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読書日記(’14.8.7) ~漫画&小説
2014年08月07日 (木) | 編集 |
二階堂黎人VS新本格推理作家 おおいにマンガを語る―「大事なことはすべてコミックから教わった」 (ダ・ヴィンチ ミステリーシリーズ)二階堂黎人VS新本格推理作家 おおいにマンガを語る―「大事なことはすべてコミックから教わった」 (ダ・ヴィンチ ミステリーシリーズ)
(2000/04)
二階堂 黎人
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二階堂 ぼくは、総じて最近のマンガにはあまり魅力を感じていないんです。一コマに入っている情報量がすくないし、巻数ばかり増えて大味に思えるんです。(中略)
綾辻 確かにね。やたらと何巻も出ていて、密度が薄い
(p.17)

二階堂 昔って、1ページに12コマが基本だったでしょう。だから、4段で、1段あたり3コマにして・・・・・・。今のマンガは、1ページ2コマなんてことも普通ですよね。手塚治虫先生の『ジャングル大帝』は、ページ数で言えばボリュームがないんですけど、読むと今の単行本20冊分くらいの読み応えがある。で、現在の標準コマ数に換算してみると、確かにそれくらいあるんです。台詞もムチャクチャ多いし。
桐野 だから面白かったんですね。
(p.107-108)

前回もあんまり高く評価しなかった本ですが、今回の内容も何というか、オチが無いというか割りと平凡というか、"今どきのナンチャラ"的な語り口に行儀良く収まる感じの内容。
「二階堂黎人」(ら)である意味は全く感じられませんが、ただ"ある世代の漫画ファン"の典型的な感想としては、参考になるかなという。
なるほどね。単純に単位面積当たりの情報量が減っている(変わっている)のか。
そういうことはあるかも知れない。
僕の得意分野で言えば、同じアメリカものどうしの比較で「映画」より「TVドラマ」「新しい映画」より「古い映画」の方が、"単位時間当たりの情報量が多くて充実感があるor退屈し難い"というのは確かにあります。
これは非常に単純な説明としては、要するに「映像的表現」に力を入れるようになって(た分)、「文字・言語的情報量」が減ったと、そう現象的にまとめるのは可能だと思うんですけど。漫画に関しては上の通りですし、「TVドラマ」も「古い映画」も、どちらも"会話劇"的色彩が相対的に濃いですからね、現代の一般的映画よりも。
問題はだから、「映像的表現」に力を入れたことによって作品としての"充実"感が上がっているのか、あるいは同じことですが「文字・言語」を削ってまで行う程の内容を、、「映像」が獲得出来ているのかということ。
収支が合っているのかというか。(笑)
実際は「内容」というよりも「ゴージャス感」なんだろうと思うんですけどね、それによって加味されるのは。米ドラで言えば『24』以降に増えた"映画並み"の作りと称するドラマ群が、僕には概ね内容が薄くて眠くて仕方が無いのに、一般にはそれなりに訴求しているというか「映画みたいで面白い」的な評価をしばしば得ているのを見ると。
それはそれで間違いなく、"商品価値"ではあるわけですけど。
ただ基本的に映画よりドラマの方が面白い思っている側からすると、「映画みたい」というのはむしろ悪口でしかないみたいなところはあります。一瞬褒め言葉だというのを理解するのに時間がかかるというか。(笑)
"作画のクオリティが上がる"(笑)こと自体はいいことに決まってるわけですけど、それと作品がそれを見せることに引っ張られるのは、別の問題という。

二階堂 昔は、ドラマトゥルギーの常識というのがあって、メリハリがあるから物語のダイナミズムも受け取れた、なんて思うんです。ところが、今のマンガって、最初から最後まで突っ走って、連載中は確かに迫力を感じる。しかし、そのくせ、単行本で読んでみるとぜんぜん話が進んでいなかったりする。
(p.258)

まあありがちな感想ではあるか。
僕は子供の頃は単行本ばっかりで、大人になってからは雑誌(連載)ばっかりなので、今いち実感は無いんですが。
どうなんでしょうねえ、週刊連載が過酷なのも、"引き""引き"で行き当たりばったりな作りになりがちなのも、基本的には今も昔も事情は変わらなそうに思うんですが、変わったとしたら何が変わったのか。


話変わって・・・。

草原の覇者―チンギス・ハーンの一族〈1〉草原の覇者―チンギス・ハーンの一族〈1〉
(1997/04)
陳 舜臣
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十字軍が一世を風靡したかにみえた十二世紀末から十三世紀初頭にかけても、それはラテン世界においてだけであった。マリアのいたコンスタンティノープルは、ギリシャ的世界であり、おなじキリスト教圏とはいえ、ラテン的狂躁はなかった。十字軍ブームというものはなかったのである。
(p.65)

へええ、そうなんだ。
やっぱラテンはバ○なの?(いや、それは笑)

チンギスは集団の意思を尊重する度量があった。もし自分の意思をおし通すようなら、いずれ身の破滅になることを知っていたのである。
(中略)
独裁者になってはならない。だが、独裁者のすがたを、あくまでとりつづけなければならないのである。
(p.138-139)

リーダーシップというものの難しさ、ということであるし、更に言えば、モンゴル内のこうした「統治」「支配」の意外な繊細さが、世界帝国モンゴルの支配の言うところのこれも意外な寛大さ・柔軟性にも、繋がっているのかなという。反映というか。
権力が舐められるのは、一見自由なようで統治される側にとっても実は害は大きいんですよね、確かに。でもそれとムキになって押さえつけるのは違うという。別に現自民政権に言ってるわけではないけど、結果的には言ってることになるかも知れない。(笑)


チンギス・ハーンの一族〈2〉中原を征くチンギス・ハーンの一族〈2〉中原を征く
(1997/07)
陳 舜臣
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モンケはふしぎな男である。数学を愛好するのに、反面、迷信深いところがあった。(中略)
どうやら数学は一種のゲームと考えていたようだ。それを現実の問題と結びつけよう、と考えたことはなかったらしい。現実の問題には、巫術師が呼ばれた。ユークリッド幾何学は彼の自慢であった。狩猟のえものを語るのとおなじように、喜々として語ったのである。
(p.306-307)

モンケというのは、チンギスから数えて3代目の、モンゴルのトップです。
「科学」も「数学」も、古代からあったはあったんですよね。東にも西にもというか。それなりの水準のものが
ただそれを"現実""日常"の世界にそのまま当てはめたのは、特別な趣味人以外の思考をも(背景として)支配するようになった、平たく言うと常識化したのは、近代西ヨーロッパが史上初だということ。
そしてそれが、"勝負"を決したという。文明間闘争の。
まあ「貨幣経済」とか「市場経済」とかも同じですね。"ある"か"無い"かが問題なのではなくて、"全面化""徹底化"したかどうかが問題。


チンギス・ハーンの一族〈4〉斜陽万里チンギス・ハーンの一族〈4〉斜陽万里
(1997/09)
陳 舜臣
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偽書をつくる人でも、色々と苦労しています。聖賢の書物から抜き出したり、あれとこれとをうまくつなぎ合わせたり、まあなみ大抵のものではない。私はそれを評価しますね。感心することばに出会うことが大事で、それを誰が言ったかは、あまり大したことではない。なにも孔子が言ったからありがたいのではないのだ。
(p.116)

バヤンというペルシャ出身の、フビライにとっての(チンギスにおける)耶律楚材みたいな外国人相談役(ただしこちらは軍人)の傑物のせりふ。
仮に大川隆法がペテン師でも、言っていることは正しい/有難いかも知れないという話?(笑)
まあ、そういう考え方自体は、十分にあり得るでしょう。逆に「誰」が言ったかによっていちいち信じちゃったり有難がったりするのは間違ってるということは、誰にでも分かることでしょうし。
とはいえ、そういうことはありますよね、そこら中で。対面の迫力に押されるならまだしも、ネット上のパーソナリティとすら、十分に距離の取れない人が少なからずいるのは、たまにほんとうんざりしますが。
なぜ「宗教」のタネが尽きないのか、よく分かるというか。


人類は衰退しました 5 (ガガガ文庫)人類は衰退しました 5 (ガガガ文庫)
(2010/01/19)
田中 ロミオ
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「まあ若い時分には、そういう時期もあるだろう。子どもらの人間関係は、わしには少々めまぐるしい。よほどのことでなければ、力になってはやれん
(p.54)

主人公が通って(?)いた、全寮制の地球最後の「学校」の校長先生のせりふ。
いい先生ですね。いい「大人」というか。
こういう風に、出来ないことは出来ない、分からないことは分からないとはっきり言ってくれると、むしろ信頼感は増すと思います。もうとっくに、大人が情報を支配出来る時代じゃなし。

「なにしろを育てるのには時間がかかる。がよくなる方がずっと早い。」
(p.69)

実は「哲学的」な部分を慎重に隠している感じの『人退』ですが、この校長先生(学園長だっけ?)だけは、割りとストレートに「賢人」風。(笑)
まあここで言ってる内容は、むしろ「生物学」だと受け止めた方が、正しく理解出来ると思いますが。
「心」も「頭」も、とりあえずは同列で、生命現象。
「頭」だけ変に発達しちゃった人を、余り「性格」の問題として断じてしまうと、実態が見えなくなるというか。逆に頭がいいから、どこか立派なわけでもないし。"思考"なんて実は、"排泄物"の一種ですよ(笑)。当面は。
それを自覚・対象化出来た人が、いい意味での「哲学者」ではないかと。そこらへんが科学者は、一般にまだ弱い。ナイーブというか。


魔神航路 (PHP文芸文庫)魔神航路 (PHP文芸文庫)
(2012/03/16)
仁木 英之
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「知っていたか? 人間って理解した相手を敵と認められない」
(p.280)

主人公たちをたぶらかすために、ゼウスが送り込んだ魔人の言葉、だったかな?(よく覚えてない)
まあ、そうですね。"敵対"の本質というか。
ただ何というか、逆にだから、生理的に嫌いな相手を、「理解」したくないんですよね。好きになりたくないから。(笑)
敵対したままでいたいというか。そういう、業(ごう)。(笑)
嫌いな監督とか。(笑)
逆に誰でも好きになることは、可能は可能なんですよ。向き合ってしまうと、好きにならざるを得ないというか。付き合うと。
ただそれも良し悪しでね。クソミソ一緒というか。"惚れっぽい"人とかダメンズウォーカーとかは、ここらへんのメカニズムに無防備過ぎる人なのではないかと。
好きになる相手は、出来れば選ばせて下さい。(笑)
宗教家になるならともかく。

ちなみに小説としては、今二つでした。シリーズものだと知ってれば、読まなかったのに!("2"も出てる)
前回一応褒めた人で、力量自体は十分にある人なんですけど、逆にあり過ぎるというか器用過ぎるところがあるんですよね。だからシリーズものとか定型ものとかだと、余りにすっきり型にはまってしまって、内圧不足にも程があるという感じになる。
これからも単発ものなら、喜んで読みたいですけど。逆に"業"が無いのかな?「理解」してしまって、終わっているというか。(笑)


んじゃまた。


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テーマ:文学・小説
ジャンル:小説・文学
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