2015年04月15日 (水) | 編集 |
![]() | ベイビーステップ Vol.1-7 全7巻セット【NHKスクエア限定セット】 (2015) 不明 商品詳細を見る |
上のDVDは1stシーズンのです。
新シーズン開始早々にはDVD/ブルーレイの発売告知が無いのは、NHKの慎みか。
民放だと1,2話くらいでもう「待望の」とか言って売りに来るからね。(笑)
いやいや。待つ暇もまだ無いって。
いつも素晴らしい『ベイビーステップ』ですが、この回は特に素晴らしかった。(NHK公式)
見ようによっては作品全体のテーマが集約された回にも見えるんだけど、タイミング的には違いそうな感じ。(どっちだ)
プロを目指してアメリカにテニス留学中の主人公栄一郎。
持ち前の堅実な"ベイビーステップ"でコツコツと実力はアップしつつも、(練習)試合は連戦連敗、無勝街道を驀進中で、さすがにどツボにはまりかける。
そんな栄一郎にルームメイトでプロなりたてのアレックスがかけた言葉、「Believe in yourself」。
その時は単なる励ましの言葉に思えたが・・・。
めげずに工夫を重ねつつ、どうしても結果が出ずに尚も悩む栄一郎は、自分をアメリカに誘ってくれたメンタルコーチのマイクに相談する。
栄一郎の試合映像をチェックしたマイクが指摘した栄一郎の問題点は、ずばり"負け癖"だという。
マイクによる解説。
ちなみにこの「理性」と「本能」という素朴と言えば素朴な分類は、栄一郎とマイクが日本で初めて出会った時に、マイクが強くなる為の方法として英一郎に教授した分類。いわく"本能の喜ぶことをしろ"云々。「欧米の新しいテニスに慣れる為に、君は勝ちにこだわらず、試合でそれを身に付けて行った。おかげでこっちのテニスには、早く慣れて技術は向上した。
だけど、その代償として、君の本能は負け続ける内に、自信を失って行ったんだ。
そして、君の理性はそろそろ勝ちたくなり、勝ちを意識するようになったけれど、本能は自信を失ったまま回復しない。これが"負け癖"の正体さ。」
だから二人の間には、既にそれについての了解はあったという、そういう状況での言葉ですが。
ここではつまり、「理性」と「本能」の分裂・対立の問題、構造が、明快かつ淡々と語られています。
まず最初の状況では、理性には明確な計画があり、ある意味納得ずく、想定内の結果として、試合での敗北を重ねた。しかし一方でそうした理屈や文脈とは別の次元で、本能は"敗北"のプリミティブな痛み、ストレートな感情的ダメージを、どうしようもなく蓄積して行った。
それによって、"納得"する理性をよそに、本能という次元で、"自信"は失われてしまっていた。
次の状況では、理性はある種の"判断"として改めて勝利を志向するようになった(目算も立てている)けど、そうした理性の"都合"には本能は従ってくれず、勝利を勝ち取るのに必要な"自信"は容易に戻って来てくれずに、勝負所で過緊張によるミスをもたらすという、そういう状況が語られています。
つまり"負け癖"とは、勝とうとする理性に対して負けに慣れ/馴れた本能が、負けていた時の生理心理的状態を引きずり続けて再現して("癖")、勝てる状態の構成を邪魔するという、そういうことだというわけですね。
そして運動選手の生理心理的状態を支配しているのは"本能"の方だから(だから"本能の喜ぶことをしろ"と)、本能の方を変化させない限りその「負け癖」からは逃れられないと。つまり何とか本能をなだめすかして、自信を回復させるしかないと。
ここで問題なのは、「理性」か「本能」かということではなく、「理性」と「本能」をそれぞれに"実在"として並列させて、公平に客観的に扱うことですね。扱われていることというか。僕が"素晴らしい"と思ったのも、そこです。
現代の慣習的な思潮の中で言えば、「本能」の価値をきちんと認めたと、そういう言い方も出来るかと思いますが。それと「理性」を、きちんと関係させたというか。
それが大上段からの心理学や哲学的な議論としてでは無くて、(作者は日本人ですが恐らく)アメリカの実践的なスポーツコーチングの文脈から、最初に言ったように"明快に淡々と"語られているのが妙味のあるところで。
その分、用語法や概念体系としては素朴ではあって、例えばこの「理性」と「本能」という言い方は、あえて言えば"意識"と"無意識"とでも言った方が、日常的ではないけれど汎用性はやはり高いだろうとは思います。
特に二つ目の"状況"では、語られているのは「理性」というより意識的"欲望"であって、それが無意識的な慣性や恐れ、馴染んだ状態を維持しようとするこれはこれで存在する"欲望"と齟齬を来すという、そういう話ですからね。むしろ欲望には意識的無意識的二つのレベルがあるとでも言った方が、すっきりとはするだろうという。
まあ勿論それは大きな問題ではなくて、(アメリカ式の)スポーツコーチングが運動選手の心の中にある二つの動き、二つの働きのレベルをきちんと認識してその関係を観察して、それによって"負け癖"という一聴するとただの結果論的な理由付けのように思えるものを構造的に明快に説明してみせている、それがこの場面の素晴らしいところなわけですね。
これは勿論、引っ繰り返せばそのまま"勝ち癖"や所謂"勝者のメンタリティ"の説明にもなるわけですが。
なぜ勝てるのか。それは勝っているからだ。
身も蓋も無いですが、それが真理。(笑)
更にではどのように勝つのか、言い換えると勝つ為の"自信"を得るのか、「本能」の働きを変えるのかという、問題になりますが・・・
マイク。
これだけです。(笑)「これは、勝ちたいと強く思う多くの人が通過するスランプだが、心の問題だから、抜け出し方は人それぞれで正解は無いんだ。」
後は"グッドラック!"と。(笑)
何としても自信は必要だということが構造的に解明されたが、自信を得る(回復する)為の確立された方法は無い。存在し得ないというか。
投げやりなようですが、これはこれで卓見だと思います。
つまりこれは、"分からない"ということが、"分かった""分かっている"ということです。そのことが、語られている。
これは上でスポーツ選手の心の動きを「理性」と「本能」の二つに分けた、そのこと自体にも直接的に対応して来ます。・・・つまり「本能」という、よく"分からない"領域の存在を、権利を、認めたというそのことに。
分からないということが間違いなのでは無くて、分からないことを"分かる"と言ってしまう思ってしまうこと、「理性」の効力や価値の全面性を無前提に認めてしまう要求してしまう、そのことの方が"間違い"であると。
こういう節度や忍耐力を持たないと、結局は"二つ"に分けたことの意味も無くなってしまう。(「理性」という"一つ"の支配の願望に、流れて行ってしまう)
とまあ、原理的にはそういう話ですけど、この作品の空気感としてはもう少しあっさりしていて、要は"理屈でないもの"を"本能"と名付けてるのだから、理屈ではない、分からない、しゃあないと、そういう感じ。(笑)
そこはアメリカですし、実践知性ですし。
要点としては、"分かるもの"と"分からないもの"を明確に分けることによって、全体のマネージメントをスムーズにすること。分かるものは分かるものとしてとことん追求し、一方でそれとの対照で位置づけを明確にすることによって、分からないものの"分からない"なりの振る舞い方扱い方領域づけ、そこらへんの把握を出来る限り向上して行くと、そういうアプローチかな。
実に賢明だし、"勝てる"やり方だと思いますね。
具体的にこの後何が起きるかというと、試合中のある偶発的な経験から、主人公は"ラケットのガットを直す"という一種のまじない、自己暗示の方便を見出して、それによって"負け"のイメージに引っ張られる本能の慣性を断ち切って、"勝ち"へ向かう新たな慣性を形成して行くわけです。
それは意図的な行為ではあるけれど、偶然でもあり、"まじない"(笑)でもあり、でもそれでいいんだそういうものなんだと、マイクコーチはニッコリするわけです。
繰り返しますが、この"分からないなり"という部分、分からないことの"分からない"ということの尊重というのは、非常に大事なことだと思います。大きな間違いを犯さない為に。
むしろ分からないということ、非理性を認めること、割り切ることこそが「理性」的な態度であって、それを展望も無く否定してあくまで「理性」で理解しようねじ伏せようと執着するのは、「理性」の形を取った「本能」そのもの、プリミティブで剥き出しの欲望の姿だと、皮肉に言えば(笑)そう言えるのではないかと、僕などは思いますが。
まあ悪い意味で"左翼"的な態度、でもあると思いますがそれはまあ。(笑)
そして冒頭の"Believe in yourself"ですが(忘れてたでしょ?笑)、それはつまり、単なる励ましではなくて、どういう形であれまじないであれ何であれ、結果として「自信」を持つこと、myselfをbelieve inすることが、勝てる選手になる為の唯一必須の"方法"であると、そういうことですね。
それを"負け癖"の分析として構造的に説明したマイクに対して、アレックスはプロの世界で苦闘して、勝てる選手と勝てない自分とを見比べた経験から直感的に言っているわけですけど。「プロの世界は負けた人ではなくて、自分を信じられなくなった選手が脱落して行くんだ」。(妹マーシャへの言葉)
で、僕がちょっと言ってたのは、この言葉(believe in yourself)は、主題歌にも最初からテーマとして掲げられている言葉であるし、"believe"という「信念」の裏に隠された「科学」性という、この回で展開されたこの作品の独特の構造をよく表しているので、ある意味決定的なテーマ提示の回であるという言い方は出来そうではあるんだけど、ただそれにしてはストーリー全体の中での位置が中途半端な気がするし今までにももっと色々と興味深い切り口は出て来たので、そこまで集約されたものとみなしていいのかなと、そういう疑問と板挟みであるという、そういう話です。(笑)
栄一郎の受け止め方としても、基本的には「また一つ勉強をした」という、そういう感じですしね。勉強勉強、また勉強。
最後にこの作品自体について少し言うと、作者のバックボーンとかは別に知りませんが、単に「アメリカの最新のコーチング理論をネタにしている」とか、そういうことではないんだと思います。主人公栄一郎の、ド外れた真面目さ、虚心坦懐でオープンマインドではあるんだけど、プレインの方は極端に形式的構造的で、上のマイクの"グッドラック"という修辞含みの反語的アドバイスでさえ、ノータイムで「最後は運ということか」と字義通りに受け取ってしまう軽い異常性格。(笑)
ちょっとアスペルガー/高機能自閉症的な傾向、およそ"文脈"という感覚が無く、例え話やぼかした言い方などが苦手なこの主人公のパーソナリティはつまり作者自身の性格にかなり近くて、それがある種体験的に、科学的ではあるけれど多面的で柔軟なコーチング思想を経験・吸収して行く正にその過程を描いて行く感じが、この地味な作品の並々ならぬ"迫真"性を生んでいるのではないかと思います。
一方で、テニスという圧倒的に日本人にとって"あちら"のものである、かなり後方から手探りでキャッチアップを試みなくてはならないジャンルにおいて、日本人としても特に身体能力的天才ではない栄一郎がその"ド外れた真面目さ"と飛躍しない"形式的構造的"な頭脳でもって地道にしかし確実に向上して行く"ベイビーステップ"(よちよち歩き)のプロセスは、キャッチアップや外来ジャンルの「理解」へ向けての、今まで考えたことが無かったレベルでの意外な希望・展望を指し示しているかも知れない、そういうことを感じさせる作品だと思います。
それは勿論、サッカーファンにとっても、共通した問題であるわけですし。分かった振りをする前に、もう少しやることがあったのかも知れない。我々は栄一郎並みに、努力したか。・・・というか、栄一郎並みに努力すれば、実はもっと遥かに分かる/向上するチャンスが、あったのかも知れない。色々と少し歩を早め過ぎたのかも知れないなと。W杯優勝とか?(笑)
3ラインスモールフィールドアイコンタクト、ゾーンプレスとショート(ハーフ)カウンター、後はヒデの強く速いパスとトルシエのマルチロール?、あそこらへんまではいい"ベイビーステップ"だったと思いますが、いつからか、何か基準不明の"知ったかぶり合戦"みたいな感じになってしまったような。
まあ栄一郎は異常性格者であって(笑)、その意味で一種の天才だとは思いますが。
出来ねえって、こんなの(笑)。気が狂う。
しかし当然のことを当然として真っ直ぐに追求する天才であって、その地道さが一見対極にあるような"最新"理論と不思議に相性がいいのが、この作品の風景の独特さ面白さ。・・・平板さ、でもあるかも知れませんが。作者自身が、滅法"当然"に強い、天然さんであるゆえに。凄いことが、淡々と進む。(笑)
しかし圧倒的に面白い。そしていつも言うことですが、どうしてサッカー漫画にこれが無いのか。あればいいのに。誰か描いてくれないのか。
描かないのか、描けないのか。誰も勝木光のように(Wiki)、勝木光がテニスを理解しているようには、サッカーを理解している日本人(作家)はいないということなのか。
それとまあ、限りなく余談ですが、この回を一つの代表として、この作品で表現されているアメリカのコーチング理論とそこで機能している知性のありようを見ると、なんか焦りますね。勝てねえなと思わされます。"無意識"すら、ここまで実践的に扱えるようになっているのかという。否定したり理性主義的になってれば、全然怖くないんですけど。東洋人より東洋人的、とか言ったら、安易か。(笑)
まあでも、「理性」と「本能」が択一的に語られているレベルでは、太刀打ち出来そうにないのは確か。「相手に合わせたサッカー」か、「自分たちのサッカー」か、的な?(笑)
ま、余計でした。
いいんです、日本人が負けでも、僕が負けなければ。負けない!(笑)
[つづき]もあります。
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この記事へのコメント
原作読んだとき、施設の差とか、筋肉の付け方とか、色々アメリカは進んでいるなあと思わされましたが、
そういうコーチングに関しては、完全に負けているなあと思わされました。
ただ、ただ!少しネタバレになりますが、日本のコーチも負けてない描写はあるので、あのいい加減なコーチのこと見直しますよ!筋肉の付け方とか、メンタルとか。
サッカーに関しては、そもそもが負けてますよね。バルサが流行ったから、バルサのサッカー真似しよう。ブラジル強いからブラジルの真似しよう。
フィジカルじゃ勝てないからパスサッカーなど。
教えるほうが、考えることを放棄しているというか。
長文すみません。
そういうコーチングに関しては、完全に負けているなあと思わされました。
ただ、ただ!少しネタバレになりますが、日本のコーチも負けてない描写はあるので、あのいい加減なコーチのこと見直しますよ!筋肉の付け方とか、メンタルとか。
サッカーに関しては、そもそもが負けてますよね。バルサが流行ったから、バルサのサッカー真似しよう。ブラジル強いからブラジルの真似しよう。
フィジカルじゃ勝てないからパスサッカーなど。
教えるほうが、考えることを放棄しているというか。
長文すみません。
2015/04/18(Sat) 23:31 | URL | 匿名 #-[ 編集]
いい加減なコーチ?顔の大きいおじさんですか?(笑)
まあ物量差もあるので、アメリカが"進んで"たり"充実"してたりするのは、ある程度諦めが付くんですが、虚心さや謙虚さで負けてる感じがするのは、何とも悔しいですね。そこから真の"研究"が生まれて来るのだろうという、意味も含めて。
何とか負けずに頑張りたいです。僕は。(笑)
まあ物量差もあるので、アメリカが"進んで"たり"充実"してたりするのは、ある程度諦めが付くんですが、虚心さや謙虚さで負けてる感じがするのは、何とも悔しいですね。そこから真の"研究"が生まれて来るのだろうという、意味も含めて。
何とか負けずに頑張りたいです。僕は。(笑)
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