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"自意識過剰"の(?)代表史
2014年07月24日 (木) | 編集 |
今日にもアギーレかという、何とも落ち着かない状況ですが、さりとて土日にあげても誰も読んでくれないので(笑)、無理にでも今日に。
前回を踏まえての、日本代表現代史の概観。


(フル代表)

オフト('92~'93) → ファルカン('94) → 加茂('95~'97)/岡田('97~'98) → トルシエ('98~'02)

 → ジーコ('02~'06) → オシム('06~'07)岡田('07~'10) → ザッケローニ('10~'14)

(五輪代表)

アトランタ西野('95-'96) → シドニートルシエ('99-'00) → [トゥーロンU-21小野('02)] →

 アテネ山本('03-'04) → [トゥーロンU-23&]北京反町('07-'08) → ロンドン関塚('11-'12)


・・・オフト以降、アトランタ以降の、それぞれの"代表"監督の推移。
がヨーロッパ人、がブラジル人、が日本人。
太字は僕が"成功"の部類だと、認定するチーム。

一つ一つ、就任・交代の経緯を思い返してみると・・・

・オフト→ファルカン
初の外国人(オランダ)監督として、メンバー的にはほぼ"日本リーグ選抜"ながら欧州風のコンパクトなモダンスタイルを浸透させて、アメリカW杯出場権獲得寸前まで導いたオフトの後任として、ブラジル人ファルカンを招聘。
選考理由としては「(オフトに無い)"修羅場をくぐった経験"を持っている人」ということが主であったが、選手としては'82セレソンのレジェンドだとしても、(代表)監督としてはコパアメリカの指揮程度の経歴しか無く、曲折の結果ではあったようだが当時からかなり意外というか拍子抜けの感のある、選択ではあった。
指導スタイルも南米スタイルに激変し、消化不良の内に解任

・ファルカン→加茂
ファルカンによる混乱を承けて、当時の欧州トップモード(という触れ込みの)"ゾーンプレス"を駆使してJリーグでまずまずの成果を出していた、加茂周横浜フリューゲルス監督を抜擢。
就任した加茂監督は、ファルカン完全無視を実質公言して、オフトのチームの"復元"からスタート、そこから徐々に発展・選抜を繰り返し、自分の"ゾーンプレス"チームを作り上げて行った。

・岡田→トルシエ
予選途中で解任された加茂監督の後を継いで、守備重視の緊急スタイルでともかくも予選突破と、初出場となるフランスW杯本大会3試合を務め終えた岡田監督の後任として、主にアフリカで実績を残していたフランス人監督トルシエを招聘。
"本命"のベンゲルに振られた結果という形であったが、ある意味ではトルシエはその期待に十分に応え、"フラット3"に代表されるややアヴァンギャルドな攻撃的パスサッカースタイルを日本代表に植え付け、一通りの結果も残した。

・トルシエ→ジーコ
日韓W杯で予選リーグは突破したものの、決勝トーナメント(トルコ戦)ではややひ弱な印象で淡々と敗れた前チームに対して、「個人能力がもっと必要(という意)」(川淵?)、「日本人はもっと出来る」(ジーコ)というような文脈で、草創期Jリーグのレジェンドでもあるブラジル人ジーコを、主に川淵氏の鶴の一声で監督に。
ジーコは宣言通り、所謂"黄金の中盤"を中心とした「自然熟成」スタイルでチーム形成に臨むも、ドイツW杯本大会では記憶に残る惨敗を喫する。

・ジーコ→オシム
任期途中巻き起こった解任デモなどにもめげずに飽くまで自らが選んだジーコ監督を擁護し続けていた川淵会長だったが、そのジーコのチームが敗退するや否や語り草となっているフライング的"リーク"で、次期監督オシム体制への移行を強引に進めた。
オシムは自らの独創的な集団スタイルと日本人選手の資質の融和を様々に図っていたが、志半ばで病に倒れ、退任。

・岡田→ザッケローニ
本番直前の、それまでとほぼ真逆のリトリート戦術への変更で南アフリカW杯に臨み、'02日韓と同様の予選リーグ突破(決勝トーナメント1回戦敗退)という一応の結果を残した岡田監督の後任として、スペイン系各監督やアルゼンチン人ペケルマン、チリ人ビエルサ等様々な名前が挙がった、かつてないほどの長い選考過程を経て、イタリア人監督ザッケローニが就任。
ザッケローニは当初、岡田監督のチームを発展解消的に攻撃的に、重心を前に移したようなチームを作ろうとしていたようだが・・・



以上、多分に周知のことも含めて、回顧・整理を行って来たわけですが、何が言いたいかというと。

まず近年のこうした代表の歩みについて、よく言われるのが方針が"二転三転"しているということなわけですが。

・監督の国籍「オランダ」→「ブラジル」→「日本」→「フランス」→「ブラジル」→「旧ユーゴ」→「日本」→「イタリア」とバラバラ、一貫性が無い。
"手本"の変遷。「99年頃は(前年にW杯を制した)フランスがモデルだった。その後は人もボールも動くサッカー。10年頃からはスペインのパスサッカー。どういうサッカーをするのかというのが、コロコロ変わっている。(W杯ごとに)4年で1サイクル終わっちゃう」(中澤)

とまあ、こんな感じ。
それはそうなのかも知れませんが、ただまあ、まだ地位もスタイルも確立していない国が傍目では迷走に近い試行錯誤をするのはある意味仕方が無いところはありますし、日々変わって行くトレンドを追うのも、ある程度までなら純然たる"努力"の範疇なので、大所高所から一概に結果論的に断ずるのは、ちょっとなところがあると思います。
問題はだからやはりディテールで。それら試行錯誤の、一つ一つの"内実"というか。


パッと見やはり目につくのは、「オフト→ファルカン」「ファルカン→加茂」「トルシエ→ジーコ」「ジーコ→オシム」のところの、欧州⇔南米両極の、前のチームの成果をほとんど無かったことにするような、余りに露骨なギャップで。
ただその内「ファルカン→加茂」と「ジーコ→オシム」の「南米→欧州」パターンについては、要は失敗した前チームを正に"無かったこと"にする為の「ゾーンプレス」「世界の名将オシム」という"劇薬"なわけで、ギャップがあるのは当たり前というか、正論的批判をしても虚しいというか。(笑)
更に凄く優しく(笑)言えば"調子に乗って"たのを"反省"した結果の転向なので、ギャップ自体を責めてもしょうがないかなという。変な意地張られるよりはマシというか。

だから問題は、"調子乗り"の方。「欧州→南米」の。「オフト→ファルカン」と「トルシエ→ジーコ」。
オフト→ファルカンはこれだけ見ると、是非はともかく世界"経験"をめぐっての選択だと考えられなくないんですが、後に(川淵氏が)やらかしたトルシエ→ジーコの"後例"も併せて考えると、やはりああいうサッカー自体に、志向・憧れがあったゆえだと、考えていいんだと思います。そういう個人能力オリエンテッドな"威風堂々"たる、欧州式にチョコマカしたりしない(笑)日本代表を、自分の手で実現したかったと。
面白いのはそれ以前にオフトやトルシエの就任を選択したのも、結局は川淵氏だったことで、それ自体がそれなりに真剣な問題意識の発露からのものだったことは、僕は疑っていない。ただそれらが"成功"した後に出て来たのが、更なる真剣な取り組みや積み重ねとかではなく、"成功"に油断しての調子乗りだったということで。・・・そしてその後また反省("加茂""オシム")するという。可愛い(?)やつ。(笑)


今のはほとんどが、近年の日本サッカーの偉大なる指導者閣下(笑)カワブチ氏個人の話なわけですが、似たようなそうした、言わば成功の引継ぎの失敗」というのは、実は歴史の随所に出て来て混乱・非効率の元になっている気がします。
今回のザックジャパンの"失敗"も、大きくはそうですね。協会の「ザッケローニ」という選択自体は、あえて言えば「第一次岡田の後のトルシエ」に近くて、"ヨーロッパベースの組織性"という基調は変わらずに、それをより"攻撃"に寄せようとしたもの。それ自体は既にトルシエで一回成功しているように、さほど無理のある選択ではなかったと思います。・・・守備的か攻撃的か、よりも、組織的/勤勉性・規律性を活かしたものか否かの方が、「日本人」の資質の問題として本質的というか。つまりそこに"ギャップ"は無い。

ギャップがあったのは多分、選手の自意識や世論のある部分の、過剰さや過大さで、南アの岡田ジャパンの"成功"が、継承や立脚の対象であるよりも遥かに、否定や反省の対象とされてしまった。いつからか。それによって選択肢が狭まって、意識に死角が増えて、どんどん変な方へ追い詰められて行ってしまった。
ザック自身の(攻撃についての)プログラム不足と、指導力不足も相まって。

五輪年代の方に目を向けると(その為に上に挙げた(笑))、"アトランタ"の時点で、既にそういう"変な"自意識の問題は生じていたと思います。
覚えてますかねえ、あの後に出された強化委員会(当時)のレポートの基調が、まずもって「守備的戦いへの批判・反省」だったこと。「はあ?」と僕は思いましたが。
当時五輪のアジア予選を突破すること自体が、いかに(大昔は別として)事実上前例の無い難事だったかということ、増して本大会でオーバーエイジのスーパースターを揃えた本気のブラジルや、最終的に金メダリストとなったナイジェリアの怪人たちと戦うことが、いかに気の遠くなるような挑戦だったかということ。それを見て来たはずの人たちが、よくもまあそんな他人事みたいな空論を、恥ずかしげも無く。その前に何かあるだろう。その"正論"との間を繫ぐ、何かが。守備的なのはお前らのレポートじゃ、チームは勇敢だったよ、ふざけんな。
・・・と、僕は怒ってましたし、多分西野監督もぶち切れてた(笑)でしょうね。何だその裏切りはと。梯子外しはと。あの時の怒りが、逆に腹を固めさせて、後の"頑固一徹"の監督西野朗を作ったのではないかと、一方で僕は思っていますが(笑)。そういう意味では、GJ?

とにかく、そういうことがありました。
その後の例では、前回紹介した、ある意味では"JFA渾身の傑作"である'02トゥーロンU-21チームを、トルシエの助手から中途で天下って来た山本昌邦アテネ五輪監督が、圧倒的な人間力で全く空気を読まずに、ジャブジャブ水で薄めて跡形もなくぶち壊したという例。それから直後の雑誌のインタビューで、イタリアU-23の監督・選手たちが口々に驚嘆の念を吐露し、「ぜひもう一度戦って決着をつけたい」とまで言ってくれた(実際にPK負けの大会4位の成績を残した)'08同じくトゥーロンU-23のチームを、当の監督たる反町氏一顧だにせずに本番北京五輪では型通りの"攻撃的"な戦いで成果なく帰って来てしまった例などがあります。
前者はまあ、山本氏がたまたま度外れて変な人(笑)だったからと言って済ませられないことはないでしょうが、後者は正に、「攻撃的」という強迫観念が、何だかわからないけど"正しい""素晴らしい"サッカーをしなくてはいけないという幼稚な自意識が、状況判断を誤らせた、ニュートラルな観察・分析を出来なくさせた、そういう例だと思います。


こうした各種"代表"チームの「失敗」を見て改めて思うのは、"成功"した後にこそ、凄くな選択をしている、評価をしているということ。オフトの後、トルシエの後。南アの後、アトランタの後。二つのトゥーロンの後。
で、それらは多分、偶然じゃないんですよね。

こうした失敗の時に働いている心理としては、"内心の声"としては、もっとやらなくちゃいけない、やれるはずだ、こんなんじゃなくて、もっと素晴らしいことが、俺には出来るはずだ」というそういう心理・声。
現に収めたばかりの現実の"成果""成功"よりも、まだ見ぬ理想的な成功の方へ、向いてしまう関心。
それゆえ成功の価値を正しく値踏みも受容も出来ずに、むしろ自己否定的に真逆の方向に行こうとする。

一見すると前向きな、燃え盛る向上心のように見えなくは無くて、実際そういう面も無いとは言いませんが、本質的にはこれは、自分に自信が無い人の典型的な行動・反応だと思います。根本の部分に自信の無さ、負い目、自己否定が存在しているので、無心に何かに取り組んでいる(身の丈に合った戦術とか)時は"現実"的な範疇にとどまれるんですが、いったん一応の成果が出て余裕が出ると、途端に隠し持っていた巨大な欠落、劣等感が吹き上がって、それを埋める為の夢想的な目標・手段選択に向かおうとする。
悪い意味での、"自信"と共に。(笑)

別にこれは精神異常とか人格障害とかではなくて、単に幼いということですけどね(笑)。青少年的というか。
自分の些末な(笑)成功や成果、既に持っている物をニタニタと厚かましく余裕を持って楽しめる/受け入れられるようになるには、ある程度の"年齢"というか経験というか、そういうものが必要。
つまり、日本サッカーの幼さ、歴史の浅さ薄さという、言ってしまえば当たり前の話なんですが。
何かすんごく素晴らしい完璧なことをしないと、"成功"したとは言っていけないような気持ちでまだいる。
そうでないと、自信が持てない。既に持っていい分の自信すら。オールorナッシング。
"ナッシング"ゆえに"オール"の方に流れてしまったのが、今回の本田たちというか。

仕方無いんだけど・・・勿体ないよねという。
毎度変に、選択肢が狭まって。
例えば日本代表って・・・守れるじゃん、実際問題。引いても。アトランタ、フランス、南ア、立派な実績だよ。
ロングカウンターだって、その気になれば構築出来ないことはないと思いますよ。怪物FWがいる国と、同じようには出来なくても。あくまで例えばですけど。
たいていのことは、実は出来るんですよね、既に。完璧を求めなければ。
択一じゃなくて、やりようでしょう。覚悟と工夫というか。夢想と願望ではなくて。


今回こんなことを書きたくなったのは、最初の時に自分で書いた

"伝統国"の強みは、単に既成事実の積み重ねとしてでも、こうしたボトムからトップに至る二段構え三段構えが、ほとんど自然に出来ること。

のあたりに、自分で触発されてしまったからですね。(笑)
そうだよな、"既成事実"なんだよな、一つ一つは。別に必ずしも完璧な計画で行われたものではなくて。
だから日本も、実際にある歴史を、起きたことを、存在したチームの一つ一つを、もっと大事にすべきではないかという。
彼らが叩き出してくれた「成果」を、選り好みせずに(笑)きちんと拾い上げて、自分の財産と、"既成事実"として行くべきではないかと。
歴史が浅いなら尚更ね。一つも無駄にせずに。(笑)
それらがいつか、"厚み"になるでしょうという。

今回はそんな話です。
ああ早く大人になりたい。(笑)


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テーマ:サッカー日本代表
ジャンル:スポーツ
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