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国家神道は解体したのか? ~島薗進 『国家神道と日本人』 より
2016年08月29日 (月) | 編集 |



幕末・明治それ以前と進めて来ましたが、大正~昭和の戦前戦中期の言わば"本丸"を落とす為の適当な本が見つからないので、先に戦後に手を付けてしまいます。
といってもこちらはこちらで本題なわけですが。つまりそもそもの関心は、「なぜ未だに(国家)神道が健在なように見えるのか」ということだったわけで。

この本には他にも色々と参考になる内容が含まれているんですが、とりあえずはこのテーマに絞って、今回は取り上げます。

p.185

 実は国家神道は解体していない。もちろんその規模は格段に縮小した。だが、今も生きているのだ。

結論としてはまあ、そういうことなんですけどね。
問題意識は、僕と同じというか。
この人も"宗教学者"ではありますが、専門は新宗教と宗教文化史である意味門外漢で、それが近年の状況に驚いて改めて調べたという、スタンス的には実際僕と似てるのかも知れません。

では行きます。


「神道指令」と政教分離

"神道指令"とは(Wikiコトバンクより)

・1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の通称。
・信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたもの。
・従来の神社の国家管理制、公教育の場での宗教教育、国家・地方公共団体が宗教儀式を行うことなどが禁止された。
神社は在来の国家的性格を改めて宗教法人として発足することとなった。

GHQの宗教政策、国家神道対策の要がこれ。
文面を見れば分かるように、GHQは基本的に"国家神道"の実体を"神社神道"と把握していて、特定宗教としての「神社神道」(神道)が、「国家」と癒着したことをもって「国家神道」と定義しているわけです。だからその結びつきを断つことをもって、国家神道対策としている。
しかし既に見て来たように、日本の「国家神道」は天照大神及び天皇への崇拝を軸に、そこに各神社をめぐるそれぞれの信仰や各宗及び国民の思想信条一切合切を結集してまとめ上げることによって明治期に形成された、最初から国家主導の新たな"宗教"であったわけで、"キリスト教がローマの国教化"したようなケースとは根本的に違うわけです。
こうした言わば西洋モデルの実態把握の限界が、GHQの国家神道対策を中途半端なものとして、その解体・根絶を不徹底なものにした、根・病巣を温存して今日の"復活"を呼んだ、簡単に言えばそういうことのようです。
尚最後の項について付言すると、色々経緯はありますが、最終的に戦前の日本の宗教政策において、(神社)神道は「宗教」ではなく「祭祀」であるとして、他の仏教以下の諸宗教とは完全に別枠で管理されていました。公費の支出や"公教育の場での宗教教育、国家・地方公共団体が宗教儀式"などが行われる一方で、所謂個別の"布教"活動のような宗教活動は禁止されていたんですね。だからこの神道指令によって、(少なくとも明治以来)初めて神社神道はいち「宗教団体」として他宗と同列の立場に置かれ、自力で食っていく必要(笑)と布教を筆頭とする宗教活動の自由を同時に手にしたわけです。そのことが後で述べる、『神社本庁』の成立・活動にも繋がって行くわけですが。


神道指令と皇室祭祀

そのGHQが国家神道を言わば"民間"の神社神道と同一視したことによって取り残された、見過ごされた問題の代表が、天皇家が行う「皇室祭祀」という"神道"の問題。

p.186

 神道指令とその具体化の過程についての包括的な研究を行った國學院大學教授の大原康男は、「GHQが一方で極力払拭しようとしていた天皇の神聖性や、国民の天皇崇拝意識皇室祭祀の間には直接のつながりはないと見ていた節が窺われる」(『神道指令の研究』一二〇ページ)と論じている。

大原康男ね。朝生で何回か見かけましたね。つぶらな目のおじさん(Wiki)
まだ日本の右傾化が定着する前の時期だったので、当時は"少し頭のおかしい右翼のおじさん"に見えていた部分が無いわけではないですが(ごめんなさい笑)、研究自体はまともな人のようです。
というかそういう右の人が言うからこそ、"GHQの(国家神道解体政策の)詰めの甘さ"という話に、より真実味が感じられるという。
・・・と一応島薗さんの論に従って書いてはいますが、ただミニマムに「皇室祭祀」そのものの国民的影響、"国民の天皇崇拝意識"との関係自体は、かなり薄い/無害なレベルのように、実態としては感じます。今日(こんにち)なお日本国民が皇室に一定の敬意・好意を持っているとしても、それは別に天皇が(例えば)新嘗祭を行っているからではないですし、そもそも天皇が、誤解を恐れず言えば一種の「宗教家」である、全国の「神官」の親玉であるということを知っている・意識している人のパーセンテージは、極度に低いでしょう。
ただしそれは回り回って戦後教育70年の成果(ないし欠陥)でもあるわけで、終戦直後の国民意識としては、また違うものであった可能性はありますが。

p.187

危険は天皇と神道の相互関係に存在するのではない。危険は、名目的には文武の権力を祭祀王の手中にあずけながらも、実際は国家の機構を支配している権力集団によって行使することが許されている政治制度の特殊な性質の中に存在している。
(W・K・バンス『担当者研究』p.119)

"天皇神道"についての、GHQの基本的な認識。
"W・K・バンス"というのは、神道指令の実質的な執筆者とも言われる、GHQ内CIE(民間情報教育局)の宗教課長(参考)。"祭祀王"というのは、民衆と神の仲立ちとして、祭祀を執り行うことを職能として持つ王という、一般概念。
要は神道的宗教的に厳密にどうであろうと、「天皇の政治利用」のルートを断てば良い、軍国日本の要点はそこであったと、そういう認識でしょうね。
それ自体は決して的外れなものではなかったと、"結果"を見ても思いますが。(神道指令によって)皇室祭祀が温存されることとその意味、あるいはそれ以前に国家神道において天皇及び皇室祭祀が果たしていた役割そのものを、どのようにGHQの当事者が認識していたかはまた別にして。
問題は、以後、今日に至るまで、その"温存"された皇室祭祀が、ひとまずは国民意識の表面から退場しつつも、どのように推移・変化し、最終的な影響力を持ったのかあるいは持たなかったのかということで。

p.192

「昭和、平成の天皇のほうが明治、大正天皇に比べれば、祭祀については厳しかった」
(高橋紘『平成の天皇と皇室』一三五ページ)

と、言うようなことは最近割りと聞きますね。
池上特番では、「ほらこんなに天皇は日々"祭祀"を執り行っているんですよ?知らなかったでしょう」という感じで紹介されていましたし、またつい先日の朝生でも、三浦瑠麗さんが「平成になって皇室祭祀はむしろ増えている」と発言されていました。
これに関してはただ僕は基本的には、"象徴天皇"のプレッシャーだろうと思っています。
つまり平成天皇は、新たに提起された"象徴"ということの意味を重く受け止めて、意識的に国民と直に接する機会を増やして行ったわけですが、一方で恐らくこれまである意味考える必要の余り無かった「天皇」とはそもそも何なのかということも改めて考えることになり、その一つの答えとして天皇ならではの祭祀行為を、どこからも疑問を持たれる余地無く精力的に厳格にこなすことにしたと、嫌な言い方をすると「左」「右」両方に対して100%答えようとする、そういう努力の結果ではないかと。
その結果過重"労働"になり、(生前退位希望の)「お言葉」になったという面は恐らくあって、だから「"平成天皇"モデルを唯一の基準として天皇の生前退位問題を考えるべきではない」という、旧皇族竹田某のような主張にも、少なからぬ合理性はあると思います。(イヤだけど!(笑)。人として好かんわあ、あいつ)

つまり皇室祭祀が"増えて"いること自体に国家主義的復古的「意図」は特段無いと考えられるわけですが、その一方で。

多くの皇室祭祀は伊勢神宮を初めとし、神社本庁に属する全国の神社の祭祀と対応する内容をもっている。
(中略)
今も神社神道の個々の神社では、皇室祭祀にそった神事がしばしば行われている。第二次世界大戦後に日常的季節的な皇室祭祀がほぼそのまま継続されたことにより、神社界や皇室崇敬の篤い人々にとっては国家神道の聖なる時間と空間恒常的実在感が保持されたと言ってよいだろう。

"神社本庁"については後述。
上で見たようにGHQは、「国家権力と神社神道」「天皇と国家権力」それぞれの繋がりは断ち切った。それで一通りの宗教の民主化は達成出来たわけですが、しかし皇室祭祀のありようにはほぼ何も手を付けなかった為に、それと各神社神道間の繋がりは何事もなく継続された。・・・「天皇」「国家」「神社」からなる三角形の内、「天皇」と「神社」を結ぶ"一辺"だけは、手つかずで温存されたというか。
これを(神社)神道側の立場になって考えれば、自らの"地位"の転落を認めたくない、自らに不利な状況の変化をなるべく認めたくない人間の習性を考えれば、当然殊更高い自負心をもって「天皇を中心・頂点とする日本の神道のあり方は、敗戦を経ても何も変わっていない」という認識を、時代の変化をものともせず固めようとするだろうということは、理解に難しくないと思います。
増してGHQが"無視"したように、戦後の日本人も事実上そんな領域に特別な関心を持っていなかったわけで、誰にも邪魔されず、心置きなく、新世代の「国家神道」は維持・育成されることが出来たと、そういうことかと。

p.194

二〇年に一度の式年遷宮は伊勢神宮のもっとも重要な神事の一つであるが、これに対する皇室の関与は次第に深まる傾向にある。

これは・・・どうなんですかね。
皇室に何か積極的な意図はあるのか。あるいは特殊な。
なかなか平成天皇や現皇太子の顔を思い浮かべてもそういうイメージは抱き難いですが、とりあえず(神社)神道側、国家神道的思想を奉ずる勢力が、このことに意を強くするのは想像に難くないですね。

次にでは、その"神社神道"側の、具体的な動きを追います。

"神社本庁"の活動

p.196

全国の神社群が民間団体として再組織化を行い、初めて神社本庁という名の宗教教団となった。

名前がどうも分かり難いんですけど、それ自体「宗教教団」なんですね。
Wikiでは更に、「内務省の外局であった神祇院の後継的存在であり、宗教法人法にもとづく包括宗教法人である。」「神社本庁の発足に従い、宗教法人法(宗教法人令)のもと、神社も、他の宗教と同じく宗教団体として扱われることとなった。」とその性格について書かれてあります。
「神道指令」で神祇院が解体された(↑)ことにより、それに代わるまとまりを求めた神社界が紆余曲折を経てたどり着いた組織形態。
"初めて"というのはそれまで、つまり神祇院管轄時代は上で述べたように"祭祀"であって"宗教"ではなかったわけですね。しかしその特殊な地位を奪われて、下野(民間化)して、改めて、初めて、「宗教」としての組織形成及び法人格取得が、この時期(1946.2.3設立)からなされたということです。
今日個々の神社も法人格を持っていたり持っていなかったりしますが、あえて「"神道"という"宗教"」としての法人格を持っているのが、この神社本庁ということ。・・・てっきり僕も、業界団体か何か程度に思ってましたが。またはその事務局。名前がとにかく、分かり難い。

p.197

当初より「無教養主義」を標榜する人々が有力だった神社本庁だが、その一方で統一的な「標準」をもうける必要があるとの考え方があった。(中略)
教義にあたるこの「標準」については、一九四六(昭和二一)年二月の設立時の「庁規」にその原型があり、四七年六月には「教養調査取扱要項」が定められ、六三年には本庁内の神社審議会により「標準解釈樹立のための要項」が作られ、七〇年には教学研究室が設けられ、八〇年には「神社本庁憲章」が制定された。

面白いですね。
とにかく(自衛の為)"まとまる"ということが目的であって、必ずしも何か特定の目標や方向性を持ったものではなかった。あるいはそういうものとして、今日もあった可能性があった。
最終的に"教義"は形成されるに至るわけですが、そのプロセスは見た目非常に人工的というか、"新興宗教"的というか。見方によっては、現代的?

p.199

ここでは天皇崇敬、伊勢神宮崇敬が強く打ち出されている。伊勢神宮と天皇の下に全国の諸神社は統合されるべきことが示されている。(中略)
きわめて政治的な宗教性である。

そうして形成された教義。
連想するのは、創価学会-公明党だったりしますが。
元々は一種の信者団体、在家団体だったものが、本山と決裂して独立した宗教団体となったものの、その経緯からあえて問うほどの独自の教義を持っていたわけでもないので、必然目に見える社会的活動政治的活動にエネルギーを集中することになったという。
神社本庁についても、別に新たな教義を発明してくれる"教祖"がいるわけでもないですし、結局戦前の地位の回復、回帰くらいしか、「団体」としての目標を見出しようが無かったのではないかと、何となく思っていますが。明治以前においても「神道」が積極的教義や宗教としての求心性を持ったことは無いわけですし、存在した唯一の"モデル"が、「国家神道」であったと、それだけと言えばそれだけのことかなと。
今日において「神社本庁」の存在自体は、安倍政権等との絡みでいかにも禍々しく見えたりはしますが、元々は特段"陰謀"的存在ではなくて、組織・団体の"力学""慣性"に従って動いていた、それがいつしか日本の中の保守的・戦後への反動的潮流と合流して大きな影響力を持つに至ったと、そういうことなのではないかなとある意味好意的(?)に、今のところは解釈していますが。

p.199-201

神社新報社は『近代神社神道史』という書物を刊行しているが、その後編「神道指令以後の神社界の活動」はそうした政治運動の最初としてのものを「神宮の真姿顕現運動」とよんで
(中略)
 これに続いて、この書物が記述していくのは、「紀元節復活運動」「「剣璽御動座」復古の運動」「靖国神社国家護持の運動」であり、(中略)
「国民精神昂揚運動」(一九六七年)「神社本庁時局対策本部」(一九六九年)「神道政治連盟の発足」(一九六九年)についても記述している。(中略)
元号法制化運動(一九七二年-七九年)が、また「天皇(皇室)の尊厳護持運動」(一九七三年以降)があげられている。

色々やってるんですねえ。神社新報社というのは、神社本庁の機関紙の発行会社です。
何だろう?というものも多いですが、「紀元節」つまり「建国記念の日」と、「元号法制化」については実現していますね。
「神道政治連盟」は神社本庁の関係団体であり、神社界を中心に構成される政治団体(Wiki)とのことですが、その理念に賛同する超党派の議員連盟として「神道政治連盟国会議員懇談会」というものがあり、そこと安倍政権との関係が密過ぎる、ほとんど母体だということで、時に問題視されているわけです。

p.202

 神社本庁の運動が天皇の地位の強化やナショナリズムの昂揚にどれほど貢献したかについて、ルオフの評価は微妙である。靖国神社護持運動や不敬罪の復活が失敗に終わったことを例にあげて、「神社本庁のような団体は主流の右に位置しており、そのため彼らのキャンペーンの多くが失敗に終わっている」と述べている。
(ケネス・ルオフ『国民の天皇』p.259)

神社本庁の考え方は、(中略)自民党の考え方ともしばしば食い違う。米国の最右派団体、キリスト教連盟と同じように、神社本庁は個々の市民と国家との間に位置する市民社会の中に確固たる位置を占めている。(中略)
いくつかの綱領["建国記念日"や"元号法案"]に関しては幅広い支持を得られる力を持つことも実証したのである。
(同上p.274-275)

ケネス・ルオフはアメリカの政治学者。
"キリスト教連盟"・・・というのがズバリでは見つからないんですけど、キリスト教系の保守団体の総称でしょうか。
いずれにしても、「キリスト教」自体の元々の公認度が「神道」とはかなり差があるので、後者の比較は素直には受け取れません。日本でいくつかの"活動"が実を結んだのは、あるいは今日神社本庁が一定の影響力を確保するに至ったのは、その存在が一般に認知されていなかったこっそりといつの間にかやってたからではないですかね。だからこれからはむしろ活動はより困難になるのではないかとも思いますが、それとも既に得ている政治家との結びつきの力が、それを上回るか。


「国体」の護持と"人間宣言"

最後に付け足しでもう少しだけ。

p.207

そもそもポツダム宣言も「国体護持」を条件として受諾したのだと受けとる人は少なくなかった。(中略)
実際、皇室祭祀は維持されたし、教育勅語も国会で失効が確認されたのはようやく一九四八年になってからだった。

いわゆる天皇の「人間宣言」は、神道指令では不十分かもしれないと感じられた国家神道解体策を補うものという意味をももったものである。

これは神社界ではなくて、一般民衆についての話ですが。
そうなのか。
これについて島薗さんは、戦後頻繁に行われるようになった「天皇巡幸」に対する各地の熱狂的な人気を例として挙げるんですが、現代の皇室人気も含めて、どうも僕はそれは「国体」概念とは余り関係無いような気がするんですけどね。"関係無"く継続しているという意味での"継続"性(つまり"護持")はあるんでしょうけど、それはもう「国家神道」とは別次元の話なのではないかという気も。

p.209

折衝の過程で日本側の意向が通って微妙な変化があった。(中略)「神の裔」という「架空ナル観念」を否定するというGHQ側の原案に対して、[侍従の]木下が「現御神」という「架空ナル観念」を否定するという文言にかえるよう示唆し天皇もそれに同意したという
(木下道雄『側近日誌』八九-九〇)。

その「人間宣言」について。
これ自体はやや"逸話"的ないち証言ですが、しかし改めて言われてみると「現御神/現人神」(あらひとがみ)でないからと言って、「神の裔」でないとは必ずしも言えないわけで、一般民衆はともかくとして神道の専門家や信仰者からすると、そういう"裏の意味"が無理なく読める文面に、「人間宣言」はなっていたのかも知れません。
だとすると益々・・・という。
やや陰謀論的ですが(笑)。侍従の助言を受け入れた昭和天皇は、実はそれが分かっていたとか。(笑)


今回は以上です。
一応最低限、状況は分かった気がします。
これだけで戦後編が終わりということではないですが。埋められるべきディテールは、まだまだあるはずというか。
ていうかまだ「日本会議」にも言及してませんしね。"戦後"編というより"現代"編になるかも知れませんが。
またしばらく勉強します。


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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
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