藤巻一保 『天皇の秘教』 [後] ~国家神道の確立と秘教化

今上陛下御退位の意思とか。
僕がキャッチアップするまで待って下さい(笑)。まだ明治の話なんです。

[前編]から続き。






国内問題としての国家神道 ~国体論と忠孝教育

そもそもなぜ国家神道ないし天皇教の創造が維新政府によって企図されたのかと言えば、要は中央集権的国民国家としての結束力・求心力を醸成する為、欧米列強における「キリスト教」に代わるものを求めたからであるわけですが、直接的にはそれは天皇とそれが代表する公への私・個人の献身を絶対化する、所謂"忠孝教育"に行き着きました。

それは「近代」主義的な普遍的合目的性と、日本的風土・伝統・思想との、独特な融合なわけですが。


「日本一家」論

根本にあるのは、「万世一系」の皇統とそれにつらなる「皇孫・神孫」たる国民という、特異に血族主義的な日本の国家観・民族観。

p.78
佐田白茅『国体一覧』(明治24年)

我が大日本国は(中略)君民悉く万世一系を伝えたる、地上無比の国体なり。

典型的には、こういう言い方。
"地上無比"とは、神聖なる王統が"万世一系"であることと、しかもそれが"君民悉く"ということ。

奥山千代松『訓蒙国体義』(明治23年)

いやしくも日本国に生れたものは・・・・・・天皇陛下およびそのご先祖はもちろんのこと、われわれ臣民とその先祖の場合も、だれ一人として神胤でないものはない。

同様に。
枚挙に暇が無いこうした思想の一つの大きな源流には、江戸期の大国学者平田篤胤の思想の存在があります。

p.79

わが御国は天つ神の特別なお恵みによって、神がお生みなされて、(中略)たしかに神国に相違なく、またわれわれ身分の賤し男女にいたるまで神の子孫にちがいない。

(『古道大意』)

こうした思想がでは"平田派"や一部の狂信的な論者のものかというとそういうことではなく、かの福沢諭吉までが、堂々とこんなことを書いています。

p.97-98

 帝室(皇室)は、日本国内にある無数の家族のうちでも最も古い家族で、起原を国の開闢と共にしている。帝室以前に日本に家族はなく、以後今日にいたるまで、この国に生まれてきた国民は、ひとり残らず帝室の支流に属している

(『尊王論』明治21年)

もう待ったなしという感じですね。

こうした思想は、一見すると「神の子孫たる日本の国民偉い」という方向にも読めそうではあるんですが、実際には逆方向、血族であり一体であるのだから、「全体」の利益が全てであるという主張としてまとめられて行きます。

p.98-99

 日本がひとつの生命体であるのなら、全体(国家=天皇)の利益は、かならず個(人民)の利益に優先する。(中略)
 諸外国とちがい、「皇国」という特殊な生命体に属する個は、個であって個ではない。全体あっての個だということが、常に強調される。(中略)それこそが、明治政府が国民に求めつづけた道徳原理である「忠孝」なのである。

"生命体"というのは、著者独特の言い方のようですが。
より一般的な観点で僕がもう一つ入れるとすると、同じ「王の神聖」を主張していても、西洋の"王権神授"がそれゆえに"王"と"それ以外"を分けてしまうのに対して、日本の"天孫"→"皇孫"という理論体系は上下の結びつきをまずは絶対化し、その後にそれをてこに結局は上の下への支配力を盤石なものにするという、複雑なというか狡猾な(?)働き方をしていると言えると思います。"対立""抵抗"の枠組みを与えないというか。


教育勅語の発布

p.99

 広い意味での忠孝教育は、楠木正成など忠臣たちの神社創建や顕彰などを通じて、新政府がスタートしたときからはじめられてきたが、日本国民ならかならずわきまえ、かつ実践に努めなければならない道徳原理として忠孝が位置づけられるようになったのは、明治二十三年に発せられた『教育勅語』以後である。

勅語の眼目は、以下の部分に集約されている。

 我が臣民、克(よ)くに克くに、億兆心を一(いつ)にして、世々その美を濟(な)せるは、
 これ我が国体の精華にして、教育の淵源また実にここに存す。


p.106

『教育勅語』の登場(明治二十三年)で、(中略)皇道教育・愛国教育の実施の道が、はっきりと開かれた

ま、特に言うことは無いと言えば無いんですけど。
ただ一つ面白いのは、ここまでの"道"が必ずしも一本道ではなかったらしいということ。

p.106-107

明治期の文部省は、意外と思われるかもしれないが、そうした皇道主義的愛国教育には手をつけず、開明的な西欧流の教育方針をとりいれてきた。
(中略)
基本の流れは、明治二十年代に入ってもなおつづいていた、そのため、忠孝を軸とする皇道教育、修身教育をもとめる朝野の皇道主義者は、切歯扼腕しながら教育の改革を訴えつづけてきた。

前回の「廃仏毀釈」の項でも、こうした官と民の"温度差"みたいなものは窺えましたね。
あの時は官が与えた方向性を、民が過剰に実施したという形でしたが、今回は「方向性」そのものに無視出来ない齟齬が見られる。("朝"野ですから"官"も一部入ってはいるんでしょうが)

総体として、明治政府の基本的なスタンスとしては、こういうものだったと著者は言います。

p.44

右に述べてきたような"天皇教"の創造は、明治時代には比較的まだゆるやかで、国家の対応も欧米列強に追いつくための近代化路線と、復古的な絶対主義バランスを巧みにとりながら、どちらにも傾きすぎないように進められた。

この項の冒頭でも言ったように、"国民国家の求心性"自体は、列強の帝国主義に対抗する為に必要な面は大きかったんでしょうし、その為に「天皇」を担ぎ出すというのもあり得るアイデアではあったろうと思います。実際に"成功"した面も大きかったでしょうし。少なくとも「強国」化という意味では。
世界史上に"後がよろしく"ない革命」の死骸累々としている中で、色々含めてこうした巧妙な施策を立案・実施し、成功に導いた明治の元勲たちはやはり凄かったと僕は思いますし、その彼らが多少の現代との常識のずれはあったとしても、そうそう非合理な動機や思想に満ち満ちていたとはとても思えないんですよね。
だからなぜ、いつ、途中から「非合理」が前面に出て来るようになったのか、それが問題なわけですが。
今回の話で言えば、バランスを取ろうとしていた、あくまで「方便」の範疇で"天皇"教を運営しようとしていた官側に対して、宣伝を真に受けた民側が突き上げを行ってついに方針を変えさせた、"一歩"を踏み出させた、そういう風景には見えますね。
太平洋戦争もそんな感じだったのかな、という想像は、どうしてもさせられますが。
これについてはまた後程。

次にその"一歩"を踏み出した一線を越えた皇国思想が、暴走して行く様子を追います。


対外問題としての国家神道 ~神国日本
日本「万国の祖(おや)」説及び「天皇世界総帝王」説

ここでは最終的に"聖戦"としての太平洋戦争観にまで至る、日本が特別な国であり世界・人類に対して特別の権利及び義務を有していると主張する思想の数々を、時代を追って見て行きます。


まず江戸後期。総本山平田派、篤胤(1776-1843)の説。

p.83

平田派のイデオロギーでは、日本を除く諸外国の地は、(イザナギイザナミ両)神がじかに日本を生んだときの余波で「潮の沫の凝り固まって成ったもの」とみなされる。(中略)
だから外国には、日本の古伝が訛(あやま)って伝わっている。たとえばインドの梵天(ブラフマー)は産霊の神の訛伝だし、キリスト教のエホバは天御中主神、アダムとエバは(イザナギイザナミ両)神の訛伝、中国の神農氏(炎帝)が天子と名乗っているのは(中略)僭称したもの


続いて幕末、弟子筋の大国隆正(1793-1871)の説。

p.87

日本人はこれらのことをよく考え合わせて、日本国世界の総本国であるとの見識をたてるべきである。この見識を立てるときは、中国も露西亜も、わが日本国の枝国である。


前後しますが平田派から離れて、経世家(経済学者)佐藤信淵(1769-1850)の説。

p.88

皇大御国(すめらおおみくに)は大地に最初にできた国であり、世界万国の根本である。(中略)
すなわち全世界をことごとく皇国の郡県とし、万国の君主国王らをみな天皇の臣僕とすべきである。

(『混同秘策』)

この人は何とも面白い人で、こんなことも言っています。

p.88-90

明治維新より四十年以上も前の文政六年(一八二四)に、おどろくべき献策の数々をおこなっている。(中略)
江戸へ奠(てん)都して「東京」とすることであり、(中略)
世界統治を視野においての「他邦の経略」などである。
(中略)
世界万国のなかでもっとも攻めとりやすい土地は「支那国の満州」だから、まず第一に満州を攻略せよと信淵はいい、(中略)
南海の強盗島(マリアナ諸島)や皮理比那(フィリピン)諸島の開拓など、世界を相手の経略を説いているのである。

うーん、予言者なのか昭和の軍部がこの人の"秘策"を実行したのか。

・・・結局のところ、江戸時代、明治よりには、既に「世界」を見据えた過激な主張は、ひと通り出揃ってしまっているわけですね。維新後の"政策"で過激化したというよりも。
以後明治期から大正を経て昭和の生長の家/谷口雅春に至るまで、似たようなことを言っている神道家・神道系思想家は沢山いますが、ほとんど内容やニュアンスに変化は感じられません。

なのでそれらについては割愛して、次にむしろそれら以上に現実的影響力を持ったようにも見える、仏教特に日蓮宗系の皇道オカルティスト(著者の言葉)の例を挙げます。


田中智学と日蓮主義右翼 ~「八紘一宇」説

そもそもの開祖日蓮からして、仏教者にしては珍しく強く「国家」を意識した宗教活動を展開していた(『立正安国論』等)日蓮宗ですが、折からの廃仏毀釈・神道国教化に対する危機感等、様々な理由があったようですが、とにかく明治以後はより積極的なナショナリズム色を強めて、一大勢力を築いて行きます。

その中で特に目立つのが田中智学(1861-1939)とその団体「国柱会」(大正3年結成。母体は明治13年)で、何といってもその所属メンバーが凄い、血盟団事件井上日召・・・はまあ、さもありなんというところかも知れませんが、他にも満州事変等を指導した関東軍参謀石原莞爾や、現代人にはびっくりする名前であろう、かの詩人・童話作家の宮沢賢治も参加していました。
僕も20年くらい前でしょうか、この団体このメンバーを知った時はびっくりして、どういう思想的"風景"だったんだろうと、ここらへんのことに興味を持つ一つのきっかけになりました。

とにかくでは、田中智学の思想を紹介。
いずれも『日本国の宗旨』(明治32年)より。

p.258

これ(日本の国体を明らかにした人)に二人あり、一は天竺に出現して側面よりこの日本国を宣示したまいし釈尊、一は釈尊同体の大士(だいじ)日蓮聖祖、この二人の照知照見したまえる処は、即ち同致一体にして、いずれも同じくこの日本国の天祖(天照大神)と国体とを別頭(べつべつ)に広説明示して、名を正し義を明かにする為の示現化導である。(中略)
 天祖は徳化をこの国に垂れたまいたが、その道の名と義とを解き明さない、それは天竺に天祖と同体の聖人が出て詳しく説くから、別に説く必要がない

p.259

 天祖(皇太神)は国体の主であって、教祖(釈迦仏)は日本国の宗旨を定め、聖祖(日蓮大聖)は(それらの)結合を司る役目と、(中略)三祖相依って一道ここに立つ。大日本国教!即ちこれである。

・・・分かりましたか?
つまり釈迦日蓮、ひいては天照大神「同体」で、更に言わば"本体"たる天照の意向を"分身"たる釈迦と日蓮が、それぞれ役割分担して地上に知らしめているという、そういう教義。
どことなく現代の幸福の科学(の本体"エル・カンターレ"と分身"釈迦"や"ヘルメス"の関係)などを連想もさせる教義ですが、本来普遍主義的で平和主義な宗教である仏教(ベースの教義)を、民族主義や愛国主義と接合させる為には必要なプロットなのでしょうか。
まあ天照大神は"徳"のみで、具体的な教義は釈迦が担当しているからいいんだという説明は、例えば前回の「神耶混淆説」のように本来"教義の無い"宗教である神道に無理やりキリスト教的"教義"をねじ込んでしまうようなやり方よりは、エレガントと言えばエレガントな気はします(笑)。「日本神道」の特性や美点も、上手く保存しているというか。

更に。
p.264

 日本には、「全世界の統一」という天祖から授かった天職があり、そのことは初代天皇神武の「橿原宮造営の詔」のなかの「八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)む」に、端的に表現されている。(中略)
智学が造語した「八紘一宇」は、日本によるアジア侵略を「善侵略」「聖侵略」として正当化する際のスローガンとしてもちいられた。

世界統一が"天職"であるという理屈自体は他の神道系諸思想と大差無いですが、それが天照大神の"徳"が広まる、世界を蔽うというニュアンスが強目に語られているのが、独自性というか仏教らしさかも知れません。
八紘一宇はここで出て来るんですね。そうか、"神武天皇"とセットなのか。だから三原じゅん子議員は、神武天皇にこだわってたのか。

・・・と、いい加減胸焼けして来ただろうあたりで(笑)、この本の扱い範囲としては終わりです。
これ以後昭和の戦争に向けての具体的な展開については、また別の機会別の本で。



ここまでの一応のまとめとしては。

1.江戸時代において既に、狂信的とも言える皇国思想、神国思想は出来上がっていた。
2.それを「尊王思想」として上手く取り込んで、維新勢力は幕府からの権力奪取の名分として利用し("王政復古")、
3.かつ維新後も国民糾合のツールとして活用しようとした。(神道国教化、天皇崇拝の推進)
4.しかし基本的には方便であったそれは、当初の目論見を越えて神道家を中心とする諸勢力の熱狂を呼び、絶対化されて行った。
5.結果的に政府も、その路線に乗った。(教育勅語の発布)

6.やがて時を経てそれらが「方便」であったことも忘れられ、日本は一色に染まって行った。

こんな"風景"。
"6"はまあ、予測ですけど。これからの話。もう少し複雑な経緯が、実際にはあるのかも知れない。

繰り返しますが出発点としての明治政府に、そんなに非合理な動機があったとは思えないんですよね。
p.181-182

 祭政一致への復古というスローガンは、明治維新の熱狂のなかで神道家が幻視した、うたかたの夢にすぎない。冷徹なリアリズムで動く政治家は(中略)毛筋も考えてはおらず、維新当初に設置した神祇官ですら、改元後わずか五年で廃止している

ただ一方で

p.61

 長州とともに王政復古の革命をなしとげた薩摩は、平田派の拠点でもあった。

こういう事情もあったようですから、"政府"の中にも色々な方向性可能性は、最初から潜在していたのかも知れません。

今回は以上です。


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