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ハウス終わっちゃった
2014年02月19日 (水) | 編集 |
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結局シーズン8で終了。まあよく続いた方かなと。(Wiki)
人気作には違いないんですが、かなりアクが強くて癖があって、ダラダラ定番的に続かせるタイプの作品ではないし、毎回毎回医学的"ミステリー"を構築するのも、ネタ的に大変だったろうし。
後半の「中毒」「恋愛」「服役」という"燃料"投下も、それ自体としては個人的にはあんまりピンと来なかったです。ただただ、ハウスとそれを取り巻く人々との、日々のやりとりや葛藤が面白かった、実は"日常"系ドラマではないかと。(笑)
そういう意味では実はあんまり書くことが無いんですが、とはいえ歴代でも個人的ベスト10には確実に入って来るだろう、思い入れ深い快作なので、何か一回はまとめて、書いておこうかと。
多分多くは以前書いたことの焼き直しになるかとも思いますが、ご容赦を。(笑)


1.「診断」とは、独立したアート<技芸>である

ドラマ『ハウス』が教えてくれたこと、その1。
昨今でも、例の「医薬分業」「調剤薬局」の独立という出来事によって、何となく「医学」「医者」としてまとめて認識していたものが改めて分けられて、そうなの?という思いにかられた人は多いと思いますが。
言い換えると薬を出したり注射をしたりして治療をしてくれる人が医者で、診断はそのための下準備であると。(でしかないと)
ただものの本に拠ると(出典忘れ)例えば西洋医学の原点である古代ギリシャにおいては、「医者」というのは『診断』をする人のことであって、『調剤・投薬』どころか『治療』全般は、弟子というか下働きというか、医療分野における"労働者"のやることであって、("労働"全般がギリシャにおいてそうであるように)余り社会的に高く評価されなかったとか。
診断だけして治せなきゃしょうがないじゃないかと現代の我々としては奇妙に思いますが、恐らくは「医者」の更に前身であるシャーマン的職業の人々が、共同体に降りかかった異変の呪術的"意味"を確定して、それによって社会に安定・安心をもたらしたその職能の、多分に延長線上にあるのではないかと推測は出来ますが。・・・・実は現代でもありますよね、そういうことは、とりあえず「病名」がつくと、診断がつくと、"安心"するという心情が。治る治らない以前に。とにかくこの苦しいor訳の分からない症状の、"意味"は分かったと。分かったような気になると。
それを教えてくれた人をこそ「先生」と尊敬するというのは、"宗教家"的なニュアンスも含めてまあ理解は出来る。訳の分からないものは怖いですから、ほんとに。

そうした社会的文化的な位置づけの話はともかくとして、現代医学においてもやはり「診断」そのものに高度な、あるいは独自の専門性を認めるという考えはあるようで、日本では余り聞いたことが無いですが、このドラマではアメリカのさる大病院における"診断"のみを専門に行う、更に言えば対外的に"花形"である部門のトップとして、天才医師ハウスが登場します。・・・・あんまり注意してませんでしたが、他の病院にもちらほらと似たような部門自体はあるようです。
勿論外来患者がふらっと風邪の診断におとずれたりはしなくて(笑)、他の病院の一般医などには手に負えなかった難解な症状を示す患者のみが、特別に回されて来るわけです。ここらへんはあえて言えば、刑事捜査における「所轄」「FBI特別捜査班」的な、そういう分類・分担かなという。
ちなみにこの病院にも普通の外来はあって、天才ハウスも退屈だとぶーぶー言いながら、たまにそうした患者の対応をして、稀にその中に隠れた難症例を発見して大喜びしたりします。(笑)

まあ考えてみれば、日本でもある医者が解明出来なかった、ありきたりなor別の病気と誤認してしまった症状を、セカンド、サードオピニオンで別の医者が正しく診断するなんてことは、ままあるわけですからね。
そこらへんを行き当たりばったりではなく、制度化した感じでしょうか。
とにかく「"診断"という能力の独立性超越性」というものを、誰よりも体現しているのがハウスであり、このドラマが再認識させたことであるということです。

2.「診断」は難しい

"1"と同じことではあるんですけど。
それにしても、実に"難しい"ということを見せつけられて、正直医者にかかるのが怖くなります。(笑)
そうそう難解な病気にかかったりはしないわけでしょうが、例えば僕は本当に気管支喘息なんだろうか。何か別の病気と誤認されたまま、30年も対症療法を続けているだけなのではないだろうか、とか。

まあ僕に医学的知識は特に無いですし、ドラマの為に殊更トリッキーで複雑な症状を作り出しているのは勿論分かるんですが、それにしてもこれだけ一流の、あるいは最新の知識を持ってるらしき医者が何人も知恵を出し合って、ここまで何の病気の症状か分からないことや、誤った"正解"にたどり着いてしまうことがあるんだなあという。論理的に、あり得るんだなあという。
しかもしばしば、「この診断が間違っていればこの治療によって、患者は死ぬ可能性がある」というような場面が訪れますし。そしてそういう時は大概、ええい、とやっちゃってるだけ。(笑)
逆になまじ知識が豊富だから迷うという面もあって、日頃決まり切った症例しか扱わない医者がそうでない症例にもついいくつかの特徴から決まり切った診断をして、それで間違うということは多分当たり前にあって、更に言えばハウスたちのような知識があるわけではないけれどそれなりのセンシティビティを持った一般医が、とりあえず通例ではこう診断するけれど、ほんとにこれでいいんだろうかと内心結構びくびくしながら医療活動を行って、どうやら治療が効いたようだから診断も間違ってなかったらしいと胸を撫で下ろすみたいな、そんな場面も僕らの知らないところで日々繰り広げられているのではないかと、そういうことはこのドラマを見ているとかなりビビッドに想像出来ます。怖いです。(笑)

少し先走っちゃいましたが、だから実際には、「症状」「診断(病名)」のミステリーに加えて、「原因(治療法)」のミステリーも存在するんですよね。ある一つの症状が様々な病気に当てはまる可能性があるのと同時に、ある局部的直接的"原因"の存在が、これも様々な病気の可能性を構成している。・・・・ありていに言えば、ある症状の抑制・治療、原因の除去が"成功"したとしても、それが「診断」の正しさは保証しないという。その限りではたまたま効いたけれど、その奥にある真の原因はそのままであったり、あるいはこのドラマで結構出て来た状況として、ある"病気"(A)にかかったことによってそれ以前に存在していた"病気"(B)が抑制されていたのを、なまじ医者が病気Aを"治して"しまったものだからより致命的な病気Bが目覚めて活動し始めて大騒ぎ、みたいな。(笑)

まあ実際にこんなことが、どれくらい起きるものなのかは、知らないですけど。
ただ"現実"もこんな感じなんじゃないかなみたいな、そういう感想もありますね。「原因」と「結果」の直線的な連鎖が成立していることなんて滅多に無くて、ヘボ医者としての我々がたまたま目に見えているところを切り取って認識しているだけで、実態/総体はもっと全然違うものなのを気付かずにいたり、あるいは誤った「原因」の除去("犯人"の告発)によって、気が付くとより致命的な事態を招来していたり。
それでも医療の場合は、まだけりがつく可能性が高いからいいわけですけど。ハウスじゃなくても(笑)、一応"専門家"もいますし。
「現実」の"専門家"は、いったい誰なのか。政治家?科学者?宗教家?(笑)

3."天才"の内面

前に書いたことですね。
サバンなりアスペルガーなり、特にコミュニケーションに障害を抱えた、つまりは我々一般人の目には奇妙に見える"天才"たちを研究・描写した映画・ドラマは結構ありますし、あるいは"協調性の無い異能のヒーロー"を主人公としたドラマに至っては、むしろ王道の一つと言っていいくらいに数多あるわけですけど。
ただそれらがそうした人たちを、"外"から、しばしば物珍しげに描いている、別な言い方をすると「一般人」である製作者が「異物」である"天才"を描くというスタンスであるのに対して、このドラマの優れている、特徴的なところは、ぎりぎりまで"天才"であるハウス側の生活実感に寄せてドラマを進行させることに成功していることだと思います。
再び言い換えれば、脚本家は"天才"ハウスと一体化しているということです。自分も天才という態で描いているというか、実際それに近い知力の持ち主なんだろうというか。

まあ多くは寡黙訥弁な上記サバン系天才とは違って、ハウスは性格が極端にひねているだけで(笑)コミュニケーションスキルに特に問題は無いので、自ら喋りまくる自分のことを説明解説しまくるという、単純なスタイル的問題もあるとは思いますが。
それにしても、新鮮な感覚でした。こんなんありなんだという。
と同時に、今までの不満が解消されたという面も。
・・・・どういう不満かというと、従来のドラマでは頭のいい人が頭のいいゆえに"差別"されている、「鼻持ちならない仇役」として類型化されたり、実際には頭の余り良くない脚本家によって(笑)、本当に頭の良い人なら言わないせりふを言わされたり、あるいはそれによってかえって馬鹿に浅薄に見せられたりという。意図的にもしくは結果的に。

まあほんと、日本のアニメとかでもうんざりさせられることは多いです。頭の良い人を「普通に」描くことが出来ているものは、滅多に無いというか。・・・・例えば『コードギアス』とかは、そこらへんなかなか良かったですけどね。かなり情け容赦なく、頭のいい人(主に主人公)の方の生活感で、作品全体を進行させていた。
ここらへんに関しては、実は主に腐女子系ファンによる男の"美"を鑑賞するという感覚の流入によって、近年かなり改善が見られるというか、従来の"熱血馬鹿""正義漢"寄りのドラマ作りからの脱却の傾向が見られる気がしますがそれはともかく。(笑)

まあ一般論として、「分からない」ことは描くべきではないのであって、ある意味その一例として、"自分より頭のいいキャラ"は描くべきでないというか、そもそも描けないだろうと、そういうことは言えなくもないのではないかと。
・・・・と、言うような積年の不満を一挙に解消してくれた快作が、『ハウス』であると、そういう話です。(笑)
天才の天才による、天才の為の?(笑)
まあそこまでぶっ飛んでるわけでもないですが。見るだけなら、普通の頭で見られますが、感情移入できるかどうかには、人により多少の注文はつくかなという。

4.キャラたち

冒頭で言ったように、このドラマは第一には"医学ミステリー"ではありますが、ここまでの長寿シリーズになれたのは、"ハウスと愉快な仲間たち"的な、強烈に狷介固陋な主人公ハウスをめぐって起きるある種お決まりの(起きるに決まっている(笑))摩擦・人間ドラマを丁寧に描いたこと、それが魅力的だったことが大きいだろうと思います。
もっと言えば、どちらかというと破滅型の主人公ハウスと共に直線的に収束してもおかしくなかったストーリーを、適当に周囲の人物を入れ替えて新しい葛藤を見せることで持たせた、"キャラ"ものであると、そうも言えるかと。そういう意味では少し安易で、一回一回の面白さは毎回文句なしですが、通してシリーズとしてどれくらいの傑作と評価出来るかというと、ベスト10には入るけどベスト1の候補にはならないなと、そんな感じになるわけですが。

ただほんと、楽しかった。
基本的にハウスが"無敵"な人なので、どんな脇をぶつけてもそれなりに成立するので、最初は結構計算して構成されていた人間関係も途中から適当になって(笑)、こんなキャラはどうだ、こんなキャラはどうだと、次々に他のドラマではあんまり見ないようなそれぞれに身も蓋も無い個性を持ったキャラがハウスに挑みかかって、プロレス的というかジャズ的というか、実にスリリングで飽きさせなかったです。(その分初期からいる行儀のいいキャラたちは、割りを食った感じも)
スウィングさえあれば、それでいい、的な。

その中でも特にスウィングしていたというか、僕のお気に入りというか、本当にほんとうに(笑)他のドラマでは見ないようなキャラは、この二人。

アンバー・タンブリン、マスターズ

アンバー・タンブリン演じる純粋培養の天才少女、"マスターズ"。

シャーリーン・イー、チ・パク

シャーリーン・イー演じるアジア系田舎娘?、チ・パク。

基本的には『ハウス』も、脇にはなるべく"美女"を配置して画面を賑やかすキャスティングはしているわけですが、この二人は・・・・。
"子供"ではあるけれど"ロリ"とはとても言えないし、なんか本当に"限界"に挑んだ感じのキャスティング。(笑)
容姿以前にハウスの部下になれるくらいの秀才医師(医学生)であるという条件は付くわけで、そういう意味では実際にはこういうタイプがいてもおかしくないとは思いますが、それにしても揃いも揃っての「ずんぐりむっくりのチビ」で、リアルという以上に下手するとあえて(それなりに"スタイリッシュ"な)ドラマで使うと差別的に見えるようなタイプ。ホビット族ですか?というか。(笑)

そしてその"ホビット"ぶりを情け容赦なくハウスにいじらせつつ、しかしその延長に、きっちり「人間」を描いて見せる腕の冴えには改めて感心しました。何でもありというか、どんなフリにもノレるというか。
勿論ハウスというキャラがいたから、処理出来たとは思いますが。
万人に平等に差別的な。(笑)

まあでもほんとここらへんは、シリーズも終盤に入って(それぞれ第6,8シーズンに登場)ほとんど勘で作ってるというかノリで作ってるというか、別にいつ終わってもいいんだよという自由さがあって、楽しかったです。
スウィング、スウィング。
それに応えて彼女たち自身も、演技なのかほんとに(ハウスに)戸惑ってるのか判別し難い不思議な芝居で、素晴らしい味を出していました。


知的で変わってるけど、結局はひたすら楽しい作品でしたね。
ハウス自身が、そうであるように。


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