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甲野善紀、前田英樹 『剣の思想』
2014年02月27日 (木) | 編集 |
剣の思想剣の思想
(2001/10)
甲野 善紀、前田 英樹 他
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恒例読書レポートですが、内容が充実し過ぎていてどうまとめていいかよく分からないので、とりあえず注目すべきと思う箇所を書き出して行く作業を、しばらく淡々とやって行こうと思います。

体裁としては、現代の二人の武術研究の大家による、往復書簡をまとめたものです。まああくまで"書籍化"を前提に行われた、「往復」のようですが。
内容としては勿論剣術を中心にした(古)武術の技術論・思想論なわけですが、それによる避けられない帰結としての、かなり根本的な(西洋)「スポーツ」批判、「スポーツ」の常識への疑念が提出されていて、そこでこのブログの読者にも、接点が出て来るかなという。
サッカーという、当然ながら西洋起源の"スポーツ"において、まだまだ風下に立ちながらある程度"追従""盲従"の作業に日々追われざるを得ないでいる、"日本人"の愛好者としての。(笑)

もっとピンポイント的興味で言うと、僕はこれまでに何回か、サッカーにおける"ファンタジスタ"系の特殊な選手たちの特殊性を、要は「"スポーツ"選手の中に"武術"選手が混じっている」(からだ)という類の比喩で捉えようとして来たことがあったと思いますが、そのある意味での理論的・具体的強化も、二人の語る技術論が与えてくれるようなところも後に少しあります。


・・・・ま、とりあえずさっさと引用作業に入りたいと思います。(笑)
今日の"書簡"の書き手は前田英樹という人で、僕は初めて聞く名前だったんですが、勿論水戸ナチオの人とは別人で(笑)、本職は何とソシュール言語学の学者である立教の教授で(オッシャレー)、ただしこの本では主に(柳生)新陰流の熱心な信奉者実践者として、対話に参加しています。(Wiki)


"第一章 歩行について"(前田英樹) より

・"西洋"的歩行

日本人が、現在見られるような歩き方をしていることは、明治維新以後欧米から取り入れられた服飾、家屋、医療、軍事訓練、体育教育その他の要因と密接に繋がっている。明治期の日本人は、いつの間にか西洋人のスタイルで歩くことを身に付けたと思われ、その学習はおそらく今でも続いているのでしょう。
(p.9)

続いてますね。われらがサッカー界でも。
否応なく。

明治以降の日本の社会で「よい姿勢」をして歩くとは、すなわち西洋人のスタイルで闊歩することを意味しています。「胸を張って、腕を振って」歩こうとする。
(p.9)

"よい姿勢"はむしろ腰痛の元だ的な話は、たまに聞きますが。ていうかそれより、体育の授業で「行進の仕方」を教えられて苦労した、嫌な思い出がよみがえりますが。(笑)
実は猫背に近い前かがみの姿勢が、いかにある面合理的で、闘争にも有利かという話が、後で出て来ます。


・直立歩行と"剣術"

四肢を持った哺乳動物の運動は、歩行がその一切の基礎になっている。人類の直立歩行は、手の自由のためにこの基礎を根っから不安定なものにしてしまいました。後は、この不安定自体を、いかに習慣化していくかです。
(中略)
「剣術」においては、歩行はこうした目的を超えて根底から作り直されなくてはならない(中略)
「剣術」は、直立歩行が自然のなかで負ういろいろな難題をあらかじめ一挙に消し去ろうとする
(p.10-11)

単なる習慣的運動の強化効率化ではなくて、運動の質自体の改革という話。剣術家の伝説的"神業"の、共通の基盤というか。

受け取ったものを送り返す、作用を反作用にして返す、この原理が生物における運動の一般法則を作り上げている。
歩行が、地を蹴るようにして為されるのは、そのためだと言えます。
(p.12)

私たちが、一種の歴史的記憶のなかから懸命に呼び起こそうとしていた剣術は、このような運動の一般法則を、まず歩行において根底から破る発明として出現したに違いありません。(中略)
作用/反作用の生物的回路から抜け出して、人間の身体が運動のもうひとつの次元を開くまったく新たなやり方です。
(p.12)

まあ厳密な意味で物理法則としての「作用反作用」から逃れることは、出来ないわけでしょうが。
運動の基本イメージの話でしょうね、ここでは。端的に言うと、"反動をつける"というタイプの今日広く用いられる"テクニック"からの脱却の話だと、後になると分かります。


・"スポーツ"とその弊害・限界

この浸透力は、スポーツ自身がその内部に持っている特質から来ると考えていいでしょう。(中略)それは、作用と反作用との相関で成り立つ運動の一般法則を、最も効率的に、純粋に引き出して来るところにあるのではないでしょうか。
(p.15)

"スポーツ"と総称される運動の定義。特に"武術"との対比において。
そして。

作用と反作用との相関モデルを特定の約束事の内部で極端に純粋化し(いわゆるフォームの追求とは、このことに他なりません)、生身の体に強制し続けると、当然ながら体は疲弊し、摩滅し、壊れてしまうでしょう。(中略)
それで、そういう酷使に耐えるもっと強い体を、壊れる前に作っておこうとする。トレーニングというわけです。(中略)
しかし、トレーニングによって作られる強い体などというものは、所詮壊れることを予定されたエンジン・ブロックにすぎません。そこには、計画の策定とその実現だけがあって、本当の意味で上達もない、発明もない。これはなかなかに残酷なことです。
(p.15-16)

サッカーにおいても今日なかなか避けることの難しい、"ウェイト・トレーニングによる肉体強化"ですが、それによってある種の有用性が高まることは否定出来ないとしても、それが即ち"いい選手"になることなのか、かつて我々が憧れた"進歩"のその中身なのかと、釈然としない思いが時によぎるのは、これもまた否定出来ない事実だと思います。
だいたいそれで追い付くのかという。その部分で勝負しても、まあまあのまがい物が出来上がるだけではないかという(本田?)。長友のような"才能"のケースは、また別として。
まあここの本題は、"付き物"と見過ごされがちなスポーツ的な故障・疲弊は、元の行為・運動に内在する"無理"を指し示すものとして、もっと真剣に捉える必要があるのではないかという話でしょうね。
例えば野球のピッチャーの(指先の)「血行障害」とか、子供心にも随分陰惨な印象を受けたものでした。"機械の動きを強いられた人間の末路"的な。

彼らのしていることは、体が利かなくなるまで続けられる同質の動作の繰り返しだからです。スポーツ選手の動作体系は、本質的にはごく若い頃の何年かの学習で身に付いてしまう。(中略)スポーツ選手の頂点は、残酷なほど若い時にやってきます。
(中略)
スポーツの技術は、体を摩耗させ、ごく短期間で限度に達してしまうことと切り離せない。(中略)原因は、スポーツの運動体系そのもののなかにある。この体系が根差している運動の一般法則が、多量に行えば身を損じるという、明らかな条件のなかに置かれていることに因っているのです。(中略)
動作はそれ以上の質的な発展や深化を遂げません。あとは、その動作に必要な体の強化があるばかりです。
(p.17-18)

言うなれば肉体強化は、進歩ではなく、欠陥の隠蔽であるという。辻褄合わせというか。
"無理"を通して、"道理"を引っ込める為の。


・運動の一般法則を逃れる

フィギュアスケートという美しい競技がありますが、あそこで作られた動作体系のなかには、運動の一般法則を逃れるものがたくさんある。氷を蹴って移動することは難しい、そしてこの難しいという点を、演技者たちは最大限利用して移動し、その移動に適したポーズを展開しているように見えます。
(中略)
フィギュアスケートの選手が取る腰の形は、新陰流剣術で言う「吊り腰」の形にまったく一致していることがある。腰の背骨のところを垂直に吊り上げられているような姿勢です。(中略)
こうした("吊り腰"を前提とした)歩行では、足が「浮く」と言われる。浮いた足は、地を蹴りません
(p.21)

なるほど。
「氷の上」というフィールドの特殊性が、とにかく固い地面を強く蹴って反動をつけて、パワーとスピードを出してそれに物を言わせるという、西洋"スポーツ"の特性と限界を知らず突破させて、そして期せずして東洋武術と出会うという。(笑)
そういう意味では、ウィンタースポーツはよく見ると面白いのかも知れませんね。"採点競技"嫌いでほとんど見ない人なんですけど。もっと"動作"に注目すれば。

四足獣が歩行する時の移動軸は、言うまでもなくその脊椎と一致している。(中略)直立歩行する人間では、この二つは直角の方向に分裂している。
(中略)
スポーツは、移動軸がバラバラになった人体を、そのまま運動法則に従わせ、徹底的に酷使する。酷使に耐えられる体力さえ作っておけば、それでよいというわけです。しかし、そんなことに耐えられる体力の限界は、どんなに合理化されたトレーニングを積んだところですぐにやってくるでしょう。
移動軸は、足法との緊密な連関を通して、まったく新たに立て直されなくてはならない、これが新陰流剣術の考え方です。
(p.22-23)

"スポーツ"と"武術"の関係まとめ。
こうして見ると、人間・・・・というかヒトは、未だに新しく手に入れた体、直立歩行する自らの肉体に相応しい"自然"な歩き方(を筆頭とする体の使い方)を、確立出来ていないのかも知れないという、そんな話にも見えますね。
数万年後には、"進化"の結果として、種ごとみんなで新陰流の術者のように、歩いていたりするかも知れない。(笑)


または真央ちゃん。(笑)
これでまだ第一章です。(笑)
は甲野さん。


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