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浮浪系サポの見たジェフ千葉
2015年11月26日 (木) | 編集 |
僕は勿論J開幕以来の22年間、ぶーぶー言いながらなんやかやと(笑)ヴェルディの試合を見続けている人間ですが、それ以外にもちょいちょい、折に触れて浮気をしています。

具体的には、

'06~'10 浦和レッズ (参考)
 ・・・ギド、オジェック、エンゲルス、フィンケ時代
'08~'13 FC東京 (参考) (参考)
 ・・・城福、第2次大熊、ポポヴィッチ時代
'13?~'15 ジェフ千葉 (参考)
 ・・・鈴木淳、関塚時代

といったところ。
浦和レッズについては、'06ギド・レッズに惚れ込んでその流れで、別ブログを立てて完全にヴェルディと並行で、ACL等も含めて期間中びっしり、見られるものは全試合見てますね。
FC東京については、積極的に興味があったのは城福時代のみですが、それで生まれた愛着とMX中継の存在によって、少なくともホーム戦に関しては期間中ほぼ全試合見てるはず。
千葉については鈴木淳時代のどこらへんから見だしたのかあんまりはっきりしないんですけど、'13年はちょくちょく、'14年以降はびっしり、くらいの感じですかね。更にそれ以前からも、近隣オリジナル10の同僚(笑)でありかつJ2降格後のズッ友として、他のチームよりは注意して動向や試合を見ていたはず。

とにかくそういう"実績"を元に、つまりヴェルディ・レッズ・F東との比較という観点から、僕が感じたジェフというチームの特徴/特異性を言語化してみると・・・

 "チーム"の実体の不在」

というようなものになりますかね。
これは要するに、ジェフ・サポの口からよく聞かれる「ほとんど毎年ゼロから始まりになる」という嘆きの、言い換えではあるだろうとは思います。
そう分かりつつも言いたくなる、体感的に奇妙(笑)なものがあるということなんですが。


ヴェルディを筆頭に一つのチームを長く見ていると、自然一つの流れの中での多くのチームを見る多くの監督を見る、言い換えると多くの"監督交代"を見ることになるわけですが。
その際に起きる現象・反応が、ジェフの場合独特に見えます。

つまり新しい監督が来た時には当然新しい選手も来る、入れ替えがある、その監督が連れて来る馴染みの選手や新構想に基づいて要望して獲得する選手が来て、あるいはその構想から外れた選手やそもそも"監督交代"が必要なようなチーム状態の中で役に立たなかった選手は、当然契約を切られる、そうして"新チーム"は動き出すわけですが。
勿論新しい戦術新しい方針も、導入される。

しかしその一方で、既存戦力や既存チームも活用しないと戦えないし、また新しい刺激によって既存の要素が活性化されて新たな一面を見せたり立ち上がって来たりと言いうことは、特段新監督が意図しないでも多かれ少なかれ起きて来るものであると思います。・・・少なくともヴェルディやレッズやFC東京ではそうでした、それが当たり前だと思ってそんなに意識したことはありませんでした。
それがジェフでは・・・どうも違うようなんですよね。ほとんど起きないように見える。勿論比較の問題ではありますが。全く無いなんてことはあり得ないと思いますけど。
ただどうも、一言で言うと、監督が交代するごとに、毎回毎回、ほとんど"新監督"と"新戦力"だけで、戦ってるように見える。(でなければ戦えてないか)

僕がマメに見ていたここ2,3年で言えば、今年獲ったパウリーニョ・ペチュニク・金井・水野はそれぞれ十分に主力級の活躍をしたと言えると思いますし、途中加入の安と富澤もそれなりに存在感は示した、更にその後獲った松田などはほとんど救世主的な活躍を一時はしました。"補強"としては、J1J2全クラブの中でも最高クラスに頑張った方だと、普通に見れば評価されるのではないかと思います。
その前年には中村太亮と山中亮輔がいますし、また前年にはケンペスと森本という加入があって、ありていに言って"ジェフ"と言ってまず浮かぶ選手の顔・名前は、毎年ほぼ新加入選手ばかりみたいなところはあると思います。・・・特に2011年のオーロイあたりから、その印象は強くなったですかね。オーロイのインパクトが強かっただけに、いなく(主力を外れて)なってからの空っぽ感が。(笑)

既存選手たちが何もしてないなんてことは勿論ないわけでしょうが、概ね例年力の入った補強をしても思ったようにチーム力が上がらない理由として、既存要素の頑張りや持ち上がりや活用が慢性的に不十分である、そのことを大きな要素として挙げるのは、的外れではないのではないかと思います。
"活用が不十分"というと監督の責任的に聞こえるかも知れませんし、またそういう"目立つ"所以外の編成が下手だという声も例年聞こえることが多いわけですけど、ただより僕の印象として強いのは、(新)監督の"働きかけ"に対する既存選手の"反応"の鈍さなんですね。ぶっちゃけ監督可哀想だなと、孤独だなと、去年の関塚監督や、その前の鈴木監督を見ていて思ってました。
今年の関塚監督の"惑乱"ぶりも、その「孤独」感が一因をなしているのではないか、呼べと応えない選手たちを前にして、"チーム作り"ではなく"策"の切り貼り(と新戦力のさみだれ式投入)で誤魔化すしかないと、そう追い詰められた結果なのではないかと、そう同情している部分も僕はあります。
その前の鈴木監督の異様な忍耐力(笑)と対照的ではありますが、前提となっている事態は同じかと。チームの反応の鈍さに諦めるか、それとも状況度外視していちから再教育を試みるかの違い。

少なくとも僕は、あれほどの"孤独"にヴェルディの歴代(新)監督たちが耐えているのを見たことは、ほぼありません。あれほどの"チーム"の不在を、地盤の不在を。チーム状況は様々なれど、そこには常に必ず、"活用"すべき既存資源がありましたし、働きかければ応えてくれる選手たちがいた。
・・・強いて言えば2006年最初の降格直後の、李組大量脱走による文字通りの寄せ集めのメンバーでシーズンを迎えたラモスくらいでしょうか。まあラモス自体が"地盤"みたいなものなので(笑)、それもそれほどあからさまではなかったと思いますが。
ついでに言うと翌'07年は「フッキ・ディエゴ」等の獲得による、今年の千葉ばりの"新戦力"サッカーで見事昇格を成し遂げたわけですが、しかしその時にも(既存戦力である)飯尾・廣山の両サイドハーフとしての新境地のような"活性化"が大きな助けになっていて、やはり「チーム」の力というのはしっかり活きていたと思います。古井戸の底にも、しっかり飲める水は残っていたというか。ジェフ的に言えば。(笑)
後はまあ、"文化摩擦"に苦しんだ、'09年の高木監督とかかなあ。でもその時にもそれを解決したのは、レアンドロという"既存戦力"でしたし。

そういう意外性や期待感が、ジェフの場合はほとんど無い。あっても低レベル。
だから"新監督"と"新戦力"で常に戦ってると、そういう印象になってしまう。
繰り返しますが比較の問題なので、ジェフだけを主に見ている人にどれだけ通じるかは、よく分からないところはあるんですけど。とにかくヴェルディやレッズやFC東京での経験から得られた"基準"を元にジェフを見ていた僕は、端的にびっくりしたということです(笑)。こんなことってあるの?こんな1から10まで面倒見ないといけないしんどいチームってあるんだと。(ごめんなさい笑)
正直ジェフの監督は、僕もやりたくないです(笑)。成功出来る自信がありません。
・・・補強資金50億用意してくれるなら、やります。(笑)


少なくともJ2に戦いの舞台を移して以後は、他チームに比べてジェフの"既存"戦力のレベルが個別に著しく低いなんてことはあり得ないわけですから、要はそれらを"チーム"として"地盤"として形成する、「文化」力みたいなものの問題だと考えられるわけですけどね。

で、ここからはかなりスパンが長いので大雑把な話にはなると思いますが、J開幕以来のズッ友としてのジェフの歴史を振り返って、僕なりに今日の状況に至る原因・経緯的なものを考えてみたいと思います。


1.J開幕以降しばらく('93~'00年前半あたり)

開幕前後で印象に残ってるのは、川淵チェアマンが古巣(笑)を心配して「ジェフには目玉/中心が無いのでどうにかして欲しい」という趣旨の発言をして、それに応えるような形でリトバルスキーがやって来てめでたく中心が出来てチームの体裁が整ったという、そんないきさつですね。
ここから既に、"新戦力""新外国人"頼みの「チーム」感の薄さという体質は存在していた・・・と言い切ってしまうには、余りにも話が古いですが。(笑)

まあサポ的にはともかく、外野的には、それ以後もジェフ市原というチームは時折オルデネビッツとかマスロバルとかの面白い外国人が来る、他には突然城彰二なんて"高卒新人"が活躍した、そういうチームという以上の存在感はあんまり無かったかも知れません。単純に弱かったというのもありますし。
他に中西永輔なんてのもいましたけど、彼の場合は彼自身が、余りに収まりどころの難しい不思議なでも超人的な選手だったので、"外国人"と言えば外国人みたいな感じでしたし。(笑)

その中でも'96年の山口智あたりに始める下部組織輩出選手の独特の優秀さというのは見え始めてはいたんですが、時代的にもまだそんなにそこらへんの注目度が高くなかったので、マイナーな現象にとどまっていたというところはあると思います。
フェルシュライエンのインタビューとか、好きでしたけど僕。(笑)


2.ベルデニック~オシム('00後半~'06年)

僕が初めてチームとしてのジェフの存在を意識したのは、「ベルデニック+崔龍洙」のタッグからですかね。
なんか力技っぽいし(笑)、直接的には上で言った下部組織系の選手たちの作り出しかけていた繊細というか文化系(?)の流れを蹂躙するような印象も無くは無かったわけですが、結果的にそれなりに成功もしましたし、「外国人選手展示場」や「育成実験場」という趣味のレベルを越えた存在感を、チームにもたらしたのは確か。

ただその"初めて"が「新監督」と「新戦力」(新外国人)によってほぼ一方的にもたらされたものであるというところに、今日へのレールが敷かれていたという側面はあると思います。
その後ベングロシュを挟んでいよいよオシムの登場となり、オシムは勿論、阿部勇樹を筆頭とする下部組織出身選手という"資源"を有効活用して強力なチームを作り上げて行ったわけですが、同時にオシム自体の余りの存在感の巨大さが、「ジェフ市原」であることよりも「イビチャ・オシムのチーム」であることの方にアイデンティティを傾けさせていたと、そういう性格はどうしてもあったと思います。

ベングロシュや更に更に前のザムフィールあたりも含めた外国人監督たちの"エキゾチズム"を併せて、「外国人選手展示場」から「外国人監督展示場」に、看板がかけ替わっただけというか。(ごめんなさい(笑))


3.オシム後~現在('07~'15年)

いいのかな、こんなざっくりした括りで。(笑)
とにかくオシムが去って、その後順次オシム期を彩った生え抜き系の選手たちがあらかた流出して行ったことによって、本来そうであった以上に「外国人監督ありき」というアイデンティティの骨抜き感が、強められてしまったところはあるでしょうね。なまじ"オシム"で力技のピークを作ってしまったゆえに、"優秀な下部組織"がもたらすはずであった継続的アイデンティティが、流産してしまったというか。

ちなみにもうめんどくさいので、その後の歴代監督一覧。

'06-'07 アマル・オシム
'08 ヨジップ・クゼ→アレックス・ミラー
'09 アレックス・ミラー→江尻篤彦(J2降格)
'10 江尻篤彦
'11 ドワイト・ローデヴェーヘス→神戸清雄
'12 木山隆之
'13 鈴木淳
'14 鈴木淳→関塚隆
'15 関塚隆

こんなんなってたのか。ようやく把握した。(笑)
この間に起きたこととしては、戦術的にはミラーとドワイトという、栄光のオシムサッカーとは真反対というかとにかく極端なスタイルの監督の起用とその不発、その一方でオシムサッカーへの追慕とJ2降格で相対的"強者"となってしまった事情が複雑に絡んだ定期的な"パスサッカー"志向もあって、その矛盾とまた不発。
選手的には最初にも言った、特にJ2降格以後の相対的に優位な補強戦力の導入の繰り返しと、それへの依存の常態化ということがあるわけです。
戦術的な迷走となまじ買える高価な"お薬"への依存、それによるチームの地力の空洞化。
現象的にはこの認識で、大きな間違いは無いんでしょうが。


問題は、ないしは僕の関心としては、僕の感じているようなその時々の"既存"部分の独特の不活性は、どのように形成されたのかどこらへんが起点なのか。
最初からなのか、ベルデニック&ヨンスの外の血による"荒療治"が成功してしまった時からなのか、そのベルデニックとオシムによって、「監督依存」体質が決定的に刻印されたことによるのか。
あるいはオシム後、オシムショックによる相次ぐ選手流出が、自然に形成・維持されるはずのチームの実体性を崩壊させてしまったからなのか。または単純に流出"しなかった"、残った選手たちの質や自尊心が低くて、物心両面で「文化」を形成するには足りなかったのか。そこに降格後の"補強"が拍車をかけたのか。

まあ何とも言えないですけどね。本当に見てるのは、ここ2,3年ですし。
ただ論理的に、サッカーチームのような戦闘集団において、「文化」やある程度固定的なスタイルが形成されるには、"成功体験"が先行するはずなので。つまり、"勝った"からこそ、"定着"するわけで。定着する価値が生まれるわけで。
そうい意味では、ベルデニック以前に文化が生まれなかったのは(生まれなかったとしても)、当然であるというか"当然"のこととして、想定出来るというか。

その"勝たせた"ベルデニックがおよそ力技の人で、チームの資源を活かしてスタイルを形成するようなタイプの監督とは程遠かったこと、次に勝たせたオシムも、個人的に凄過ぎて再現・継承困難だったこと、またイレギュラーな退任によってその道筋をつける余裕も与えられなかったこと。
更に僕の考えでは、「下部組織」という"継続性"も、その流れの中で定着し損ねたという、そういうことがあったと思っているわけですが。

残ったのは、(次の)"監督"が何とかしてくれるという他力本願な期待の習慣と、その監督の指示を待っている選手たち。
自らの成功体験を、"自ら"のものにし切れなかった、黄金時代をある種他人事として過ごしてしまった選手たち。(想像)
以後は1年1年、それほどでもない監督たちに順番に仕えながら、運営のどたばたにも振り回されながら、勿論"成功体験"にも恵まれずに、文化形成の契機も材料も与えられずに長い時間を過ごして、その"継続性"(酷)の中で不活性と受動性という「文化」だけは形成されたと、あえてまとめればこんな感じでしょうか。


一応筋は通した、材料は提供したつもりですが、言い当ててるのかどうかは今いち心もと無いです。
もっと勝ててないチームは当然Jリーグには沢山あるわけで、それらと比較したわけでもないですし。
・・・古河電工まで遡ったら、そこに始まりがあったりして。(笑)
ヴェルディもレッズもFC東京も、歴史的にそれぞれかなり優れたところのあるクラブではあるわけでしょうし、比較の対象に問題はあるのかも知れない。
とにかく言われるところの「毎年作り直しになる」ジェフ、あるいは「ジェフの選手たちは大人しい」と言われる特徴、そこらへんを僕なりにまとめてみると、こんな感じになります。

処方箋としては、勿論一つには、よく言われるように腰を据えて戦術的継続性を作り出してみることがあるでしょうね。まあどのクラブがやっても、成功したり失敗したり、なかなか容易なことではないですが。
"じっくり"やらなきゃいけないと同時に、上の僕の理屈によれば、ある程度"結果"も出ないと定着しようも無いわけですから。
もう一つ僕がお勧めするのは・・・貧乏になってみることです。(笑)
買って来れなければ、ありものでどうにかするしかないわけですから、そこに不可避的な"掘り起し"作業が行われて、「文化」と呼び得るある程度無意識レベルへの浸透も起きようというものです。あるいは監督の偏屈にも、付き合う根気や契機が生まれるというものです。半端なプライドも、捨てられるかも。
貧乏になりましょう、そして余った分はヴェルディに下さい。(笑)

聞くところによるとあんまりフロントのサポートを得ないまま(擬似貧乏)、およそ向いている選手が多いとも思えない"ありもの"の陣容でコツコツと遠大にパスサッカーを仕込んでいた鈴木監督は、ある意味ではその通りのことをやっていたとも言えるかも知れなかったですけどね。
基本的にはクラブぐるみでやらないと無理だとは思いますけど、他クラブの今ある"文化"だって最初は結構偶然から始まってたりする(笑)ので、上手く("鈴木淳"という)「偶然」を活かせてたらなと、後で思うことは多くなるかも知れません。ならないかも知れません。

まあ繰り返すように、"勝ってこそ"の文化という面は大きいので、次に"勝った"人が文化を作るのかも知れませんね。
願わくばその時の監督が、あんまり大物でないように。むしろ。(笑)


・・・と、敵の応援をしててもしょうがありませんが。
来年もお互い頑張りましょう。(笑)
言いたかったのは、ジェフの監督は"孤独"だよ」ということです。(笑)


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
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