いや、ほんとに忘れてるんですけど(笑)。メモだけしたまま。
というわけで特に繋がりは無いですが、溜めててもしょうがないので。
ジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー 戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか』
本自体は以前紹介しました。イギリスの気持ち伝説的なロック・ミュージシャンジュリアン・コープによる、日本のロックのかなり独創的な研究書。(の、紹介しそびれた部分)p.64-65
シュトックハウゼンは鈴木に、新しいテクノロジーと、それに魅力を感じる自分がいるせいで、「とても人工的なやり方」でサウンドづくりをせざるを得ないのだ、と告白した。(中略)
「わたしにはあなたが、これこれは人工的でこれこれは自然だと称する理由がわからない・・・・・・人工的と言えるのは、あなたが自分の内なる確信に逆らったときだけです。あなたの今のやり方は、そのままで完全に自然ですよ」
シュトックハウゼンというのは高名な現代音楽家で(Wiki)、"鈴木"というのは恐らくは最も海外で有名な日本の禅僧・仏教学者であろう、「鈴木大拙」のことです。
その二人の間でどういうやり取りがなされているかというと、ついつい好奇心に負けて新しい"テクノロジー"を使いがちなシュトックハウゼンが、それは「人工的」で不自然な、根拠の薄い行為なのではないかと悩んでいると告白したのに対して、心からやりたくてやってるならそれは全て「自然」なことだよと鈴木大拙が慰めた、お墨付きを与えたと、そういう話。
僕が解説するとしたら、
1.表現者は常に自分なりの"自然"を求めていて、その"自然"が既存の形式に上手く収まらない時に、必要に駆られて逸脱や"実験"が始まるのであって、変格や目新しさ自体が目的なわけではない。
2.欲望や感情は勿論のこと、観念や思考さえも基本的には一種の"自然"現象として自分の中に「発生」するのであり、内容の是非はどうあれ"それ"に従うのは、少なくとも自然から離れた行為ではない。
・・・といったところでしょうか。前者はシュトックハウゼンの動機と不安の理由を、後者は鈴木大拙の「回答」の背景を、説明しているつもりです。
まあ1.はだいぶ建前的ではあって、多くの、あるいは"凡百の"表現者は、実際には名声を求めて"新奇性"や"革新性"、少なくとも流行遅れではないことのアピールに必死であるわけでしょうが、シュトックハウゼンにとっては(現代)音楽はそういうものではないらしい。
2.は分かり難いかも知れませんが、"確信"や内的思考の、一種の「異物」性ですね。外来性というか。意識にとっての。"自分が"考えたわけでは本当はなくて、ただそうあるようにそこにあるだけだから、「人工」の余地は少なくとも無いという。
"思って"もいないことを言ったりやったり、人の目や耳や流行に配慮して原アイデアから離れ過ぎたアレンジを施してしまうと、それは「人工的」で「不自然」なものになり果てる。あなたはそうではないと、鈴木大拙は言っている。(はずです)
阿基米得『謎のカタカムナ文明 ~秘教科学の最終黙示』
上と直接の関係は無いかもしれませんが、こちらも「内的思考」、前意識的思考と、意識や人格との、容易に捉え難い関係性の話。p.26-27
だがいくら五感を超えた超感覚があっても、それ自体では高度な認識は絶対に獲得しえない。
このことは、いわゆる超能力者とよばれる人々を観察すれば充分に明らかなことである。彼らの大部分はペテン師であるが、残りは確かにわれわれにはない超常的な能力をもっているようではある。だが、彼らに共通して見受けられることは、彼らの語る内容には恣意的な解釈と自己顕示欲がどうしようもないほど入り混じっているということである。
・・・と、その前に、何じゃこの本はという話ですが。(笑)
カタカムナ文明という、固有の科学体系や言語体系を持っていた一部では有名な超文明の紹介を中心に、オカルト・陰謀論系の様々なトピックをまとめて解説&ぶった切った感じの本です。
力説している部分と批評している部分と半々で、上は専ら"批評"している部分。
言っているのはどういうことかというと、例えどんなアイデアだろうと天啓だろうと、どんな素晴らしい"霊感"が来ようと、結局はそういう前言語的な情報を言語的意識的に処理する能力の問題は避けられなくて、馬鹿は馬鹿だし下司は下司、仮にインチキではなくてもその部分がお粗末だったり無頓着だったりすると、(社会的に)価値あるもの認められるものは生み出せないと、そういう話です。
猫に小判、豚に真珠、"恣意的な解釈と自己顕示欲"に"超感覚"。
・・・サッカーでもありますね、何でこんな奴にこんな才能が宿ってしまったんだ、せっかくの才能だけど多分この選手はそれを一生活かせないぞと、そんな悲しい気持ちにさせられることが。(笑)
シュトックハウゼンの話と共通しているのは、アイデアや内的衝動そのものよりも、それの取り扱い方、自分自身のそれとの"対峙"の仕方、そちらの方に事態の本質があることが、往々にしてあるという構図です。
まあアイデアや衝動の"無い"人というのは、実際いないわけですしね。後は拾い上げるかどうか、どう拾い上げるか。
中島厚志『大過剰』
話だいぶ変わって。(笑)p.95
EU離脱を選択したイギリスでは、大学教育を受けている人々の割合が国民では23%なのに対して移民では45%に達しており、ドイツやフランスといったEU当初加盟8ケ国からの移民の36%はもとより、中東欧出身者が中心となるEU移民の43%よりもさらに高くなっている。
23%とは低いですね。
ちなみに日本はというと、男女共に50%越えです。(参考)
教育内容を考えると、どちらかというと日本が無駄に高い(笑)という面の方が大きいんだろうと思いますが、いずれにしても移民の方が"倍"の進学率というのは、おそらくはかなり"従来"国民の神経に障る、危機感を煽る数字ではあるでしょうね。僕でも多分、気になる。
"EU離脱"選択時の各種報道では、まだ"単純労働の職場を奪われた"的なイメージでの、反移民感情だったように記憶していますが。
・・・以上評論部門。ここからは小説部門。
吉川永青『戯史三國志 我が糸は誰を操る』
「良い玩具(おもちゃ)を与えられた子供のような邪気」。いいスね(笑)。いい表現。p.109
曹操も劉備の変化を感じ取ったらしい。
全身から、良い玩具(おもちゃ)を与えられた子供のような邪気を発散している。
"男の子"魂メラメラ。
吉川永青『戯史三國志』シリーズとは、魏パート陳宮、呉パート程普、蜀パート廖淳という、何とも渋いというか地味(笑)な武将を主人公に三国それぞれの視点からの三国志を描いた作品で、読む前は正直舐めてましたが、「まだこんな書き方があったか」と結果かなり驚かされた新鮮な"三国志"でした。
人物造型や拾い上げがいちいち意外でしたし、どちらかというと知将を中心に、かなり"戦術"のディテールが細かいのが特徴的。
といって所謂ゲーム的あるいは理系的な作品ではないんですけど。むしろ"真っ当"という印象。今まで書かれなかったことの方が問題かも知れないという。
陳宮がいい奴で曹豹が使える奴ですからね。驚いた。(笑)
吉川永青『戯史三國志 我が槍は覇道の翼』
前に水滸伝を読んだ時に、(後に)梁山泊に集まるような食いつめ者や流れ者が、何かと言うと「牛肉」を食いまくるので、いったいどうなってるんだ中国ではそんなに牛肉って気安く食べられるものなのかと少し不思議だったんですが、なるほどそういうことか。「牛肉」は牛肉でも要はそこらへんをうろちょろしている水牛、少なくとも食用の"肉牛"ではない野良(笑)の食材を、てきとうに潰して庶民は食ってたのか。むしろ「豚肉」や「鶏肉」の方が、食用に育てられた高級食材である率が高いと。p.12
黄巾党とはいえ、将となれば飯も違う。上等な豚肉や鶏肉を食うこともできるのに、程普は下等な水牛の肉を好んだ。硬く筋張った牛肉を嚙み締めるごとに気が引き締まり、戦場に赴く緊張が胃袋から総身に染み渡る気がするからだ。
Wikiを見ると水牛はそもそもアジア原産で、実際ありふれた"潰し"の利く動物だったみたいですね、なるほど。疑問が解けました。(笑)
篠田節子『インドクリスタル』
何度か書いていると思いますが僕の最も敬愛する女性作家である篠田節子さんによる、現代インドを舞台にした、ハイテク用高純度クリスタルの原石をめぐる日本のメーカー・商社や現地の諸勢力の苛烈かつ複雑怪奇な争奪戦を描いた作品。p.142上
なぜかって?日本人に社員は扱えても使用人は扱えないんだよ。戦後六十年の平等主義が骨の髄まで染みこんでいるからな
今日の地球上で恐らく最も理解の難しい「国」であるインドの、"色々な面"ではなく"全体像"を、「小説」という形式を生かしてともかくも一回描き切ることにチャレンジした力作と、とりあえずはそう評しておきます。
どんな底なし沼にもとりあえず"溺れ"ない算段を見つけて見せる、相変わらず驚異的な耐久力の知性と感性の持ち主で、今回は特に脱帽でした。
上は何というか、この作品に嫌ってほど出て来る、日本人の常識が"インド"に通用しない例の、比較的分かり易い一つ。
日本人は「社員」を"奴隷"のようには扱えても(社会風刺)、「使用人」を威厳を持って扱うことは苦手だという。そういう経験、ないし"教養"が無いから。
まあ一般に"平等"観というのは、当事者間で共有されないと余り機能しないんですよね。良かれと思っても戸惑われるだけというか。
M奴隷の人はノーマルの人が相手では満足出来ない的な。(?)
他にも色々あったんですけど、PCが壊れた時にどっか行ってしまいました。
それに懲りて今更ながらwebストレージというものを導入してみたんですが、使い方があってるのかまだ自信が無い。
いちいち預けるのかと思ったら、勝手に同期してくれるのか。