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読書日記(’16.7.20) ~国家神道をめぐる風景
2016年07月20日 (水) | 編集 |
"続き"はまだですが、その前に関連して読んだ周辺の本からの諸情報を。
先取り的な内容も多分に含まれてる気はしますが、そこらへんはまあ、場当たり。(笑)





高橋信次 『心の発見 神理編』 (1982←1971)

p.27-28

 また房州の、もと官幣中社神主は、
「日本は神の国であって、八百万の神々がおまもりしている。釈迦もイエスもモーゼも日本国を訪れたということが、古い文献に記されている」
と、もっともらしいことを私に語った。

正確な年代は書いてないんですが、最低でも1950年以降、終戦から5年以上後の話。
まだこんなことを平気で一般人("私")に教える神主がいたんですね。
「官幣中社」とは、Wiki

 官国幣社(官社)については、官幣社は国幣社よりも格が上とされ、それぞれ大・中・小の順に格が
 下がる。
 『神道辞典』などによると、官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>
 別格官幣社 となるが、官幣中社と国幣大社はどちらが上かなどの明確な規定はない。


とありますから、かなり高いランクの神社でその分戦前の栄光が忘れられないということか。
一方で地方の小さなお宮とかではないわけですから、GHQの国家神道解体の政策が、5年以上たってもこんな目立つレベルでも、大して浸透してないことを表しているようにも見えます。
「前回の"敗戦"でも、その信念の根幹は実はそれほどダメージは受けていないのではないか」という僕の直感は、満更とんちんかんでもないのかなという、そういう事例。

・・・ちなみに"高橋信次"というのは、「GLA」という日本の新々宗教界に独自の存在感を有した教団(注・"神道系"ではない)の教祖です。直接の影響下にある主な名前としては、平井和正(の幻魔シリーズやアダルトウルフガイシリーズ)、幸福の科学、中丸薫など。





『現代人の宗教(3) 金光と大本』 大場正範、宗正元、丸山照雄、出口栄二、渡辺宝陽 (1986←1975)

p.191

 第二次事件が完全に解決したのは戦後になってからです。昭和二十年八月十五日の終戦とともに、当局はあわてて、八月十五日から二十四日目の九月八日に、治安維持法は無罪、新聞紙法も無罪にし、不敬罪は残りましたが、それもその後の大赦令で白紙に戻ったわけです。(出口栄二・大本)

明治・大正の民間発の神道系新宗教金光教大本教、それから日蓮宗と浄土真宗の代表的論者(1973年当時)が一堂に会して語り合った、珍しい本。・・・金光教は、松木安太郎氏の宗教ですね。(笑)
話題となっているのは、戦前に大本教に対して行われた日本の宗教史上でも最大級の弾圧事件(大本事件)、その2回あった二つ目についての顛末。
終戦早々に当局がこんな動きをしていたとは、意外と変わり身が早いんだなというか(笑)、逆に言うと「悪いことをやっている」という自覚はあったんだろうなという。見つかったら罰せられると。
ちなみに(戦犯を裁く)東京裁判が始まるのは、終戦翌年、昭和二十一年の五月です。
公職追放令は、それより少し早く、同じ年の一月。

p.201

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は、全世界の軍備がすっかり撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。

(出口王仁三郎 昭和20年12月30日 大阪毎日新聞朝刊)

ふーむ。
大本教の・・・どう言ったらいいんだろう、女性教"祖"に見込まれて主に外向けのカリスマとして教団の組織化や教義の整理に大活躍した、"元祖じゃないけど本家"みたいな人(笑)が、上の事件で収監されたまま迎えた終戦の年の末に答えたインタビューが、新聞に載ったもの。
大阪毎日新聞は・・・ああ、"大毎"か。オールド野球ファン感涙。(笑)
この発言の何に注目したかというと、まず大本教自体は、国常立尊を主神とする、広い意味では愛国的宗教ではあるんですが、国家神道と戦前の日本の体制には批判的で、「このままでは日本は潰れる」と予言かつ戦争反対を唱え、それもあって弾圧にあったわけです。
だから上の発言も不自然ではないわけですが、それにしてもきっぱりと反戦だなと。軍備撤廃も全面的に肯定して、これが"戦後民主主義"の"常識"に乗っかった発言なら陳腐なんですが、まだ終戦の4ヶ月後ですからね。所謂平和憲法が公布されるのは、これより更に1年後です。(1946.11.3)
興味があるのは"GHQに押し付けられた"憲法に、意外と強い前提的な国民世論があったのか、それともこれは大本/王仁三郎の独創・独走なのかということと、それから宗教勢力の"民主主義"や"リベラル""護憲"をどう考えるべきかということ。

後者はちょっと何のことか分からないかもしれませんけど、簡単に言うと「宗教」と近代的市民社会的正義としての「民主主義」は、本来無関係かむしろ対立してもおかしくないものなわけですよ。それであんまり考えなしに宗教家が「民主主義」を口にすることに僕は少なからず軽蔑的感情を持つことか多かったわけですが、これを見てもあるいはこの本で繰り広げられている各宗代表者の討論を見ても、存外確信的に日本国憲法やそれに代表される近代的理想に支持が表明されているんですよね。
一方で安倍首相のバックにいる人たちのような"宗教"も、沢山あるわけですけど。
とにかくまあ、もっと真面目に捉えるべきなのかなと、思い直しているところ。まあ個人的関心です。(笑)

p.252-253

神道国教化政策(中略)に対して一番闘ったのはだれかというと、これは真宗の人びとであるわけです。(中略)
島地黙雷という人が、神道国教化政策に反対して建白書を提出する。それが大きな力となって新政府の宗教政策は随分変わってきてる。(渡辺宝陽・日蓮宗)

真宗は戦ったと。一番"乗っかった"日蓮宗の人が言うと、重みがありますね。
浄土真宗というのは決して政治的でも現世的でもないタイプの仏教なんですが、一方で理想主義というか、開明的でコスモポリタニズム的なところが、明治の時点で既にあったらしいんですよね、若干意外なことに。
それで海外の知見も取り入れた、ある意味最先端のリベラリズムでもって、明治政府のナショナリズムと戦ったと、そういうことみたいです。上の話とも少し関係するかも知れませんが。



異端の教団 洋泉社

異端の教団―歴史の闇に封印された異端宗教の扉を開く! (洋泉社MOOK)

『異端の教団』 洋泉社ムック (1995)

p.75

 明治以来、日本の近代化は欧米先進諸国を模倣することで進められた。科学技術、学問、法制度、議会制度、軍隊や帝国主義による植民地獲得への野心、それらのすべてを日本は欧米から学んだが、ただひとつ輸入しなかったものがある。それは植民地支配の「思想だった。(中略)
意外なことに、日本の植民地支配では、それほど強い優越感や差別意識が、少なくとも政策的に強調されたことは一度もなかった。代わりに日本が選んだのは「我々は本来ひとつの民であった」という物語だった。

(「天津教と竹内巨麿」長山靖生)

これね。まあ嘘ではないんですよね、多分。
日本軍および日本の植民地支配が、比較的"紳士的"平等的であったのも。日本の植民地戦争に、"善"なる動機が存在していた意識されていたのも。
だからこその「大東亜共栄圏」であるし、「八紘一宇」である。
ただまあ一方で、"家族"主義の押し付け同一性の押し付けというのは、押し付けられる(と感じる)方からすると底なしのおせっかいであるし、分かり易い"敵意"と"征服"よりよっぽど逃げ場が無くてたちが悪いという面もある。それは日本国内の"皇民支配"の時点で、既に起きていたことですが。
加えて"善意"の部分があるからこそ、「反省」もしづらいという面がある。例えば"ナチス"のように分かり易くは。近年"事実"が色々分かって来て、尚更混乱している感もあるかと。

p.133

井上順考 明治政府は、最初に宗教政策を一生懸命やろうとして、「三条の教則」を掲げるわけですが、それはあまり有効に作動せず、宗教のチェックはむしろジャーナリズムがやるようになった。

(鼎談・新宗教誕生の秘密と異端の教団史)

「三条の教則」
 第一条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事
 第二条 天理人道ヲ明(あきらか)ニスヘキ事
 第三条 皇上ヲ奉戴(ほうたい)シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事

この「三条の教則」に反対したのが、上で出て来た島地黙雷という人のよう。

ただここでの問題は、この時点で既に"宗教のチェック"がジャーナリズムに委ねられていたということで、そうすると自然正面からの教義云々というよりも「週刊誌」的なゴシップ&あらさがしや"キャンペーン"の対象になりがちなわけで、それで随分色んな宗教が、酷い目にあっています。近年幸福の科学あたりが盛んに攻撃しているそういう状況は、実は明治からもうおんなじだったという。国家が正面から叩いたのは大本教くらいで、いかに当時の大本教の社会的影響力が特異だったかという話にはなりますが。
なぜ日本の場合"異端審問"方式にならなかったかというと、一つには「国家神道」といえ、「天皇教」と後に呼ばれたとしても、それらは直接的には"宗教"ではなかったからですね。宗教を越えた宗教、宗教を越えた"真理"。「国体」は宗派を越えるというか。だから"同レベル"におりて、国家神道が戦うわけにはいかなかった。

例の「家族主義」という問題もあります。何"教徒"であっても、「天皇の赤子(せきし)」には違いないわけで。後はだから、基本道徳の問題と言うか、"公序良俗"の問題と言うか。
「週刊誌」の出番です。(笑)

現代なら・・・"日本教"?暗黙の宗教。


「日蓮主義」「国柱会」関係も色々と面白かったんですけど、書き切れないのでまた別枠で。


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
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