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"音響(と)監督"問題(補) ~「主題歌」と監督
2016年10月19日 (水) | 編集 |
前回の話よりも更に漠然としていますが、前々から思っていたことをついでに。


現代の大部分のテレビアニメにおいて、近接他ジャンルに比べて「監督」と「作品」の"劇"的特徴との間に強い相関が感じられないというのがこの前の話でしたが、ところが一方で、一見関連が薄そうなのになぜか「監督」の名前と強い相関をいつも感じる"音響"要素があって、それがOP&EDの主題歌
作品の内容や面白い面白くない好き嫌いにはさほど当てにならない監督の名前ですが、その作品の前後を飾る、基本的には専門外であるはずの「歌」「曲」のセンスについては、ある作品でいいなこの感じと思わせてくれた監督は、別の作品でもまず間違いなくまたいいな(あるいは"悪いな"笑)と思わせてくれる、共通のセンスを感じることが出来る。・・・作品自体は、気に入らなくても。(笑)

OP"アニメーション"ではないですよ?まあそれもたいていは、一致はしてますが、あくまで曲・音楽。
出演声優などが歌うその作品専用の"主題歌"らしい主題歌は勿論のこと、ある時期から大量に増えた"タイアップ"系の曲、アニソン専門系のアーティストも含めてではありますがとにかくそれ自体として独立した音楽性を持ったアーティストの曲どうしでも、あるいは曲調自体は全然違うものだったとしても、やはりその「監督」の名の下に共通したセンスが感じられる。流れて来た初めて聴く初めて見るアニメの主題歌を聴いて、「○○監督っぽい曲だな」と思ったらほんとにそうだったなんて経験も、何度かあるくらいで。
既存の名曲のはめ込みの場合は・・・まあどっちでも。含んでも含まなくても。

だから作品の"中身"まではともかく担当している監督のある種の"センス"の指標としては、主題歌というのはかなり当てになって、新作のOPを一聴した時点でその作品を"好きになる"かどうかまでは分からないけれど、"好きにならない"、あるいは好きになったとしても"一定の限度がある"ということは、ほぼ確実に予想出来るんですよね。
主題歌が好きなアニメは例えさほど"面白く"は無くても、嫌いだったり不快だったりということはまず無いし、逆に好きじゃないアニメの場合はたいてい作品も好きじゃないし、もし他にいいところ興味深いところがあって見続けたとしても、総合的にいい"評価"をしたとしても、心底好きになる、熱狂するということは無い。この素材をもう少しいい感じに仕上げてもらえば燃えられたのになという、"燃え残り"が発生する。逆に主題歌のセンスが好きな作品は、内容も好きなら一気に燃え上がれる
"指標"ということで絞って言うなら、見続けるかどうか内容的に微妙な場合には、ほぼ主題歌の好き嫌いで判断して、僕の場合は間違いが無い。(笑)

実際には好き/嫌いの二択にとどまらない、かなり微妙な情報も収集していて、あるいは作品本体との対応関係も感じていて。
一例を挙げると例えば『灼眼のシャナ』 3期のOP"Light My Fire"や『ガッチャマンクラウズ』(1期)のOP"Crowds"なんかは、いずれもハードなギターリフがかっこいい、大きな枠で言えば好きなタイプの曲ではあるんですが、しかしその"ハード""かっこよさ"の中にある力み過ぎて抜けが悪い、かっこいいようでダサい部分も感じるというような"濁り"が、作品本体の感想ともかなり重なっていました。悪い"予感"が当たったというか、好きになれそうでやっぱりなれなかったというか。・・・すんごく細かく言うと(笑)、シャナ3期OPの(1期2期を彩った)"I'veサウンドとの似て非なる"感じは、正に3期の作品としての"残念"な感じとほんと重なっていた。これはシャナか、シャナじゃないのか
あるいは別な例で言うと、同じく大槻ケンヂ/筋肉少女帯を起用していても、『絶望先生』シリーズ()と『うしおととら』()の、あえて言うのも野暮かもしれない"センス"の差。余りにタイプの違う作品なので中身がどちらが良いとかは言いませんが、筋肉・大槻の曲の"濃さ"の差が、内容にそのまま対応しているとは感じますよね。
更に、更に細かいことを言うと(笑)、主題歌自体を音楽としては気に入っていても、「これは音楽だから可能なセンスであって、それをストーリーという次元で実現しようとすると上手く行かないだろうな」とか、「"音楽"という抽象的な表現のレベルでなら許せるこの曲に含まれている浅薄さは、"劇"として具体化されると多分耐え難いものになるな」とか、こういう変な"予感"の的中も、時に経験したりしています。

ここまで行くと個人的過ぎてついて来てくれとは言いませんが(笑)、でも皆さんもそれぞれに自分の趣味の範囲内で、似たようなことを経験しているのではないかと想像するんですがどうでしょう。少なくとも音楽好きも兼務している、アニメファンなら。


視点を変えて今度はまた"歴史"について言うと、これに関しては前回と逆で、昔より今の方が、遥かに(主題歌と中身の)"密着"度は高く感じる、言い換えると(僕の想定が正しいとすれば)「監督」の関与は深く感じます。
形式的にはこれは不思議と言えば不思議で、つまり昔のアニメの主題歌はほとんどがそのアニメ専用に作られた曲であり、またしばしば原作者や監督が作詞を担当したりしている。その分密着度は高くてもいいようなものなんですが、それで作品の"説明"能力は高まっても魂(?)の共鳴度が高まっているとは感じない。ガンダム以下の、"作家"度の高いタイプの作品でも、それは同じ。
ただこれは実際にはそんなに考えるほどの問題ではなくて、そもそも業界の慣習的に"主題歌"に求められるもの、あるいは許される自由度自己実現度のようなものが昔と今では全然違う、分かり易く言えば「歌謡曲」「ロック」のような、そもそもの"音楽"としての性格の違いがあるからだと思います。"共鳴"したくても、元々"魂"を入れる予定の無い曲群であるというか(笑)。勿論例外はありますけどね。

それは恐らくはテレビアニメが、地上波ゴールデンから深夜&ローカル局へ主戦場を移した、言わば"インディーズ"化したことと随伴しての現象だと思いますが。
境目としては・・・どこらへんですかね。
僕が最初に"アニメ主題歌"としてそのアーティスト性"ロック"性に、文字通りに衝撃を受けた日テレ深夜の旧『ベルセルク』("TELL ME WHY""Waiting So Long")が・・・'97年か。それから例えば同じ庵野作品どうしの比較で、主題歌がまだ旧来の王道主題歌の範疇にとどまっていた("残酷な天使のテーゼ")『エヴァンゲリオン』が'95年で、そこから一気に"インディーズ"化したというか、個人的にとても新鮮に感じた、"声優ソング"ではあるけれど奇妙に無防備なED曲"夢の中へ"を擁する『彼氏彼女の事情』'98年
アニメ史的には別に精査が必要でしょうが、パッと浮かんだ二例がちょうどここらへんなので、何かこの近辺で制作姿勢の業界としての変化が起きたのではないかと、とりあえず今は当たりを付けておきます。


とまあ、至って感覚的個人的ではありますが、「現代テレビアニメにおける主題歌と作品」(と監督)という主題の説明としては、こんな感じです。
で、ここから先がそれについての考察なんですが・・・。正直あんまり内容は無いというか、手掛かりは無いというか。
なぜ自分の作品の"芝居"にはさほどの直接的な影響を与えられないアニメ監督が、専門でもない、発注者でしかない主題歌については、濃厚に"自分"を投影させることが出来るのか。

作業工程を想像すると、こんな感じですか。
どの程度映像が出来上がってから頼むかはケースバイケースらしいですけど、とにかくまず監督つまりアニメ側の総責任者が、最初に作品のイメージや内容を、職業作曲家(&作詞家)や独立アーティストに伝える。速いとか遅いとか(笑)、だいたいの曲調くらいは指定するかもしれない。
それに応えて音楽家側が、例えば複数の候補曲を提示したり、あるいはある程度作ってみてそれを聴かせたりする。それに対してアニメ側監督側が、そんなに僭越なことは言わないだろうけど、だいたいいいとか悪いとか、ここがイメージと違うとかもう少しこんな感じがいいとか、そんなようなことを言う、それを繰り返して曲が完成するor決定する。
こういう作業の中で、結果的に門外漢ではあるアニメ監督が、音楽業界で言うところの"プロデューサー"的な役割を、それぞれの曲に対して果たしているのではないかなと。そしてその"プロデューサー"としての好みが、それこそ"TKサウンド"とか"ハロプロ"(つんくサウンド)のように、広範な共通性・色合いを、別々のアニメ作品の別々の曲に対して、与えているのではないかと。
・・・本来"門内"である、劇・声優の芝居以上に。

いずれ想像ではあるんですけど、もしそうなら最後の部分は重要・重大かも知れなくて。
つまりやっぱり、「音響監督」が悪いのではないかと(笑)。"分業"制の不自然が、問題なのではないかと。
作品に十分に"監督"の生理が刻印されない、生きた共通性が生まれない、作品が「監督の」ものにならない、僕が"監督"の「名前」を当てに出来ない(笑)のは。
個々の音響監督がいかに音響監督として誠実な仕事をしたとしても、どこまで行っても他人は他人で、その人(監督)ではないわけで。従って個人化はされないわけで。
勿論作品のタイプ、監督のタイプによっては、チームプレーやコラボレーションが相応しいもの、それによってプラスの効果が生まれることもあるでしょう。ただ「音響監督」がいるのが、分業が"当たり前"になっているのは、やはり正常ではないのではないか、そんな結論も論理的には導き出せそうですが。
専門外のこと(音楽)にすら、"その人"が関わることによって"その人"のものになるのであれば。

恐らくアニメ監督の"主題歌"への関わり方は、およそシステマティックなものではないだろうと思います。
ただ少なくとも「音響監督」という別の"システム"に積極的に邪魔されない分、邪魔されないだけで、ある種いとも簡単に、その監督の「個人」は反映され得る。それくらいある意味、「個性」というのは本来自然なものなんだろうと思います。

・・・どんなへぼ監督でも、監督が「監督」である限り、サッカーチームが"その監督の"チームになるように?(笑)


まあ変なオチがついたところで、さして根拠の無いこの話はこれくらいで。(笑)
でもアニソン楽しいよね、最近のはほんとに。CDは買わなくてもOP(&ED)は録画して、何回も聴く(笑)。あるいは新しいいい曲に出会いたければ、一般チャートなんか見るよりアニメをまめに見る方が、効率いい。(笑)


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テーマ:アニメ
ジャンル:アニメ・コミック
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