ウィンター・ソルジャー
ベトナム帰還兵の告白 [DVD]
最近ヒストリーチャンネルで見た映画。1972年作品。
副題通り、ベトナム帰還兵たちの証言が次々と流されるだけのシンプルな構成のドキュメンタリー映画ですけど、インパクトがありました。
その陰の作り手のセンスやメッセージも、よく伝わって来たというか。
その中の特に印象的だった証言を、僕もまず黙々と列挙してみます。
順番は製作者の意図を尊重して、あえてテーマ化はせずに、単純収録順です。ただ証言兵士の区別だけは、分かるようにしてあります。
兵士A(移送途中のベトナム人捕虜をヘリコプターから突き落とす常習的な事例について聞かれて)
上官からはこう命じられた。"捕虜を乗せる時は人数を数えるな。降ろす時に数えろ"。
若い兵士が"なぜです?"と尋ねると、"数が合わないと困る"と中尉は言った。
兵士B
村には敵はいなかったが、包帯をした女性がいた。
彼女は6人の共和国陸軍兵に尋問され、包帯をしていたという理由で撃たれた。20発もだ。(中略)
国際開発庁に勤めていた男は(中略)彼女の服を脱がすとナイフを出し、女性器から胸まで切り裂き、内臓を取り出した。そして投げ捨てたんだ。
次に彼はひざまずき、女性の皮膚をはぐと、戒めのように置き去りにした。
兵士C(カルミニ)
武器を使ったゲームをやった。
迫撃砲を使うチームは、まず友好的な村に行き、数軒の家を選ぶ。そして1軒の家が倒壊するまで、迫撃砲を撃つ。
大砲を使うチームも、1軒の家を破壊し尽くす。
少ない弾薬で倒壊した方が勝ち、負けた方がビールをおごる。
中佐も参加したストーン作戦で、ベトナム人の頭を切断した。2人の頭を棒に刺し、原っぱに立てた。
だが記者が取材に来たので、2度と行わなかった。
兵士A(再)
ジュネーブ条約に関しては、講義で指示書きが配られこう言われた。(その後捕虜に"された"場合に主張すべきことのレクチャー内容が続く)
捕虜の扱いについては、何も教わらなかった。
カルミニ
ベトナム人の女性が我々の隊の狙撃手に撃たれた。彼女は水をくれと言ったが、上官は殺せと命じた。
彼女は服を脱がされ、乳房を刺され、腹を切り開かれ、女性器にスコップを刺し込まれた。
女性は水を求め続けたが、木の枝に吊されて射殺された。
彼らを人間として見ていなかった。それに国のためになると信じて、命令に従ってた。国のためなら許されると。東洋人や共産党員なら、撃ってもいいと思った。
兵士D
彼らは東洋人だ。
南ベトナム民族解放戦線の東洋人であるうえに、つり目の不細工な連中だと思ってた。東洋人は我々より劣ると思ったし、アメリカ人を文明人だと思ってた。だから好きなように扱った。
カルミニ
アメリカ人は、国家や政府が正しいと思っている。
神も味方につく、世界最強の国だと。
(中略)
僕は国のためだと思って、ベトナムに行った。二度目の派遣の時は、完全にそう洗脳されてた。
食前食後に荷物を背負って5キロ走らされるので、僕は毎日食事を吐いてしまった。
訓練所では話すにも許可が要る。"カミルニ二等兵です、話してもいいですか?"と。
教官は"何だ?"と言う。"便所に行かせてください"と言うと、"我慢できんのか?"と言う。
"はい"と答えると、"サイレンの口まねをしつつ部屋を3周しろ"と。僕は"ウーウー"と叫びながら走る。大声で速く走らないとダメだ。
またはこう言う。"1時間待て。我慢できたら、ケツを蹴ってやる"。つまり漏らすか、ケツを蹴られるかだ。
あんな異常なシゴキは、精神に悪影響を及ぼす。
ランニングの時は、"殺せ殺せ殺せ"と歌った。(中略)柔道やナイフや銃剣の訓練中にも、"殺せ殺せ"とかけ声をかける。
訓練が終われば敵(東洋人)を殺せると思うと、楽しみになっていった。
兵士E(尋問、つまりは拷問について)
尋問者は監視されたんだ。
ヒル29で行う僕の尋問は憲兵に監視され、彼ら憲兵隊はしばしば尋問に手を貸してくれた。
兵士F
外に出ようとして、上官の靴を踏んでしまった。彼は僕の首をつかんで言った。"俺の靴をきれいにしろ"。
"靴みがき道具を取りに行きます"と言うと、"お前の舌があれば十分だ"と言う。結局彼のホコリだらけの靴を、なめるハメになった。そんなのは日常茶飯事だ。
ベトナムでは役を演じる。プロの海兵隊や殺し屋の役を、正確に演じねばならない。
兵士G
ベトナムから帰国するとようやく、あの戦争や政府の方針が異常だと気づくんだ。
夢を見続けていたような気がしたし、記憶が飛んだような気もした。全部夢だったような感じだ。
兵士F(再)
我々はゲラゲラ笑い、そのことは忘れてしまった。そして僕は1年後に、その一件を思い出した。
まさにベトナムにいる米軍兵の典型だ。ベトナム人を憎みはしないが、軽んじている。彼らを人間として見ていないばかりか、存在を無視していた。
兵士H
村人は米兵の残虐さを知っていたので、若い娘を隠した。だが我々は防空壕に隠れた女性を見つけ、家族の目の前で6~7人でレイプした。村人もそこにいた。(中略)同じような暴行が、10~15回あった。
兵士I
軍では兵士は、心を堅い殻で覆う。洗脳され、人間性を奪われているからだ。
無防備ではベトナムで生きていけない。一瞬でも心を覆う殻を開いてしまえば、正気を失ってしまうだろう。自分が苦しむことになる。
カルミニ
5分前は元気だった友達の死を、受け入れるのは難しい。(中略)そして"お前のためにベトナム人を殺す"と誓う。
そうなると狩りにでも来た気分だ。滞在先や銃の心配をせずに毎日狩りに行けて、無制限に好きなだけ獲物を撃てる。まさに狩猟旅行だ。
兵士J
我々は村で小さな子供の死体を見た。(中略)それに3歳くらいの女の子の死体も見つけた。ヘリの乗員が退屈したから殺されたんだ。
大隊にこれが報告されると、殺したのが2人では少ないと叱責された。(中略)こういうことは一度ではない。大勢の帰還兵が同じような光景を見ている。
兵士K
隊には憎しみが漂っていた。友好的なベトナム人など、いるはずないと思った。
彼らは東洋人だ。"ベトナム人"ではなく、"東洋人"と呼ばれた。
我々が見つけた村の半数は、完全に焼き払われた。
焼く村を選ぶのに、基準は無い。時間があれば、焼き払う。
兵士L
"ハンターキラー"というチームでも、任務に就いた。そのチームで他の操縦士から、ベトコンの見分け方を教わった。
"米軍を見て逃げたら、ベトコン"。"逃げなかったら、よく訓練されたベトコンだ、そいつも撃て"。
カルミニ
ベトナムを去るころ、隊に召集兵がいた。彼らの考え方は、他の連中と違った。(中略)
だが彼らに同意もできず、僕は大学に進んだ。法学専攻だったので歴史を取り、政治科学や歴史の授業で、世界を理解し始めた。
ジュネーブ条約を知った時は、驚いたよ。
(記者)
自分のしたことを理解した?
(兵士)
ああ、すべて間違っていた。人を肌の色で差別せず、人間としてきちんと扱うべきだ。主義で差別するのも正しくない。
そういう話をする時はよく笑う。軟弱に思われないためだ。
男なら情に流されない強さが必要だと育てられた。
(中略)
(記者)
あなたにとって男らしさとは?
(兵士)
今はもう定義がない。
でも僕は以前より、感受性が強くなった。(中略)
でも別のことを考える。表面的な男らしさなど意味がないのに、どうしても涙をこらえてしまう。
心から信じていた組織などを、信じられなくなるのはとてもつらい。(中略)
家族などにその悩みを話すと、"お前はどうかしてる、気は確かか?"なんて言われて腹が立つ。
でも学校の友達は理解してくれる。
兵士M
ステージに上がったら、緊張したよ。自分が冷たい人間になったと、想像した。でないと泣き出しそうだった。
(なぜ泣くのが怖かったの?)
兵士だという感覚が消えないからだ。刷り込まれている。その感覚は簡単に消えず、コントロールするのは難しい。
一度に感覚が戻るのではなく、徐々に戻って来る。
いつか消えてくれるといいんだが、今も感覚は残っているし、受け入れてるよ。
兵士N
本当におかしな話だ。教化や訓練で、人間を思うように操れるなんて。
僕らはウソの人生を生きていた。自分の人生ではない。誰かが決めた道を進んでいた。彼らには僕らの行き先も分かってたんだ。
だが僕らはウソに気づき、闘うことにした。
敵が目の前に現れると、撃たなくてはいけない標的に見える。正直言って、人間ではなく、標的に見えるんだ。
撃ってから思う。"なぜ撃った?"。"僕はこんなことする男じゃない"。来たことを後悔するが、遅い。
だから正当化しようと、躍起になる。間違ってると知りつつ、そうしていた。
(字幕)
1971年1月31日~2月2日、冬の兵士証言集会が、ミシガン州デトロイトで開かれた。
そして4月6日~7日、すべての証言記録が、連邦議会議事録に載った。
ベトナムものはフィクション、ドキュメンタリー問わず、色々と見てはいますが、これはかなりインパクトがありました。
要するに"何が"起きていたのかということが、ダイレクトに伝わって来るというか。
それこそ『ランボー』あたりをきっかけに、"ベトナム帰還兵"の問題は取り上げられ尽した感はありますが、「過酷な体験」という形で一括されて、案外そのものを見せてくれるものは無かったなあというか。
逆に劇映画という形で、この内容は表現できないでしょうし。『地獄の黙示録』とかですら、一種ファンタジー化されているというか。されざるを得ないというか。
何度も登場する"カルミニ"という証言者が、印象的でしたね。
一種の"スター"性がある。
その「感受性」で、"兵士"の経験する全てのプロセスを、経験し尽した感じの人。
太字部分は僕が(更に)特に、印象の強かった箇所。
戦場で残虐行為が行われる、その度が越される、判断の難しい状況で無実の人が殺される、あるいは国際条約違反の拷問が行われる。
これらのこと自体はある意味では当たり前というか、避け難いというか、米軍だろうと日本軍だろうと韓国軍だろうと、およそ大差は無いだろうとある意味了解は出来るわけですが。避ける為には、「戦争」そのものを避けるしかない。
だからむしろ行為よりも意識の方に興味があって、あるいは特殊なニュアンスを帯びた行為とその意味が。
女性に対する不必要(既に死んでいても行われる)な侮辱行為。
ジュネーブ条約の百も承知の無視。または不周知。
憲兵直々の拷問。
そして勿論、著しい人種差別と戦争の"正当性"と、それに関する洗脳と無意識的文化的教育と。
付け加えるならば、"人種差別"が特に表面化しているのは、「アメリカとベトナム」の戦争だからではあるわけですが、ただ相手の存在全体の差別的"定義"によって、価値・権利を理念的に剥奪して「殺すこと」を正当化するという意味では、近年問題になっている宗教テロや民族浄化的な数々の戦争・残虐行為とも、十分な共通性があるなということ。
あれ(ベトナム戦争)はアメリカなりの、要するに"ジハード"(悪い意味でのね)だったのではないか宗教戦争(勿論"法敵"は共産主義)だったのではないかという、そういう改めての感想。再認識というか。
戦争なんて、どれもおんなじというか、それくらいしないと、あんな異常なことを(職業軍人にとどまらず)国民ぐるみでは出来ないのだなという。
ところで例えば現代の在日米軍兵士は、我々を人間だと思っているんでしょうか。
素朴な疑問。
そんなに変わっているようには、変わり得ることのようには、見えない思えないというか。
"兵士"であること自体の、抜き難い異常性というか。(そして人種の壁)
まあ、映画としては、面白かったです。
こう言っては語弊があるかも知れませんが。(笑)
あんまり話題になっていた記憶は無いんですけどね。"映画史"的にも。