東京V等サッカー、漫画、アニメ、アイドル 他
読書日記(’14.5.19) ~漫画業界、アニメ業界、他
2014年05月19日 (月) | 編集 |
老猫がまたぞろ具合が悪くなって来た、もしくはずっと悪かった具合が発覚してしまったので、またしばらくヴェルディについて触れる頭の余裕が無くなりそうです。

・・・・基本的に多分、同じ頭を使っている、同じ感情のカテゴリーに属している事柄なんですよね、「よぼよぼの老猫」も、「よちよちのヴェルディ」も。(笑)
あえて言語化すれば、"憐憫"ということでしょうが。だからどちらかが膨れれば、当然もう片方に割く容量は減って来る。

まあもっと単純に言うと、私生活(?)に心配事が多いと、ヴェルディの試合への集中力は目に見えて落ちますね僕の場合。
間違っても「ストレス解消」「気分転換」の対象にはもうなり得ないので、ただただ、また"心配事"が増えるだけの経験事項になる。
ごめん、ちょっと今勘弁してくれないか、という。

みんなどうなんだろう。(笑)
暇な大学生(ごめん(笑))とか以外で、ヴェルディなんかを身を入れて応援する心の余裕がある人って、どれくらいいるんだろうという。
よく"他の娯楽との競争"ということが言われますが、実際問題どこらへんのレベル(のクラブ)までだったら、Jリーグは"娯楽"たり得てるんだろうというか。
そんなこんな。

以下寄せ集め的に。

笑う長嶋笑う長嶋
(1998/10)
夏目 房之介
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(週刊少年マガジン二代目編集長就任時の内田勝は)マンガを"テレビの活字媒体化"ととらえて、お子様ランチのようなまるっこいマンガじゃなく、もっとリアルでシリアスなドラマを伝達できるものにしようと考えたのである。
 ただ、それは手塚治虫を頂点とする既成のマンガを、その方法を、思い切って排除しなければできなかった。さいわいなことに(?)内田は、編集者になるまでマンガなどほとんど読んだこともないマンガ音痴だった。なまじマンガに愛着があったらできない仕事だったかも知れない。
 かくて内田編集長は、マンガのなかのアンダーグラウンドである貸本劇画を大胆に起用し、牧野路線のうえに青年劇画-マガジン路線を築くことになるのである。
(p.196)

なるほどね。
この時点では、テレビの方がシリアスなメディアと捉えられていたのか(笑)というのがまず一つかな?
・・・・テレビがシリアスというよりも、マンガがおこちゃま・おちゃらけなのかも知れませんが。
出版社が社内で編集者を畑違いのところへ異動させるという話はよく出て来ますが、これはそれが上手く行ったケース?まあどこまで"深謀"によるのかは、分かりませんが。
ただその"畑違い"な中で、単に一般化するのではなくて貸本劇画に目を付けるというのは、なかなか立派な仕事というか、見識だよなあという。やはり元々"ドラマ"全般については、思うところのあった人なんでしょうね。漫画は知らなくても。アンダーグラウンド、ね。


二階堂黎人VS新本格推理作家 おおいにマンガを語る―「大事なことはすべてコミックから教わった」 (ダ・ヴィンチ ミステリーシリーズ)二階堂黎人VS新本格推理作家 おおいにマンガを語る―「大事なことはすべてコミックから教わった」 (ダ・ヴィンチ ミステリーシリーズ)
(2000/04)
二階堂 黎人
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桐野 ダメです!私はも下手だけど、コマ割りがもっと下手なんですよ。一度、うちの娘がマンガを描いているのを見たら、すごくうまいの。それでも彼女は「もう古いコマ割りだ」と言う。これはかなわないな、と思いましたね。
(p.107)

二階堂黎人ホストによる、新本格系ミステリ作家たちとの漫画をテーマにした対談集。
はっきり言って、面白くは無かったです(笑)。個別に面白いエピソードはありましたが。
一回一回が短い上にホストも力不足で(そのくせ前に出たがる)、話が浅い。飲み屋でやってという感じ。
"桐野"は桐野夏生さん。
よく言われる「絵」と「話」とは別に、「コマ割り」自体も独立した才能であるという。
分かる気がします。この人(桐野)はつまり"話"の専門家ですが、逆に"絵"は上手いけど"コマ割り"にセンスの無い人というのも、いそうですし。
あるいはそのように日本の漫画のコマ割りが独自に洗練されて来ることによって、人によっては字だけの小説よりも読むのが難しい、面倒くさい、疲れる、だからラノベだみたいな、実際そういうことはあるようですし。

二階堂 マンガとミステリーの関係を世代的に概括すると、ぼくらの世代は大人になってもマンガどっぷり。笠井さん北村薫さんたちの世代は、大学生くらいになるとマンガを読まなくなってしまう。一方、小森健太朗さんたちの世代になると、物語よりもキャラクターのほうに興味が行ってしまって、いわゆるアニメ世代になってしまう。10年刻みで、そういう世代分けみたいなのが成り立ちそうなんです。
(p.121)

二階堂 最近の少女マンガって、少年マンガもそうなんだけど、絵の技術はすごいのに、物語の構成とか、ディテールがきちんと押さえられてなくて、
(中略)
小説にもあるんだけど、物語をつくるのが大事なんじゃなくて、場面場面のキャラクターを描くことが主眼になってしまっている。たぶん、コミケの影響やアニメ世代の特徴だと思いますが。
(p.257)

近頃のは物語やディテールが弱いという話なんですが、そもそも自分が属している「新本格」自体が同種の"人間が描けていない"批判によくさらされるジャンルなわけで、そこらへんの意識なり自覚なりが、どうも何かスコーンと抜けて、易々と「今どきの若いモノ」的な"型"に話が流れて行ってしまっているのが、なんだかなあという感じ。
呑気だねというか。他に何か言い方は無いのかねというか。
その点に関して、「キャラクター」中心主義という着目自体は有益だと思います。「絵」と「物語」ではなくて、「物語」と「キャラクター」。ただそれを余りにもあっさりと"アニメ"と"コミケ"に、しかも「世代」として帰着させてしまっているのが、おいおいというか、どこまで自分は棚の上だよというか。
小説家としてはともかく、評論家としての信用性は、この本を見る限りゼロですねこの人は。そこらのおっちゃん。(笑)
だから本もつまんなかったという。これで深くなるわけがないというか。面白そうな企画なのに。


山寺宏一のだから声優やめられない!―声優・山寺宏一と30人の声の役者たち山寺宏一のだから声優やめられない!―声優・山寺宏一と30人の声の役者たち
(2000/10)
山寺 宏一
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田中(真弓) 最近は私も教える仕事が増えたけれど、生徒に言うのね。一生声優の仕事をやりたいと思うならどうしなきゃいけないかってことを。でもこれが、暖簾に腕押し、蛙の面に小便なんだな(笑)。今の若い子ってメモリーでいいと思ってるのよね。
山寺(宏一) (若い子にとってみれば)もうそんなこといいんです、わかっていますと。
田中 結婚したらやめるんです、子供を産んだらやめるんですから。「ほ~ら、ごらん。お母さん若いころ、こ~んなに人気者だったのよ」って子供に言えればいいと。
(中略)
すると彼が「真弓さんのおっしゃることよくわかるんですけれど、僕はそこまで声優でいたいと思っていませんから。仕事なくなったら別のことやりますから、別にそんなふうに考えていないんです」って。カック~ンときたわ。
(p.81)

なるほどね。
ある意味納得。逆にというか。
ここまでブラック以下の業界であることが知れ渡っているのに、なぜ変わらず、いやますます人気職業なのか。今時のコがそんなに夢見がちだとは思えなかったですが、そういうことなら。
納得・・・・したくはないですけど。(笑)
例えば同じく今時"グラドル"になる、続けているコなんかの中にも、パーセンテージはもっと低くてもそういう意識のコはいるんでしょうね。ある意味では古典的な、"芸能人"へのとにかく憧れというか、メモリーというか。
より意識的なコは、「地下アイドル」になるのかも知れませんが。
この本も基本的に、"今どきの若いモン"本です。(笑)
ただ"ベテラン声優"たちの力は実際確かですから、その分"新本格"作家の夜郎自大というか目くそ鼻くそ(おい)よりは、だいぶ説得力はありましたが。(笑)


性と法律――変わったこと、変えたいこと (岩波新書)性と法律――変わったこと、変えたいこと (岩波新書)
(2013/12/21)
角田 由紀子
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二〇一一年の東日本大震災が、わたしたちに家族や親しい人との結びつきを再認識させるきっかけになったことは、無視できない。「絆」という言葉が国中に氾濫していた。他面、これは戦前の家族賛美・肯定に容易につながる「美しい言葉」で、戦前の家族や人間関係を再評価しようとする巧妙な動きは、いまも続いている。
(p.3)

続いてますね、なかなかこのタイミングでこれを書籍・論文というような形で("ツイッター"ならともかく(笑))はっきり言うのは難しくて、ここらへんは何というか、フェミニズム/女性学周辺の学者や思想家の、一つの存在価値というか。
漠然とした"違和感"や異議ではなくて、「思想」として戦える。
ていうかそもそもあの「絆」が国民的標語(?)として採用された時点では、僕は「は?」と思ってたんですけどね。そんなの流行ってたか?という。
むしろ掲げられたことで定着したと、そういう印象を僕は受けているんですが、どうでしょう。
家族もコミュニティも、救いであるよりは遥かに呪いであるように見えたという経験から、人類は現代文明を築いたわけで、"帰る"ところなんでのはどこにも無いんですよね。これから"作"れる可能性はあっても。

ちなみについでに、震災と直接の関係は無いでしょうが(笑)、近年になってJリーグ内で"サポーター"批判を筆頭とするある種の"コミュニティ主義"への反省、再考があちこちで行われているようなのは、見ようによっては逆行ですが、面白い現象だと思います。
ここに来て初めて、Jリーグが日本社会に何か「貢献」出来るかも知れないなというか(笑)。ちゃんと社会の"先"を行って、新しいものを付け加えて。
コミュニティ主義との付き合い方、教えます!みたいな。(笑)
まあまだ反省の最中ですけどね。


僕僕先生僕僕先生
(2006/11/21)
仁木 英之
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「キミは時々自分のことを棚にあげてまともなことを言いたがるな。そのうち棚が落ちて来ないように気をつけることだ。」
(p.229)

上手い!座布団一枚!(棚に?)
逆に言うと、棚が落ちて来ない限界内なら、てきとうに"棚にあげ"てもいいということになるかも。
いかにも人生の知恵として使えそう。(笑)

憂いはそれだけで心を構成する重要な一部分だ。自然にあるものを仙果で取り去った上で何かを判断させるのはおかしいだろう。」
(p.244)

憂いに限らず、マイナスの感情や思考、あるいは自分にとって苦痛なそうしたものも、善悪以前に自然な自分の"一部"であるということ。
逆に"一部"として受け入れる、あるいは放置することを覚えれば、楽になるというか処理のスキルも上がるというか。
"ある"ものなんだから、"置"いとく。放っとく。
"消す"のではなくて、"ある"前提で、扱いを考える。悪意も殺意も、偏りも変態も。(笑)
必要が無ければ、必然性が無くなれば、消えるでしょう。あってもそれはそれで。
まあ適当です。そう書いてあるわけではありません。(笑)

作品は仁木英之による、萌え萌え仙人/仙道小説。
ほぼライトノベルですが、地味に本格志向。
宗教・古代思想全般強い人ですが、仏教を扱ってる時が一番好きかな僕は。あと"高原"の空気感。

海遊記 義浄西征伝 (文春文庫)海遊記 義浄西征伝 (文春文庫)
(2014/03/07)
仁木 英之
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高原王記 (幻冬舎文庫)高原王記 (幻冬舎文庫)
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仁木 英之
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前世そこらへんなんじゃないのかなあとか、思わず考える迫真性。
北部インドの仏教王国の一つとかね。(笑)


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