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藤巻一保 『アマテラス』 ~国家神道"前史"
2016年08月17日 (水) | 編集 |



"国家神道"シリーズ番外編。

日本国&天皇家、及び日本神道自体の起源がどこまで遡れるかは別にして、いわゆる(戦前戦中の)「国家神道」という問題に直接関わるのは江戸後期以降だと考えられるので、それ以前については本質的にはあんまり関係無いと思います。
別な言い方をすると、「国家神道」は"神道"の自然な歴史的発展として出来上がったのではなく、ある時期にある人たちが特殊な意図でもってあえて作ったものであるということです。だからこそ、余り"深い"源を探る必要は無いと。

というわけで今日する話は基本的には単なる関連"エピソード"集という程度の話ですが、それでも「国家神道」とそれを構成する諸観念の起源・背景の理解には、それなりに役に立つ部分もあるだろうということで、書いておきます。
・・・ぶっちゃけせっかく読んだので(笑)。書名が大層な割りには少し期待外れだった。てっきりもっと何かの決定版かと。


古代 ~二つの皇祖神

この本の序盤では、「女神」であり「太陽神」であるアマテラスが、どのように日本の神話体系の中に"登場"し、どのように他の「女神」や「太陽神」を駆逐して特権的な存在になって行ったかというプロセスが、大量の史料と共に呈示されます。
そして最終的に導かれる結論はある意味驚くべきもので、それはアマテラスは天皇家・大和王権を形作った中心的勢力にとって本来的な神ではなく、むしろ敵対勢力の神・外来神であり、それを統一王権の確立・統治の為の方便として受容・融合して行った結果成立したのが日本の太陽神であり日本神道の主宰神でありかつ天皇家の祖としての天照大神であり、それを祀る伊勢神宮であるという、そういう話。

思い出すのは例えばキリスト教の"聖母マリア"信仰が、キリスト教の世界布教の為に各地の女神・地母神信仰を受容・統合して行った結果生まれたもので、本来のキリスト教には無かった思想だみたいな話ですが。
あるいは"大国主命"の「国譲り」という地場勢力との妥協を、体制"内部"の作業としてより密かに行ったのがアマテラス信仰であると、そういう言い方も出来るかも知れません。

ではアマテラス以前、言わば原天皇家本来の皇祖神は誰だったかというと、

p.60

タカミムスヒを捨てて、アマテラスを取るというやり方がなされたわけではなかった。
タカミムスヒは相変わらず宮中で手厚く祭られ、『古事記』や『日本書紀』は、それぞれやり方は異なるが、二神をともに皇祖神として掲げている。主神の交替は、ゆっくり時間をかけて行われたのである。

(溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』)

タカミムスヒ。高御産巣日あるいは高皇産霊。(Wiki)
古事記日本書紀双方で、神々の系譜の最初期に登場するんだけど、今日要するにどういう神かよく分からない、そういう高名だけど謎の神。それが実は本来は、天皇民族の「太陽神」であり、「主宰神」「皇祖神」であったと。その役割を、アマテラスが徐々に受け継ぎ、ある種乗っ取り、いつしか完全に中心に居座った。
ただしそれこそ敵の神であった大国主命などとは違って、タカミムスヒが自分たちの生粋の祖神であったことは否定しようがないので、"名"だけは奪うことは出来ず結果"謎の神"として系譜に残ることになったと、そういう話。

p.66

『古事記』の時点、つまり天武の時点で、皇祖神は二柱存在したのであり、天武もそのあり方でよいとしたのである。
 『古事記』に見られるこの構想と歩調をあわせるように、伊勢神宮は、まさに天武朝のころに地方神から皇祖神へと移行する。

詳しくは割愛しますが伊勢は伊勢で、大和王権以前から別の勢力の一大中心地で、それとの緊張感はずっとあったのだけど、他ならぬ"主神""祖神"の座を伊勢の神(アマテラス)に用意するという思い切った妥協で、ようやく大和の王権は盤石になったと。またはそれをやっても揺るがない基盤が、天武の頃に確保されたと、そういう話。

まあ、なかなか多方面からクレームが来そうな話ではありますし(笑)、見た感じ十分以上にアカデミックな実証性はあるように見えますが当然"定説"とまでは言えないので、こういう観点・可能性もあると、頭に置いておいて下さい。
個人的には「タカミムスビってなんなんだろう、いかにも重要なんだけどどう重要なのかさっぱり分からない」という疑問はかねてからあったので、そういうことかと、結構納得しました。世界的に珍しい、"女神が主神"という体系の成立した理由の説明("タカミムスヒ"は普通にです)としても、一つありかなと。かなり人為的に成立した(させた)"神話"だったと、そういうこと。


中世

「天照大神=大日如来」説、「天照大神=釈迦」説

この前「田中智学と日蓮主義右翼」として紹介した、天皇教と仏教体系の奇妙な野合の、実は"ソース"が中世に既にあった!!みたいな話。
いや、ほんとに"ソース"なのかどうかは分かりません。ただ「天照大神と釈迦と日蓮が同一人物である」という、田中智学の一見突拍子もないとしか思えない"奇想"が、日本文化史上、必ずしも完全に孤立したものではないらしいというのは確かなよう。

p.230

昔、威光菩薩(摩利支天、即ち大日如来の化身である)は常に日宮(太陽)に身を置いて、阿修羅王の災いを除いた。今は(大日如来の化身の)遍照金剛(空海)となって永遠に日域(日本)に住し、金輪聖王(天皇)の福を増している。(日本を代表する)神を天照尊と呼び、国名を大日本国と名づけているのは自然の理であり、そう名づけられるべくして自ずからそう名づけられたのである。

(成尊『真言附法纂(さん)要抄』11世紀)

天皇にも厚く信頼されたという、"成尊"という真言宗の坊さん(コトバンク)が書いたものですね。

p.232

大日如来は色界の頂で成道し、南浮提(なんぶだい。人間の住む大陸)が浮かんでいる海の中に天逆鉾を投入なさった。鉾が海中に差し入れられたとき、泡沫が凝って州となった。いわゆる日本国とは、これをさす。

(『渓嵐拾遺集』1311~1348)

"国生み"も、大日如来の手によるという。
こちらの"オリジナル"は、イザナギイザナミですが。

p.247-248

天照大神は、化したまいて浄飯王の太子(ゴータマ・シッダールタ=釈迦)とお生まれになった。太子は和国の神道を相承していたから、神道のことばを替えて、仏教の五時八教などの教えとして説かれたのである。釈尊は天照大神の化身であるから、神ではなく仏こそ垂迹と呼ぶにふさわしい。

これなどは完全に、"田中智学"説ですね。
前後しますが出典は、次の項で紹介している『沙石集』(1283)です。


第六天魔王とアマテラス

p.233-234

弘安六年(1283)に成った『沙石集』という仏教説話集がある。その中に、著者の無住が弘長年中(1261~1264)に伊勢神宮に詣でたおり、神主から聞かされたという話が出てくる。
(中略)
昔、この国がいまだできていなかったとき、大海の底に大日如来の印文というものが沈んでおりました。太神宮(天照大神)が御鉾を指し下して探られると、鉾の先から露のように滴りが落ちました。そのとき、第六天魔王が遥か天上からその様子を見て、「このしずくが国となり、その国に仏法が広まって、人々が生死輪廻の世界から抜け出し、手の届かない仏の世界に行ってしまう情景が見える」といって、国を滅ぼすために地に下りました。けれども太神宮が魔王とお会いになり、「私は仏法僧の三宝を口にすることも、わが身に近づけることもいたしません。速やかに天にお帰りください」と慫慂なさったので、魔王は帰っていかれました。

上と関連しますが、"鉾"を使うのがナギナミではなくてアマテラスだという認識は、こうして見るとそれなりに一般的なものだったんですかね。
"第六天魔王"とは、簡単に言うと仏教界の大サタンというか、"仏敵"の代名詞的存在です。
ここで言われているのは、まず日本国の根幹に仏教・大日如来(の印文)の存在があったということ、それを見とがめた仏敵第六天魔王が日本を滅ぼしにかかったところを、アマテラスが"仏教を近づけないから"と何とかなだめて、ようやく"アマテラスの支配する日本"という状態が生まれた、保たれているという、そういう話。

p.237

 この物語には、日本のほんらいの主人はアマテラスではないということ、および日本の神であるアマテラスは、全世界を支配する魔王にはとうてい敵わないということが、はっきりと表出している。

・・・という"仏教"説話なんですが、それを"伊勢の神主"が語っているという態になっているのが、ややこしい。(笑)

その裏には、

p.235

記紀神話の思想が真実であるなら、高天原をルーツとする天皇家や公卿たちが、野卑な国津神の血を引く荒夷(東国武士)に政権を奪われる道理はない、(中略)記紀には答えられないこの難問の答えとして、第六天魔王の説話が受容されたのである。

つまり一見すると単に仏教がこの国の支配権を主張しているように見えますが、実際には、その更に奥には、カビの生えた記紀神話では現状を理解解釈出来なくなった中世の神道思想が、仏教思想との接続によってそれを達成し、かつ仏教の権威を借りつつ一定の"貢献"を日本国の由来に対して主張しているという、そういう屈折した姿があるわけですね。
ややこしい。が、日本における神道と仏教の関係は、常にこんな感じなのかも知れない。
明治(大正)の田中智学は、たまたま今度は神道が優位な世情において、同じことを反対側からやっているだけなのかも。

付言すると、上で「日本」と「世界」が対置されていますが、基本的に"神国"として日本の特別性神聖性を主張する神道側に対して、世界宗教たる仏教側にはさすがに普遍主義的相対的観点も濃厚にあって、日本を"東海の小国"としてある意味客観的に位置付ける思想もあった。実は"愛国"の仏教家日蓮の"日本"の位置づけも、基本的にはこちらの方(普遍主義)だったらしいという。そういう意味では、戦前の日蓮主義右翼の日本中心主義は、日蓮から更に進んで(暴走して)一線を越えたものではあったわけです。
ま、これについては別の機会に、詳述出来ればと思っています。


近世
民衆のアマテラス信仰 ~伊勢参りと御蔭参り、伊勢躍とええじゃないか

幕末の"尊王"思想とは別の次元での、江戸の"アマテラス"

p.264

アマテラス信仰は、当初は山伏ら多様な宗教者の活動をとおして、のちには伊勢御師をとおして、民間に植えつけられた。
 豊年満作、商売繁盛、財産の増大、治病、除災など、庶民が求めてやまないものは、すべて伊勢の大神の神徳となった。(中略)いわば"福神の総元締め"となったのである。

"伊勢御師"というのは前にもちらっと出て来ましたが、「宣教師」というには少し格が低い、伊勢信仰のセールスマン兼ガイドのような存在です。相当民間布教に貢献したらしいですが、後に伊勢の国家管理が進むと、哀れまとめて禁令の対象にされてしまいました。

p.266

 御師を中心とした活動が、どれほど深く日本人の心に根を下ろしていたかは、中世以来の伊勢参りの盛行や、江戸時代に入って以降、ほぼ六十年周期で起こった爆発的な伊勢参りブーム(御蔭参)によって知ることができる。

p.270

 伊勢躍がはじめて起こった慶長十九年と、「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃しながら群衆が踊り狂った慶応三年の集団狂騒には、じつに二百五十年近い時間の開きがある。江戸開府から間もない時期と、江戸幕府滅亡のときの双方で、同じような現象が起こっていることは、注意されなければならない。

"一生に一度は伊勢参り"というのは、伊勢御師が発明した宣伝文句、販促キャンペーンだったようです。
そういう"パックツアー"的なものに対してより自発的かつ行動が過激なのが、「伊勢躍」や「ええじゃないか」。まあ細かい区別はいいですね。

大事なのはつまり、前の本ではどちらかというと明治政府の天皇&アマテラス崇拝がいかに人工的押し付け的なものだったかが強調されていましたが、今年('16.2.5)書かれたこの本では、それはそれとしてアマテラスに対する広範な民間信仰そのものはそれ以前から存在していたと、若干トーンを下げたというか修正しているような感があります。
勿論それは「皇祖神」としてというより、何でもありのありがたい「福の神」、唯一神信仰の無いこの国での便宜的な"神"の代名詞的なあり方ではあったわけですが。


軍神としてのアマテラス

p.271

伊勢山田の神まつり、むくり(蒙古)こくり(高句麗)を平らげて、神代、君代の国々の千里の末迄ゆたかにて、老若男女、貴賤、都鄙、栄え栄うるめでたさよ。御伊勢躍りを踊り候てなぐさみみれば、国も豊かに、千代も栄えて、めでたさよ。

上の江戸初期の"伊勢躍"の時に、誰ともなく歌われていた唱歌というか詠歌というか。
内容的には、元寇を神風で撃退した功を伊勢の天照大神に帰して、そのありがたさを称えた一種"愛国"的な内容。・・・ただし自然発生的な。

p.272

 元寇が「神風」によって一掃されたという歴史は、広く民衆にまで知られていた。

これは僕は少し意外でしたね。
ちなみに上の「むくり」は分かるとして「こくり」が入っているのは、これはつまり"元寇"の実際の担い手のほとんどが朝鮮半島の兵だったこと、及びそれが民衆レベルでも認知されていたことを示しています。
これもまあ、何というか、やや意外

一方で。

p.273

 武士の間には、アマテラスを「弓矢の神」「弓道の祖」とみなす信仰があった。弓を射る際に手にはめる革製の手袋(ゆがけ)は、アマテラスが悪龍神を退治するにあたり、帝釈天から授かって手にはめたものだとする伝承や、武家が乗馬や軍勢の指揮に用いる鞭はアマテラスからつたえられたなどとする伝承も、武家の間で伝えられていた。

へええ。初耳。
南無八幡大菩薩ならぬ南無天照大神とか、唱えたりしたのかな。

いずれにしてもあれですね、やや唐突にも見えた明治政府の天照大神崇拝を大きな軸とする国家神道創設の試みが、実はそれなりの基盤というか"成算"があって行われた面が強いのではないかと、そういう推測もさせる、"新情報"ですね。
やはりアマテラスは、それなりに人気者ではあった、維新の時点でも、既に。


今回はここまで。
まあ、やって良かったかな(笑)。一応。


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
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