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映画 『永遠の法』&『神秘の法』
2016年05月09日 (月) | 編集 |



1. 映画 『永遠の法 エル・カンターレの世界観』 (2006)

以前紹介した『アニメが「ANIME」になるまで』



という、(アニメ)鉄腕アトムをアメリカに紹介したTVプロデューサー(フレッド・ラッド)による日本のアニメ史に関する評論本、その中で"最近('10当時)の日本アニメを代表する作品"の一つとして取り上げられ、絶賛されていたのがこれ。勿論、幸福の科学の映画です。
見てみようかなとは思いつつ気が重くて避けてたんですが(笑)、楽天レンタルのクーポンの消化を兼ねて、このGWに見てみました。

いや、良かったですね。
ストーリー自体は、大川隆法総裁の著書に基づいて、狂言回したる登場人物が幸福の科学の説くこの世とあの世、天国と地獄にまたがる多次元世界を経験して行くというものなので、面白いとか面白くないとかいう類のものではあんまり無いですが。・・・まあダンテの『神曲』や、芥川龍之介の『杜子春』的なものと考えておけば、大きな間違いは無いでしょう。
ただ映像は見事。確かに。それ以前の幸福の科学アニメにも導入されていた"ハリウッド一流スタッフによるVFX"やら何やらを、恐らくは今掛勇という監督のセンスと才能によってより全面的に、よりこなれた形で展開した映像技術的にも勿論そうですが、更に言うならばそれらの"表現"の元にある映像"イメージ"自体の豊かさに並々ならぬものを感じました。

何かこう、脳の、僕(ら)の日常的想像力の死角から攻められている感じで、ほえーっという瞬間が度々。
なかなかよく知られている高名な他の日本のアニメ作家からも得られないタイプの経験で、近いものを感じるのは河森正治監督ですかねえ。『アクエリオン』の初期とか、結構脳をえぐられるような感覚を味わうことがあった。そこからパンチ来る?という。(笑)
まあ河森さんも、宗教がかってると言えば宗教がかってる人ですから、単純に"似てる""共通性がある"という可能性もありますが。
イメージの"豊かさ"について別の観点から言うと、ありていに言って僕は幸福の科学の本自体は結構読んだことのある人なんですが、それらの本にある「説明」を越えたもの、"経験"がちゃんと存在している。つまり「映像化」の意義を十分に果たしている、そういう作品であるということ。"プロパガンダ"を越えた、良いプロパガンダというか。レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』的な?(見てないけど笑)



そういう意味では残念というか、"画竜点睛を欠"いたかなと感じられたのは、そうして(↑)多次元世界探訪を続けた先の、幸福の科学の体系の中での"人霊としての最高段階"である「九次元」世界の描写が、そこだけ何か、「本」に書いてある"コンセプト"の説明だけで終わっているように感じられたところ。「八次元」までは、確かに"体験"だったものが。
前振りが派手だった、「ここから先は安全を保障出来ない、魂そのものが消し飛ばされるかもしれない」と指導霊すら警告を与えていた"世界"についての体験だっただけに、いやにあっさりしてるなという。本読めば分かるよ、こんなのという。(笑)

だからこそ、入り口でとどめたと、そういう理屈はひねろうとすればひねられそうではあるんですが。ううむ、何だろう。"それは秘儀だから"と、総裁からストップでもかかったか。(笑)
もしくは・・・は!まさか。大川総裁自身も実際は九次元まで行ったことは無いので、あれ以上具体的なサジェスチョンは与えられなかったとか。そうか、そうだったのか。しまった俺は大変な秘密をうわ何を(フガフガ)
勿論、冗談ですけどね。どういう種類の冗談なのかもよく分からないくらいの、冗談ですけど。

まあ満更冗談でもない(評論として)のは、ストーリー自体の構成が、「基本七次元レベルの認識力を持っている主人公が、特別な計らいで八次元に連れて行ってもらった」その先の話という形になっているということで、つまりそういう"視点"から作られているということ。
だからまあ、総裁はともかくとして(怖いからもう止す笑)、例えば「今掛勇」監督が"七次元"レベルの認識力を持っている人で、だからこういう構成になってこういう"限界"があったと、幸福の科学的には一つそういう模範解答はありそうですけど。(笑)

・・・まあいいです。知りません。(笑)
とにかく、良かったです。"アニメファン"として(笑)、おすすめ出来ます。見て洗脳されても、それは責任持てません。一般劇場公開&市販されてる作品なので、苦情はどうかそちらに。(笑)
"天使"や"高級霊"たちのキャラデザがねえ・・・説得的でねえ・・・怖いです。(笑)


ああ、そう、もう一つ。
推測ですが、フレッド・ラッドさんが(ガンダムやエヴァなどの)名だたる日本の人気作品を差し置いてこの作品を取り上げた、持ち上げたのは、一つにはそれは取り上げ"やすい"、持ち上げ"やすい"面があるからではないかと思います。・・・読者として想定しているアメリカ人(観客)に対して。"宗教団体の宣伝映画である"という特殊性をおいても。
つまり上で少し言ったキャラデザもそうなんですが、ジャパニメーションのオタクというか内向きなクサ味が極度に薄く、むしろアメリカ的な臭い、またはオープン性国際性が感じられるということ。(アメリカ≒国際ということでは必ずしもないんですけど)

・・・見てて僕が思い出したのは、ヒストリーチャンネルでやっていた『アニメ世界偉人伝』とか。ディズニー系スタッフによる。



あれも非常にキリスト教的宗教的な作品だったので、そういう共通性もあるかとは思いますが、もっと普通に"アニメ"的に、そういう"国際"的またはアメリカ的な文脈に、すっと乗ってる感じの作品。絵的にも語り口的にも。
じゃあ無国籍なのかアメリカなのかというとそういうことはなく、やっぱり"日本"の作品ではあるんですけどね。"日・米"比が・・・7:36:4の間くらい?(笑)

そういう意味では、今やっている『ニンジャスレイヤー フロムアニメイション』なんかとも少し似てるかも(笑)[参考]。あっちは"混血"こっちは"国際"ですけどね。(笑)
まあそういう感じ。
どういう人なんでしょうね、今掛勇さんて。


次『神秘の法』。





2. 映画『神秘の法』 (2012)

その傑作『永遠の法』から、幸福の科学的にはアニメ映画『仏陀再誕』('09)、実写映画『ファイナル・ジャッジメント』('12)と2作を挟んで、再度今掛勇監督が登板したアニメ映画。
ついでに見ました。というか、この際だから楽天レンタルで見られる幸福の科学の映画全部見ました。(笑)
まあ大した数でもないですし。

アニメ的には・・・。まあ何というか、前作の成功を踏まえてか、割りと"自由度"が上がった印象を受ける作品。幸福の科学の"懐"から飛び立ったというか。
勿論主人公がおもむろに「八正道」を修ずる場面とかは出て来ますし、最後はどうしても"エル・カンターレ"で締めないといけないというテンプレは健在なんですけど、そこらへんを除けばより普通の"アニメ映画"として見られる感じ。

その分ダイナミックではありますし、同時にしかし、"ジャパニメーション"濃度増してるかなという。(笑)
敵キャラの造型とかね。色々と"心当たり"があったりします。(笑)
何で仮面やねん。

映像的には相変わらず綺麗です。壮麗です。ちなみに

・第85回アカデミー賞長編アニメ賞の審査対象作品が発表され、21作品の中の一つにエントリーされた。
・2013年、ワールドフェスト・ヒューストン国際映画祭でスペシャル・ジュリー・アワード(REMI SPECIAL JURY AWARD)を受賞。

とのこと。(神秘の法Wiki)
ただどうですかね、僕的にはちょっと取っ散らかってるというか、一つ一つのクオリティは高いとしても、何か「今使える技術をとりあえず全部ぶっこんでみました」的な印象も受けなくはないです。悪い意味の驚きがある。え、今それ?という。まあいいけどさ。はい鑑賞会鑑賞会。終わった?みたいな。
専門的技術的なことはよく分かりませんけど、『永遠の法』の方が、完成された/統一された美しさ、"芸術的必然性"(?)的なものが感じられて、僕は好きです。"とりあえず使った"のではなくて、その時ある技術を"使い切った"という感じ。悟りが深そうというか。(笑)

で、そのこととも関係しているかも知れませんが、シナリオがちょっと、詰め込み過ぎというか急ぎ過ぎというか。それが"幸福の科学"的理由(つまり入れなきゃいけない義務)なのか、それとも逆に"自由"度が増したことによる混乱なのか、それはよく分かりませんが。これもまあ、『永遠の法』の様式美に近い安定感とは、別のものという感じ。
ダイナミックで"娯楽性"を増したつもりなのかも知れませんが、果たしてこれ一般のお客さんどこまでついて来れるんだろうと、内容的に。幸福の科学の本を読んでいれば、なぜそこでそのネタが投入されるのかとかはよく分かるんですけど、映画の趣旨はそうではない、やはり一般層への訴求でしょうし。
親しみやすいようで、実は不親切かなと。むしろバリバリ"宗教的"な『永遠の法』の方が見易いのではないかと僕は思うんですが、他の人の感想はどうなんでしょう。


更にそこらへんに関連して、一つ、大きめの不満というか、疑問があります。・・・これはアニメ評論的にというより、"幸福の科学"的になんですけど、どちらかというと。(笑)
これと、同年に先に公開された実写の『ファイナル・ジャッジメント』は、共に要するに「中国が攻めて来るぞ攻めて来られたらこうなるぞ」ということを警告するというのが一番の目的で作られている映画で、作中にもそういう場面が出て来ます。・・・それがつまり、幸福の科学及び幸福実現党の、近年の中心的主張なんですけど。

で、それはまあ結構なんですけど、ただ両方とも"攻めて来る"くだりはあっという間というか"いつの間にか"という感じで、焦点はむしろ攻めて来られて占領・植民地化されて後の、中共政府が行うだろう圧政と悪逆非道の方に当たっているわけですね。あとそれに対するリアクション。
ただですね、「中共政府の支配下では多かれ少なかれ圧政が行われるだろう」ということ、更に(相手がどこだろうと)「日本が植民地化されるのは悲劇であり望まない」と、このこと自体に合意しない日本人は、現在ではほとんどいないはずだと思います。勿論中には"地上の楽園になるはずだ"というご意見をお持ちの人もいらっしゃるかもしれませんし、それはそれで少数意見として尊重はしますが。(笑)

では何が、幸福の科学/幸福実現党と、一般の日本人との間で大きく食い違っているかと言えば、それは「中国が攻めて来る」(そういう野望・意思を持っている)ということそのもの、その可能性についてのリアリティ・危機感なわけです。攻めて来て"から"の話じゃないんですよ。
だから映画を作って訴えるならば、むしろそっちの方、"中国が攻めて来る"プロセスのリアリティの方を描写・体感させるべきではないか、少なくとも二本も映画作ってるんだからそのどちらかでそれをやらなければ資源の浪費、弾の無駄撃ちではないかと、外野ながら疑問に思うわけです。

勿論現代戦ですから、戦闘そのものは速攻で終わる可能性が高い、あるいはそれだけ日本の現在の防備は脆弱だと、そのことを言いたかったという、軍事的(笑)可能性はあるとは思いますが。あるいは余り露骨に名指しして(もうしてますけど(笑))&克明に描写して、現実の中国政府を刺激するのはまずいと、そういう配慮なども。
ただ少なくともこの二本の映画の描写だと、別にどこが敵でも同じというか"もしどこかが日本を植民地化したら"という話にしかなってない部分があるというか、ただのパニック映画というかせいぜい押井守作品程度の抽象的"危機感"しかアビール出来ていないというか。そういう不満は残ります。

・・・一応『神秘の法』の方では、「帝国ゴドム」の内部の描写もありますけどね。ただあれは"宇宙人"という要素も入っていますし、余りに少し一般SFアニメ的であるし、またゴドムの攻撃対象は日本に限らないわけで、ちょっと僕の言う、"侵略のリアリティ"を感じさせるという意味では、散漫かなあと。


まあ僕が言うことではないのかも知れないですけど、何せ二本も作ってるんでね、効率悪いなあというかポイントずれてるよなあと、外野ながら(笑)少しいらいらしてしまいました。もったいない。そこまで応援しているわけでもないんだけど(笑)、やるならちゃんとやってくれという感じです。
僕ならそうするというか。

実際には多分、そこまで計画的"に作られた「二本」でもないのかなという気もしますけど。映画作るの大変ですし(笑)、担当部門がそれぞれにやってたまたま実現した企画が、結果的にそういうかぶり方をしたというか。
ただし「幸福の科学」と「一般日本人」とのギャップについては、もし僕が指摘したような認識のずれが存在しているのなら、それは実際、本質的な問題だろうと思いますが。


まあこれ以上言うと「アニメ感想」の範囲から逸脱し過ぎるので、これくらいで。(笑)
映像的には、見る価値ありだろうと思います。シナリオ的には今二つというのが、僕の評価。
(ちなみに実写『ファイナル・ジャッジメント』の方は、"映画"としては全くおすすめ出来ません。僕が"紹介"したことにはしないで下さい。(笑))


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テーマ:アニメ・感想
ジャンル:アニメ・コミック
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