東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
舛添要一『憲法改正のオモテとウラ』
2016年09月14日 (水) | 編集 |




タイミングが悪い。
ついでに書名も悪い。(笑)
でもまあ、いい本だと思いますよ。面白かった。

舛添氏が全面的に関わった'05年の自民党の「新憲法草案」、左側・護憲派からも比較的評判が良く、バランスの取れたものと評価されたらしいそれが作られたプロセスを、氏の離党後の'12年、自民党野党時に作られた悪名高い「自民党憲法改正草案」を批判しながら、違いを説明しながら、描写した本。
2014年2月刊。惜しい(笑)。いい仕事したのに。

当然憲法自体の勉強にもなりますし、政界の内幕ものとしても結構面白いですし。
ブログのカテゴリーとしては「国家神道」シリーズとして整理してますが、そこまでピンポイントではない。
ただあの'12年「憲法改正草案」に表れている国家観社会観価値観の大幅な変更(または顛倒)の背景としては、そうした宗教勢力の影響は当然考えられる・・・というよりもあれにびっくりしたからこそその「背後」が気になったわけで、そういう意味ではこれはこれでこれまた、"本命"的なテーマではあると思います。

では以下。
まあ学術書というよりも、折々解説を加えつつの言ってみれば「体験記」的な本なので、要約ではなくて個人的に面白かったところを抜き出す形で。


p.3

一読して驚いてしまった。右か左かというイデオロギーの問題以前に、憲法というものについて基本的なことを理解していない人々が書いたとしか思えなかったからである。しかも、先輩たちが営々として築いてきた過去における自民党内での憲法論議の積み重ねが、全く活かされていない。

太字強調は著者による。'12年案を初めて読んだ時の感想。
ある意味"うるさいOBの小言"のテンプレ("'12年販"の作成者はそう思ってると思う笑)っぽくはありますが、これが全てと言えば全て。
"イデオロギー以前"、"憲法の態をなしていない"というタイプの酷さ。
ただまあ、作成者たちの(内の最右翼の)内面を僕が想像するに、彼らは恐らくイデオロギー"外"なんだろうと思います。そもそも"イデオロギー"という言い方自体、左的と言えば左的ですからね。
「理屈」じゃないんだ、「自然」なんだ、これが天然自然の理なんだと彼らが思うものを、"憲法"という体裁に押し込んでいるという。
更に言えば、本質的には「憲法」自体、必要だと思っていないんでしょう。目の前に「憲法」という壁が実際にあるから、それを"改正"する必要があるから、当面そういう形態を取る必要があるだけで。

p.79

宮澤(喜一)氏と私は、憲法改正についての考え方で共通するところが多かったが、いつものことながら、該博な知識を背景に頭脳を超速度で回転させて議論を展開されるので、お相手するのは疲れる

宮澤氏が大秀才である切れ者であるという描写は、例えば現在モーニング連載中の『疾風の勇人』にも出て来ますが、我々が知る微妙に弱腰の品のいい"おじいちゃん"の姿からは、なかなか実感しづらい話ですね。(笑)
でも他ならぬあの舛添要一が"疲れる"とまで言うんですから、ほんとにそうなんでしょうね。(笑)

p.89

○スペイン憲法
第56条 国王は、国家元首であり、国の統一及び永続性の象徴である。
○カンボジア王国憲法
第7条 1. カンボジア国王は、君臨するが、統治しない
第8条 国王は、民族の統合と永続性の象徴である。

自民党の担当議員たちが'05年憲法案を作成する作業で、実際に使われた参考資料の一部。
聞き覚えのある文言がちらちらと。(笑)
平成天皇は初代"象徴"天皇として孤軍奮闘苦心惨憺しておられる印象ですが、実は現在では意外とポピュラーな概念なんでしょうか。
スペイン憲法は(現行憲法のことなら)1978年、カンボジア王国憲法は1993年に出されたもの。

p.110

○九年夏の総選挙で、自民党は野に下ったが、このときに残念ながら、葉梨(康弘)氏や早川(忠孝)氏、船田元氏などリベラルな議員が大量に落選した。また与謝野氏や私も離党したが、その後の野党・自民党が作成したのが、右派色の濃い一二年の「第二次草案」である。
(中略)
 一三年の秋に石破衆議院議員と会ったとき、一二年の自民党内での憲法論議について尋ねてみたが、安全保障の専門家である石破氏は、「第二次草案」の審議には加わっていないと語ったので驚いてしまった。(中略)
「第二次草案」の出来栄えが総じて悪いのは、このようなエキスパートが参加しない形で、憲法学の素養にも欠け、右派イデオロギーで凝り固まった議員たちが主導して作成されたからではあるまいか。

"リベラルな議員が大量に落選"したのは、"大量に落選"した中に"リベラルな議員"がたまたま多く含まれていたのか、それとも逆風の中で支持母体の弱い(又は民主党議員と支持層のかぶる)リベラル議員が、特に大量に落選したのか。
いずれにしても、政権を失うことで"国民政党"の包容力を失って、あるいは"弱者"化して"純粋"化して、より戦闘的になった自民党が再び政権を取り返した結果が、現政権現自民党であるということなんでしょうね。ある意味では、自然なことかも知れない。元々そういう政党として("改憲"を党是として)、結党されたわけではあるんでしょうから。
民主党政権が真に日本に与えだ"ダメージ"は、こちらかも知れない。自民党を保守化させたという。寝た子を起こしたというか。

p.116

 以上が立憲主義の基本的な説明であるが、そのことをよく理解していない国会議員は、そもそも憲法改正論議に加わる資格がない。
しかし、現実には、その場の思いつき程度のことを堂々と述べる議員のなんと多いことか。自民党の「第二次草案」を読んだかぎりでは、近代立憲主義憲法について理解していない議員の数が、○五年よりも増えているのではないかという印象を持ってしまう。

一文目はいかにも、学者的な"正論"ではあるんでしょうが。
しかし二文目は、恐らく正に実態だろうと想像します。
「ウチの選挙区にも新幹線の駅を作れ」とねじ込むのと同じ次元で、憲法に自分の好みの条文をねじ込もうと、後先考えずやいのやいの言って来る。通ればラッキー、自分の手柄的な。
"議員の質の変化"については、前の項で言った通りで、当然の成り行きでしょうね。

p.126

 自民党の政策決定過程では、たとえば、政務調査会の各部会で、そのような審議が行われ、役人や利益団体代表などの意見をよく聴取する。しかし、憲法改正の議論については、仲間の議員たちの意見の開陳のみである、元気のよい議員、雄弁な議員、時局におもねるような議員の意見が優先されがちなのである。

まあ文字通りの問題としては、じゃあ憲法の改正を「利益団体代表」の意見を寄せ集めて作っていいのかという問題はありますが、ここで言われてるのは"仲間の議員"で決めてしまっていいのかという、問題提起でしょうね。"集まり"の性格がそういうものになると、どうしてもいつものように、声の大きい奴の勝ちになるという。
そもそもを考えると、憲法改正の「発議」を国会議員がやるのは、手続き上仕方がないとしても、だからといって憲法案を"作る"主導権が議員にあるのは、どこまで妥当なのかという。
じゃあ誰がやるのかと言われるとそれはまた難しいんですが、恐らくは本質的には、その問題について関心や知識のある人たちがそれぞれに"案"を作成して持ち寄って、それを議員が"代表"して発議(かそれ以前の検討の俎上)に持ち込むというのが、本質的なプロセスなのかなあと。
個別法ではないので、言わば「思想」のレベルに属する問題なので、"みんな"に資格がある。本来は。
知る限り明治憲法の場合は、そもそも"憲法"自体を知っている人が限られていましたから、明治政府内の特に勉強した人たちが作ったんでしょうし、現憲法については何人かの日本人憲法学者の案とGHQの担当者の合作ということみたいですけどね。
まあなかなか「公募」で決めるわけにもいかないでしょうから、実際にはやっぱり議員が主導するしかないのかなあ。

p.122

 立憲主義に立脚した先進民主主義国の憲法は、国が家族を守る義務を規定しているが、「第二次草案」のように家族の相互扶助を規定することはない
(中略)
イタリア「共和国は、経済的手段その他の措置により、家族の形成及びその責務の遂行を、特に大家族を考慮して、助成する」
スペイン「公権力は、家族の社会的、経済的及び法的保護を保障する」
ドイツ「婚姻及び家族は、国家秩序の特別の保護を受ける」
ロシア「母性と子どもであること、家族は、国家の保護の下に置かれる」
欧州憲法条約「家族は、法的、経済的及び社会的保護を受けるものとする」
国際人権規約「できる限り広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、特に、家族の形成のために並びに扶養児童の養育及び教育について責任を有する間に、与えられるべきである」

そうだったのか。
"家族の相互扶助"を憲法に"盛り込む"か"盛り込まないか"の問題かと僕も認識していましたが、もっと根本的に、顛倒した議論になっているんですね。
「家族は大事」だ(とその社会が認めたとしても)けど、守る義務が課されるのは「相互」(つまり個々人)ではなくて「国」
あえて"憲法"に規定するとしたら、選択肢(盛り込むか盛り込まないか)としてはそれしかないという。
それが「憲法」の常識らしい。
・・・ていうか世界どんだけ家族大事にしてるんだよ。「西欧的価値観」を拒否したいなら、むしろ真っ先に「家族」の価値を否定すべきなんじゃないのか。(笑)

p.125

 お隣の韓国では、「国民基礎生活保護法」(二〇〇〇年施行)で現代的な公的扶助の制度が確立されたが、扶養義務者については(中略)
・導入時 : "すべての直系家族"
・'05年改正 : 一親等及びその配偶者+同居している二親等
・'07年改正 : 一親等及びその配偶者のみ
儒教道徳の色濃く残る韓国ですら、このような改正を行っている。

韓国に負けるという、屈辱。(笑)
ちなみに"扶養義務"はなるべく広く取らないと、"家族主義"を推進しようとしている人たちの底意、つまり国の負担を個々人に肩代わりさせたいという意図は、「経済」的に不可能ですね。だからこの韓国の(逐次撤退の)"例"に、意味がある。

以上、理論的実際的双方に、自民党「二次草案」の"家族主義"の奇怪さの説明となります。
まあ上で言ったように、あれを主導した人たちは憲法自体を本当は要らないと思っている、ないしはその母体となっている「人権」思想を拒否しようとしているのだと思いますから、こういう批判がまともに届くかは疑問ですけどね。
ただまともじゃない、ということは現在は(当時の野党ではなく)政権与党として責任を担う立場にある、"まとも"な議員たちは分かっているようで、朝生でその"草案"の話になるたびに、死んだような目で「あれは叩き台ですから」の一本やりで話題をスルーするのがおかしいです。(笑)
そういう意味では、あれが直接"改憲"に持ち込まれる危険性については、割りと僕は楽観していますが。
まともな状況では、無いだろうと。
問題は"まともでない"状況の時。今は色々嫌われがちな安倍首相が身を引いて、もっと、真に質の悪い"後継者"が幅を利かせるような状況になった時、かな?

p.278

 二〇一三年一二月六日には、特定秘密保護法が成立した。国益を守る観点からの情報保護は不可欠であるが、基本的人権と密接な関係があり、もっと時間をかけて慎重に審議すべきであったと思う。とりわけ、問題の多い「第二次草案」を取りまとめた議員たちが、またこの法案作りでも中心になっていた。立憲主義など教わったことのない(と言っている)議員に、これほど重要な法案を任せてよいのだろうか。

こちらも太字強調は著者。( )内は僕の補足。
スパイ防止法自体は必要に決まってるわけですけど、作った「人」があの草案と「同じ」だと指摘されると、急に嫌な感じにはなりますね。(笑)
まああれもね、実際には法律そのものよりその"後"、それを運用する人たちの"質"が劣化した場合だろうと思いますけどね。どんな法律も政令・条例も、作った当人は過程での勉強の縛りもあって、そんな変なことはしないんですよね。問題は"ありき"で動き始める世代という。


こんな感じの本です。
割愛しましたが、"話し合い"とそれで作られた案の"要項"がいちいち明記してあるのは、"ドキュメント"としてかなり興味深いです。もっと色んな法律についてこういう本が出たら、随分勉強になるだろうなという。
興味のある人は"都知事"としての舛添要一はとりあえず棚上げして、読んでみたらいいと思います。(笑)
amazonレビューがやけに低いと思ったら、露骨に"例の件"を反映させている人が多くて、それはちょっと違うんじゃないかと思いました。


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テーマ:憲法改正論議
ジャンル:政治・経済
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