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読書日記(’15.12.10) ~冲方丁、田中芳樹、山本兼一
2015年12月10日 (木) | 編集 |
雑然と。



パロットは、なぜ自分がこんなにも穏やかなのかを理解した。
今いる部屋に対し、不安がないのだ。言い換えれば、部屋をくまなく認識していた。不安をもたらす死角がどこにもない。皮膚に触れる空気を知り、空気が触れる全ての物体を感じ取ることができた。
(p.37-38)

危うく焼き殺されかけた主人公(女)パロットが、サイボーグ手術によって命を救われ、昏睡から覚醒した時の描写。
「穏やか」というからてっきり"トラウマ"とか"メンタル"とかいう話かと思ったら、純粋に「知覚」の話で意表を突かれました。(笑)
・・・まあ、最終的には"メンタル"に繋がる話ではあるんですけど。
人間の"不安感"のおおもとに、視覚野における「死角」の存在が大きく関わっているのではないかという話は、フランス哲学のどこやらかで小耳に挟んだことはあります。
まあそこまで哲学的に遡らなくても、ある分野における自分の認識に、とりあえず"死角"がほぼ存在していない感触があれば、例え全能ではなくても、あるいは状況の不利が小さくなくても、意外と人間は落ち着いていられるものだという、そういうことは言えると思いますね。
ここの醍醐味は勿論、むしろ"哲学"的なレベルの話。サイボーグ手術なり何なりで、人間の知覚能力が大幅に向上すれば、人間の「精神」は変わるのではないかという、SF的な問題意識というか。

「僕らは昏睡中の君の識閾野に接触した。具体的な記憶ではなく、君の潜在意識に。そして全ての技術とプランをぶつけ、コンピュータ上で議論させたんだ。
よく植物状態の患者に安楽死を与えるかどうかの判断基準に使われるものだよ。」
(p.62)

頭の中で複数の"自分""議論"するというシチュエーションは、特に多重人格についての証言ではよく語られる風景で。・・・時に"セックス"すらするらしいですけど、"人格"どうしが。頭の中で
もう一つ、昏睡状態の人の少なからぬ割合が、喋ったり動いたり表現したりは出来なくても、知覚や思考自体は普通の人と同様に出来ていたという話も、これも割りとよく聞く証言で。
これらを併せて、"潜在意識"の「思考」(や「議論」)の実在が技術的に検出可能なものとして認められて行けば、昏睡患者の延命措置の可否を「本人」に決めさせるという医療行為は、実際に実現の可能性が十分にあると僕は思います。
実現されるべきというか。

「マリッジブルーって知ってるか、ウフコック」
「なんだ、それ」
「一度決めたことについて、後からぐだぐだぬかすことさ。個人的な感情がどうとか、自分は大丈夫なのかとか、何が必然で何が偶然なのかとか、そういったことをだらだら考えるんだ」
(p.307)

いや、特に意味は無いですけど、なんかおかしかったので。(笑)
"ウフコック"というのはネズミをベースに作られた、人工の知性体です。
人工知能・・・ではなくて、ネズミの頭脳を人間的に大発展させたもの、なのかな?さらっとしか読んでないので自信無いですが。
とにかくそういう人工の、しかし高度な知性体が、「マリッジブルー」"学習"する様子がおかしかった(笑)。その身も蓋も無い定義も含めて。(笑)



この男は、これが尋常ならざる事態であることをとっくに悟っている。だから自然と真相には触れず、真相が落とす影絵をなぞるような問い方をした。
(中略)
だがこのときも光圀はただ、さらさらと本心とはかけ離れたことを口にした。むしろ共感を与えてもらったことで、ますます真相を語る必要はなくなったと感じた。
(p.12-13)

先ほどのSF『マルドゥック・スクランブル』の同作者(冲方丁)による、今度は時代もの。まだ読み始めたところですが。かの『天地明察』とそういえば同時代の話か。好きなのかな?
察しているどうしの、"察する"能力の高いどうしの、対話の風景。恋人どうしの?(笑)
「この男」というのは、主人公水戸光圀の家臣の一人ですね。
「影絵」という表現がいいなと思います。「影」、でも同じことだとは思いますけど。
"像"や"光"を正確に捉えていれば、その"影"だけでも対話は可能。むしろそれ(をなぞること)によって、より正確に明確に、"像"を浮かび上がらせるような面も。



「兄弟たち、昔からいうだろう。『教わった言葉は話せない、銭があれどもみずからの主張は買いがたい』とな。」
(p.278)

そうなんだ。
これは『三国志』における張飛や、『水滸伝』における黒旋風の李逵のような脳筋ズッコケ系のキャラのせりふなんですが。
そういうキャラですらこんなせりふを口にするんだというのと、そもそもそういうキャラに言わせられるくらいに、こういう言葉が一般に定着してるんだというのと。
中国は「教養」の国であるので"教わ"ることは前提として大量にあるわけですが、一方で「詩」の国でもあるので、自ら言葉を紡ぎ出すこと、あるいは"言葉"そのものへの意識というのは、日本に比べても相当に高い部分がありますよね。
日本の言語文化も、十分に豊かで繊細ではあるんですけど、残念ながらそれに対する意識や批評精神、それによって何かを定式化したり定着させたりという習慣が、どうも決定的に足りないような気がします。
日本語は素晴らしい。しかし日本人は今いち。
とりあえず上(↑)の作者(原作)による『銀河英雄伝説』



でも、基礎"教養"として共有しましょう。(笑)
言葉を"しっかり"使うということの、お手本に溢れた作品です。
・・・ガンダムでもいいんですけど、ちょっと派閥争いが色々と生臭いので。(笑)



琵琶湖では、船の転覆事故が多かった。
急がば廻れ、という諺は、じつは琵琶湖の水難事故の多さを警告したものである。
(p.400)

そうなんだ。(笑)
ただのトリビア。(笑)
2014年に亡くなった山本兼一氏の、最後の単行本作品より。
江戸時代の発明家の一代記ですが、要所要所に、間近に迫った死を意識していたせいでしょうか、ある種の"宗教"心というかそういう世界への関心のようなものが漏れ出ている感じで、興味深かったです。
ちなみに一般には『利休にたずねよ』の直木賞受賞&映画化



で名前が通っている人かと思いますが、あれは愛読者である僕からすると不思議なくらいに、むしろ断トツでつまらない&下らない、少なくとも持ち味の発揮されていない作品に思えるので、もしあれだけで見切った人がいたとすれば短気を起こさないで下さいと、それだけはお願いしておきたいです。
・・・いや、どうもかなり評判悪いみたいなんでね(笑)、映画が。
映画はともかく、"直木賞"ってそういう不思議なところがありますよね。"直木賞作家"はたいてい面白いけど、直木賞の"受賞作品"が面白いとは必ずしも限らない、色々な作家を見ての経験から言うと。

まあ同じ映画化&受賞(松本清張賞)作品でも、『火天の城』



の方は、問題無くお勧めです。


今回は小説づくしでした。


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