2016年11月08日 (火) | 編集 |
三竿健斗 1996年4月16日生まれ(20歳) ・・・現鹿島
井上潮音 1997年8月3日生まれ(19歳)
渡辺皓太 1998年10月18日生まれ(18歳)
ここ3年、立て続けに輩出されている、ヴェルディユースの各年代の"白眉"MFたち。
その内僕が惚れているのは勿論、二番目の井上潮音なわけですが、9/25の33節千葉戦を最後に、もう一か月以上、故障で出場はありません。
ありませんが、相変わらず折に触れて考えてますね。別に録画を見返したりしているわけではありませんが(録画してませんし笑)、あの時見たあれは何だったろうと、ああでもないこうでもないと、イメージを弄んでいます。
・・・ヴェルディ自体については、考えない分というか。(笑)
てきとうに勝ったり負けたりして、残留決めて監督代わってくれればそれでいいというか、そうしかならんだろうというか。
というわけで特に新しい情報も無く、要は妄想ですが、例えばこんな記事は、参考になるんだろうか。
ペップが明かすメッシがピッチ上で歩く理由 「散歩に見えるが…」 (サンスポ)
急いだり慌てたりしているイメージが、全く無いというか。(笑)
また同時に、攻撃は勿論守備においてさえ、アクションを発した時には既に終わっている、「完璧なレントゲン写真」を基に状況の全てを手の中に収めていて、ある種「自動的に」ワンシークエンスのプレーを成功させる、そういうイメージのある選手。
"クリエイティブ"ではあるけれど、"閃き"的なイチかバチか感が無いというか。
まあ正直あんまりメッシをそういう目で見たことが無いので比較は難しいんですが、FWであるメッシが主にボールの無いところで行う"撮影"作業を、ボール回しの中心でもある潮音はあちこち顔を出してボールに触りながら行う、あるいはより純粋に観察者として受動的に既定の状況を"撮影"するメッシに対して、潮音の場合は自ら参加しながら撮影を行う、場合によっては撮りたい"写真"を「作り上げて」行く、そんな違いがあるでしょうか。
いずれにしても、「ふらふら歩いているだけのように見えて気が付くと完璧な/自分に圧倒的に有利な状況を作り上げている」"散歩"人という印象は、潮音も(ペップの見る)メッシも同じですね。
ちなみに似たような印象を受ける選手としては、先日不幸な出会い方をしてしまったらしい中村俊輔がいます。遠藤保はもう少し状況を時間的にも空間的にも断片的限定的に、より"閃き"的に捉えているイメージ。中田ヒデはいくつかのパターンの組み合わせというか、決め打ちした最終形からの逆算というか。二川はそれらの少しずつのミックス。
こうして見ると"天才"潮音は、意外と理知的なタイプに属するのかなという。
以上を踏まえてか踏まえないでか(笑)、更に僕が潮音のプレーについて思うのは。
非常に「平面」の選手だなということ。
よく、優れたゲームメーカータイプの選手について、"バード・アイ"(鳥の目)などという言い方がされますが。状況を鳥の目で俯瞰で、三次元的に見ているようだと。
ただしこれは実際には慣用的という以上にはよく分からない言い方ではあって、もし本当に"俯瞰"で見えていたらそれは超能力か幽体離脱か何かなわけで(笑)もっと大騒ぎになってるでしょうし(笑)、とにかくそのプレーヤーの人並み外れた予測能力やフィールドの広範な状況把握力を、"まるで鳥の目で見ているようだ"と比喩的かつひとからげ的に表現しているだけと言えばそうだと思います。
・・・某『黒子のバスケ』ではそこらへんを(単に"鳥"というだけでなく)"ホーク・アイ"とか"イーグル・アイ"とかより細かくランク付けしていて面白かったですが、アニメでちらっと見ただけなので正直よく理解していません。(笑)
そもそもが実際に「俯瞰」で見ている放送席やテレビ視聴者の予測すらそういう選手は越えて来るわけですから、二次元か三次元かという、単に次元の数の問題でないのは明らかでしょう。
だから井上潮音がバード・アイを持っているのかいないのか、過去の選手に比べてそれがどうなのか(ホークなのかイーグルなのかアルバトラスなのか笑)それ自体を問うても現状余り意味があるとは思えませんが、僕が言いたいのは彼が意識的にないしは半意識的習慣的に、フィールド全体を一つの「平面」として明確に形式化して把握している、そこに一つの特徴があるということ。
より細かく言うと、「均一にグリッド化された平面」、かな?その"平面"が丸々サッカーのフィールドの形と重なるのか、それとも使いやすい形の平面を運用することで全体をカバーしているのか、そこまでは分かりませんが。
とにかく潮音は基本的に自分の敷いたグリッド、あるいは(例えばですが)"升目"に従ってプレーしていて、それがあの淡々とした"予定通り"感、ある種の(空間的)予測可能性に基づいた"囲碁"プレーヤー感"将棋"感に、繋がっているんだろうという話。
「三」か「二」かみたいなことで言うなら、むしろ意図的に「二」である、要素をなるべく増やさない、単純化する、形式化することで、ある種の「思考の経済」を達成している、そこで節約した思考力を他に振り向けている、そういう感じ。
勿論全般的な、「落ち着き」そのものにも繋がっているでしょうし。
潮音が"本来"どういうパーソナリティの選手であるか、あるいは先人たちと比較してバード・アイを"持っている"か持っていないか等々というのとは別の問題として、「方法論」としての"平面"性空間的形式性を、井上潮音を駆使している、そういう印象。
それを前提として、更に井上潮音のプレーの特徴を言挙げしてみると、「時間の魔術師」みたいな感じになるかなと。
空間ではなくて時間。
いったいどこらへんまで予測して予定してプレーを意図していたのか、今のプレーの"始点"はどこだったのか、見ててどうにも不思議な気持ちになる、大胆というか臆面もないというか(笑)、傲慢とすら言えるロングタームなプレーの組み立て、シークエンスの設定。個人としてやることもありますし(ボール奪取の時はこれが多い)、中後や高木善朗のような理解者と共同して行うこともありますし、一番多いのは多分、まさか打ち合わせてるとも思えないんですが複数の(またはたまたまその場にいる)チームメイトをいつの間にかという感じで巻き込んで行われるプレーの正に「組み立て」。これか、これが"プレーメイク"かという。
一番危なっかしいというか紛れが多いのは、「未来」において"使われる"ことを前提とした、あえて"戻らない"で前線に残るプレーかと思いますが(笑)。"個人"なのか"チーム"なのか、性格付けの難しい。
あれは毎度、冷や冷やします(笑)。戻らないで大丈夫かよというのと、失敗したら叩かれるぞというのと。(笑)
とにかくこうした潮音の"時間"操作の、時間の恐ろしく自由で柔軟な使用の、前提をなしている支えているのが、"空間"部門における意図的な単純化形式化だということに、割りと最近気が付いたということです。
で、ここまで考えてはたと気が付く、次に連想する思い出すのが、潮音の一つ上の三竿健斗と、一つ下の渡辺皓太の、各々に非常に整然とした、若いのに折り目正しくて正確な、時々退屈な(笑)プレー。
それらはパッと見には井上潮音の大胆で創意に満ちたプレーとは対照的なようなんですが、しかし一方で「整然」「正確」、更には「静謐」という印象では、共通したものも感じる、感じていた。
その正体がつまり、「均一にグリッド化された平面」、その方法論の共通性なのではないかと、思い至ったわけですね。
各々に個性や運用は違えども、基本的な共通した空間認識、空間の把握のシステムに基づいて、彼らはプレーしているのではないか、要はそういうカリキュラム・指導メソッドが、少なくとも彼らがいた間のヴェルディのユースor下部組織には、存在していたのではないかと。
具体的なことは僕には分かりませんけど、"3人"続くと何かあるなとは思いますよね。三竿の"高級感"にもびっくりしたけど、潮音皓太と続いて更にびっくりした。
ちなみに三竿がユースに在籍していたのは2012年 - 2014年、以下潮音が2013年 - 2015年、皓太が2014年 - 2016年となりますが、その時の監督は2012年から2014年途中までがちょうど現トップ監督の富樫監督、2015年からは藤吉監督。
・・・うーん、もっと前の段階かな、"ソース"を求めるとすれば。または名前の出て来ないコーチか。まあ来年以降に出て来る選手たちを見れば、もっと分かるかも。
とにかく"3人"共通のプレーシステム、特に空間認識・定義に基づいてプレーしつつ、他の2人とは違った独自の運用で個性を輝かせているのがここまでの井上潮音のプレーだと、今のところの理解・性格付けではそうなります。
"形式"に基づいて折り目正しくプレーする三竿と皓太に対して、"形式"に基づくからこそ自由にプレーする潮音。
まあ特に皓太の"個性"は、まだこれからかも知れませんが。
今日はそういう話。
・・・踏まえてもう一度比較を試みてみると、"空間の満遍の無い面的把握"という意味では中村俊輔に、(それを踏まえた)思考力・エネルギーの投入の思い切ったメリハリという意味では遠藤保仁に、潮音は似てるかな?
J2第38節 東京V △1-1△ 愛媛 (味スタ)
J2第39節 東京V △2-2△ 山口 (味スタ)
J2第40節 東京V ●0-2○ 松本 (松本)
・39,40節と、安在和樹のボランチを試しているのが意外というか新味でしょうか。
・それは同時に、"3バック"トライということでもあるわけですけど。
・サイドバックの人材不足と、ボランチの故障者続出問題の、同時対処でもあるのかな?
・アンカズボランチ自体は、U-22でも一回(二回?)ありましたね。割りと好印象でした。
・来季に繋がるのか。
井上潮音 1997年8月3日生まれ(19歳)
渡辺皓太 1998年10月18日生まれ(18歳)
ここ3年、立て続けに輩出されている、ヴェルディユースの各年代の"白眉"MFたち。
その内僕が惚れているのは勿論、二番目の井上潮音なわけですが、9/25の33節千葉戦を最後に、もう一か月以上、故障で出場はありません。
ありませんが、相変わらず折に触れて考えてますね。別に録画を見返したりしているわけではありませんが(録画してませんし笑)、あの時見たあれは何だったろうと、ああでもないこうでもないと、イメージを弄んでいます。
・・・ヴェルディ自体については、考えない分というか。(笑)
てきとうに勝ったり負けたりして、残留決めて監督代わってくれればそれでいいというか、そうしかならんだろうというか。
というわけで特に新しい情報も無く、要は妄想ですが、例えばこんな記事は、参考になるんだろうか。
ペップが明かすメッシがピッチ上で歩く理由 「散歩に見えるが…」 (サンスポ)
MFでありボランチである潮音は、少なくともチーム内(リーグ内)相対の走行距離としては、ストライカーであるメッシ程走ってないということはないでしょう。ただ一方で"散歩"人としてのイメージも、非常に強いのは確かだと思います。(笑)「メッシに目を向けると、まるで散歩をしているようなときがある…。一人になったり、相手に囲まれたり、スペースに入り込んだり、そこから離れたりしているね…。彼は試合中に歩きながら、その時々の状況をレントゲン写真で撮影しているんだよ」
「彼はリーガエスパニョーラにおいて、最も走行距離が少ない選手だ。けれどもボールを受けた際には、時間とスペースに関する完璧なレントゲン写真を頭に有している。誰がどこに位置しているかを理解しており、パンッ!と決めてしまうわけだ」
急いだり慌てたりしているイメージが、全く無いというか。(笑)
また同時に、攻撃は勿論守備においてさえ、アクションを発した時には既に終わっている、「完璧なレントゲン写真」を基に状況の全てを手の中に収めていて、ある種「自動的に」ワンシークエンスのプレーを成功させる、そういうイメージのある選手。
"クリエイティブ"ではあるけれど、"閃き"的なイチかバチか感が無いというか。
まあ正直あんまりメッシをそういう目で見たことが無いので比較は難しいんですが、FWであるメッシが主にボールの無いところで行う"撮影"作業を、ボール回しの中心でもある潮音はあちこち顔を出してボールに触りながら行う、あるいはより純粋に観察者として受動的に既定の状況を"撮影"するメッシに対して、潮音の場合は自ら参加しながら撮影を行う、場合によっては撮りたい"写真"を「作り上げて」行く、そんな違いがあるでしょうか。
いずれにしても、「ふらふら歩いているだけのように見えて気が付くと完璧な/自分に圧倒的に有利な状況を作り上げている」"散歩"人という印象は、潮音も(ペップの見る)メッシも同じですね。
ちなみに似たような印象を受ける選手としては、先日不幸な出会い方をしてしまったらしい中村俊輔がいます。遠藤保はもう少し状況を時間的にも空間的にも断片的限定的に、より"閃き"的に捉えているイメージ。中田ヒデはいくつかのパターンの組み合わせというか、決め打ちした最終形からの逆算というか。二川はそれらの少しずつのミックス。
こうして見ると"天才"潮音は、意外と理知的なタイプに属するのかなという。
以上を踏まえてか踏まえないでか(笑)、更に僕が潮音のプレーについて思うのは。
非常に「平面」の選手だなということ。
よく、優れたゲームメーカータイプの選手について、"バード・アイ"(鳥の目)などという言い方がされますが。状況を鳥の目で俯瞰で、三次元的に見ているようだと。
ただしこれは実際には慣用的という以上にはよく分からない言い方ではあって、もし本当に"俯瞰"で見えていたらそれは超能力か幽体離脱か何かなわけで(笑)もっと大騒ぎになってるでしょうし(笑)、とにかくそのプレーヤーの人並み外れた予測能力やフィールドの広範な状況把握力を、"まるで鳥の目で見ているようだ"と比喩的かつひとからげ的に表現しているだけと言えばそうだと思います。
・・・某『黒子のバスケ』ではそこらへんを(単に"鳥"というだけでなく)"ホーク・アイ"とか"イーグル・アイ"とかより細かくランク付けしていて面白かったですが、アニメでちらっと見ただけなので正直よく理解していません。(笑)
そもそもが実際に「俯瞰」で見ている放送席やテレビ視聴者の予測すらそういう選手は越えて来るわけですから、二次元か三次元かという、単に次元の数の問題でないのは明らかでしょう。
だから井上潮音がバード・アイを持っているのかいないのか、過去の選手に比べてそれがどうなのか(ホークなのかイーグルなのかアルバトラスなのか笑)それ自体を問うても現状余り意味があるとは思えませんが、僕が言いたいのは彼が意識的にないしは半意識的習慣的に、フィールド全体を一つの「平面」として明確に形式化して把握している、そこに一つの特徴があるということ。
より細かく言うと、「均一にグリッド化された平面」、かな?その"平面"が丸々サッカーのフィールドの形と重なるのか、それとも使いやすい形の平面を運用することで全体をカバーしているのか、そこまでは分かりませんが。
とにかく潮音は基本的に自分の敷いたグリッド、あるいは(例えばですが)"升目"に従ってプレーしていて、それがあの淡々とした"予定通り"感、ある種の(空間的)予測可能性に基づいた"囲碁"プレーヤー感"将棋"感に、繋がっているんだろうという話。
「三」か「二」かみたいなことで言うなら、むしろ意図的に「二」である、要素をなるべく増やさない、単純化する、形式化することで、ある種の「思考の経済」を達成している、そこで節約した思考力を他に振り向けている、そういう感じ。
勿論全般的な、「落ち着き」そのものにも繋がっているでしょうし。
潮音が"本来"どういうパーソナリティの選手であるか、あるいは先人たちと比較してバード・アイを"持っている"か持っていないか等々というのとは別の問題として、「方法論」としての"平面"性空間的形式性を、井上潮音を駆使している、そういう印象。
それを前提として、更に井上潮音のプレーの特徴を言挙げしてみると、「時間の魔術師」みたいな感じになるかなと。
空間ではなくて時間。
いったいどこらへんまで予測して予定してプレーを意図していたのか、今のプレーの"始点"はどこだったのか、見ててどうにも不思議な気持ちになる、大胆というか臆面もないというか(笑)、傲慢とすら言えるロングタームなプレーの組み立て、シークエンスの設定。個人としてやることもありますし(ボール奪取の時はこれが多い)、中後や高木善朗のような理解者と共同して行うこともありますし、一番多いのは多分、まさか打ち合わせてるとも思えないんですが複数の(またはたまたまその場にいる)チームメイトをいつの間にかという感じで巻き込んで行われるプレーの正に「組み立て」。これか、これが"プレーメイク"かという。
一番危なっかしいというか紛れが多いのは、「未来」において"使われる"ことを前提とした、あえて"戻らない"で前線に残るプレーかと思いますが(笑)。"個人"なのか"チーム"なのか、性格付けの難しい。
あれは毎度、冷や冷やします(笑)。戻らないで大丈夫かよというのと、失敗したら叩かれるぞというのと。(笑)
とにかくこうした潮音の"時間"操作の、時間の恐ろしく自由で柔軟な使用の、前提をなしている支えているのが、"空間"部門における意図的な単純化形式化だということに、割りと最近気が付いたということです。
で、ここまで考えてはたと気が付く、次に連想する思い出すのが、潮音の一つ上の三竿健斗と、一つ下の渡辺皓太の、各々に非常に整然とした、若いのに折り目正しくて正確な、時々退屈な(笑)プレー。
それらはパッと見には井上潮音の大胆で創意に満ちたプレーとは対照的なようなんですが、しかし一方で「整然」「正確」、更には「静謐」という印象では、共通したものも感じる、感じていた。
その正体がつまり、「均一にグリッド化された平面」、その方法論の共通性なのではないかと、思い至ったわけですね。
各々に個性や運用は違えども、基本的な共通した空間認識、空間の把握のシステムに基づいて、彼らはプレーしているのではないか、要はそういうカリキュラム・指導メソッドが、少なくとも彼らがいた間のヴェルディのユースor下部組織には、存在していたのではないかと。
具体的なことは僕には分かりませんけど、"3人"続くと何かあるなとは思いますよね。三竿の"高級感"にもびっくりしたけど、潮音皓太と続いて更にびっくりした。
ちなみに三竿がユースに在籍していたのは2012年 - 2014年、以下潮音が2013年 - 2015年、皓太が2014年 - 2016年となりますが、その時の監督は2012年から2014年途中までがちょうど現トップ監督の富樫監督、2015年からは藤吉監督。
・・・うーん、もっと前の段階かな、"ソース"を求めるとすれば。または名前の出て来ないコーチか。まあ来年以降に出て来る選手たちを見れば、もっと分かるかも。
とにかく"3人"共通のプレーシステム、特に空間認識・定義に基づいてプレーしつつ、他の2人とは違った独自の運用で個性を輝かせているのがここまでの井上潮音のプレーだと、今のところの理解・性格付けではそうなります。
"形式"に基づいて折り目正しくプレーする三竿と皓太に対して、"形式"に基づくからこそ自由にプレーする潮音。
まあ特に皓太の"個性"は、まだこれからかも知れませんが。
今日はそういう話。
・・・踏まえてもう一度比較を試みてみると、"空間の満遍の無い面的把握"という意味では中村俊輔に、(それを踏まえた)思考力・エネルギーの投入の思い切ったメリハリという意味では遠藤保仁に、潮音は似てるかな?
J2第38節 東京V △1-1△ 愛媛 (味スタ)
J2第39節 東京V △2-2△ 山口 (味スタ)
J2第40節 東京V ●0-2○ 松本 (松本)
・39,40節と、安在和樹のボランチを試しているのが意外というか新味でしょうか。
・それは同時に、"3バック"トライということでもあるわけですけど。
・サイドバックの人材不足と、ボランチの故障者続出問題の、同時対処でもあるのかな?
・アンカズボランチ自体は、U-22でも一回(二回?)ありましたね。割りと好印象でした。
・来季に繋がるのか。
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この記事へのコメント
渡辺皓太は僕の記憶ですと一年生の2014年と2015年の新人戦では左SH起用で「活きの良いドリブラーがいるなあ」という認識だったんですが2015年の途中から井上と共にボランチに入ってましたね。
持ち味のドリブルで中盤から仕掛けるのは勿論ですが精力的な中盤のスペースのカバー、細かいパスの繋ぎが正確で吃驚した記憶があります。
ボランチコンバートは藤吉監督の慧眼なのかもしれませんが近年のヴェルディジュニア、ジュニアユースにコーチ、監督としてずっと関わっているのが萩村滋則さんなのでひょっとしたらキーは萩村さんかもしれません。
持ち味のドリブルで中盤から仕掛けるのは勿論ですが精力的な中盤のスペースのカバー、細かいパスの繋ぎが正確で吃驚した記憶があります。
ボランチコンバートは藤吉監督の慧眼なのかもしれませんが近年のヴェルディジュニア、ジュニアユースにコーチ、監督としてずっと関わっているのが萩村滋則さんなのでひょっとしたらキーは萩村さんかもしれません。
2016/11/10(Thu) 07:51 | URL | 庄七堂 #3/2tU3w2[ 編集]
"ボランチ"としては単純に途方に暮れてる瞬間が、やっぱりまだありますよね渡辺皓太は。
資質的にももう0.5列前というか、インサイドハーフかダイヤのサイドとかだと、ちょうどよく全能力が引き出されそうな感じ。純粋に攻撃の選手として使うと、それはそれで持ち味の繊細さが活きない気がしますが。
とにかく正確さ精密さは、ちょっと普通じゃないところがありますよね。
萩村さんかあ・・・。現役時代のイメージからするとぴんと来ませんが(笑)、指導者としてはそれなりに実績を積んでいるみたいなので、可能性はあるかも。いずれにしても、「理論家」タイプの人が背後にいる気配なんですけどね。それだけ"一貫性"を感じるというか。
資質的にももう0.5列前というか、インサイドハーフかダイヤのサイドとかだと、ちょうどよく全能力が引き出されそうな感じ。純粋に攻撃の選手として使うと、それはそれで持ち味の繊細さが活きない気がしますが。
とにかく正確さ精密さは、ちょっと普通じゃないところがありますよね。
萩村さんかあ・・・。現役時代のイメージからするとぴんと来ませんが(笑)、指導者としてはそれなりに実績を積んでいるみたいなので、可能性はあるかも。いずれにしても、「理論家」タイプの人が背後にいる気配なんですけどね。それだけ"一貫性"を感じるというか。
2016/11/10(Thu) 14:16 | URL | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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