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常井健一『誰も書かなかった自民党』 より ~自民党派閥史超速理解
2016年12月07日 (水) | 編集 |



副題に"総理の登竜門「青年局」の研究"とあるように、本自体は小泉進次郎"局長"によって有名になった自民党の政党内組織「青年局」(過去に竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、麻生太郎、安倍晋三の各首相を"局長"から輩出)の歴史と役割の変化を追ったものです。
それ自体については今回書きませんが、読んでいる中で自民党史そのもののおさらいや現安倍政権に繋がる周辺情報として面白いものがいくつかあったので、紹介しておきます。


「自由」と「民主」、「本流」と「傍流」

親米派の元外交官である自由党総裁の吉田茂は、戦中に政党人が軍部に屈した反省から、幹部級の高級官僚を政界にスカウトして戦後改革を担わせた。それが「吉田学校」である。その代表格が池田勇人(大蔵事務次官)、佐藤栄作(運輸事務次官)だった。
池田は大蔵省の部下だった大平正芳宮澤喜一を率いて政権内に頭脳集団を形成した。これが現在まで続く宏池会(現・岸田派)であり、彼らが「保守本流」と呼ばれる所以である。(中略)こちらが佐藤派、田中派、竹下派と続いた、七〇~八〇年代の「キングメイカー」の系譜である。
(p.100)

モーニング連載中の池田勇人を主人公とした作品『疾風の勇人』



を読んでいる人には、最近俄かに(笑)お馴染みとなっているメンツの話。
あそこでは割りと単純に"権力闘争"としての党人派対策と、占領軍に対する理論武装として池田たちの頭脳を必要としたというような描き方になっていたと思いますが、その更に根底に、戦前戦中(の体制)への"反省"と"対抗"という意図があったと、そういう話。
まあ占領軍に対する感情的な反発はあっても、"改革"の目的自体は、確かに共有しているようではありますからねこの作品でも。個別の違いが強調されてるので、今一つ分かり難いところはありますが。

一方、GHQの命令で公職を追われた元自由党総裁鳩山一郎、岸信介、河野一郎らは復権後、自主憲法制定・再軍備を主張して一九五四年に日本民主党を結党した。(中略)右寄りの政党人が数多く糾合した。彼らは穏健な官僚派の保守本流に対する「保守傍流」というレッテルを貼られた。この流れが、金権政治と対峙した三木武夫、田中角栄との抗争(角福戦争)を展開した福田赳夫、「戦後政治の総決算」を唱えた中曽根康弘に行き着く。
(p.100)

「自由党」「民主党」という語感からは今日余りピンと来ませんが、「自由党」の方があえて言えばリベラルで"穏健"、「民主党」の方は復古派でナショナリスティックと、そもそもそういう起源を持っていると。
「三木武夫」や「福田赳夫」の後のイメージにそういうものは見当たりませんが、それは彼らの直接の"敵"が自由党系本流が結果として形成した"金権政治"であったから。むしろ「中曽根康弘」の方が本来というか、先祖返りなのかという。(笑)

そんな自由党民主党社会主義勢力と対決するために呉越同舟となり、五五年に発足したのが自由民主党である。
(p.101)

つまり決まり文句のように言われる「憲法改正は自由民主党の党是」という言い方は、嘘ではないけれど若干トリッキーではあって、『自由民主党』としては確かに"民主党"を抱え込んだ時点でそうだとは言えるわけですが、しかし勢力的に「本流」であった"自由党"系列にはそれは無かったわけで、必ずしもそうではないという言い方も出来るは出来る。
別な言い方をすると、「社会主義勢力」というより大きな"左"に対しては自由民主党は保守・右ではあるのだけれど、その内部的"本流"にはそもそも"左"的な部分を持っていると、そういう構造。
そういう"与党"が戦後日本を導いて来たというのと、それだけこの時期、"社会主義勢力"が本気で強かった、脅威だったという話。


「青年局」と「右派」運動

草創期の青年局に携わった自民党参与の小安英峯は、「異端の系譜」を形作った指南役として、矢部貞治(政治学)、高山岩男(哲学)、大野信三(経済学)の名を挙げた。
矢部は三木の相談役であり、早川と中曽根、玉置の恩師でもあった。戦前は近衛文麿のブレーンとして大東亜共栄圏を構想し、京都学派の高山は、それを肯定した。(中略)二人は近代経済学者の大野を加え、五九年に共著『新保守主義』を自民党から出版する。
大政翼賛会の形成にも影響を与えた矢部は、自由な個人よりも結束した共同体が政府と協働する姿を理想としていた。
(p.103)

保守勢力が中央政界で上で言ったような妥協的な合従連衡を行なっている間にも、革新勢力は地方や若年層に着実に根を張っていて、自由民主党結党時点で相当の立ち遅れがあったとのこと。その対策・対抗として、若年層や地方の意見を吸い上げ勢力を結集する機構、党内"改革"勢力として作られたのが「青年局」であると。
上で言ったように党内の"本流"はやはり「自由党」系であったので、自然、そしてそもそもの革新勢力との対決という目的上も、特に初期において青年局の主導権は"傍流"であり"右派"であった「民主党」系の人材が担うことになったと。
・・・ただしこれは「党内政治」的性格も強い話であるので、必ずしも常に「青年局」が"右"寄りというわけではなくて、あくまで"時の"本流に対するアンチ・改革というのが、後になればなるほど基本性格になって行くので、例えばそれこそ小泉進次郎(青年局長)などは、後で述べるようにかなりリベラルな政治信条を持っていて、そこから執行部批判などもするわけです。

それはともかく。

党員一〇〇万人からの五倍増を目指して、過激な左翼運動と距離を置く全国的な青年団体に焦点を絞った。日本青年団体評議会や農協青年部、YMCA、日本青年会議所、ボーイスカウト、赤十字、各宗教団体である。
(p.105)

なんかもう、「青年」という言葉自体、使いにくくなるような感じがしますけど。(笑)
右にしろ左にしろ、必ず"政治"の臭いがついて来そうで。
ここで"宗教団体"が出て来るのが、面白いと言えば面白いところで。宗教、特に戦後の宗教なんてほとんどは(経済)"社会"批判とそこからこぼれた個人を救済することがお決まりの動機なわけで、本来どちらかと言えば"左"的本質を持っているはず。いつか書きますが戦前の教派"神道"ですら、大部分はそういう基本性格を持っているものなんですよね。それがこうして易々と"右寄り"に組織されてしまうのは、単純に言ってしまえば"過激な左翼"とその教祖マルクスが、宗教を完全否定してしまったからで、そこらへん、「平等社会」という本来の目的から外れたところでかなり足を引っ張ってるよなと、いつも思います。
そこらへんも含めて、「左翼」が「過激化」すればするほど、特に「右」でもない、ただの中庸的な団体たちが曖昧な共通点のまま("赤十字"って何よ?(笑))右寄りに組織され易くなり、更に特に宗教などはそうでしょうが、いったん"右寄り"に組織されるとその後はそのアイデンティティを固める為に更なる"右"化が進むと、そういう風景もある気がします。"左"じゃないから"右"。元々そこまではっきりした政治思想を持った団体・勢力が、このノンポリの国日本にそんなに発生する土壌があるようには思えないですし。
とにかくこうして、「宗教」と「自民党」(または与党)は結び付いて行くんだなと、その一端を覗き見た思いでした。


安倍晋三「青年局長」の出世

そんな埋没気味だった安倍を一気にスターダムに押し上げたのはなんだったのか。
安倍は局長在任中の九七年に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を設立している。(中略)平沼や中川、古屋ら青年局長経験者が主導し、現役局長の安倍は事務局長になった。
つまり、安倍を有名にしたのは従軍慰安婦や歴史教科書などの思想的な問題であった。
(p.170)

"埋没"というのは、ある時期までの安倍晋三氏は、同期の小此木八郎野田聖子塩崎恭久、後輩の河野太郎などと比べても、実はそれほど目立った存在ではなかったと、そういう話。
それが"思想"問題をてこにのし上がって行ったということの中には、一つは勿論、そもそも安倍氏がそういう思想傾向の持ち主であったということはあるんでしょうが、それはそれとして元々は安倍氏も「政策通の若手」グループの一員であって、別に単なる右翼ゴロではないということと、その一方で"思想"で出世したからには"思想"(とそれを押す支援団体)を強調はせざるを得ないので、本当のところの狙いは本音は、よく分からないというか単純に測れないところがあるかなという、そういう話。
結果右からも左からも、微妙に疑われたりしているわけですけど。(笑)

そして、こうした若返りの副産物として「次期総理」に浮上したのが、安倍晋三である。
(p.180)

"こうした"というのは小泉構造改革周辺の状況を言っています。それまで入閣歴も無かった安倍晋三氏ですが、前代の森内閣に続いて小泉内閣でも内閣官房副長官に起用され、その「構造改革」と協働することによって一気に序列を上げて地位を固めて、現在に至ると。

歴史上では党内野党の立場であることが多かった青年局だが、小泉と安倍の登場を機に政権が掲げる構造改革の親衛隊となり、反小泉の「抵抗勢力」と戦いを繰り広げた。
(p.186)

純一郎氏自身は青年局と関わりは持っていませんが、何せ"生きた党内野党"みたいな人で(笑)、それが何かの間違いで"与党"になった時に、安倍元青年局長を通じて青年局も構造改革に協力したと、そういう話。

(元)"若手の改革派"でありかつ"反動政治家"であるようにも見える安倍晋三氏の、「青年局」をキーとする曲折ある"生い立ち"の話でした。
ある種偶然に恵まれてというか、"いいとこ"取りで、上手いこと出世したようには見えますね。
同期である野田聖子議員が、"意地"を見せたくなる背景は理解出来たというか。あんなやつ、大したことないのにと、心中では思ってそうというか。(笑)


その他こぼれ話

誰もが知る「青年海外協力隊」は、実は竹下青年局の発案で創設された組織なのだ。
(p.108)

そもそも"竹下登の青年時代"というもの自体が、非常に想像が困難なんですが。(笑)
生まれつきお爺さんだったような気がしてならない。(笑)
とにかくそうなんだそうです。竹下登氏が青年局長だった時代に発案され、その後青年局が駆けずり回って、実現した組織。
要は「地方と繋がる」組織である青年局が、その「地方」の対象を「発展途上国」にも広げたと、そういうことですね。

「二一世紀になるころには、田中政治は反面教師になっている」
角栄は鳩山(邦夫)にそう言い聞かせたという。
(p.128)

1976年の発言。
"角栄伝説"、また一つというか。
まあ単純に「欲」で"金権政治家"になったとはとても思えない人ですから、自らの手法を"方便"として客観視する思考は、当然持っていたという話ですね。
ちなみにこの著者自身は某CS番組で、昨今の"角栄リバイバル"については「美化し過ぎだ」と苦言を呈していました。

ある日、棚橋は派閥の先輩である斉藤斗志二から呼び止められた。「誘い」とは、大統領のプーチン側近からの、自民党の政策決定システムを解説してほしいという話だった。(中略)
「プーチンの周辺は世界の主要政党を比較・分析していたようです。なかでも与党歴が長いのは日本の自民党だということになって、それでお呼びがかかったんです」(斎藤)
棚橋は斎藤とともにモスクワを訪ね、ときの与党「統一ロシア」でスピーチした。
(p.187-188)

"棚橋"ってプロレスラーではないですよ?(笑)。将来馳浩の後を追わないとは、限りませんが。(笑)
安倍氏の七代後の青年局長、棚橋泰文氏のことです。
まあ歴史のこぼれ話。その後プーチンの政権運営に、"自民党の政策決定システム"がどのように参考にされたのかは、よく分かりませんが。(笑)
このように対外的にも、「自民党青年局」というのはれっきとした"代表"として扱われる慣例があるという、そういう一例ではあります。


小泉進次郎「青年局長」の交遊録

最後にこの本が書かれたきっかけであり、遠くない将来の"総裁候補"とも目されている第44代青年局長小泉進次郎氏の、局長時代('11.10~'13.10)の興味深い"交友録"を、名前だけ列記しておきます。

乙武洋匡
湯浅誠・・・"年越し派遣村"
駒崎弘樹・・・病児保育、小規模保育、障害児保育に関するNPO法人フローレンス代表理事
開沼博
津田大介
堀義人・・・グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー
朝井リョウ・・・『桐島、部活やめるってよ』
古市憲寿
高島宏平・・・オイシックス代表取締役社長

松井孝治・・・民主党議員
平田オリザ・・・劇作家、演出家
佐藤尚之
内田樹
早野透
想田和弘・・・映画監督
今村久美・・・社会起業家、NPO法人カタリバ代表理事
(p.227~)

なかなか何というか、"政党内野党"感満載ですが。(笑)
池上特番で初めて進次郎氏の肉声を聞いた時は、その余りにも安倍政権と異なるところの多い主張に、なんだこれはやぶれかぶれなのかと思ったりしたんですが(笑)、この本を読んで「青年局」の伝統として、ある程度そういうものが許されているということが分かって納得しました。

まああれで意外と慎重・周到な性格の人のようですね、この本で描かれている姿を見ても。
同じ人気者でも、親父とか(笑)橋下氏とかとは、かなり違う感じというか。
分かりませんが。(笑)


こんなところです。


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テーマ:政治家
ジャンル:政治・経済
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