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ウッダード『天皇と神道 ~GHQの宗教政策』(第三章&第四章)
2016年12月15日 (木) | 編集 |
前回

いい加減年末で、どうにも気分ではないんですけど(笑)、先の予定もあることだし頑張ります。
12月は基本的に、クリスマスが終わるまでは、「西洋」の気分ですよね。(笑)
ああ、そういえば少しクリスマスの話も出てたっけ、今回は。


第三章 「神道指令」の法制化

しかし、その当時強制された実施形態が、必ずしもそのまま続くとは考えられていなかった。むしろ反対に、ひとたび日本が主権国家に回復すれば、きっとなんらかの修正が行われるだろうと予測されていた。
(p.83)

GHQの担当者の、自らの宗教政策の永続性についての基本的な見方。
序章で出て来た、マッカーサーの意向に従って、占領は数年で終わるという前提で考えていたという話とも、関連した話でしょうが。
それでいいのか?という感じもしますが、担当者たちの不干渉主義というか、原則提示主義というか、そういう基本的態度からすると、そんなものかなとも。日本人の首に縄はつけられんというか、水場までは連れて行くけど後はというか。
ただ残される方はそれでは収まらない部分もあって、そこらへんについては後で「宗教法人法」制定のあたりでも出て来ます。

憲法改正と宗教

日本国政府は、一九四五[昭和二〇]年の九月には憲法の改正が必要になろうとの認識は持っていたが、その改正が緊急を要するとは思っていなかった。この点では、連合軍最高司令官の意向を大きく取り違えていた。東久邇内閣の下で法制局が慢然と議論していたが、「日本国民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と定めた大日本帝国憲法第二八条について考察した記録はまったくない。これはおそらく、幣原内閣の成立四日後の一〇月一三日に作られた憲法調査会において神社神道が問題になったときにはじめて取り上げられたのである。
(p.84-85)

まず信教の自由
これについては必要性自体は誰も表立っては否定しないし、旧憲法でも認められていはいた。・・・ただし制限付きで。
この"制限"を"制限"だと見なすかどうかに見解の相違があって、そこに緊急性の認識の違いが生まれていたということ。必ずしも悪意があるとか、占領軍に対して反抗の意思があるとか、そういうこととは限らない。
「東久邇内閣」というのは終戦後すぐに組閣された敗戦処理内閣で、理由については諸説あるようですが結果としてGHQの「人権指令」の実行を拒否して、総辞職した内閣。(Wiki)
従って次の「幣原内閣」の下で、本格的にGHQの諸改革は進められて行くことになります。(Wiki)
この書き方だとウッダード自身は、東久邇内閣を反動的な性格を持っていたと考えているように見えますね。

それはともかく。

しばしば繰り返された一つの提案は、神社から宗教的な要素を除去してはどうか(中略)というものであった。(中略)
神社は宮内省に移管して皇居の斎殿と同じ扱いにするとともに、国民が希望すれば表敬ないしは参拝できるように公開するという提案もあった。
(p.85)

続いて政教分離の問題。というかほとんどは、「神道」の扱いの問題。
前回("「神道指令」に対する反応"の項)言ったように戦前の日本においては、(神社)神道は"祭祀"であって"宗教"ではないとして、他の宗教とは法制度上も別枠で扱われていました。それと同じようなことを、また"提案"して来ているわけですね。「政教分離」を徹底せよという、GHQの意向に対して。
これもやっぱり、"反抗"しているとかではなくて理解の問題というか、本当に"祭祀"だと思っていて正直この方法の何がいけないのかよく分からないという、そういう実態なんだと思います。戦前戦中に行き過ぎがあったとはいえ、それが日本人の神道に対する基本的な感じ方であるというか。・・・ひいてはその背後にいる、天皇についても。
だから上で問題になった「臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限についても、"国民の祭祀をないがしろにしない"という意味では、ある程度は当たり前のこととして、(信教の自由に対する)"制限"とは感じないという感じ方も、広くあるにはある。
勿論この条文がどういう事態を惹起し得るかについての法的想像力自体は、戦前でも十分に働き得ただろうとは思いますが。ヤバい条文には、違いない。

ちなみにこの際だからざっと説明しておくと、「神道の"祭祀"化」が明治においてどのように進んだかというと、最初にかなり強引な神道の国教化と神道の支配による他宗教の"手足"化が試みられ(大教院等)、それに対する仏教等の反撃と政策そのものの空洞性でそれらが破綻した後に、さりとて天皇信仰を中心とした国家体制という大方針自体は揺るがせられない条件下で、"特別"だけれど"実質"の薄い名誉職(「祭祀」)として神道を隔離したと、簡単に言えばそういうプロセスなんですね。
その時と今回に共通する政府の論理はつまり、「神道は"宗教"ではないのだから政"教"分離の問題には引っかからない」(あるいは他の"宗教"とは競合しない、国家が保護しても他宗の"信教の自由"は侵さない)ということですね。これは"誤魔化し"ではあるし"強弁"ではあるわけですが、戦前においてはある程度機能した部分はある。つまり前回の最後に説明したように、祭祀化された神社神道は布教等の積極的活動は禁止されていたので、他宗の直接的"競合"相手にはなっていなくて、その意味での「信教の自由」はあるレベルでは保証されていた。ただ神道の神話や教義が、"理論"として国家主義体制を支えてそれでもって個別の教団の弾圧や国民の思想・信条の自由を制限することにはなっていた。その"罪"をどう考えるかというか、その"罪"をどれだけいち宗教、「宗教教団」としての神社神道に負わせるか、そこらへんに今日まで続く論争があるわけですが。

で、GHQの立場がどうかというと、これは非常に原則論的というか徹底平等で、あくまでいち宗教として神道を扱う。国家からの保護ははく奪するけれど同時に最大限の自由も与える、つまり"祭祀"化という特別扱いそのものが神道の"自由"の侵犯だという立場なので、政府の動機はどうあれ、あるいは神道界の希望はどうあれ、日本側の案はハナから検討には値しなかった。それが「しばしば繰り返された」という表現に込められた、若干の苛立ち(笑)に込められているわけですね。
確かに"いち宗教"と見なしたからこそ、神道側が警戒していた伊勢や靖国等の「国家主義的」神社にもノータッチだったわけで、そういう意味では筋は通っている、公平だとは思います。ただあくまでそれは西洋的「宗教」観だというところはあって、それについては譲らなかった、歩み寄らなかったという、限界はあったかと。
例えば上の"提案"を見て、それでいいんじゃないかとか、現在も実質神社なんてそんなもんじゃないのかと思った人も、少なくなかったと思いますがどうでしょう。それくらい今も昔も日本人にとって「神道」というのは特殊というか、「宗教」という括りで見るのが難しい存在だというか。明治のいざこざも、言うなれば"宗教"ではなかった神道を"宗教"化しようとして失敗した、それで元の鞘に戻ったと、そういう見方も可能だと思います。
とにかく神道の扱い、または日本における「宗教」の定義の問題は難しくて、二大原則の内の特に政教分離については、この後もしつこく、混乱が続きます。

第三点は、第八九条の公金その他の公の財産の「公の支配に属さない慈善、教育若しくは博愛の事業」にたいする支出の禁止にかかっていた。
(中略)
第二には、保管林の制度によって多くの神社や寺院が国有林の保護と植林を行い、その代償として実質的な収入を得てきたのだが、これが廃止されるのではないかという点であった。
(p.89)

これは若干、こぼれ話的な。
余り意識されませんが神社や寺院は結構な広さの山林を国家からの委託を受けて管理をしている場合が多くて、その"管理料"やそこからのアガリが重要な収入源になっていた。それは見かけ上では"政教癒着"には見えるわけですが、そもそもその土地自体が明治になって没収された後改めて委託されたという場合が多くてかつ"保護と植林"の実効性も国家の直接管理では望めないほど高かったので、さあどうしようかという話。
詳しくは省略しますが、最終的にはこれはほとんど実質を替えずに寺社に渡されて、GHQにしてはかなり恣意的非原則的な政策運用をした分野になりました。


宗教法人令

宗教団体の国家管理を目的とした戦前の「宗教団体法」と、現在に至る「宗教法人法」の間に存在した、過渡的な宗教法制(1945.12月~1951.10月)。名前がややこしいので注意

バンスは、当時、「宗教法人令」の達成したことについてのコメントで、それが宗教集団を法人化するための諸手続きを自由化かつ簡略化したこと、法人化に政府の「許認可」を必要としないようにしたこと、および政府行政機関が宗教法人の内部組織や宗教活動にいかなる支配をもおよぼさないようにしたことを挙げていた。
(p.102)

法人化は届け出によったので、文部省は無審査で申請を受け付けるという方針を採用した。何百人といういかがわしい人びとが、よくても一般企業か、悪くすると超国家主義的な集団やあいまい宿が、「人類に幸福を与え、世界に平和をもたらす」というようなみせかけの格好をつけて法人を作り、租税の免除の特権を受けることができたのである。
(p.103)

まあそういうことです。あいまい宿って(笑)。(weblio辞書)
ちなみにソープランドは、言うなれば"あいまい風呂"ですね。(笑)
"「許認可」を必要としない"のならでは何を"届け出"させたのかというと、法人としての財産管理等の形式についてで、要するに一般企業と同じですね。「民法(財産法)でやればいいだろう」という、GHQの一貫した主張がここでも。


宗教法人法の制定

早くも平和条約の噂が広く流れはじめた一九四九年ころ、宗教界には、占領終了後の最初の国会がどんな態度をとるかについて強い不安を感じる者が多かった。
(中略)
人びとは一様に、満足のできる法律が国会で制定される確率は、占領終了後よりもその前のほうが高いという見方をしていたようだ。
(p.104-105)

上で言った、"残される者の不安"の話。
自国の政治家よりも、他国の占領軍・進駐軍の方が信用出来る。
まあ発展途上国などでは、今日でもよく見られる事態ではありますが。現代の日本を見ても時折・・・とかいうのはありがちな皮肉なので、控えておきますが。(笑)
"平和条約"というのはつまり、上の「宗教法人令」が占領期間中限定と、予め定められていたからですね。

その一方で。

文部省が初めて新しい法律の起草について打診してきた一九四七年の時点では、バンスは関心を示さなかった。彼は、宗教団体は民法を使うことができるし、そうすべきだと信じていたのである。
(p.105)

いつもの話。
ではなぜ宗教法人法制定の作業が始められたかというと、それは"不安"を感じていた宗教界からの強(た)っての希望に応えて。
まあ、民主主義ですから。

そうして始まった起草作業は、当初はGHQはオブザーバー的な立場に留まる予定でした。
そもそも常に、実作業は「日本政府」に委ねられていたわけで。しかし。

占領が始まってから四年も経過したという事実にもかかわらず、文部省によって準備された諸草案は古いパターンを守りつづけ、バンスやダイクを絶望的にさせる「宗教団体法」の表現と同じ表現を好んで用いていた。
(p.106)

政府は宗教に関与する権利と義務があるという日本政府の見解からして、すでに難問だった。(中略)官吏たちに納得させるのに、じつに長い時間がかかったのである。
最終的に、「宗教法人法」の第一条(この法律の目的)には、以下のように書かれている。
 第一条  この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、
 その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上
 の能力を与えることを目的とする。

(p.111)

"釘を刺した"、という感じですね。
まあ、どう、なんでしょうね。
文部省があえて逆らってるのか、反動的なのか。他の箇所での文部省も含めた日本の当局の協力の"積極"ぶりを見ると、やはりこれも理解と見解の問題に、どちらかというと見えます。"宗教"に関する、基本的な考え方の違い。諸宗教の自由な活動による"健全"な社会という、キリスト教圏的な社会観を、どうしても共有出来なかったのではないかと。あくまで一定の範囲で"許す"ものとしか、宗教の「自由」はイメージ出来なかったというか。
実は現代の我々の"宗教"観も、GHQのそれよりは当時の日本政府の方に、今もって近いようにも見えますしね。(政府からの)"自由"の原則については確かに敏感にはなっていますが、こと宗教については余り寛容ではないというか、隙あらば活動を制限したいという感情の方が、強く出るように思います。
あるいは当時のアメリカと今のアメリカ、更にはキリスト教社会とイスラム教社会との間にも、同じ"宗教尊重"社会どうしでも同一視出来ない違いがあるわけで。なかなか、難しい。

とにかく日本政府には到底任せていられないと判断したGHQは、主にそもそもの"発注元"である宗教界の代表者との困難な長い協議の末に、ようやく今日残る宗教法人法の起草・制定にこぎつけます。その内容については、特にコメントされていませんが。要は「国家による宗教の管理」というベクトルをいかに排するか、それだけが関心という感じ。目的はただ一つ、いかにして宗教団体にスムーズに法人格を取らせて、社会的地位を確立するかということ。
まあ(法人"令"以来の)法人格の取得資格の曖昧さや、租税減免措置など、どうも納得し難いところも多いゆるゆるの法律には僕にも見えるわけですけど。そもそもの目的意識関心の方向が違うので、説明の必要は認めていないよう。


第四章 政教分離の具体化へ

若干章立てが分かり難い感じもしないではないですが、要は「神道指令」とそれを承けた「日本国憲法」「宗教法人法」という形で明文化された、GHQの宗教政策の二大原則の内、『政教分離』がどのように政策的に推し進められたかという、具体的な顛末。
『信教の自由』については、別章で取り上げられます。


(公)教育と宗教

前田多門は新しく文部大臣に任命されると、信教の自由にたいするあらゆる障害を撤去するように要求した「人権指令」およびビンセント放送についての報告を読んで、一八九九年の「勅令第一二号」は廃止しなければならないと判断した。
(中略)
もし、彼がダイクかバンスと話し合っていたら、占領軍が信教の自由の障害と考えていたのは、逆に公教育が神道を特に支援、支持していたことであったのを知りえたはずである。しかし公教育における神道の取扱いにかんしては、彼は何もしなかった。これが、「神道指令」の発令を不可避にした一因であったともいえる。
(p.120)

少し遡って、「神道指令」発令前夜の話。
"前田多門"というのは、上記東久邇内閣が任命した文部大臣です(Wiki)。"ビンセント放送"については前回。米本国で一般視聴者向けに行われた、日本の占領政策の方針について説明したラジオ放送。
"一八九九年の「勅令第一二号」"とは、恐らく"文部省訓令第12号"の誤りで、官公私立学校での宗教教育・活動を学科課程・課程外を問わず禁じた「宗教教育禁止令」と通称されるもの。
つまり上で言われているのは、前田多門が独断で先走って、教育現場での宗教教育の開放という形で"信教の自由"を達成しようとしてしまったが、それはGHQの意向とは逆方向であったという話。
そこで改めて、ただでさえ教育現場で優先的な影響力を持っていた神道を名指しする形での禁令を、GHQは出さざるを得なかったと。

そうして出された神道指令に対して。

日本政府の教育所管当局の行動は迅速で、徹底していた。(中略)教育からの宗教の分離の指示があまりに徹底していたために、政府の官吏も教員たちも教科書の筆者たちも、また宗教の指導者たちも、すこぶる困惑した。彼らは、何をすることができないかは理解したが、何をすることができるかはわからないようだった。
(p.121)

一種の"言葉狩り"のような事態が出現してしまったと。「宗教」と名の付くもの「宗教」に関するありとあらゆることが闇雲に疑われ、取り上げること自体がタブー視されて、大学での比較宗教学的な研究にさえ、GHQがわざわざ許可を与えなくてはならなくなった。
まあ、何と言ったらいいんですかね。日本の役人の勤勉さ、日本国民の"お上"に対する方向を問わない勤勉さ、それから今日もしばしば見られる、"自粛"癖。
よりピンポイントには、神道の国柄的曖昧さを中心として、"政"と"教"を分離するとはどういうことか、分離しないと何がいけないのか、あるいは神道教義を背景に行われて来た戦前の道徳「教育」の、どこが結局問題なのか、GHQが期待するようには主体的な理解が、なかなか進まなかった。よく分からないから関係ありそうなものを根こそぎ削除しようという、反応になった。

その結果。

彼は一九四七年一月一〇日にバンスを訪問した際に、世論を代表して「教育勅語」および神道の教えの公立学校からの全面的な撤去は、真空状態を引き起こしているから何か代わりをもってきて充填しなければならないと述べた。彼は正しい動機づけを求める要求が広汎に存在すると考えており、そのような動機づけの少なくとも一部は、宗教が与えることができると感じていた。
(p.126-127)

"彼"というのは、GHQと日本の宗教界の間に立って当初より仲介に奔走し、ウッダードにもその功績を絶賛されている、岸本英夫元東大教授の事です。(Wiki)
・・・余談ですが某大川隆法氏はこの人を毛嫌いしていて、むしろ"大川隆法が嫌いな宗教学者"として、僕は最初に名前を知りました。(笑)
話戻して今日でもここで生じた"道徳的空白"は、時に問題視はされますね。それは"空白"による虚無感が問題だというのもありますし、同時に"空白"ゆえに変なものが入って来る、例えば単純な「教育勅語復活」論とかと、そういう脆弱性の問題でもあります。神道や反動思想全般の近年の"復活"も、一つにはこうした全否定・機械的削除、軟着陸の失敗による価値観的脆弱性の問題というのが、大きく関わっているように見えます。
ではどうすれば良かったのかというと、まあなかなか難しい。特に一般レベルでは。ただ学界・思想界及びマスコミ界においては、後追いでもいいからもう少し早くから黙々と、再検証の作業は進められるべきだったろうなとは思います。"ムーブメント"ではなくてね。それが"起きる"前にというか。
今は"先手"を取られて、必要以上に劣勢になって、どちらの側から見てもあるべきバランスが取れていない状態だと思います。"ディベート"の次元が低いというか。

なおこの項で述べられているのはあくまで「公」教育の場での問題で(だから"政"教分離なわけです)、私学で何を教えようとそれは基本的に自由なわけです。念の為に。


"隣組"と暗黙の「国教」

各地方の住民からその意思に反して寄付を強制されたと主張する訴えが、絶え間なく占領軍の民政班に持ち込まれた。
(p.150)

隣組は、降伏の日に公式に廃止されたという誤った印象が外国にあるが、(中略)機能しつづけていた。
事実、これらの組織の長は、神社の祭礼のための寄付集めに大変熱心だったのであり、彼らは、信教の自由および教会と国家の分離の原則の主たる違反者になっていた。
(p.151-152)

"隣組"とは江戸時代の"五人組"等に起源を持つ、戦時中の国民相互監視システム。・・・まあ専制国家にはありがちなあれというか。(Wiki)
更に深層には「村八分」のような村落慣習があると考えられるわけですが、それが「神道」というルートを使って強制力を発揮した為に、GHQの注意を引くこととなったと。"駆け込んだ"各地住民にとっては、ある意味幸いな気がしますが。こういうことでもなければ、容易に声を上げられるようなタイプの問題ではないでしょうからね。
ここら辺は正に、「解放軍」としての「占領軍」という感じ。正直僕も、やっておいてもらって良かったよと感謝に堪えません。(笑)
しかし本当に「外国」が、"誤解"するほどこんなことを知ってたのかな。何度目かになりますが、素朴な疑問。

宗教課の指示によって、一九四六年八月一九日に文部・内務両省の連名による通達(「神社の奉納金、祭典費等について」)が示達され、都道府県知事にたいして、隣組は公的な組織と考えられるものであること、および隣組による(中略)ははっきりと禁止されていることに注意を喚起するよう通知した。
(p.152-153)

わざわざ通達が出されていたのかというと、降伏して国が終わったのにも関わらず何事もなく温存されていた"システム"の恐ろしさよというのと、逆にじゃあ、そもそも「担当」してたのは誰なのかどの官庁なのかというのと。
勿論"文部・内務両省"ではあるんでしょうけどね。いちいち指示しなくても、勝手に機能していたからこそ、指示がなされなくて機能し続けていたんだろうなという。いったい誰に奉仕するシステムなのかという。不気味

この通達は最後に、神社が伝統的な隣組に代わる新しい氏子の組織を創設するよう勧告していた。
(p.153)

GHQが与える"自由"の性格が、結構鮮やかに出ている感じ。
好きにやっていいけど自分でやれと。そして"何となく"ではなくて筋目をきっちり立てろと。
公平かつ峻厳というか。まあ、アメリカ的?


GHQの"反省"

そんなGHQの犯した、いくつかの"失態"。

占領軍は、クリスマスの飾りつけや賛美歌や礼拝の行事を通してアメリカ合衆国におけるキリスト教と国家との間に存在する親密な関係を顕示していた。公式の宣言と実際の行為との矛盾がこれほどはっきりとしているものは、ほかになかった。
宗教課は、時がたち多くの質問が出された後になってから、これらの飾りつけの多くは宗教的というよりは季節的なものだと意味づけた。
(p.160)

まあ嘘ではないけれど。
やはりこれは、「李下に冠を正さず」の類の事柄ではなかったかなという。(ことわざあってる?)
GHQ自身の方針に従えば、"各家庭"がやるのは勝手だけど、"GHQ"としてやるべきことではなかったはず。
むしろ日本側の方がここらへんは生真面目で、公共の場に悪気なくクリスマスツリーを展示した鉄道職員が、訴訟を起こされるという事件が実際にあったことが書かれています。

すべての階級および器楽演奏者等をふくむすべての職務の神社職員にたいする恩給を停止することとした論拠は、「神道指令」の第一節b項に「神道及神道ニ対スル公ノ財源ヨリノアラユル財政的援助並ニアラユル公的要素ノ導入ハ之ヲ禁止スル。シテカカル行為ノ即刻ノ停止ヲ命ズル」と定めた規定があったからであった。今日では、恩給の受領者が神社にもはや現役で勤務しているのでないのに、なぜそのように解釈されたのかは理解に苦しむところである。しかし実際に、神社職員だったものへの恩給は、ようやく一九五一年の八月に是正の処置がとられるまで支払われなかったのである。
(中略)
それまでのあいだ、約一千のもと神社職員の家族は大変な苦労を強いられたのであって、連合国軍最高司令官の神道にたいする政策は処罰的であるという見かたに、もう一つの根拠を与えることになった
(p.163)

"恩給の停止"自体は日本政府が勝手にやったことで、別にGHQの命令ではないようです。
ただ見ての通りかなり"気にしている"書き方で、自らの発した"原則"とその不本意な波及との間で、ジレンマがあったけど結局手をこまねいてしまったと、そういう話。
まあ上でも言った"政教分離"についての日本側の機械的で過剰な反応の一例ではあるんでしょうが、でも責任は否定出来ないと、そういう告白。


以上です。
次は多分、もっとホットな感じ。




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テーマ:宗教・信仰
ジャンル:学問・文化・芸術
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