東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
ジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』
2015年12月04日 (金) | 編集 |


ジュリアン・コープとは。(はてな)

イギリスのミュージシャン。サウスグラモーガン州のデリで生まれ、タムワースで育る。
いくつかのグループを結成後、イアン・マッカロク(のちにエコー&ザ・バニーメン)と曲を共作したのちに、1978年、ゲイリー・ドワイヤーとティアドロップ・エクスプローズを結成。
また、ロックについての研究書を執筆。

ティアドロップ・エクスプローズは聴いたことが無いですが、エコー&ザ・バニーメンの方は今見たら3枚聴いています。いつの間に?特に好きでも嫌いでもないです。(笑)
後はルースターズのラストアルバム『FOUR PIECES』に入っている"Land Of Fear"は、ジュリアン・コープのソロの曲のようですね。これもまあ、好きでも嫌いでもない。
・・・という程度の予備知識の人が書いた、日本のロックの"前史"的な本('08)。最近のも聴いてはいるようですが、取り上げられているのは基本'70年代までです。
"前史"というか結果的に現代には直接繋がらなかった、ある時期のピーク・隆盛についての話。"あったかも知れない日本のロック"。
当時活躍して現代でも一般に名前が知られている人としては・・・内田裕也、と、喜多郎くらい?この本だと。内田裕也は随分凄い人だったんですね。"ロックンローラー"というよりは"プロデューサー""仕掛け人"として。見かけ通りの直情天然さんではないというか。むしろ腹黒い。(笑)


本文中で取り上げている中で、例えば以前紹介した「”snoozer”2007年12月号 『日本のロック/ポップ・アルバム究極の150枚』」に載っているバンド、ミュージシャンで言うと・・・

 村八分、裸のラリーズ、ジャックス、久保田麻琴と夕焼け楽団、フラワー・トラベリン・バンド、頭脳警察

と言ったあたり。同様に「”Rolling Stone日本版”2007年9月号 『日本のロック名盤 BEST100』」も引っ張り出すと

 外道(ただしネガティブに)、カルメン・マキ(名前だけ)、ブルース・クリエイション

あたりも。
基本的にはアンダーグラウンド/アート志向で、しばしば現代音楽やフリージャズの方にも脱線します。
しかしプログレは嫌いで、(知性はともかく笑)純音楽的にはハードロック好き。
フォークは"アンダーグラウンド"の文脈に乗っかれば評価しますが、"ソフト・ロック"的な脈絡では嫌い、無視。はっぴぃえんどにも好意的ではありません。


実際のところ、ほとんどは僕も音を聴いたことの無いバンドの話ばかりなんですけど、面白かったです。
当の日本人も含めて、今まで誰もちゃんと調べたことの無い時代・シーンについてかなり徹底的に掘り下げた労作であるということと、それを行っている"ジュリアン・コープ"という謎の(笑)イギリス人の知性の働きそのものが、興味深く、かつ感動的でした。"何者?"という感じでした。(笑)
まあ、「奇書」ですね。"奇書"の一つのパターンに乗ってるというか。
つまり「在野」「個人」という立場で、しかしにも関わらず誰に求められているわけでもない高度に緊張感のある「アカデミック」「学究的」なスタイルで書くという。その情念と理性の混じり合いと、なぜあえてそこまで律儀にという"酔狂"さが、正に「狂」を生むという。

訳者によると実際には少なからぬ誤情報や、単なる想像の言い切りが含まれているらしいんですが、しかし著者の態度は一貫して剛球一直線という感じで(笑)、"ネタ"感や"方便"感は微塵も無いです。文体の陰影というか。変な人です。
一応言っておくと、詳細は分かりませんが主に"文化人類学"という形で実際のアカデミズムとの関わりはある人のようです。つまりこれも広くは、"フィールドワーク"の一環ではあるわけですけど。
それで納得出来る感じでもない(笑)。やっぱ謎の人だなあという印象。

とにかくよくぞここまで、こんなマイナーなシーンを限られた情報から調べ上げて全体像を構成して見せるものだな、しようとするものだなと、それ以前によくもここまで興味を持ったものだなと言う。
感じとしては、「西洋の研究者にとってのみ興味深い、"現地"の文化」みたいなところは無くは無いんですけどね。ただ多分特に、"現代音楽"との関連である時期の「日本のロック」に意義や必然性を持たせた、"現代音楽"(と各種左翼的運動)の世界性によって「日本」の音楽を「世界」と繋げた、その視点の提供には、少なからぬ意義があるのではないかと。
・・・結局それは十分に花開かずに、"J-POP"的なガラパゴス化によって、後に日本にロックは「定着」するわけですけどね。
個人的には、所謂"バンドブーム"に乗っかってるような乗っかってないような、ルースターズローザ・ルクセンブルクという僕の好きな二大異色バンドの位置付けが、ジュリアン・コープが描写したようなシーンの"残り香"として理解出来たような気がしたのが、収穫ですかね。
まあ"ブーム"以降のも十分に好きなんですけど、僕は。


以下例によって引用、コメントをして行きますが、何せよく分からない世界の話なので(笑)、単にそれでも僕が興味が引かれたところをランダムに引っ張ってる感じで、ほとんど本の"要約"にはならないと思います。
あくまで紹介という感じで、興味を持った人は図書館ででも、各自読んで下さいということで失礼を。

p.25
新たな西洋のテクノロジーと、ほかにまったく類を見ない独自のナショナリズムの奇妙な混成部隊で武装した日本は、それからの数十年間、マシュー・ペリー意図に反したかたちで開花した。
19世紀末にアメリカの諷刺作家フィンリー・ピーター・ダンが生み出したミスター・ドゥーリーという漫画のキャラクターは、そんな日本のアプローチを端的に表現していた---「問題は、勇猛な提督がドアを蹴り開けたとき、われわれが入っていかなかったことだ。向こうの方が出てきたのである!」

明治維新と文明開化の話ですね。"和魂洋才"。(笑)
ペリー提督には、マシューという名前があったのか。(笑)
"向こうの方が出てきた"というのは実際日本の世界史的特殊性であったろうし、アングロサクソンにとっての意外性であったろうという。
単なる"拒否"でも"受容"(≒植民地化)でもなく、守るところは徹底的に守っての、しかし酷く積極的な取り入れ。
ある意味中国も今それをやろうとしてるのかも知れないですけど・・・なんか違うよな、やっぱり。"華魂"が強過ぎるというか。さほど文化人類学者の興味を引く、複雑性は無いのではないかというか。

p.30
一見すると情け深いアメリカの政策は、実のところ、西洋型ではなく、完全にアメリカ型の民主主義をこの島国に植えつけたいというマッカーサーの野望に由来していた。

こちらは太平洋戦争後の話。
いわゆる"戦後民主主義"に対して、"保守""国粋"の立場から批判する論説は今日溢れ返っているわけですが、それとはまた違った、"イギリス"(人)という立場からの、"アメリカ"(型民主主義)への相対化の視点。
正直内容が具体的にどれだけ違うのか、僕にはよく分からないところも多いんですけど、「その視点は無かったな」という新鮮さはありました。
日本の占領をアメリカが独占したことについては、ソ連や中国が権益を主張し損ねた悔しさを抱えていたのはよく知られていることだと思いますが、イギリスも実は、それに類する感情を持っていたのか。
だとすれば尚更、戦後の日本が「"アメリカの"属国」であるという見方・感情は、世界的に更に強いものであるんだろうなということは、推定出来そうですが。
日本は「西洋」に屈したつもりでいても。

p.70
日本にはヘヴィ級のロック・ミュージシャンがいなかったため、60年代の末ごろには、年季を積んだジャズのリズム・セクションがポップ・ヒットのレコーディングにひっきりなしに駆り出され、おかげでそうしたプレイヤーたちは、音楽シーンが要求する絶え間のない変化を受け入れると同時に、その変化に対応できるようにもなっていた。

"ヘヴィ級"というのは別に観念的な意味ではなくて、文字通り"ヘヴィ"に叩ける、ロックが要求するヘヴィなリズムを技術的に安定的にこなせるということですね。
これは実は今日においても日本の"ロック"バンドのある意味では未だに解消し切れていない弱点で、洋楽と完全に同じ土俵では勝負出来ない、独自の進歩を遂げるしかなかった隠れた理由の一つだと思います。・・・恐らくは残念ながら、"身体能力"的な限界。サッカーと同じで。(笑)
ここで直接的に言われているのは、"歌手の伴奏"という以上の演奏が出来る人が、当時の日本にはせいぜいジャズ・シーンくらいにしかいなかったという、主にそういう話でしょうが。
ただしこれはこれで僕から見れば、英米、あるいは特に他ならぬイギリスのシーンでも、回り回って言えてしまう問題だと思います。
つまり大まかに"パンク/ニューウェイブ"以前と以後で、ネガティブな意味で何が大きく変わった、失われたかというと、"リズムの説得力"ではないかと。そしてそのことに大きく関わっていると思われるのが、"基礎教養としてのジャズ"という要素が、ある世代以降では英米でも失われている、"パンク"による「教養」の価値の攻撃によって。・・・というのが僕の考えです。
教養はね、無いよりはあった方がいいですよ、やっぱり。選択の幅が全然変わる。ポテンシャルが。
逆にそれを"当然"と思わないと、なかなか身に付けるのはしんどいものですけど。"自然"に身に付けるというのが鍵。だからパンク以降では(ひとたび"攻撃"されると)、難しくなる。

p.82
軍隊もどきの几帳面さが、(中略)ベンチャーズはちんぴらなんかじゃないとはっきり表明していた。(中略)効率を崇拝する日本人の快楽中枢をこれ以上やすやすと突くサウンドあるいはこれ以上正確に突くサウンドはなかったろう。

日本の"エレキブーム"について。
これはでもほんとに、"日本の"ものだったようですね。
確かにエレキ/ベンチャーズは、何とも言えず律儀で、痒い所に手が届いて、"日本のサービス業"的な感じはします。(笑)
ちなみに僕が結構後年になって親父のベンチャーズのレコードを聴いてみた時の感想としては、「あれ?これアイアン・メイデンやん」というものでした。メイデン、またはブリティッシュメタル。ヨーロッパ含む。マイケル・シェンカーとか、ハロウィーンとか、古くはウィッシュボーン・アッシュとか(笑)。流麗なリードギター(しばしばツイン)でぐいぐいメロディを引っ張るタイプの。
更に回り回ると・・・YMOかな(笑)。やはりこれも"流麗"。かつ"細かい""律儀"。
ベンチャーズとアイアン・メイデンとYMOを、同じ""で聴く試み。
まあ"メタル"と"テクノ"は、実際相性いいですよ。ヒップホップは駄目ですけど。

p.82
謎めいた仏教セクト、創価学会の音楽班は独自の東京ベンチャーズを結成し、伝統的な日本の軍歌をエレキ化した、活気溢れる応援歌を作り出した。

なんやそれ。(笑)
でもなんかえらい気持ちよさそうだな、それ。
今度探して聴いてみよう。(笑)

p.87
もしかすると、日本の西洋化が完了したのは、コカ・コーラやロックンロールや野球よりも、赤い服を着た陽気なデブが、基本的には仏教の国に受け入れられたときだったのかもしれない。

赤い服を着た陽気なデブ。(笑)
これが"アメリカ"的、つまり"非イギリス"的な、"民主主義"の姿?(笑)

p.268
90年代末、学生運動家上がり幾原邦彦が原作とプロデュースを手がける新たなアニメのスーパースター「少女革命ウテナ」が登場する。シーザーの合唱ロックンロールを好ましく記憶していた幾原は、フーテン全盛期のスピリットを、このアニメ・シリーズの伴奏音楽として甦らせたいと考えた。1998年から2000年の終わりまでの時期に、7枚のサウンドトラックがリリースされたおかげで、J・A・シーザーの名前はふたたびスポットを浴び、ちょっとしたシーザー・リヴァイヴァルがはじまった。

J・A・シーザー!
"7枚のサウンドトラック"、全部買いましたもん、僕。(笑)
(合唱)"ロックンロール"というよりも、純然たる"へヴィ・メタル"だと思いますけどね。



いや、それだけです(笑)。聴く時はとりあえず、ヴォーカル入りのものだけ先にまとめて聴いてみるのがお勧め。
結構俗っぽい音だとも思うんですけど、著者はかなり評価している模様。(寺山修二の)"アングラ"カルチャーとの親密さによるのか、ハードロック全般への好感によるのか。
ただし歴史上の"ハードロック"で著者が積極的に評価しているのは、ブラック・サバスやグランド・ファンクのような"即物"的なタイプのもので、パープル的な情緒的なもの(日本で主に人気のある)はやはり余りまともに相手にしていませんね。そこらへんはまあ、王道的。ロッキングオン的というか。


(コラム?)ジャパニーズロックとサイケデリック

p.370
マーティ 今でも不思議なんですけど、音楽シーンの中にドラッグの影響がゼロみたいじゃないですか。それで、こういうドラッグ関係とか、不思議じゃないですか。
(中略)
マーティ ジミヘンとかグレイトフル・デッドとかそういう人たち、お客さん100パーセントドラッグ使ってる。

巻末についている、マーティ・フリードマン近田春夫という日本のロック通の二人による、本の感想対談。
事実上、無ドラッグ国である日本において、なぜロックのサイケデリック要素は受け入れられたのか、なぜ日本のロックはしらふでサイケデリックたり得ているのか。
英米の人には、リアルに不思議らしい。

そこらへんについての、ジュリアン・コープ自身の記述。

p.15-16
いかに強力であろうとも、音楽が単体で、LSD-25と同等の効力を上げることができると主張するのは、真の意味でサイケデリックな旅をしてきた人間にとって、単なる侮辱以上の意味を持つ

文字通りには、音楽だけでトリップなど出来るはずがないという話。
"サイケデリック"を、体験的に理解出来るはずがない。

p.16
日本の音楽の多くは、オルダス・ハックスリーが最初に定義した「精神を明示する」という意味において、まぎれもなくサイケデリックだ。

にも関わらず。
何だかよく分からないですけど・・・文化的当事者たちにも気付けなかった"体験"の向こうの"本質"を、日本人はその独特の際立った受容力で、直観的に理解して見せたと、そういう話でしょうか。
またしても、和魂洋才というか。(笑)
まあ"サイケデリック"そのものというより、"サイケががったポップ・ロック"だと思いますけどね。それこそ"グループサウンズ"あたりも含めた。ただそれが、意外と「正解」だったらしいという。


特にまとめはありません。(笑)
とりあえず面白そうでしょ?
暇な時にでも、読んでみて下さい。ほんと、暇な時に。(笑)


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テーマ:邦楽
ジャンル:音楽
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