ヴェルディ、代表、アイドル、漫画、アニメ等
ウィリアム・P・ウッダード『天皇と神道 ~GHQの宗教政策』(序&第一章)
2016年11月21日 (月) | 編集 |
ウッダード『天皇と神道』.jpg

W・P・ウッダード『天皇と神道―GHQの宗教政策』(1972)


神道を中心とするGHQの日本の宗教に対する政策を、当事者の立場からまとめた貴重な本。
引用したい箇所をコピーしてみたら結構膨大になって震えてますが、来季の開幕くらいまでには、終わらせたい希望です。(笑)

[ウッダード氏略歴]
1896年ミシガン州生まれ。ニューヨークのユニオン神学校を卒業。日本への宣教経験あり。
1946年からGHQ民間情報教育局宗教課調査スタッフとして占領軍の宗教政策の実施に当った。

さらに、ウッダード氏は、本書の執筆に先立って、占領期に宗教の分野の出来事に影響を与えたさまざまな意思決定に参与し、もしくはこの問題の解明に役立つ情報をもつほとんどすべてのアメリカ人および日本人を見つけだして面接した
(p.14 同上宗教課長ウィリアム・K・バンスによる添書き。1970年)

まあそういう人のようです。
では行きます。



まえがき より

アメリカ軍の日本の宗教にたいする関心は、たしかに尋常ではなかった。
宗教をふくむ現地の習慣の尊重は軍政の基本であって、被占領国の宗教への妨害はいうにおよばず、介入といえども米軍の規則によって禁止されていた。
しかるに占領軍は、上陸のほとんどその日から、宗教の分野でさまざまな問題に直面し、問題状況は一九五二年四月の占領終結にいたるまで継続した。
(p.18-19)

へええ、そんな規則が。
「略奪・暴行の禁止」くらいなら規則化されてそうではありますが、そんな部分についてまで単なる"方針"ではなく、"規則"になっていたとは驚きです。そんな(異文化への)デリカシーを持っていた国がなぜ後に"ベトナム"を、とは思ってしまいますが、まあ20年も経つとアメリカも別の国になっていたということか。
・・・余談ですが最近読んだ別の本で、米軍が(南方の)日本軍の"ゲリラ戦術"をいかに警戒して対策をマニュアル化していたかということが書かれていて、そういう意味でも"ベトナム"の時は、第二次大戦時に蓄えていた知識見識が上手く伝承されていなかったんだろうなということは、推測出来る気がします。
本題に戻って、つまりそういう自軍・自国の"原則"を破ってまで、アメリカは最初から日本の"宗教改革"にやる気満々で、占領に臨んで来たということ。それはなぜかと言えば、太平洋戦争を導いた日本のいわゆる"国体"の問題、「国家神道」という言い方で広く知られる問題を、アメリカは最初からかなりピンポイントで捉えていた、単なる「宗教」一般の問題とは見ていなかったということです。そのことが、この後語られます。


序・日本占領と国家神道の解体 より

神道を国家から分離した理由は、神道の教義が世界平和に敵意あるものであり、日本の超国家主義、軍国主義および侵略主義も国家神道のカルトに根づいており、それによって精神が汚染されているという連合国指導者たちの理解によるものであった。
連合国の指導者たちは、右翼過激派が国民を洗脳し、天皇を制御する権力を獲得し、法律を支配し、教育を統制し、宗教を管理し、日本国を全面的崩壊の淵に追いやったのは、現津神(あきつかみ)たる天皇、神国、神の地などの概念を中心に作られた国家神道のカルトによったと考えたのである。
(p.6)

("アメリカ"ではなく)"連合国"指導者という言い方については、後のポツダム宣言の項を参照のこと。
ポイントが2つ。
1つ目は、単に国家神道を軸とした挙国一致体制が戦争を"可能にした"というだけでなく(現代の我々の一般的理解は恐らくこれ)、「神道」の"教義"自体が、既に「世界平和に敵意ある」ものと認識されていたこと。
2つ目は、そういう戦前の日本の国家体制の実態を、「右翼過激派」つまり一部の専横・扇動者が担っていた、そういう性格の強いものとして認識されていたこと。本当に悪いのは"一部"の奴だと、そう見なしていたこと。
だからこそ、「天皇が免責される」ということも後に起きたのかも知れないですね、本来ならあり得ないですが。

さて1つ目ですが、「神道」(の教義)と言って我々が知っているのは、森羅万象に神が宿っていると見るとか、そこから自然との共生や素朴で素直な心持ちを良しとする価値観とか、後は伊勢神宮=天照大神とその子孫とされる天皇家への漠然とした敬意とか、せいぜいがそれくらいでしょう。3番目を強調し過ぎたのが戦前の社会だと認識したとしても、それが即ち「世界平和に敵意ある」ものとは、とても見えないわけですが。
だからここで言われている"神道の教義"とは、そういう伝統的普遍的なものではなく、以前「秘教化」としてまとめて紹介した、近世・近代に様々な思想家が過激化させた、日本が特別な国であり、神である天皇の元世界征服・世界支配の使命及び権利を有しているという類の、一つ一つは馬鹿馬鹿しいとしか思えない、いくら何でも一国がこんなもので導かれたとは俄かに信じられない、そういう思想のことなわけですね。正直紹介している時は、僕も「民間ではこんなことを言っている吹き上がりもいた」くらいにしか認識していなかったわけですが、連合国側ではそれらをしっかり知っていて警戒して、あまつさえ日本の戦争の"主因"に近いものと認識していたらしい。・・・確かにこちらの高橋信次氏の証言などを見ると、れっきとした神社の"神主"が、そういうトンデモ思想を普通に口にしている風景があったらしいことは、伝わっては来ますが。
勿論「八紘一宇」という言葉は広く知られていて、その"八紘"に「世界」という意味合いがあるのは確かですけど、実際に使われたのは"アジア解放"のスローガンとしてであったので、文字通りの「世界」というよりは「みんな」くらいのニュアンスで、戦後の我々は受け取っているのではないかと思います。

多少いくら何でも「日本の世界征服」をマジに受け取り過ぎではないかと思うところもなくはないですが、とにかく随分日本のことを、事前に、戦争中から、研究していたんだなということは改めて思いました。なお範囲的には次回になるかと思いますが、そうした知識が必ずしも一部研究者だけではなく、アメリカの一般国民にもそれなりに共有されていたらしい様子が窺える場面が出て来ます。
2つ目の「右翼過激派」の更なる描写は、後程。

更に「国家神道」についての整理・定義が続きます。

「近代的な意味における」国家神道は、明治維新の初期に、神社が国のものとされたときに出現し、一九四六年、政府による神社の管理が終焉したときに消滅した。
(p.8)

"制度"論としての、国家神道のミニマムな定義。その内容は別にして、国家の管理及び庇護の対象とされ、半ば役所化した明治から戦前にかけての神社神道。

「国体神道」は、天皇が現津神であり、天皇と日本の国土および国民は一つの神聖かつ不可分の存在であると説く神道の神話にもとづく政治哲学的な信念の体系である。(中略)
国体神道の信奉者は神社の崇敬者(中略)であるが、神社の崇敬者すべてが国体神道の信奉者ではない。
(p.8)

「国体神道」とは聞き慣れない言葉ですが、上で「世界平和に敵意ある」とされている「神道」、そこにほぼそのまま当てはめていい概念でしょうね。特殊な観念性、誇大妄想性を持った神道。よりミニマムには、「国体」という概念を伴った神道(思想)。・・・"国体"そのものについては、多分後述。
こちらは"教義"の問題であって、"信奉者"という言い方にはやはり少数の特定の思想家が推進したというようなニュアンスがあると思います。"神社が""(神社)神道が"やったというより。
ただその影響が、「国家神道」というシステムによって、一般化されたという。

「国体のカルト」は、神道の一形式ではなかった。それははっきりと区分される独立の現象であった。それは、神道の神話と思想の諸要素をふくみ、神道の施設と行事を利用したが、このことによって国体のカルトも神道の一種であったのだとはいえない。そうだったら、連合国軍最高司令官は、神道を全面的に廃絶しなければならなかったはずである。
(p.9)

「国体のカルト」は、著者の造語です。
今までの言い方を使えば、国家神道制度によって国家と接合された国体神道思想が、ほとんど一国丸ごとを蔽って国ぐるみの"カルト"を形成した状態。・・・ナチスドイツのように。そうは書いてませんが。
ナチスが一応ドイツそのものとは切り離されて断罪されたように、日本の"国体のカルト"も日本そのものとは切り離され、その解体によって一応の断罪はなったと、そういうことですね。
まあここで問題となっているのは、「日本」を救うことではなくて「神道」を救うことですが。神道、少なくとも伝統的な神社神道は、"国体のカルト"の一部を形成してしまったが、そのものではない。あるいは"国体のカルト"は神道をバックボーンとはしているが、神道の一種ではない。様々なものの、特殊な結合状態である。
だから国体のカルトは解体の必要はあるが、宗教としての神道を廃絶する必要は無い。再び国家と結び付くことは許されないが、一宗教としての存続は、"信教の自由"の範囲の問題である。
やや雑な比喩を使うと、(アーリア人優越思想の背景となった)ゲルマン神話が廃絶されなかったように、神道(日本神話?)も廃絶はされなかったということですかね。
・・・ただし"一思想"として説かれていても、「国体神道」はペケのようですね。だから新宗教の教祖谷口雅春の『生命の実相』は、一部削除命令を受けた


(ポツダム宣言と宗教政策)

"無条件降伏について書いてある"としか正直僕も知らなかったポツダム宣言の13条にわたる条文の内、日本の占領政策宗教政策に、深い関係があると著者が示している部分。(ポツダム宣言Wiki)

第10条
日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

"信教の自由の樹立を要求している"。(p.12)

第6条
日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する

"宗教界におけるパージを示唆している"。(p.13)
若干我田引水っぽい気もしますが(笑)、日本がこうした条文を含む"宣言"を受諾したのは確かなわけで、GHQの「宗教改革」の、一応の"法的根拠"とは言えるかも。
まあ何か無いと、形式的にまずいでしょうし。

それはそれとして、また出ましたね"世界征服"。(笑)
うーんという感じはしますが、実際書いてあるんだから仕方がない。(しかも"受諾"している)
アメリカ一国との戦争の物理的不可能性にひいひい言っていた身としては、正直何のことやらというところはあるわけですが、一つには勿論、日独伊三国同盟を通じて形の上では「世界」と繋がっていたこと、それから開戦初期にはイギリス領やオランダ領を奪い取り、後にはアメリカとそれなりに真っ向から戦ったことは恐らくは我々が思う以上に、白人社会にはインパクトが大きかったのでしょう。そんな有色人種は他にいませんしね。それが「"世界中"を相手に戦争を吹っ掛けた」という"評価"に繋がり、かつ国内で言われていることを見れば八紘一宇だ何だと、確かに「世界征服」を宣言していると取れる言論がはびこっている。
ならば・・・というか、言ったことには責任を持てというか、そういう感じですかね。俺たちの世界では、言葉には一つ一つ責任が伴うんだぞというか。
とにかく連合国側の一応の「公式見解」として、"世界征服を目指している国家・日本"という定義は、これを見る限り存在していたようですね。いやあ、なんか照れ臭いぜ。

第12条
日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合占領軍は撤退するべきである。

占領終了の時期。実は明示されていなかった。
 ・一世紀くらいは占領しつづけるべきという人々も。
 ・小崎道雄(牧師)「二五年くらい続けるべき」
 ・マッカーサー「数年で終わらせたい」
(以上、p.15)

結果としてマッカーサーの腹一つで、短期終了の予定で占領行政計画は立てられ、それを見越してGHQの宗教政策も決定されたということ。

序章はここまで。


第一章 宗教改革の組織と機能 より

宗教課の任務

(1)信教の自由の確立と保全を促進し、かつ日本国民をして信教の自由を希求するよう助長すること。
(2)日本国政府が、神道を保証、支援、保全、監督ないし弘布することを禁止すること。
(3)軍国主義的および超国家主義的な団体や運動が宗教の覆いに隠れないよう絶えず警戒すること。
(4)連合国軍最高司令官の広報および教育にかんする目的を宗教団体に理解させ、かつそれに協力させるために宗教団体との連絡を保持すること。
(5)宗教的文化財および宗教建築の保護、保存、復興、補修、その他の措置に関する問題について、連合国軍最高司令官を補佐して勧告を行なうこと。
(6)日本と韓国へのキリスト教宣教師の復帰にかんする政策を起草すること。
(7)新しい切手と通貨のすべてについて、図案を認可すること。
(p.22)

だいたいは分かる話だと思います。大目標は勿論、信教の自由と政教分離の確立。
特徴的だなと思うのは(3)で、「国体のカルト」の解体の時にも見られた態度ですが、"宗教"はあくまで利用(悪用)される立場であって、宗教そのものが悪をなす主体になるとは想定していないんですね。これは戦前日本の実態分析としてもそうであるのでしょうし、より一般的に社会学的な認識としてもそうなのでしょうが、更に根底には、宗教国家/キリスト教国家としての、アメリカないしはキリスト教圏諸国の前提的な態度なんだろうと思います。宗教自体はである、社会に必要・有益なものであると。
ここらへん、日本はそこまですっきりとはしていないですよね。民主主義も分かるし信教の自由が大切だというのも分かる、しかし"宗教"とそれが結果として為した行為・"悪"とを、そう明確に分けられるものなのか。戦後の日本人は恐らく世界史上でも稀有なくらいに宗教に対する知識理解が乏しい国民だと僕は思いますが、それはそれとしても、(当時の)アメリカ人の"性善説"はやはり少々楽天的に過ぎるように感じます。
まあ宗教を前提に成り立っている社会における、社会的要請と言えばそれまでですけどね。
・・・余談と言えば余談ですが、かなり濃厚に関連する余談。
近年の日本において、オウム真理教が"事件"後名前を変えて(のうのうと)存続していることに、不満・不審の念を抱いている人は少なからずいると思います。ただこの本を読んだ限り、もし仮にGHQがあの事件に対していたとしても、結果としては同じようなことになっていただろうなというのが、僕の感触。別に日本の当局が"弱腰"なわけではなく、「信教の自由」GHQ的原則に立てば、そうなる。まあ日本の当局が"それゆえ"に潰さなかったのか、そこらへんはよく分からないですけど。
それだけ「思想」(信仰)を裁くのは難しいというか、民主主義の原則に抵触する可能性が高いというか。勿論オウムの基本教義に"サリンを撒くこと"とか"社会を破壊すること"とかが目的的に入ってたらまた別でしょうけど、"派生""悪用"程度では、廃絶するまでには行かない。・・・あえて言えば、だから天皇制も神社神道も、廃絶されずに生き残ったとも言える。見方によっては、"オウム"と同じ罪がそれらには認め得るということ。
まあ実はオウムの主張の中には「米軍が攻撃して来ている」という"米軍敵視"がちょいちょいあったので、文字通りにはそこだけで潰されたかもしれませんが、それはちょっと状況が違うかなと(笑)。妄想の「内容」は時代状況によって変わりますから、あの時それが"米軍"だったのはたまたまというか。1990年代ゆえの現象というか。

話し戻して(6)は一見するとキリスト教の優遇、つまり"信教の自由""政教分離"の侵犯のようにも見えますが。基本的には"復帰"と書いてあるように、国家神道体制下において殊にキリスト教はそれと相性が悪く、弾圧や追放などが集中的に行われた、その補償、つまりマイナスをフラットに戻すということで、優遇ではないとそういう理屈になるんだと思います。
ただ実際にはやはり、後で述べるようなマッカーサーの個人的意向や各種キリスト教団体のプレッシャーの影響を、抑えきれない部分もあったと、そういうことかなと。
(7)は要するに過度に国威発揚的というか、"国体のカルト"的なモチーフの採用を許さないという話です。

日本の宗教界を改革することはその任務ではなかった
(中略)
彼らは、宗教課がしようとしていること、および彼らにさせたいと思っていることの手がかりを探っていたのだが、宗教課には、概して、彼らにさせたいと思っていたことはほとんどなかったので
(p.29)

上ではキリスト教優遇疑惑なども出てはいますが、基本的にはGHQの政策担当者たちは恐ろしく公平中立でかつ干渉的ではなく、逆に「何しに行ったんだ」とキリスト教団体にちょいちょいクレームを付けられるような、そういう仕事の仕方をしたようです。神道もキリスト教も、同じように助けない。
やってることは本当に「信教の自由」「政教分離」だけで、それ以上の各宗教の"内容"には、無関心とも言えるくらいにノータッチ。
文中"彼ら"と言っているのは、日本の各宗教団体の代表者たちですね。"お上"の意向を探りに行ったのに、"意向"何も無いので空振りに終わったという。(笑)


軍政班

地方のレベルで、日常的に、連合国軍最高司令官の政策を都道府県庁、諸団体あるいは諸組織が実施するよう指導、監督、監査する責任は第八軍の方面ないし都道府県の軍政班の責任下におかれ、総司令部の各専門局は、辛うじて地方とは間接的に、細い関係を保っているだけだった。
(中略)
第八軍軍政部(のちの民政部)とは便宜電話で連絡を取り、非公式な話合いはしばしば行ったけれども
(p.20-21)

上はつまり、中央の総司令部内での話で、人員的にも制度的にも、彼らの仕事は方針・政策を作るところまででその実施については各地の「軍政班」に任すしかなかった。
「軍政」自体は要するに"軍に関する行政"であるわけですけど、占領下という特殊な状況においては、「民政」も含んだ行政全般を、実質的に担ったと、そういうことですかね。後に占領の安定と共に「民政」部(班)と改名されますが、仕事の内容は基本的に同じだったようです。

ことに占領の初期においては軍政班の要員のレベルは大変不均衡で、その行動も満足にはほど遠いものが少なくなかった。
(p.32)

行動的情熱をもった人びとのなかには、かなり熱心に宗教問題に取り組んだ者もいた。担当地域にあった宗教団体の本部の改革に使命感を覚えて、その目的達成のために的外れの努力をした者も一人や二人はいたのである。
(p.33)

上は"消極"的な、下は"積極"的なタイプの、占領行政の紛れ、方針の不徹底。
上はまあ、単純な人材の質と量の問題。
下は笑いますね。「行動的」で「情熱」的というから褒めてるのかと思ったら、「余計なことをするなバカ」という皮肉だったという。(笑)
GHQ宗教課の"中立不干渉"方針が、いかに徹底的意識的なものだったのかという、そういう一節。


内務省と神祇院

日本国政府における反動的な官僚の中枢は内務省にあった。一八七七年に設置されて以来、内務省は、軍部と共謀して、全国民を天皇の意思---といっても、実際は天皇を意のままに操る一握りの人びとの意思---に盲従する臣民に仕立て上げるという仕事を進めた。それは、過激派の温床であり、少しでも自由主義の気のある人々にとっては地獄であった。
(p.36)

"一八七七年"とありますが、"一八七三年"の間違いでしょうね。(内務省[日本]Wiki)
嫌な響きだ、"内務省"。
 ・地方行財政・警察・土木・衛生・国家神道などの国内行政を担った。初代内務卿の大久保利通の思想を反映して、設立当初から国民生活全般への強度の監視を課題としており、行政事務の枠にとどまらなかった。
 ・第二次世界大戦前の日本では「官庁の中の官庁」、「官僚勢力の総本山」、「官僚の本拠」とも呼ばれる最有力官庁であった
 ・1925年5月12日に治安維持法が制定されると、特別高等警察の元締として、思想犯や政治犯の取り締まりを行い、網の目のような監視体制を日本全土に構築した。(Wikiより)

やはり悪役か、大久保利通。(笑)
とにかくこれが、GHQの基本的な見方であったということですね。
この書き方だと前述の"右翼過激派"は、民間の思想家だけを指すのではなく(その影響下かも知れませんが)官僚の中にもいたと、そういう認識のようですね。具体的には、それ以上書いてありませんが。
"自由主義者にとっての地獄"という言い方にこめられた熱には、著者の「本気」が窺えます。
あの時何を守ろうとしていたのか、日本に何をもたらそうとしていたのか。(ありがとうございます)

占領軍は、二年にわたって内務省を民主化すべく無為な努力を続けたのだが、連合国軍最高司令官はついにこれを断念し、一九四七年一二月三一日をもって内務省を廃止するように命令した。
(p.37)

まあ総本山には総本山の意地があるでしょうからね。(笑)
ただし下の神祇院の例にも見られるように、基本的に日本の政府官僚や神社神道も含めた宗教団体等の旧勢力は、誤解に基づく行き違いを除けば概ね積極的協力的に、GHQの"改革"を受け入れようとしたようです。文部省あたりは、なかなか頑固だったらしいですが。

神祇院は、その反動的な性質にもかかわらず、新しい状況に適応し、連合国軍最高司令官の指令の命じるところに従おうとする努力においてはそのほかの省庁に後れをとらなかった。「人権指令」にかんして、政府職員および神社にどのような対応すべきかについて最初に指示を出した政府機関は神祇院だったのである。
(p.37)

神祇院とは、明治維新以来、復古主義的な神道家たちが、古代においてあらゆる官庁の上に置かれた最高官庁としての神祇官の復興を目指したものの、さすがにそれは果たせずに代わりに内務省の外局として設置された"敬神思想の普及"を目的とする官庁。(Wiki)
そんな"国家神道の権化"みたいな官庁ですら、協力的な姿勢を見せていたという。
勿論保身や追従もあったんでしょうけど、総じてGHQの占領方針改革方針自体は、本当の一部過激思想家&既得権益者以外には理解・歓迎されていた、神社界神道界すらも"国体のカルト"にうんざりしている部分が大きかったと、そういう光景に見えます。
結局色々あって、神祇院は廃止されてしまうんですけどね。なお「人権指令」については、次回に。


今回はここまで。

("第二章「人権指令」と「神道指令」"につづく)


スポンサーサイト
テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック