2015年04月03日 (金) | 編集 |

元記事。
ちょっと調べたいことがWikiを見てたら、こんな記述が。
これだけでは何のことか分からないところもあるんですけど・・・本作の監督である水島努は、本作の絵コンテなどの素材について「作中登場する人物の原画や絵コンテや文字は、統一感をはかるために、それぞれのキャラごとに担当がいます。私の担当は木下監督です。」と言及している
(「作風」の項)
「文字」って何?せりふってこと?それともズバリ(笑)、クレジットの文字?
ただ"キャラごとに担当"って言い方は、どうしても引っかかります。
つまり僕が感じていた
という違和感、その理由である可能性が考えられるので。それぞれのタイプの人物(の演技)がそれぞれに扱われているだけで、なんか演出というほどの演出方針が無いような、監督の"息遣い"が感じられないような血が通っていないような感じ
上の言い方から言えば、キャラごとの"統一感"を重視するあまり、全体の"統一感"が無くなってしまったみたいな話?
選手のキャラは立ってるけど、監督の陰が薄いチーム的な。(笑)
記事ではそこらへんを目一杯好意的に解釈して自分を納得させていたわけですけど、ちょっと好意的過ぎたかも知れない(笑)。"違和感"は違和感で、正しかったというかもっと追求して良かったのかも知れない。
勿論上の箇所の水島監督の言い方からも分かるように、それはそれでそれなりに考えがあって積極的にやっていたことで、決して嫌々で、監督無視でやっていたわけではなくて、そういう意味で"あえてやってるんだ"という僕の最終的理解・納得自体は間違ってないんだろうとは思いますが。
ただ普通の意味での"監督"主義的な作り方から、かなり離れた特殊な作品である可能性は、やっぱりあるかなあと。
ツイッターより。その「多層性」が、単純「並列」性と紙一重な部分が結構あって、(中略)この作品だからなのかアニメの製作体制自体に何か新しい時代が来ているのか、ちょっと考えているところです。
まあ今時はどの世界も"集合知"で作る傾向は強くはなってるんでしょうけど、それにしても何か、一線を越えかけた感じの作品ではありました。集合した結果"船が山に登"った駄作なら、数限りなくあったでしょうけど、まぎれも無く"傑作"なだけにね。悩みます。(笑)
一方でここまで入念に仕込みを行うことは普通の作品では無理でしょうから、傾向は傾向として、大勢はそんなに変わらないのではないか、結局物語は"誰か"が語るしかないんじゃないかと、そうも思ってはいるんですが。
以上。
『グラゼニ』
今年ここから盛り返すとして、来年(以降)も凡田はモップスにいるのか、それともまた新たな展開があるのか。
メジャー挑戦からの流れが激動だっただけに、気になるというか予想が付かないというか。
つまりどうやって終わるんだろうという。別に終わって欲しいわけではないわけですが。(笑)
『会長島耕作』
それまでの話題から、てっきり「さっさと死ねて、あれはあれでかえって幸せだったのかも知れない」という話かと思ったら、ただ悲しんでるだけでした。(笑)
『セケンノハテマデ』
割りとバタくさい顔のキャラが多い人でしたが、今度の"サノリオ"はそれが一番効果的(笑)というか、普通に可愛いですね。
『雨の日はお化けがいるから』
題材が題材なので、一瞬つのだじろうさんかと思いました。(笑)
正に出たーーという感じに。(笑)
『コンプレックスエイジ』
なんか実体験ぽいエピソードですね。
知り合いにこういう老コスプレイヤーが、実際いるんだろうなという。
じゃないとなかなか、ここまで具体的なイメージは。
『インベスターZ』
なんかちょっと、最初はかっこよくも見えた主人公の"勇み足"がパターン化して来て、『カバチ』の田村かよという。(笑)
『カバチ』
この前も言いましたが、「面会」という制度自体に、基本的に無理というか不自然が存在しているような気がします。
僕は要りませんよ?(笑)
まあ勿論、親権取られたらの話ではありますが。
大丈夫です、もう半年くらい、いるのは知ってるけど姿を見せない猫の為に、毎日ごはんあげてますから。(笑)
『決マネ』
理系オタクでも対人恐怖でなくても、意外と役に立つ内容のような。(笑)
科学万能。(笑)
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