も読むのやめようと思ったというか。(笑)
最近に無く、読むのに時間のかかった本でした。
面白いのか面白くないのか、結局よく分からなかった。(笑)


以上、なんか軽いのばっかりですが。
まあ前回(の読書日記)少し重過ぎた気がしますし。(笑)


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