東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
永井についての追記
2016年11月13日 (日) | 編集 |
本記


永井の"ヴェルディ愛"について

'16シーズンホーム最終セレッソ戦後の引退セレモニーで、多くの人の涙を誘っただろう、余りに素朴な永井のヴェルディへの愛情吐露でしたが。

一つ思うのは、彼のヴェルディへの"愛"純粋さは、一つには彼が一度も、ヴェルディの「主力選手」にはなっていないことにも理由があるのかなと。(再び永井秀樹Wiki)

 レジェンドメンバーたちに阻まれて、交代&ナビスコ要員だった'92-'97の第一次在籍時代。
 東京移転直後、松木監督下での大混乱の中で、愚かにもむやみにかき集めたボールプレイヤーたちの一人でしかなかった'01-'02の第二次在籍時代。
 プレイヤーとしての貫禄は十分だったものの、入団時点で既に35歳、43歳で、そもそもフル稼働は期待されていなかった第三次第四次在籍時代。('06-'07、'14-'16)

いずれもチームのメインの流れ・骨組みからは、少し距離をとった位置に、永井はいつもいました。

そのことによって、プロ入り前からの「讀賣クラブ」及び初期「ヴェルディ」への憧れの感情が、さほど汚されずに生々しくならずに、ある意味では"保存"され、年月によっても風化よりは象徴として"結晶化"される形で、45歳の今日まで至ったのではないかと、本人の元々のパーソナリティとは一応別の問題として、思うわけですけど。
別な言い方をすると、いったんそのチームの「主力選手」になると、いい時にはいいだろうけれど悪い時には主力選手である、"自分の"チームである立場ならではの屈託が生じるでしょうし、いずれ時が来てその立場から外される時は、"愛している"というだけでは収まらない、この野郎ふざけるなという類の感情がどうしても濃厚に生じるでしょうし。その時点で、最初抱いていた"愛"の純粋性は、どうしても失われる、あるいは「現実」の重みを抱え込むことになる。

引退スピーチでも、何度かの契約解除時にはやはり悔しい思いをしたということが語られていましたが、それでももしそれが「主力選手」としてのものだったら、それはもっと激しく生々しいものになっただろうと思います。例えば読売新聞撤退時に、まだまだ日本のエースでもあったのに切られたカズや、レオン監督就任に反発して自ら出て行った時のラモスなどのように。

そういう意味では、そういう偶然にも助けられている永井とヴェルディは、"添い遂げる"特殊な運命にあったのかなと(笑)。近過ぎず、遠過ぎず、それゆえにいついつまでも。お前が俺には最後の女。俺にはお前が最後の女。(山本譲二/みちのく一人旅)


いや、ほんとね、「所有」の感覚の無い、特殊な"愛"ですよね、永井のは。濁りがというか。
勿論、ご本人の人徳に負うところは大きいでしょうが。
まさかこんな関係になるとは、"若手"の時には想像もしてませんでした(笑)、僕は。
少ない出場機会に、不満をため込んでるだろうなとしか。
最初のものが最後になる、最後のものが最初になる。(新約聖書/マルコ伝)


永井の"技術"

そのセレッソ戦の試合後、永井のセレモニー開始までの"繋ぎ"として高木聖佳さんが紹介していたエピソードで、面白いものがありました。
永井が若手選手たちを集めて"塾"のようなものをやっているらしいんですけど、そこで永井が「基本技術」の大切さを説き、それが足りなかったから自分は"代表選手として活躍する"という夢を果たせなかったと、そう語っているという話。

まずそもそも、永井にそんなにストレートな"代表"願望があったとは知らなかったので、少し驚いたというのが一つ。
それから勿論、永井の「基本技術」の問題。

なるほどなというか、それが永井の選手人生の不思議さへの、一つの分かり易い答えではあるかなと。


つまり前回、永井が結果的に見ると"天才"と称してもいいんじゃないかというくらいあらゆることが上手いのに、それでもどこか「代表」選手としてのランク感はひいき目で見ても感じられなかったと言ったこと。
それから永井の、その時々次々とスタイルを変化させて行き、新しい「永井」像で驚かせてくれた発見的な選手人生。

それらの共通した背景としてあるのが、彼が一種の"野人"である、日本サッカーの正規の育成・強化ルートには微妙に乗っておらず、ある種素質に任せて"我流"で自己開発を繰り返して来た、そういうタイプの選手であったという事情だと思います。
あれほど豊かな素質が無ければ、大人になってからでも何かの誰かの"鋳型"にはまることもあったでしょうが。幸か不幸かそういう機会も、どうやら発生しなかったようで。

そうした"我流"の天才豊かさと、同時に限界が、彼の選手人生を形取った、決定づけていたんだろうなと、本人の"回顧"を承けて改めて認識したと、そういうことです。


まあ見てる方としては、そういう"不思議"も含めて大いに魅力ではあったわけですが、本人的にはもう少し、"普通"でありたかった、すんなりフォーマットに乗れて時々の代表の戦術にも器用に対応出来るようなそういう素養も身に付けたかった、身に付ける機会が欲しかったと、そういうことみたいですね。(笑)
今だったら斎藤学なんかも、近い"悩み"を抱えてるのかも知れません。凄く上手いんだけど、なんか"違う"。「A級」の臭いが足りない。
技術というか戦術というか、戦術に沿うた形の技術というか。

でもまあほんと、興味深い選手でした。色々考えさせてくれる。
技術を突き詰めるということについて。"自分"を掘り下げるということについて。
前に(晩年の)永井のプレーぶりについて、「セレソン(ブラジル代表)のOB戦とかに出ても、普通に見劣りなくやれそう」という意味のことを書いたと思いますが、そういうなんか、ブラジル人的というか南米人的というか、日本人やひょっとしたら欧州の平均的一流選手がやらないようなタイプのオープンな、無限定で勝手な(笑)追求の仕方自己形成の仕方を、それと意識せずにやり切った選手なのではないかなと、そういう感じです。
"意識"してないからこそ、"無限定"というか。

そこに何か、"日本サッカーに足りないもの"を見出したりすることは可能だと思いますが、まあ足りないものは色々あるので(笑)、優先順位的にはよく分からない。
永井自身一方で、自分の方に"足りない"ものを、痛感してもいたわけですから。そこをカバーする為の"我流"の努力が、今日に至る「永井秀樹」を作った?


まあこれくらいで。
"伝説"終幕。
「偉人伝」「本伝」というよりは、「外伝」中の登場人物という、感じですが。(笑)
歴史に残る戦功はそれほどでもないけど、"1対1なら最強"説は根強い的な。(笑)
見られて楽しかったです。


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