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読書日記(’16.12.21) ~年末在庫一挙放出
2016年12月21日 (水) | 編集 |
久しぶりに「国家神道」とは関係の無い、ただの"読書日記"
あっちにかまけている間に知らない内に溜まってたのを、なるべく気楽なネタの順に放出。頭使いたくない!(笑)


まずは小説系まとめて。


「人が臥起をくりかえすように、心も臥(ね)ているときと起きているときがあり、臥(ね)ているときには、なにをいってもむだかもしれません。
今日は、公の心が起きていたのです」
(p.98)

毎度お馴染み宮城谷昌光さん。
心が寝ている時と起きている時か・・・。上手いことを言うな。
この人の言うことはいつもほぼほぼ説教なんですけど(笑)、言い方がエレガントなので素直に聴けるというか、むしろ耳に心地良いというか。
そおっと知らない内に、心を起こしてくれるというか。
そうですね、寝ている時に、あるいは寝ている相手に、何を言っても無駄かも知れませんね。起きる時を気長に待つか、気長に起こすか。
・・・読んだのは少し前なのでうろ覚えですが、状況としては多分、名軍師張良が漢の高祖劉邦に、"部下の進言を聴くこと"について何か話している的な場面だろうと思います。

人は憎まれているうちはまだよい。が、怨まれるようになってはならない。
(p.176)

ご高説、その通りですね。
"憎む"と"怨む"との間には、一つ"スイッチ"の切り替えがありますよね。
"憎む"ならまだ「動機」の範疇ですけど、"怨む"となるともう、「行動原理」として固定されてしまう。
双方の正当性が、最早問われなくなるというか。



「たしかに理詰めで合戦はできぬ。しかし、まずは理を立てねばならぬ。
理の無い戦いを、無理というぞ」
(p.195)

こちらも常連の、山本兼一さん。ただし故人。
当たり前のことを言っているようですけど、これもまあ、"言い方"の問題。
「歴史もの」の魔力というか。・・・『真田丸』、面白かったですか?(笑)。(例によって見てない)
でもまあ、この"理を立てる"ことと一方で最終的に"理詰めで戦いはできない"ことと、この双方をきちんと押さえれば、サッカーのチーム作りについての理念なんて問題も、それで"足りて"しまうような気はしますが。
それがなかなか難しいんでしょうね。
ただそれにしても、"どちらか"しか言わない言説(&監督)が多くて閉口しますが。
・・・立花宗茂とその妻の女傑誾千代(ぎんちよ)についての、美しい物語。
"大河"にはちょっと、マイナーか。(笑)



「教えすぎなのですよ」
「教えすぎ・・・・・・?」
「もう一度言います。師の責任というのは、本物を見せてやること。それだけです。あとは弟子の問題です。」
(p.234)

こちらは初登場、今野敏さん。なんか似たような名前のアニメ監督がいた気がしますが・・・ああ、あれは"今敏"さんか。(笑)
ミステリー作家として有名らしい(Wiki)んですが、これは準時代小説というか、明治初期の沖縄空手の話。
あとは弟子の問題。とりあえずはまあ、文脈によるという感じではありますが。
ただ一つの理想的な師弟関係ではあるよなとは、文脈抜きにしても感じはします。

で、これはどういう小説かというと、沖縄で黙々と伝統空手を学んでいた青年が、いつしか知らず実力を蓄えて、時代の要請で沖縄空手の"近代化"や本土への普及に苦心する話。モデルは実在の人物です。
なかなか面白かったです。後の極真の隆盛によってすっかり悪役というか時代の遺物扱いされるようになってしまった"伝統"空手の、極真とは全く違う角度からの、伝統空手なりの「時代」との格闘の話。
特に新鮮だったのは、極真から"ダンス"と馬鹿にされもした「当てない」空手、その極真の"実戦"主義とは対極にある、当てないどころか本来組手すらしない「型」に専心するタイプの伝統空手の、伝統空手なりの"本物"性の主張が、結構説得力を持って描かれていたこと。「型」が"ダンス"なら、「組手」"スポーツ"なんですよね、伝統側から見ると。実際「組手」をメインとする武道というのは大きくは講道館柔道が始めたもので、最初から一種の"スポーツ"的楽しさ、それによる普及を意図していたところがある。それを更に真似したのが「組手」派の空手で、その究極が極真と、ざっくり位置付ければそういう話のよう。
で、上では"対極"と言いましたが「型」の空手が「実戦」で弱いかというとそんなことはなくて、型を極めずに目先の技を追って半端に組手ばかりやっている流派、空手家が、型だけやり込んでいる空手家に全く敵わない的な描写も、この小説には出て来る。(小説ですけど(笑))
その真偽を僕が見極めることは出来ませんが、でもサッカーでもあるでしょ?「紅白戦」メインの練習をしている一見"実戦"的なチームが、「戦術練習」メインのチームに歯が立たない的なケースが。「組手」の"実戦"性というのは、場合によってはそういうものであるということ。

とにかくそういう話なので、「本物」の型を「見せて」やるのが師の一番の仕事だという上の話も、それなりの説得力は持って来るわけですね。正確には少し違う、もうちょっと入り組んだ話なんですけど、それはまあ、読んでみて下さい。(笑)



 その月に箱館を訪れた英仏軍館の館長が、榎本に面会を求めて来たので、榎本と永井玄蕃が運上所で会うと、艦長がフランス、イギリスの在箱領事を立ち会わせた上で、一通の文書を読み上げた。横浜在留の両国公使の署名があり、エゾ地を「デ・ファクト」の政府、つまり榎本軍が実効支配している新政府として国際的に承認したことを語っていた。
 榎本はこの島は天朝の統治するところで、われわれが新政府と呼ばれるのは心外だと断り、新政府への歎願書を届けることを二人に依頼した。
(p.198)

高橋義夫さん。この人も目についたものは、片っ端から読んでるな。時代小説の名手の一人。
"榎本"は勿論、榎本武揚ですね。主人公ではないんですけど。
英仏が榎本軍の蝦夷地の"実効支配"を認めようとしていたという話は面白いですね。またそれを、榎本が断ったというのも。・・・だから後に、反乱軍なのに明治政府に叙爵されたのかな?
それが当時の国際常識なのか、それとも英仏による日本分断の陰謀なのか。(笑)
まあこれは、ただのトリビアの類。どのみち榎本軍に、何か"先"があったようには見えないですし。
榎本武揚という人も、優秀なんだかぼんくらなんだか、よく分からない人という印象。


それから非"小説"系。


ローマ帝国の官僚機構のように、キリスト教においても(略)カリスマは世襲制によって引き継ぐことはできなかった。(中略)何世紀ものあいだ、教会は聖職者の地位を世襲制にしようともくろむ国王や封建勢力と懸命の闘争を展開した("聖職叙任権闘争")。
この問題を最終的に解決するために、グレゴリウス十世などの改革派法王たちは、司教の叙任権を自己の手中に握り、聖職者の独身制を義務化したのである。
(p.137)

以前紹介した本です。
これもトリビア系ですが。ほへえ。
何が言われてるかというと、政治的問題で聖職者を世襲にしたくないカトリックが、物理的にそれを不可能にしようと聖職者に"独身"を義務化し、それが回り回って(そこらへんがこの本の主題ですが)「禁欲の美徳」として西欧キリスト教社会を支配したという、そういう話。
まあそれだけでもないんでしょうけど。にしてもひでえ話だな。(笑)
とりあえず"上"にいる人たちが「道徳」を強いて来る時は、ろくな動機は無いですよ。これはもう、目をつぶって石を投げても当たる類。(笑)
古今東西・・・というか、東で投げた石が西で当たっても、大過無いというか。
ああごめんごめん、でもこの前そっちが投げた石がこっちで当たってたから、おあいこね、構わないよね?(笑)

一番メジャーなのは、こういうパターンか。


田舎の福知山藩でも、徳川の寛政の改革が失敗に終わりますと、たいへんなあおりを食って、逆に藩政を緊縮一本にしぼっていく。(中略)朽木倫綱という当時の城主みずからが、藩の領民に、自筆の訓辞を出して、節約しなければいかんとか、親には孝行しなければいかんとか、親切にせよとか、いろいろな細かい訓辞をしております。
 これはだいたい政治家が自分の政治の悪い面を棚に上げて、領民にそういう道徳的なものを強いるということは、たいへん矛盾しています。(中略)これはいまも昔もあまり変わらないと思います。
(p.94)

これも以前紹介した、金光・大本・日蓮宗・浄土真宗の代表者が戦前戦中の宗教状況を振り返って対談している本。この発言は・・・確か金光教の人のだったはず。
まあ直接宗教の話とかとは関係無いですけど、マイナーかつ具体的な例で面白いかなと。"関係無い"だけに、真実味があるというか。
制度の不備を個人の頑張りに責任転嫁する。ダメ、ゼッタイ

ついでにそこで出ていた話。

当時の小学校は、満六歳から満十四歳の八ヵ年で、これを上下二等各四年に分かち、各自八級から一級に至る制度をとっていました。また当時の小学校は実力編入制を採用していました。
(p.145)

これは大本教の人が言っていたはず。子供時代の王仁三郎が秀才で、"飛び級"したという話の中で。
例えばWikiの"飛び級"の項を見ると日本の話として、
 1947年の学制改革以前は、ある程度制度的にも飛び級が可能であった。(中略)
 6年制の尋常小学校5年修了で旧制中学校に入学出来る仕組(いわゆる五修)があった。

などと書かれてますね、確かに。
1947年ということは、ほんとに戦後になって、学制は悪い意味でも、固定されたんですね。
"アメリカ"と言えば"飛び級上等"の印象は強いですが、GHQの方針は違ったよう。
まあ、トリビア豆知識というか。(笑)
詳しくは最近ますますご活躍の("引退"という話はどこへ?)池上さんにでも、聞いてみましょう。(笑)


だいたいこれで、分量的には十分かな。
"重い"のはいくつか手つかずで残してますが。
いやあ、これくらいだと楽だなあ、読書日記は。
年明けたら、また神道も頑張ります。(笑)


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テーマ:読んだ本
ジャンル:本・雑誌
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