勝木光さんの考える、「理性」と「本能」というか。
沢山書いて自分でも少しこんがらがって来たので(笑)、今まで書いたことをまとめてみたいと思います。
第2話
計算する理性と(素直に)感じる本能、その齟齬。「欧米の新しいテニスに慣れる為に、君は勝ちにこだわらず、試合でそれを身に付けて行った。おかげでこっちのテニスには、早く慣れて技術は向上した。
だけど、その代償として、君の本能は負け続ける内に、自信を失って行ったんだ。
そして、君の理性はそろそろ勝ちたくなり、勝ちを意識するようになったけれど、本能は自信を失ったまま回復しない。これが"負け癖"の正体さ。」
または理性の都合通りには振る舞ってくれない、本能の独自の行動原理。
第3話
今度はその"齟齬"や"独自"性を、ポジテイヴに活用するという話。「ポイントの前にガットを直して深呼吸。あそこから良くなったねえ」
「はい。特に根拠は無いんですけど」
「君は転んだ時、本能的にガットを直すことに気付いたよね。これは几帳面な君が、積極的に出来る作業だったんだ。しかも、それを理性的にルーティンにして繰り返した。
積極的に出来る作業をルーティンにすれば、当然効果だって大きい。本能の絶妙な選択を、理性がいい方向に導いた結果だよ。
本能は勝つ為に最善の選択をしたんだ。自分を信じていいって、思えただろ?」
「はい!(ただ、必死だっただけなんだけど苦笑)」
(根拠が無いので)理性には選べないが、しかしより素直な本能ならばあっさりと選べる自分の性分に合ったある行動、その効果という"事実"を認めた理性が後付けで反復強化して、それを最大化・定着させる。
第4話
次は逆に、本能の方が、理性の声に耳を傾けるという話。よーし、段々分かって来たぞ。
ポイント間でひたすら理性的に考えていることを、本能はちゃんと聴いてくれているんだ。
プレー中、体を動かす時の為に。
頼むぞ、本能!
ただし本能は理性のように"意図"したりはしないので、あくまで理性が行った思考という"経験"を、あらゆる他の"経験"と同じように、馬鹿正直に黙々と蓄積・インプットして、それに対するアウトプットを返して来るということでしょうけどね。
それを理性的意識的思考や自己意識の観点から見ると、こうなるということ。
便宜的擬人化というか。
第5話
上で言った「理性」→「本能」というルートを、もう一つ上の観点から、より意識的計画的に利用するという話。ちょっとずつだけど、良くなってる。
もっと打ちたかったけど仕方ない。
その分今のをしっかりノートに書いて、理性に覚え込ませる。
少しでも早く本能で動けるように。
このようなプロセスを通して、それ自体としては形式化出来ない「本能」というシステムを、間接的に、ぎりぎりまで、管理活用可能なツールと化して行くというテクニックの話というか。
ここまでが基本編というか、理論編というか。
6.7話を挟んで8話以降は、それらを踏まえてより具体的な場面での理性と本能の話、あるいは単に状況への当てはめという構造になっている。
・・・ということに、今回気付きました。(笑)
そういう意味ではやっぱり、"「理性」と「本能」"編自体はもう終わってると、言ってもいいのかも知れない。
まあ『ハンターハンター』の"念"理論の説明編とその後みたいな感じ?(笑)
第8話
意志≒「理性」。感覚≒「本能」。でもお前を見てると、お前が自分の意志で感覚的にテニスが出来るようになればいいのになと思うことがあってな。
ここは今回の例で言えば、"ガット直し"のような理性には出来ない本能の直接的即時的な"気付き"、そのスピード感をなるべく活かした本能的なテニスを、理性の管理下で行えたらいいという話。
第9話
"苦手意識が刷り込まれる"というのは、一番最初の"負け癖"の話ですね。まずいな。今本能に任せるテニスは駄目だぞ。
お前の本能だって、お前(の理性)と同じで左利きのことなんて知らねえんだ。
純粋な本能に無理させてミスると、逆に苦手意識が刷り込まれちまうことだってある。そうなったら厄介だぞ。
ただここの主題は「理性も本能も、知ってることは同じ」ということで、昨日はなんかサラっと書いちゃいましたけど、特に今までズバリは出て来ていない、新理論と言えば新理論か。
まあ「本能の気付きを理性が活用する」「理性の気付きを本能が受け止める」というプロセスの中で、少なくともその範囲での情報・知識の"共有"が行われているのは分かりますが、元々はどうだったかということはやはり、別の理論的前提と言えるかも。
恐らく作者は、"当然"と考えていてあえて説明していないんだろうと思いますが。
至ってまとも(ないし素朴)な、経験主義的立場で語っているというか。
「本能」も「直感」も、"神秘"や"全知"ではない。(という立場)
第12話
ここは単純に、4,5話の話の繰り返しと言っていいか。でも今俺は、落ち着いて考えて、選択肢を増やして行かないと。
もっと本能で動けるように、今はしっかり理性で動く。
本能に影響を与える為の、意図的な理性への働きかけ。
なるほど、ここは8話のテーマを受け取っている場面なのね。(今気が付いた)今は恐らく疲労で理性が働かなくなって、本能に任せるしかなくなってる状態。
過度の疲労と緊張感が、奇跡的に理性と本能のバランスを保ってるだけ。だとしたら、恐らくこの状態は長くは続かない。
意図的に理性を抑制して(または理性を本能に調和させて)本能的にテニスをするという目標はあるが、ここで起きているのは意図せざる本能優位の状態で、その状態でも"本能的なテニス"の効用は散発的には出ているけれど、やはり理性のコントロールが利いていないと安定はしない。
目標未だ到達せず。
うん。
だいぶすっきりした。
と、思うんですけどどうでしょう。(笑)