編集の余裕は無いので、内容は全くバラバラです。
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"被災地支援"と"ホームタウン活動"(?)
p.161-162
「中越」というキーワードが"新潟県中越地震"('04)と"新潟県中越沖地震"('07)のどちらから主に由来しているのか正確なところは分かりませんが、両方、あるいは"相次ぐ"被災経験によって培われた知恵と、そういう感じですかね。Wiki的に復興問題について詳しく書いてあるのは、'04年の方ですが。中越地方である時期から言われはじめたのが、「地域の支援には『足し算の支援』と『掛け算の支援』がある。両者は別物だ」という考え方である。
前者は(中略)コツコツとした積み重ねを重視するものであり、(中略)具体的には、例えば、高齢者の愚痴、悩み、小さな希望を丁寧に聞き、「それでもこの地域で頑張りたい」という思いを掘り起こすようなプロセスを指している。(中略)中越地方における実践経験からは、被災後の数ケ月から数年はこのタイプの支援が必要だったと言われている。
後者(中略)は、具体的な事業導入を伴うもので、(中略)この支援ではあたかも掛け算の繰り返しのように、大きく飛躍する可能性があり、またそれが期待される。
本自体は全国の過疎区域、特に鳥取・島根の中国地方の事例を中心に、過疎・農山村問題を、未来志向で考察した本。
特に興味があったわけでは無いんですが、これといって借りたい本が無い時に、図書館員さん(笑)の推薦に従って、こういう旬な本を読んでみるのも、なかなか楽しいです。
なるほどなあと思ったのは、「鳥取・島根は全国的に過疎の先行事例であるだけに、同時に過疎対策の研究も先行した、ある種の"先進"地域である」という指摘。まあ確かに中途半端に遅れてそうなる地域よりは、結果的に有利ということはあるかも。抜け出すにしろ割り切るにしろ。
僕が特にここに反応したのはなぜかというと・・・ここでいう"足し算"と"掛け算"、「別物」の二つの支援という区分が、Jクラブのホームタウン活動について僕が、そして恐らくは少なからぬ割合の人が抱いているだろう、もやもや、疑問について、一つの視野を与えてくれているような気がしたからです。
所謂"地道な活動"、の意義というか「道徳的」な美や反駁困難性、それは認めるしそれが何らか役に立たないことはないんだろうけど、ただ一方でそれをしてどうなる、具体的にどのように成果が期待出来るのか、努力のリソースあるいは人生における時間や労力の振り向ける対象として、やはりどうしても虚しさというか徒労感というか、そういうものは感じざるを得ない、結局は参加者自身の"充実感"みたいなものが、唯一保証・期待し得る"結果"であるとしか、言いようが無いところがあるのではないかという。
純粋な経営の問題としても勿論そうで、建前では大事たと言いつつもつい及び腰になる経営者・スタッフがいることを、同じ人間として(笑)僕は責める気になれないところはある。労を惜しまない人は偉いとは思うけれど。
かといって社長個人のコネで臨時のスポンサーだけ集めて来ても(誰のこと?)根本的な解決にならない、あるいは乾坤一擲無理して半端に"スター"を連れて来ても、一時凌ぎになればまだいい方で、むしろその後の反動の方が遥かに怖いわけだし、まとめてそういうタイプの"経営"がクラブを安定させたという事例を、少なくとも今のJリーグ程度の資金規模で見ることは難しいだろうとは思います。(本当に金があると、案外何とかなっちゃったりもするかも知れないですけど(笑))
だから"両方必要だ"という、言葉だけだと身も蓋も無いというか何も言ってないようなことになりそうなところを、この"被災地支援"の事例はかなり精密に誠実に、具体的に説明出来ているのではないかという、そういうことです。特に"前者"、「足し算」の支援の意義について。
思いを掘り起こす作業だ、という。Jリーグで言えば、地域を地域として浮かび上がらせる作業だ、みたいな感じでしょうか。
p.162
前段はまあ、何か上手いことを言っているだけみたいな印象もありますが(笑)、後段の"時期""順番"の問題というのは、なかなか説得的というか、一般的な教訓として使えそうというか。地元では、次のような比喩で語られている。「負の領域で『掛け算』をしてはいけない。算数が教える通り、符号が負の時に『掛け算』をすれば、負の数が拡大するだけだ」
これは、復興支援とは、まずは被災した人々に対して、寄り添うような地道な支援が重要であり、それをせずに、地域の有力者だけの意見を聞き、いきなり事業を仕掛けてしまうとむしろ地域は混乱し、衰退がより加速されてしまう可能性があることを教訓化した言葉である。
先に掘り起し作業をやる。そうして掘り起こされた具体的な"地域"に対して、あるいはその"地域"に立脚して、「仕掛け」を行う。
逆に言えばそうした"掘り起し"という具体的なかついい意味で限定的な意義が、「足し算」の「地道」な地域活動に、与えられるということですね、全体のプロセスの中で。
闇雲に"道徳"性に埋没するのではなく。
まあ日々実際にホームタウン活動をしている人には、実感出来る、あるいはむしろ自明なことなのかも知れませんが。
または外回り営業職の人?(笑)。一般企業でも。
農山村の"知恵"と未来の労働形態(?)
p.198
要は大きな安定した仕事の無い農山村や過疎地域で、必要に迫られて行っていた「多業化」という労働・所得形態が、結果的にこれからの日本のむしろ"若者"の労働形態として、大きな参考になり得るものなのではないかという、そういう視点ですね。例えば、夫婦で「年間六〇万円の仕事を五つ集めて暮らす」ことを目指すという発想は、移住夫婦にはしばしば見られる所得目標である。(中略)
このような所得形成は、農山村に限らず、「ナリワイ」という言葉を使い、仕事への新しい関わり方として、論じられているからである。
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(中略)こうした「ナリワイ」や「多業化」と言われる働き方を、不安定なものと認識するのではなく、望ましいライフスタイルであり、また農山村はその可能性に溢れていると評価する者も多い。
「正社員」でも「フリーター」でもなく。あるいは「副業」でもなく。
"自由"や"収入増"というより、"リスクヘッジ"としての意図的多業化。
それをみんながやれば、勝手に"ワークシェア"も進む?
まあ結構主に、僕の視点ですけど。(笑)
言いたいのは「実態」というより、「意識」の問題ですね。"当たり前"としての多業。それを「先行事例」としての、農山村に学ぶという。(ちなみに上の本は別に読んでません)
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p172-173
こういうことは、現象学を"読む"までもなく、子供の頃から僕も考えてはいました。だから実際に現象学系の本を読む作業というのは、追認的な作業であったわけですが。さすがに子供の空想よりは、厳格に書いてはありますし。(笑)こうした近代精神の傲慢が土台から揺らぎはじめた二十世紀の初頭に、現象学者は知覚直観の不可疑性から出発して人間や社会や自然の全領域を(中略)科学的な真理の体系でなく確信の累層的なシステムとして厳密に記述し直そうと志した。
要はそのものの見かけが「主観的」だろうと「客観的」だろうと、「思弁的」だろうと「実証的」だろうと、ある観念や論理を人が是認する時は、そこに"確信"というプロセスが必ず関わっているわけですよ。
入口は色々でも、出口は同じというか。または出口の"控室"?
だからそこで網を張っている(笑)のが、その「確信」というシステムの実態や構造の分析に集中するのが、一番効率的かつ漏れの無いアプローチだろうと、それが知りたがりだけどめんどくさがりでもあるアト少年の、思い至った「方法」だったわけですね。(笑)
「信」を扱う以上、結果的に"主観"主義的色彩はどうしても出ますし、また具体的な学問分野として哲学や心理学(または人類学)といった類のジャンルを扱うことの多い傾向はどうしても出ては来ますが、それ自体が焦点なわけではないということです。
まあ「現象学」自体も自分をそのように定義付けて、あえて("哲学"ではなく)「現象学」という新名称を使っているという、部分はあるようですけどね。
"現象学探偵矢吹駆"シリーズの近作。ちなみに本は、そんなに面白くはなかったです(笑)。
好きなシリーズではありますが、『哲学者の密室』あたりまでの"熱"は、もう存在していないというか。雑学の補充庫というのが、今の主な価値?
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そうなのか!やっぱりな!(笑)「女の頭の中ではあらゆることが計画済みだ。物語が出来上がっている。出会った時は結末が決まってて、台本通り演じないと、たちまち降ろされる。」
ダイアン・レイン、好きでね。
ダイアン・レイン、"さん"というか。(笑)
あくまでおばちゃんの、"美少女""アイドル"、もっと言えば"スター"でなくなってからのダイアン・レインが好きです。
そんな感じの役柄も多いですが、正に"親戚のおばさん"にいて欲しいタイプの人。
退屈な親戚の集まりの片隅で、二人で少し毛色の違った話がしたい。(笑)
セックスとかは、別にいいです。(笑)
でも綺麗なおばさん。たまに女の顔も見せる。
どんな映画だったかは、忘れちゃいました。(笑)
割りと楽しかったという、記憶だけ。よくある"大人のラブコメ"。
もう一つくらいネタ用意してあったんですけど、結構もうスペース埋まったので、次回に取っておきます。
書き写すの案外めんどくさいんですよ。(笑)