2015年03月30日 (月) | 編集 |
"終了"なので注意。
なかなかに傑作揃いなので、改めてコメントしておきたいなと。
ヴェルディとU-22は、すぐに次の試合があるので後でまとめて。
『SHIROBAKO』 ('14.10月~)
"開始"時のコメントはこちら。
興味深い業界裏事情が盛り込まれた、周到に仕込まれた企画もの、という以上の印象は最初無かったんですが。1クール終わった段階でもまだ淡々と見ていた感じでしたが、2クール目に入って失速・ネタ切れするどころかむしろ気迫が増して、神(しん)に入る率がどんどん高くなって行った感じ。
結論から言うと、参りました。(笑)
印象が変わった要因の一つとしては、最初どうも好きになれなくて感情移入を妨げていた演出スタイルが、途中でかなり意図的で狙ってやってるんだということが理解出来るようになって、それで敬意が増したというか(芸術)"作品"としてちゃんと見られるようになったというか。
具体的にはある種の声優の演技の放し飼い、あるいはやや無造作にオーバーな演技、分かり易いのは"高梨太郎"や"木下監督"でしょうが、ああいうなんか一見単にはしゃいでるような演出のコントロールが効いていないような、それによって彼らの"駄目"さを作品世界的にどのように位置付けているのかについての無言のメッセージが、読み取り難いような感じ。それは他の"はしゃいで"はいないキャラクターについても同じで、要するにそれぞれのタイプの人物(の演技)がそれぞれに扱われているだけで、なんか演出というほどの演出方針が無いような、監督の"息遣い"が感じられないような血が通っていないような感じが凄く抵抗があって、例えば『おおきく振りかぶって』のような過去の代表作に比べると、ほんとに仕事としてやってるだけなのかな実際の演出は弟子にでもやらせてるのかなと、そんな疑問を感じながら見ていたんですが。
多分違うんですよね。むしろ緊張感を持って、限界に挑戦しているんですよね。
つまりさっきネガティブな意味で言った"それぞれ"、その表現の為にむしろ「息遣い」を限界まで排して、不自然になるぎりぎりのラインで客観主義的に作ってるんだと思います。それは勿論、作品自体企画自体がそもそも持っている、アニメ業界の"それぞれ"の場所で"それぞれ"に頑張っている人たちの姿を、出来る限り全て描くという、テーマ性をうけてのことでしょう。
あるいは実際のところ、「作家」というよりは「プロジェクト」が"作者"である共同性の強い作品ではあって、それによって個人としての監督が心理的物理的に少し引いた位置で作っているという、そういうことはあるのかも知れませんが。ただそうであってもそこらへんをひっくるめて、作品がそういうあり方こういう出来上がりであることに対して、監督が監督なりの納得というか主体性というか、そういうものを持ってやっていることが途中から感じられるようになって、ようやく(笑)僕も体重を乗せて見られるようになったという、そういう感じです。(笑)
そういう僕の事情は事情として、全体としてはどういう作品であるかと言えば、それはもう「仕事」についての、この社会で「働いている」人たちについての話ですね。それはいちアニメ業界の話にはとどまらず、しかし同時に狂おしいまでの情熱を持って「アニメ業界についての」話でもある、そこらへんの二重性が、この作品の真価というか凄いところというか。ほんとに一般性と個別性、両方あるんですよね。
超本格的な"仕事"ドラマであり、と同時にアニメ業界のディテールや記号に半端無い勢いで積極的に没入している、"マニアック"作品でもある。どちらから見ても、傑作。抜け無し。
世代的な感想としては、ついに"仕事"アニメとしての『パトレイバー』が、完全に越えられてしまったなという(笑)、そういう感慨は一つありました。
まあ『パトレイバー』はそれをメインテーマに作られたものでは必ずしもないけれど、それが大きな売り、後世に残る価値であったのは確かで。でもここまでやられると、ロボットアニメの片手間ではさすがに敵わない(笑)。ていうか反則だよこれ。こんなえげつないの。(笑)
まあ面白かったですね。イライラもしたけど。
高梨太郎や『第三飛行少女隊』の出版社側の担当の奴(笑)、ああいうキャラをあそこまでギリギリまで裁かない、野放しにするって、よくやるというか視聴者のストレスの放置っぷり大胆過ぎというか。
いますけどね、実際。世の中には。いるけどさあ。ドキュメンタリーじゃないんだから(笑)。いるから描いていいというものでも。よくやり切りましたね。
直球だけど異色作、という感じ。
『蒼穹のファフナー EXODUS』 ('15.1月~)
開始時の感想。
こちらもまあ、"直球にして異色"な作品ではあるかも。ただこちらの場合は、"直球ゆえに"と言った方がいいかな?
最初にも書いたように、"今更ファフナー?"という疑問はありましたし、と同時に"今更王道ロボットアニメ?それ可能なのか?"という、そういう疑問もまた大いにありました。危惧というか。
結論から言うと・・・可能でした。何の問題もありませんでした。
ロボットアニメがここまで廃れたのは、ジャンル的な寿命・鮮度もさることながら、それ以上に要するに作り手の技量の問題、まともな作り手が育っていない、あるいはいても手を出していない、それだけの問題なんじゃないかと、そういうひと足飛びの結論を出してしまいたくなった、堂々たる力作でした。
勿論"寿命・鮮度"の問題自体は、依然として存在はしているでしょうし、"王道"でない形で色々と工夫を凝らしてロボットアニメ(的なもの)を作ろうとしている作品が定期的にあるのも、知ってるというか一応見てはいるわけですが。
しかしなんか、そういうのまとめてどうでも良くなったというか、やっぱりこの感じだよなという、忘れていたアドレナリンの出し方を思い出すような、そういう瞬間が度々、途中からはほとんどいつも(笑)訪れていた、そういう作品でした。作品になっていたというか。
それは単にロボットによる戦闘というよりも、"ロボットアニメ"が伝統的に得意としていた「人類」や「戦争」等についての真っ向からの問題意識の出し方、危機感の表現、そうしたものが、2015年においてもなんかかつてのまま成功している成り立っている、そういう驚き・興奮ですが。
やっぱりいいなと。燃えるなと。依然として日本アニメの重要な鉱脈の一つなのは、間違い無いなと。
ただまあ・・・うーん。
やっぱり、冲方丁さんだから出来ることではあるんだろうなと。いや、あるなと。(笑)
そういう意味では、例外的な例ではあるのかも知れないなと。
狭義の"アニメ脚本家"の水準では到底測れない、"文芸"のそもそもの力量と、更に言えば専業アニメ作家ではないゆえの、"業界"の相場に右顧左眄しないでいい特権的な立場と。
・・・かなり独自路線でやっている『エウレカ』の人でさえ、続編では随分遠慮しながら作ってる感じがしましたからね。"照れ"ながらというか。
"続編"としても、普通に良く出来ていたと思います。
最初は引き気味に配置されていた前作の主人公二人の「参加」のさせ方なんかも、『Zガンダム』におけるアムロとシャアのそれをほうふつとさせつつより大胆というか巧妙というか。
"カミーユ"が別にいるわけではないのに(笑)、ちゃんと「世代」差を織り込んで作品の更新に成功しているというか。
どう見ても1クールに収まる内容ではないし実際収まってはいないんですが、でもなんかそれなりに"現時点"までの話としてはまとまっている感じがするのも、地味に凄いなと。(注・あともう1話あるようです)
腕がある、実力があるっていいなあという、なんか身も蓋も無い感想。(笑)
ちゃんと(更に)"続き"あるんですよね。そういう作りに見えますが。
OP/EDも良かった。本編との一体感が抜群。そこらへんも"昔"風。("タイアップ"ではなくて)
『ログホライズン2』 ('14.10月~)
こちらもアニメ以前に、原作(者)の優秀さというか力量の確かさを感じさせる作品ですが、ただ少し凄さの質が違う部分も。
少なくとも僕にとって。
簡単に言うと、ファフナー/冲方丁は面白いし凄いと思うけど、割りと僕にとって"分かる"凄さというか作りというか、頑張れば僕にも書けそう(書けないけど笑)、あるいはこれをこうしてこうしたからこういうストーリーになってるんだなというのが、何となくですが直感的に分かる部分があるわけです。
しかしログホライズン/橙乃ままれの方は・・・駄目ですね。書けません(笑)。僕の中からこんなのは出て来ないです。(笑)
狙い自体は分かるんですよ。テーマというか。(あえて陳腐に言いますが)MMORPGという人工世界を使って、人間行動や人間の社会の構造について思考実験的に考察するという。それは僕も興味のある類のことですし、だからこそMMORPGやらは一切経験無くても、ひとかたならぬ興味を持って見続けられているわけで。
ただその為の設定の作り方やディテールや、テーマ自体の展開のさせ方の具体的な手際が、ちょっともう、僕のレパートリーの中には無い感じのものが大部分で。そのどれくらいがMMORPGの経験の有無で説明出来るのか、直接的にはよく分かりませんが、ただ何かそれ以上に、少なくともそれと同時に、"知性"のあり方として何か僕の知ってるものとは違うものが出て来ている感はある。
・・・『SAO』の時は、別にそんなことは感じなかったんですけどね。新しい袋に入れられた古い酒でしかないなと、ある意味非常にがっかりさせられた。でも今回は・・・少し危機感を感じました(笑)。俺遅れてるかなと。もっとゲームやんないといけないかなと。(笑)
まあ冗談ですけど。頭の柔らかい(はずの)子供の頃から、僕は元々ゲームは苦手です。(笑)
だから少なくとも、年取ったからこうなったわけではない。絶対だ!(笑)
まあ同じ作者の前作(『まおゆう』)には、特に理解出来ない、特別な刺激を感じるところは無かったので、作者自身が成長・プレイクスルーしている最中なんだろうとは思います。そういうことならまあ、個別の才能の問題だから、対抗心燃やしてても(笑)しょうがない。素直に楽しめばいい。
実際優れた作品だと思います。知的ではあっても説明的ではなく(『まおゆう』はちょっとそれが)、しかし社会心理的な考察は、ほとんど学究レベルにディープ、本格的で、見応えがある考えさせられる。
恋バナとか萌えとかはまあ、お愛想というか、どうでもいい感じはしますが。(笑)
標準装備という以上のものでは。
更なる続編が楽しみです。
『艦隊これくしょん -艦これ』 ('15.1月~)
開始時の感想。
順番は最後ですが、ある意味一番純粋な賛辞を送りたい作品。
ただ褒め方がなんか難しいんですよね。(笑)
内容という程の内容があるわけでもないし。元の設定はゲームなんだろうし。(当然やってない)
一言で言えば、「成熟」と「洗練」の作品だと思います。
凄味を感じさせるほどの。
「艦娘」という(謎の(笑))設定、それを基にしたある意味最近のトレンドである、百合的な人間模様、ミリタリーディテールへのこだわりと壮麗美麗な戦闘・海洋シーン、全て言わば"注文"仕事なんでしょうが、その全てが素晴らしい。
隅から隅までハイクオリティ。表情や動作の一つ一つまで、実に繊細に活き活きと、気の利いた手抜き無しの作りになっていると思います。
それだけだと言わばハリウッド的orビッグ商業プロジェクト的な足し算的な"クオリティ"でしかないわけですけど、僕がこの作品が好きなのは、背後に("個人"としての)作り手の存在感が、ちゃんと感じられること。・・・『SHIROBAKO』でもこだわっていたように。
別な言い方をすると、この作品は単に"クオリティ"が高いだけではなくて、作り手の「意図」の実現度が恐ろしく高い、ちょっと稀有な作品だと思います。"思い通りに作った"という権力的問題(笑)というよりは、イメージしたものを実現出来たという、技術的技量的な問題として。
"手足の隅々まで神経の行き届いた、実力のあるバレリーナの動き"のような美しさがある、などと言ったら、ちょっと褒め過ぎでしょうか。
でも実際ダンスを見ているような、あるいは音楽を聴いているような、そういう陶然とした気分にしばしばさせられた、流麗な作品でした。視覚的には劇的にも。
監督の、ですかね。常識的に考えれば。知らないですけど。意図。
それが宮崎・押井・細田的なこだわりの劇場映画ではなくて、こんな(笑)コテコテのテレビアニメで実現していたという、驚きというか感動というか、違和感というか。(笑)
妙な作品。
そういうのとは違うところで、脚本が妙だと言われてるらしいですけど、ゲームの方を知らないのでそっち方面はノーコメント。
まあ話はよく分からないところはあります。"深海棲艦"とは何なのか、"運命"とは、今回の分だけ見て分かるわけはないですけど(笑)それはまあ。続編もあるらしいですし。
ぶっちゃけもう、このまま終わっても僕はいいですけどね。(笑)
"イメージ"だけで。鮮烈な思い出のままで。
それ以上の面白い「話」があるのなら、それは嬉しいですけど。
現時点でこの作品について更に言うとすれば、何か2015年時点での日本の"二次元"系カルチャーの、最高に効率のいいダイジェストというかパッケージというか、それこそ"クールジャパン"的にも優れたサンプルというか。日本人の想像力は、こういうものを作れます、という。
実際そういう割りとスタティックな性格を持っているから、妙に念入りな耽美性が実現しているのではないかと、そう思うところもあります。可愛げのない、オールラウンド性というか。
ちょっとかつての『シャナ』シリーズに似てるところもあるかなと。最先端ではないけど、最高度の総合力という。
"続編"が無ければ、もうちょっと僕も"調べ"たい気はあるんですけどね。
今はまだ気分を壊したくないので、なるべく「情報」は入れないで、映ったものだけを見るようにしています。(笑)
でもまあ、(お仕着せの)「企画」と「創造性」が、偶然に近いいい出会いをした、幸福な傑作だと、とにかく僕は思っていますよ。
まとめて言うと、いずれも何か、事前の期待や最初の印象を最終的に遥かに上回って来た、傑作群ということですね。
いやあ、楽しかった。
なかなかに傑作揃いなので、改めてコメントしておきたいなと。
ヴェルディとU-22は、すぐに次の試合があるので後でまとめて。
『SHIROBAKO』 ('14.10月~)
"開始"時のコメントはこちら。
興味深い業界裏事情が盛り込まれた、周到に仕込まれた企画もの、という以上の印象は最初無かったんですが。1クール終わった段階でもまだ淡々と見ていた感じでしたが、2クール目に入って失速・ネタ切れするどころかむしろ気迫が増して、神(しん)に入る率がどんどん高くなって行った感じ。
結論から言うと、参りました。(笑)
印象が変わった要因の一つとしては、最初どうも好きになれなくて感情移入を妨げていた演出スタイルが、途中でかなり意図的で狙ってやってるんだということが理解出来るようになって、それで敬意が増したというか(芸術)"作品"としてちゃんと見られるようになったというか。
具体的にはある種の声優の演技の放し飼い、あるいはやや無造作にオーバーな演技、分かり易いのは"高梨太郎"や"木下監督"でしょうが、ああいうなんか一見単にはしゃいでるような演出のコントロールが効いていないような、それによって彼らの"駄目"さを作品世界的にどのように位置付けているのかについての無言のメッセージが、読み取り難いような感じ。それは他の"はしゃいで"はいないキャラクターについても同じで、要するにそれぞれのタイプの人物(の演技)がそれぞれに扱われているだけで、なんか演出というほどの演出方針が無いような、監督の"息遣い"が感じられないような血が通っていないような感じが凄く抵抗があって、例えば『おおきく振りかぶって』のような過去の代表作に比べると、ほんとに仕事としてやってるだけなのかな実際の演出は弟子にでもやらせてるのかなと、そんな疑問を感じながら見ていたんですが。
多分違うんですよね。むしろ緊張感を持って、限界に挑戦しているんですよね。
つまりさっきネガティブな意味で言った"それぞれ"、その表現の為にむしろ「息遣い」を限界まで排して、不自然になるぎりぎりのラインで客観主義的に作ってるんだと思います。それは勿論、作品自体企画自体がそもそも持っている、アニメ業界の"それぞれ"の場所で"それぞれ"に頑張っている人たちの姿を、出来る限り全て描くという、テーマ性をうけてのことでしょう。
あるいは実際のところ、「作家」というよりは「プロジェクト」が"作者"である共同性の強い作品ではあって、それによって個人としての監督が心理的物理的に少し引いた位置で作っているという、そういうことはあるのかも知れませんが。ただそうであってもそこらへんをひっくるめて、作品がそういうあり方こういう出来上がりであることに対して、監督が監督なりの納得というか主体性というか、そういうものを持ってやっていることが途中から感じられるようになって、ようやく(笑)僕も体重を乗せて見られるようになったという、そういう感じです。(笑)
そういう僕の事情は事情として、全体としてはどういう作品であるかと言えば、それはもう「仕事」についての、この社会で「働いている」人たちについての話ですね。それはいちアニメ業界の話にはとどまらず、しかし同時に狂おしいまでの情熱を持って「アニメ業界についての」話でもある、そこらへんの二重性が、この作品の真価というか凄いところというか。ほんとに一般性と個別性、両方あるんですよね。
超本格的な"仕事"ドラマであり、と同時にアニメ業界のディテールや記号に半端無い勢いで積極的に没入している、"マニアック"作品でもある。どちらから見ても、傑作。抜け無し。
世代的な感想としては、ついに"仕事"アニメとしての『パトレイバー』が、完全に越えられてしまったなという(笑)、そういう感慨は一つありました。
まあ『パトレイバー』はそれをメインテーマに作られたものでは必ずしもないけれど、それが大きな売り、後世に残る価値であったのは確かで。でもここまでやられると、ロボットアニメの片手間ではさすがに敵わない(笑)。ていうか反則だよこれ。こんなえげつないの。(笑)
まあ面白かったですね。イライラもしたけど。
高梨太郎や『第三飛行少女隊』の出版社側の担当の奴(笑)、ああいうキャラをあそこまでギリギリまで裁かない、野放しにするって、よくやるというか視聴者のストレスの放置っぷり大胆過ぎというか。
いますけどね、実際。世の中には。いるけどさあ。ドキュメンタリーじゃないんだから(笑)。いるから描いていいというものでも。よくやり切りましたね。
直球だけど異色作、という感じ。
『蒼穹のファフナー EXODUS』 ('15.1月~)
開始時の感想。
こちらもまあ、"直球にして異色"な作品ではあるかも。ただこちらの場合は、"直球ゆえに"と言った方がいいかな?
最初にも書いたように、"今更ファフナー?"という疑問はありましたし、と同時に"今更王道ロボットアニメ?それ可能なのか?"という、そういう疑問もまた大いにありました。危惧というか。
結論から言うと・・・可能でした。何の問題もありませんでした。
ロボットアニメがここまで廃れたのは、ジャンル的な寿命・鮮度もさることながら、それ以上に要するに作り手の技量の問題、まともな作り手が育っていない、あるいはいても手を出していない、それだけの問題なんじゃないかと、そういうひと足飛びの結論を出してしまいたくなった、堂々たる力作でした。
勿論"寿命・鮮度"の問題自体は、依然として存在はしているでしょうし、"王道"でない形で色々と工夫を凝らしてロボットアニメ(的なもの)を作ろうとしている作品が定期的にあるのも、知ってるというか一応見てはいるわけですが。
しかしなんか、そういうのまとめてどうでも良くなったというか、やっぱりこの感じだよなという、忘れていたアドレナリンの出し方を思い出すような、そういう瞬間が度々、途中からはほとんどいつも(笑)訪れていた、そういう作品でした。作品になっていたというか。
それは単にロボットによる戦闘というよりも、"ロボットアニメ"が伝統的に得意としていた「人類」や「戦争」等についての真っ向からの問題意識の出し方、危機感の表現、そうしたものが、2015年においてもなんかかつてのまま成功している成り立っている、そういう驚き・興奮ですが。
やっぱりいいなと。燃えるなと。依然として日本アニメの重要な鉱脈の一つなのは、間違い無いなと。
ただまあ・・・うーん。
やっぱり、冲方丁さんだから出来ることではあるんだろうなと。いや、あるなと。(笑)
そういう意味では、例外的な例ではあるのかも知れないなと。
狭義の"アニメ脚本家"の水準では到底測れない、"文芸"のそもそもの力量と、更に言えば専業アニメ作家ではないゆえの、"業界"の相場に右顧左眄しないでいい特権的な立場と。
・・・かなり独自路線でやっている『エウレカ』の人でさえ、続編では随分遠慮しながら作ってる感じがしましたからね。"照れ"ながらというか。
"続編"としても、普通に良く出来ていたと思います。
最初は引き気味に配置されていた前作の主人公二人の「参加」のさせ方なんかも、『Zガンダム』におけるアムロとシャアのそれをほうふつとさせつつより大胆というか巧妙というか。
"カミーユ"が別にいるわけではないのに(笑)、ちゃんと「世代」差を織り込んで作品の更新に成功しているというか。
どう見ても1クールに収まる内容ではないし実際収まってはいないんですが、でもなんかそれなりに"現時点"までの話としてはまとまっている感じがするのも、地味に凄いなと。(注・あともう1話あるようです)
腕がある、実力があるっていいなあという、なんか身も蓋も無い感想。(笑)
ちゃんと(更に)"続き"あるんですよね。そういう作りに見えますが。
OP/EDも良かった。本編との一体感が抜群。そこらへんも"昔"風。("タイアップ"ではなくて)
『ログホライズン2』 ('14.10月~)
こちらもアニメ以前に、原作(者)の優秀さというか力量の確かさを感じさせる作品ですが、ただ少し凄さの質が違う部分も。
少なくとも僕にとって。
簡単に言うと、ファフナー/冲方丁は面白いし凄いと思うけど、割りと僕にとって"分かる"凄さというか作りというか、頑張れば僕にも書けそう(書けないけど笑)、あるいはこれをこうしてこうしたからこういうストーリーになってるんだなというのが、何となくですが直感的に分かる部分があるわけです。
しかしログホライズン/橙乃ままれの方は・・・駄目ですね。書けません(笑)。僕の中からこんなのは出て来ないです。(笑)
狙い自体は分かるんですよ。テーマというか。(あえて陳腐に言いますが)MMORPGという人工世界を使って、人間行動や人間の社会の構造について思考実験的に考察するという。それは僕も興味のある類のことですし、だからこそMMORPGやらは一切経験無くても、ひとかたならぬ興味を持って見続けられているわけで。
ただその為の設定の作り方やディテールや、テーマ自体の展開のさせ方の具体的な手際が、ちょっともう、僕のレパートリーの中には無い感じのものが大部分で。そのどれくらいがMMORPGの経験の有無で説明出来るのか、直接的にはよく分かりませんが、ただ何かそれ以上に、少なくともそれと同時に、"知性"のあり方として何か僕の知ってるものとは違うものが出て来ている感はある。
・・・『SAO』の時は、別にそんなことは感じなかったんですけどね。新しい袋に入れられた古い酒でしかないなと、ある意味非常にがっかりさせられた。でも今回は・・・少し危機感を感じました(笑)。俺遅れてるかなと。もっとゲームやんないといけないかなと。(笑)
まあ冗談ですけど。頭の柔らかい(はずの)子供の頃から、僕は元々ゲームは苦手です。(笑)
だから少なくとも、年取ったからこうなったわけではない。絶対だ!(笑)
まあ同じ作者の前作(『まおゆう』)には、特に理解出来ない、特別な刺激を感じるところは無かったので、作者自身が成長・プレイクスルーしている最中なんだろうとは思います。そういうことならまあ、個別の才能の問題だから、対抗心燃やしてても(笑)しょうがない。素直に楽しめばいい。
実際優れた作品だと思います。知的ではあっても説明的ではなく(『まおゆう』はちょっとそれが)、しかし社会心理的な考察は、ほとんど学究レベルにディープ、本格的で、見応えがある考えさせられる。
恋バナとか萌えとかはまあ、お愛想というか、どうでもいい感じはしますが。(笑)
標準装備という以上のものでは。
更なる続編が楽しみです。
『艦隊これくしょん -艦これ』 ('15.1月~)
開始時の感想。
順番は最後ですが、ある意味一番純粋な賛辞を送りたい作品。
ただ褒め方がなんか難しいんですよね。(笑)
内容という程の内容があるわけでもないし。元の設定はゲームなんだろうし。(当然やってない)
一言で言えば、「成熟」と「洗練」の作品だと思います。
凄味を感じさせるほどの。
「艦娘」という(謎の(笑))設定、それを基にしたある意味最近のトレンドである、百合的な人間模様、ミリタリーディテールへのこだわりと壮麗美麗な戦闘・海洋シーン、全て言わば"注文"仕事なんでしょうが、その全てが素晴らしい。
隅から隅までハイクオリティ。表情や動作の一つ一つまで、実に繊細に活き活きと、気の利いた手抜き無しの作りになっていると思います。
それだけだと言わばハリウッド的orビッグ商業プロジェクト的な足し算的な"クオリティ"でしかないわけですけど、僕がこの作品が好きなのは、背後に("個人"としての)作り手の存在感が、ちゃんと感じられること。・・・『SHIROBAKO』でもこだわっていたように。
別な言い方をすると、この作品は単に"クオリティ"が高いだけではなくて、作り手の「意図」の実現度が恐ろしく高い、ちょっと稀有な作品だと思います。"思い通りに作った"という権力的問題(笑)というよりは、イメージしたものを実現出来たという、技術的技量的な問題として。
"手足の隅々まで神経の行き届いた、実力のあるバレリーナの動き"のような美しさがある、などと言ったら、ちょっと褒め過ぎでしょうか。
でも実際ダンスを見ているような、あるいは音楽を聴いているような、そういう陶然とした気分にしばしばさせられた、流麗な作品でした。視覚的には劇的にも。
監督の、ですかね。常識的に考えれば。知らないですけど。意図。
それが宮崎・押井・細田的なこだわりの劇場映画ではなくて、こんな(笑)コテコテのテレビアニメで実現していたという、驚きというか感動というか、違和感というか。(笑)
妙な作品。
そういうのとは違うところで、脚本が妙だと言われてるらしいですけど、ゲームの方を知らないのでそっち方面はノーコメント。
まあ話はよく分からないところはあります。"深海棲艦"とは何なのか、"運命"とは、今回の分だけ見て分かるわけはないですけど(笑)それはまあ。続編もあるらしいですし。
ぶっちゃけもう、このまま終わっても僕はいいですけどね。(笑)
"イメージ"だけで。鮮烈な思い出のままで。
それ以上の面白い「話」があるのなら、それは嬉しいですけど。
現時点でこの作品について更に言うとすれば、何か2015年時点での日本の"二次元"系カルチャーの、最高に効率のいいダイジェストというかパッケージというか、それこそ"クールジャパン"的にも優れたサンプルというか。日本人の想像力は、こういうものを作れます、という。
実際そういう割りとスタティックな性格を持っているから、妙に念入りな耽美性が実現しているのではないかと、そう思うところもあります。可愛げのない、オールラウンド性というか。
ちょっとかつての『シャナ』シリーズに似てるところもあるかなと。最先端ではないけど、最高度の総合力という。
"続編"が無ければ、もうちょっと僕も"調べ"たい気はあるんですけどね。
今はまだ気分を壊したくないので、なるべく「情報」は入れないで、映ったものだけを見るようにしています。(笑)
でもまあ、(お仕着せの)「企画」と「創造性」が、偶然に近いいい出会いをした、幸福な傑作だと、とにかく僕は思っていますよ。
まとめて言うと、いずれも何か、事前の期待や最初の印象を最終的に遥かに上回って来た、傑作群ということですね。
いやあ、楽しかった。
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