東京緑、代表、アイドル、二次元、女子バレ
’17ロティーナヴェルディの幻想的予想
2017年02月20日 (月) | 編集 |
TMは一番最初の相模原戦だけ見ました。
事情通諸氏の解説は読みました。
 東京Vvs浦安 TM現地雑感&343でのボール前進と崩しの解説
 コンテ率いるチェルシー躍進の秘密 戦術の最先端が詰まった3バックとは?
それを承けて、その後のチェルシーの数試合は、普段より注意して見ました。

その結果の現在の予想。


1.コンテチェルシーに"似(てい)る"のか。

似ると言えば似るでしょうが、そこまでは似ないんじゃないかなと。クオリティ的に"似せられない"という可能性は、おくとして。(笑)
上の戦術的解説の"普遍性"の部分を念頭に置きながらコンテチェルシーの試合を改めて見て思ったのは、そうは言ってもやっぱり「イタリア」だよなということ。つまり単体としてのコンテチェルシー、その"先端"性の裏にあるあるいは"強さ"の地盤になっているのは、やはりイタリア伝統のカウンタースタイルであって、「3バック(3-4-3)ボゼッション」戦術は、その職人芸をより効率的にやる徹底的に洗練させる為の"方便"みたいな部分があるよなということ。
"殺人鬼"(イタリアサッカー)に"凶器"(現代戦術)というか、テロリストに高性能爆薬というか(笑)。およそえげつない代物であって、プレミア各クラブにはいい迷惑というか、ヨーロッパへようこそというか。(笑)

要はコンテチェルシーは、あくまで"コンテ"のものであるということ。コンテチェルシーの「形相」(戦術)に対する「質料」(伝統)の部分というか。
そういう観点で見た時に、「ヴェルディ」という"質料"、あるいは「スペイン人」(ロティーナ)という担い手が、どれだけ"似た"ものを生み出すかということに関しては、少なからぬ疑問があるということ。仮にある程度"成功"したとしても、全然違うものになる可能性があるということ。
まあ当たり前っちゃ当たり前なんですけど、それだけコンテチェルシーの"イタリア"感は、無視出来ない性格として僕には感じられたということです。"馴染み"の感覚というか。(笑)


2.非イタリア人による"ポゼッション"(の例) ~李国秀とハンス・オフト

"スペイン"については、よく分かんないですけどね。"ペップバルサ"という、誰もが知っている例くらいしか。
後で推論はしますが。

ただより責任を持って言える身近な例としては、"ヴェルディ"('99~'00)の李国秀、"Jリーグ"(磐田'94~'96&浦和'02~'03)のハンス・オフトというのが、参考になる例として挙げられるかなと。
つまり「徹底的に意識的なポゼッション」、及び(その基盤となる)「ポジショナル」なアプローチ(末尾)の、"先駆者"なのか"流れ星"なのかよく分かりませんが(笑)、とにかくそういう目立つ存在、僕にとって印象に残る記憶。

"国籍"にこだわると、李国秀日本人(厳密には在日韓国人)、ハンス・オフトオランダ人なわけですが。
言いたいのはつまり、同じ「厳格なポジショニング」に基づいた「ポゼッション」至上のスタイル、"ボールを失わない"ことと"プレーから不確実性を徹底的に排除する"ことを目指す指向性を持っていても、李・オフト両監督のサッカーに(コンテチェルシーのような)"カウンター"のニュアンス・意識は薄い、むしろ"超攻撃的"な"パスサッカー""アクションサッカー"が、その看板になっているということ。
実際には後でも述べるように、両監督の勝率が高かったのは"カウンター"の時だと思いますが、少なくとも目指していたもの「完成」の方向性としてはそうかと。

まあそもそもがオランダ起源の"ポゼッション"サッカーは、ヨハン・クライフという奇人の個性も加わって、"理想は90分ボールを持ったまま相手陣地のみでプレーを展開して攻め続ける""ボールを失わなければ攻められることは無い"という、「超攻撃的」発想、ニュアンスを伴って歴史して来たもののようですから、少なくともあの時点では李・オフト両監督のサッカーがそういう性格のものになるのは自然だった、あるいはその為にこそ"ポゼッション"は指向されたと、それは理解出来ると思います。
そしてその"手法"の一部が別の思想・文化の元に現代の必要性と文脈に従って再構成された、あるいはコンテの場合は特に"イタリア"と出会ったのが、ここのところ"解説"されているものなのだろうと、そう僕は理解しているのですがどうでしょう。

とにかく"ポジショナル"な"ポゼッション"サッカーも、担い手や文脈によって色々な現れをする可能性があると、いちJリーグの例で見てもという、そういう話です。その新たな"例"に、今ヴェルディがなろうとしているのかどうなのかという。


3."ポジショナル"(な"ポゼッション"サッカー)の憂鬱

さてJ史上に残るポジショナルなポゼッションサッカーを指向した李ヴェルディとオフトの特にジュビロ時代には共通した悩みがあって、それはボールはキープ出来るしパスは確実に繋がるようになってある程度まではボールは運べるんだけど、一方で"ある程度"から先がにっちもさっちも行かない、かけた手間に見合った攻撃力や得点力からは、遠いところでチームが立ち往生する。
それまでが"確実"な分、普通のチームの"攻めあぐみ"感のレベルを遥かに越えた独特な深刻な手詰まり感に見舞われて、毎試合見ているサポからするとこのまま100年やっても点が入らないのではないか的な気分にちょいちょい襲われたりする(ヴェルディ)。このチームが「攻撃的」だなんて、とても信じられないというかもう忘れたみたいな気持ちになる。(僕?)
あるいはまあまあ強いんだけど、果たしてその為に使っている神経に本当に意味はあるのか、何か凄く無駄なことをしているのではないかという不満が溜まる。(ジュビロ。と名波?笑)

これらはたまたまではなくて、厳格に決められたポジショニングや手順から、即応的に外れることの許されないスタイルの持つ構造的な問題、裏/表であり、そうしたプレーを実行している内に実行者たる選手たちの精神に発生する、特有の問題だろうと思いますが。
とりあえず必ずと言っていいほど見られる現象としては、"確実"に進むことによって逆に生じた自縄自縛を解く為に、攻撃の最終段階でその"確実"性を破壊する大きな力が必要となる傾向で、"組織"を突き詰めた故に"個人"がより必要となるという皮肉なわけですが、ここらへんはまあ、ファンハール政権時を中心とするある時期以降のオランダ代表(の当たり外れ)を見ればよく分かることだと思います。"破壊"出来(る選手がい)れば強い、出来なければ弱い。

李ヴェルディの場合は特に、低予算ゆえに"破壊"担当個人の人材には恵まれず、ドツボにはまって抜けられなくなったわけですが。('17ヴェルディにもその危険が?)


4."カウンター"という抜け道

ところがそんな李・オフト両苦労性監督のチームにも、爽快な攻撃力を発揮した時期があって、李ヴェルディの場合は就任直後、恐らくはまだチームが未整備な故にボランチ林健太郎のロングスルーパス一本にほとんど攻撃を頼っていた時期('99年1stステージ)、オフトの場合はご存知、エメルソン・田中達也・岡野らの、当時リーグ屈指のスピードFWたちを抱えていた事情に後押しされての、レッズ時代の一時期です。前者はあと少しでステージ優勝に手が届きそうな2位、後者はナビスコ優勝を成し遂げました。
彼らのキャリアトータルで見ればこれらの時期の、要は"カウンター"スタイルは不本意なものだったかも知れませんが、一方で彼らの"攻撃"面に付きまとう上記の「問題」の"解消"・・・というより"予防"策として、あるいは"確実なポゼッション"がもたらす(攻撃ではなく)守備の安定性を最大限に生かす方法として、実は「カウンター」というのは最適解であった可能性があると思います。

それを実現したのがコンテ/ロティーナスタイルだ・・・というには、両者は時間的にも空間的にも離れ過ぎていますが(笑)、ただ論理的には繋がらないことはないというか、あれから約10年経って"アクション"サッカーへの熱情が薄れた時に、埋もれていた論理的可能性が発掘されて完成させられた、そんな印象は無くは無いです。なるほどなとは思いました。
なんか"卑怯"な感じはしますけどね(笑)。余りにも仕込み十分の強者のカウンターというか、"鶏"しか裂かない"牛刀"というか(笑)。コンテチェルシーを見てても、実に悪どいというか、それはないだろうという感想はどうしても沸きます。(笑)
モウリーニョやカペッロの「卑怯」とは、また一味違うというか一段上というか。(笑)

それはそれとして、結局"スペイン人"たるロティーナ(の現在)を、どう考えたらいいのか。来日前には「手堅いリアクションの人で、攻撃面に特段のアイデアやスタイルは無い」という定評しか聞かなかった人なわけですが。
だからこそ僕はその"ポゼッション"へのこだわりをまず目撃して、「本国で叶わなかった夢を辺境で見ようとしているのか?」と、その意図と心根を危ぶんだわけで。

今だったらむしろ、「コンテ」と同様の"リアクション""カウンター"の人だからこその"ポゼッション"、こそ再発見されたポゼッションの利用価値、最終ライン&GKでのボール回し/キープへのこだわりと、解釈し直せるかも知れませんが。
まあほんとのところは分かりません。ロティーナがコンテを"見て"やっているのかそれとも逆にコンテにヒントを与えただろう、バルサ/スペイン流のボールキープ術、その教養をロティーナも元々有していたのか。あるいはこれらの両極の間のどこらへんにいるのか。

繰り返しますが来日前の評判には、"ポゼッション"のかけらも無かった(笑)のでね。ほとんどイバンコーチの入れ知恵だという可能性も含めて、謎は多いですが。


5.そして'17ヴェルディ

いくつか考えられる要素があると思います。羅列すると、

・元々ポゼッションの「文化」はあるので、そこについては(同趣旨らしい)千葉や徳島よりは向いていそう。
・一方でカウンターの文化には欠けるので、特にマインド的について行けない、徹せない可能性もある。
・またGKを中心に揃えられる人材の質が予算的に限度があるので、そこで崩壊する可能性がある。
・更に"カウンター"メインとはいえ"ポジショナルポゼッション"(?)ではあるわけで、再び「破壊者」の質が問題になるかも知れない。
・"カウンター"メインであることはそれを緩和するかも知れないが、一方で"カウンター"ならではの問われる個力の質もまたあって、そこには不安が残る。

サポも含めたより広範な視点で言うと、

・守備は堅くなりそうだが、カウンターメインのスタイルにサポのマジョリティの反応はどうか。
・似たようだが別の問題として、"ポジショナルポゼッション"特有の閉塞感・宙づり感が発生した時に、ヴェルディでもジュビロでも小規模にはレッズでも生まれた特有の反感が、再び生まれる可能性は高いと思う。
・まとめて多分、"強く"ないとかなり苦痛なサッカーになると思うが、一方で"強く"なる為にはかなり高い人材の質が要求されるサッカーでもある。(それこそコンテチェルシーのように)
・まあどこらへんで線を引くかという問題ではあって、「組織性」や「狙い」そのものを楽しめるそれで満足出来るのならば、とりあえず御の字またはポジティブではあるだろうと思うんですが。


・・・以上が理論的可能性と、過去の経験から導き出した、諸条件。
つまりロティーナの手腕自体は未知数というか、勘定に入れていない。(笑)
いずれロティーナゆえに上手く行くことも、ロティーナゆえに上手く行かないこともあるだろうとは思いますが。

"反感"はね、あると思いますよ。どうしても"ジリジリ"したサッカーになりがちなんですよね、このアプローチは。
だからこそ、"本能の人"豪腕犬飼社長は、好成績にも関わらずあっさりとオフトをぶった切ったんだろう切れたんだろうと、僕は思ってるところがありますが。

こんなところです。勝てるのか勝てばいいのか勝っても駄目なのか。
個人的には、「カウンター」は好きなんです、むしろ。ただ「ポジショナル」苦手なんです、"チェンジ"したいんです"流動"したいんです(笑)。そこが問題。
"スペイン"色が出た方が、むしろ危険な感じがしますね。"コンテ"の完コピに近い方が、より安全というか。勝負的にも空気的にも。


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
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