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アルベルト・マングェル『読書の歴史』(その2)/”黙読”という行為
2015年02月19日 (木) | 編集 |
読書の歴史―あるいは読者の歴史 (叢書Laurus)読書の歴史―あるいは読者の歴史 (叢書Laurus)
(1999/09)
アルベルト マングェル
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(その1)はこちら

いや、どうも、今更ドラクエ8ばっかりやってて、未だに読み終わってないんです。(笑)
埒が開かないので、メモ代わりに少しずつでも、まとめて行こうかなと。

というわけで前回の"1.「読書」の認知的構造"に続いて、今回は"2.黙読と音読"ということで。
そもそも「読書の歴史」ということでまず僕の頭に浮かんだのはこの"黙読と音読"の違いというか、黙読という行為の発生の意味する「内面」の発達みたいなことだったので、そういう意味では割りと中心的な章。

・・・昨日一回目のトロデーン城で、いつもなら1匹会えるかどうかのはぐれメタルが4匹も出て来て、3匹いただいちゃいました。興奮して頭痛くなった。(笑)
大まじん斬りは1回しか決まってない。残り2回は、メタル斬りとピオリムの連発で。


2.黙読と音読

黙読の起源

こうした読書法、黙ってページを追うといった方法は、当時(注・4世紀後半)、一般的なものではなかった、音読するのが普通であったというわけである。
もちろん黙読の事例は、かなり早い時期にまで遡って見いだすことができるが、西欧では一〇世紀にいたるまで、決して一般的ではなかったのである。

(p.57上-下)

僕が覚えていたのは、ある中世の人が修道院に行ったら、そこの学生・修道士たちが、声を出さずに本を読んでいたのを見て驚愕したみたいな何かの一シーンで、だからそれくらいが起源なのかなと思っていたんですが、もっと古いは古いようで。
この本では、修業時代の聖アウグスティヌスが、先輩聖者の黙読を見て奇妙に思う、音読だとそれについて周りの人に色々聞かれるのが煩わしいからかなくらいの感想を持つ場面が、導入に使われています。(それが4世紀後半)
つまりこの時点で技術的には可能だった、ただ基本的にする人はいなかった、"正式な"読書とは音読だったという、そういう状況が分かるわけですが。
・・・"技術的に可能"というのは少し奇妙に(笑)聞こえるかも知れませんが、例えばピアジェに代表される現代の発達心理学的な研究では、子供が"黙読"という行為が可能になるのはある年齢になってからで、つまり一定の脳的な準備や心理的な発達ないしは習慣の修得がなされないと、人間なら必ず出来るものではないと、そうされているからですね。(僕が習った範囲でですが)
古代・中世ヨーロッパの人はどうだったのか(まあ大丈夫みたいですけど)。ブッシュマンならどうなのか。

ということで文献から"起源"を探ってみると。

紀元前五世紀の芝居には、舞台で黙読する人物が登場する作品が二つある。
(中略)
紀元前四世紀のこと、アレクサンドロス大王は、母親から送られてきた手紙を黙読している際に示した、自分の兵隊たちの態度に困惑したという。
(紀元前)二世紀、プトレマイオスは『基準論』の中で、非常に集中して読書をしている場合、声を出すと思考が散漫になってしまうので、黙読する人々を時々見かけると記している。(中略)
また紀元前六三年のこと、ユリウス・カエサルは、当時反目していたカトーと議会に臨み、そのとなりの席で平然とカトーの妹から送られてきた恋文を黙読していたという。

(p.57下)

次の項で述べるように、"音読"は宗教的信念の類とも深い関係があるので、紀元前五世紀だと逆にキリスト教の監視が無いから、普通に演劇上で表現出来たのかなとか。
とはいえやはり一般的ではなかったわけで、アレクサンドロスがそれを習慣として行ったのは、やはり家庭教師であるアリストテレスの特殊な知的薫陶あってのことなのだろうなとか。
プトレマイオスの時代でもまだ"時々"なのかというのと、この書き方だとプトレマイオス自身も、基本的にはやらなかったようだなという。
カエサルは何でしょうね(笑)、"あえて"やってるのは分かりますけど、それがいちカトーへの当てこすりを越えて、文化的宗教的反抗までの意味・意図があったのか、ちょっと分かりません(笑)。とりあえず別に学者じゃなくても出来たということは、分かりますが。


音読と意味

シュメール人による初期の銘板以来、書き言葉は、もともと朗誦されるのを意図して記されたものであった。
(中略)
アラム語やヘブライ語といった、聖書の内容を記した原初の言葉においては、読むという行為と話すという行為に区別は与えられていないが、これは、同じ言葉で両方を意味するものとして使われていたからである。

(p.60上-下)

一方で"書き言葉"の起源は"契約書"であるなんていう研究も、見たことはありますけどね。それを感情豊かに"朗誦"したんでしょうか(笑)。いずれにしても、「言葉」と言った時にまず「話し言葉」があって「書き言葉」はその後、そういう意味で言葉の本来が音声であるのは、どちらの研究の方向でも明らかではあると思います。

(キリスト教だけでなく)イスラム教徒の間でも、聖典を読む時には、身体全体を使う。
聖典が聞かれるべきものなのか読まれるべきものなのかは、イスラム教においては、きわめて重要な問題なのである。
(中略)
聖なる言葉を理解する際、悲しみこそ、そこに込められた深い意味なのだから、「泣くために読みなさい。もし自然に泣けないのなら、泣くよう努めなさい」と記している。
また第九番では、コーランは、「読んでいる自分自身が耳で聞こえるよう大きな声で読まれなければならない。コーランの言葉を読むということは、その音の違いを区別することであり」、それによって外界からの妨げを取り除くことになるからである、と規定している。
[12世紀の記述]

(p.60下-p.61下)

力強い発声と共に「身体で読む」ということは、ある言葉にはある身体的反応つまり感情が完全に伴うという、決定論ですね、意味的な。それをこそ、そういう読みをこそ、求めた、キリスト教も、イスラム教も。
今でもうちのおばあちゃんとかは、旧約聖書を声を上げて全身で読んでいると、アルゼンチン生まれの著者いわく。
とはいえ12世紀というと、後述するようにキリスト教世界では、もうほとんど音読と黙読の地位は逆転した頃ですね。そのタイミングで言わば駄目押し的に、古代以来の宗教的慣習をむしろ"新説"的にプッシュされたイスラム世界が、(黙読の象徴する)"個人の内面の自由"ということに関してキリスト教世界と違う道を歩むことになったという風景は、この記述からも想像出来るような気がします。
イスラム側からすれば、それが復古的な方向を持ちつつもしかし同時に"宗教改革"ではあったわけでしょうけど。拡散・解体に向かったキリスト教世界の道を、辿らない為の。


句読法と黙読

中世もかなり時代を下るまで、文筆家は、(中略)読者も、たんにテクストを見るのではなく、それを聞くものだと考えていた。

(p.62上)

一方でキリスト教世界も、事態はまだまだ中間的。
"文筆家"はどの時代も常に、"読者"の意向を気にしないといけないし。(笑)
わざわざ読者の習慣に逆らった形態の書物を書く人は、基本的にいない。

書物はもともと朗読されるものであったから、その書物を構成する文字の方は、わざわざ音声上の単位に分割される必要はなく、ただ文章をつなげていくというかたちが取られることとなった。
(中略)
ビザンティウムのアリストファーネスが紀元前二〇〇年頃発明し、アレクサンドリア図書館の学者によって発展したとされる句読法も、せいぜい風変わりな発明程度のものにすぎなかった。

(p.62下-p.63上)

ここらへんちょっと分かり難いんですけどね、要するに極端な例は"語り部"ですが、古代以来の"書物"はその朗読のスタイルと共に伝えられて来るものだから、書かれた書物はその為のメモでしかないので、それぞれの部分をいちいち"読んで"分かる、それは「読み方」も含めてですが、そのようにはなってなかったと、そういうことのようです。(とはいえ直感的には、まだよく分からない(笑))
何なら丸暗記している朗読者も、むしろ普通にいたわけで(講談?)、いずれにせよ「本を読んで」いたわけではないという。
従って、読者の読みを誘導する為の句読点の類も、発達していなかった。
・・・ただなんか逆に、そういう「芸」事のノウハウとして、内々のガイドみたいなものはむしろ精密に作られていたんじゃないかと想像したりしますが。まあいずれにせよ、一般の人が"読んで"わかるものでもないし、それがそのまま出版されたりはしなかったでしょうけど。
あと余談としては、その蔵書の焼失・壊滅が人類的痛手であったと惜しまれるかのアレクサンドリア図書館は、ひょっとした「句読法」という文化的進歩・財産をも、同時に人類史に残し損なったのかなとかロマン的想像。(笑)

四世紀末、聖ヒエロニムスは(中略)述べている。「句読法を用いて書かれたテクストは、読者に意味をはっきり伝えられる。」

(p.64上-下)

要するにどの書物も基本的に全部まとめて一つの"語り"として伝えられて、聴き手はまたそれを忠実に受け取り、覚え、更に伝承することを求められていたわけで、"意味"としてもまとめて一つのもの、あるいは「秘伝」を伝える側が確立して来た解釈を鵜呑みにするだけで、いちいちのパートのテクスト読解などは行われていなかったという、そういうことでしょうね。
実際素人が読んでも、そもそもどこからどこまでが意味的まとまりなのかも分からない書き方になっていて、その状況を大きく変えたのが「句読法」であると、そう聖ヒエロニムス。(誰?(笑))

句読法は相変わらず一定しないままであったが、こうした初期の頃からの工夫によって、黙読が助長されていったことは間違いない。
六世紀末には、シリアの聖イサクが、(中略)「私は黙読を行っている。黙読で読んだ書物や祈りの言葉は、私の心を歓びで満たしてくれる。テクストを読み進め、理解できる喜びが私の口を沈黙させ、その時、私は、まるで魔法をかけられたかのように感覚と思考が集中し、別世界に入り込むのである。そして沈黙しているうちに、様々な記憶がふつふつと私の心に湧き起こり、楽しみを得ようという期待をはるかに超えて、喜々とした感情が思索の内側を通って私に伝わってくるのである。」
七世紀中頃には、(中略)セヴィリアの神学者イシドールが、黙読こそ「苦労することなく書物を読み、その内容を心に浮かべ、必要なければ記憶から除くことも容易な」方法であると賞賛している。

(p.64下)

句読法とはつまり、"読んで"分かるようなシステム、ということですね。"読めば"、というか。
それが確立してこそ、音読的な"秘伝"の享受者でない普通の人も、個人的に読んで分かる、「黙読」出来るようになるという、そういう話。
そうした言わば"読書の自由"がもたらしたものは・・・。はい。イサクさんやイシドールさんの興奮して言う通りですね。(笑)
彼らの興奮は、僕はすんなり分かります。多分もうほとんど、我々の読書体験と変わらないものを、彼らは享受していたんだろうなと。思いもよらず広がった新しい世界と、自分にもコントロール出来ないくらい次々沸き起こる思考と感情と。初めて味わう、内心の自由と。
もうこうなると止まらないですね。だから"読書"を管理しようとした、キリスト教やイスラム教は、戦略的には全く正しい(笑)。認めるわけには、いかないけれど。
とはいえこうした"果実"を味わえたのは、この時代ではまだまだ一部の知識人や反逆者のみであって、一般の人はやはり基本的には依然として、先生の朗読や聖職者の説法を、黙って聴くしかなかったんでしょうね。


句読法の発展と黙読の進展

どのような句読法がよいのか、その努力と実践は続いていた。
七世紀を過ぎると、文の終わりには点とダッシュを組み合わせ、また、行の上部に点を打って、現在のコンマと同様に使われるようになってきた。セミコロンは既に今日と同じであった。
九世紀には、(中略)文と文とが微妙に重なり合っているテクストを、初めから分割してしまうことで黙読しやすいようにしていたほどである。

(p.65上)

ここ書き留めたのは、前半はむしろついでで、後半の"意味"どころか"文"自体がごちゃごちゃになっていて、そうそう「読んで」分かるものではなかったらしい、"句読法"以前の書物のありようを、一つ例示しているようだからですね。
具体的にどうなってるのかは、ちょっと現代の基準ではよく分からないですけど。(笑)

修道院の写本室の写字生に対して、静かに黙読することを求めた最初の規則が登場したのが九世紀のことである。

(p.65上)

音読しなさいではなくて、黙読しなさい
ついに、逆転
限られた特殊な世界とはいえ。
これがまあ多分、冒頭で言った僕が見た"シーン"でしょうね。
恐らく禁断の扉を開いた意識は、当事者には無かったのではないかと思いますが。とにかく黙読(や句読法)の"効能"自体は、もう関わってる人には否定しようにも否定しようがないものに、既になってたということでしょうね。

黙読がキリスト教世界において一般的な方法となる以前、異端者は個人かせいぜい小さな集団にすぎなかった
(中略)
教会は、既に三八二年の段階で異端者の処刑を決めているが、これが実際に行われたのは[黙読一般化後の]一〇二二年になってからのことである。

(p.66下-p.67下)

我が意を得たりというか。
"黙読とそれがもたらす内心の自由の革命性"という直観は、満更大げさなものではなかったと、勝利の笑み。(笑)
まあそれが本当に"勝利"するには(物理的にも)、グーテンベルグ革命とその追い風に乗ったルターの出現まで、待たないといけないわけですが。それまでは、片っ端から"処刑"されてただけ。(笑)
ルターが求めたのは信仰の厳格さではありましたが、それは同時に、"個人"が"自由"に聖書を「読む」権利でもあったわけで。
まずは聖書。でも次は?ニヤリ。(笑)


とまあなんか、教会を悪者にして分かり易く話を落ち着かせてしまいましたが(笑)、テクストの意味が一義的に決まっていて、共同体や作者がそれを独占しているという状態は、ある時期までの人類史においてかなり普遍的だったはずで、別にいちキリスト教会の陰謀ではないわけでね。(笑)
ある時期までは、それが普通で、自然で、それで成り立っていた。
「書物」も「読書」も、そういうものであったし、多分そういうものでもあり得る。
今でもとめどない意味の拡散に悩まされている面は人類には(笑)あるわけでしょうし、そこまで広げなくても「誤読しない読者」というのは、ある種の作者にとっての"夢"ではあるわけでしょう、可能かどうかは別にして。
実際には、「映像化」によるイメージの固定すら嫌がる、現代の"読者"である我々ですが。(笑)
「著者による朗読」とかも、それなりに魅力的ではありますが、でもやっぱり自分で読みたい。

・・・そうですね、ああいう状況をイメージすれば、古代の習慣もそれほど奇異ではないのかも。「文字」と「表現」が完全に分離してしまった今の方が異様と、そういう可能性はある。
ちなみに上の「著者による朗読」というのは、アメリカの出版界では当たり前に行われているようで、よくお決まりのキャンペーンとしてドラマで出て来ます。日本はよく知りませんが。
そういうものを求める人も、確実にいると。僕は・・・気が進まないなあ(笑)。やはりどうも。

まあ「作品はいったん発表されたら読者(視聴者)のもの」なんてのが決まり文句化したのは、割りと最近のことのように思いますが。僕のような木っ端ブロガーでも、あんまり変な読み方されると、思わずはあん?とは思いますし。
みんな結構、痩せ我慢してるのかも。(笑)
と、文化史的に平衡を取ったところで、今回は終わりです。
次回は未定(笑)。ドラクエ次第?(笑)


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テーマ:歴史雑学
ジャンル:学問・文化・芸術
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