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齋藤元章 『エクサスケールの衝撃』 :次世代スーパーコンピュータが壮大な新世界の扉を開く
2017年04月17日 (月) | 編集 |



前にニュースザップで紹介されていた本。2015年1月刊。
図書館で予約して半年以上待ってやっと順番が回って来ましたが、後ろが詰まってるので(笑)全587ページ急いで読みました。急いでレビュー。

"エクサ"とはコンピューターの演算性能を表す単位("フロップス")で、お馴染みの「キロ(バイト)」「メガ」「ギガ」、その上の「テラ」「ペタ」、その更に上に来る単位。(以下"ゼタ""ヨナ"と続く)
現存する世界中のスーパーコンピューターは、「ペタ」の単位で性能を競っているんですが、間もなく、上のWikiによれば来年2018年にも、「エクサ」のスケールのものが登場すると予想されているそうです。

著者は基本放射線科医ですが、色々あってその次世代スパコンの、民間での有力な開発プロジェクトの指揮を執っている人。(齋藤元章Wiki)

その著者による、"エクサスケール"コンピューティングの実現により何が出来るのか、何が起きるのか、どういう世界が出現する可能性があるのか、それを書いた本。


結論だけ言うと、

1.エネルギーがフリー(無料)、無尽蔵になり、エネルギー問題が解決する。
2.次いで衣食住もフリーになり、貨幣経済が終わる。
3.ほぼほぼ「不老不死」が実現する。


と、真に結構というか、のような話。昨今語られることの多い、"人工知能"や"ロボット"の発達によるディストピアとは真逆というか。まあ技術的前提自体は、基本同じなんですけど。

とにかく上の大胆な結論がいきなり冒頭(序章)で語られて、以下順にそれぞれの項目についての説明が展開されて行く、そういう構成の本です。


で、読んでみての感想としては、満更法螺話でも疑似科学の類でもないようだけど、さすがにそんなに美味しい話は転がっていないらしいなというものです。(笑)
言い方を変えると、"スパコンがエクサスケール化する"ことが、即ち著者が語るような"社会"を招来する・・・わけではないということ。期待したのに!!(笑)

勿論科学的技術的可能性としてはそれなりのものがあるようですし、著者は著者なりの論理性でそうした(人間)社会の"必然性"を語っているわけですけど。
ただ特に"2"については、読んでいると「コンピューターの性能」以外の部分でどんどん前提が増えて行くというか、まず著者自身の独自の、はっきり言えばいささか幼稚というか素朴でユートピア的性善説的な"社会思想"があって、あるいは"社会思想家"としての著者がいて、「コンピューター」そのものはそれに援用・引用されているに過ぎないという性格が強い、そもそも途中から滅多にコンピューターの話が出て来なくなってたまに出て来てそういえばその話だったなと思い出すみたいな、そんな感じです。(笑)

"1"についてもエネルギーの「生産力」についての技術的予測は、若干楽観的ながらもかなり魅力的、希望に満ちたものに感じられました。ただそれが社会的に「フリー」になるかどうかは、"2"と同様技術タームだけではどうにもならない社会的要因が多くて、うーんというかそれはそれだなという感じ。
"3"については既に著者以外の多くの人も語っていることですし、"エネルギー"や"経済"ほど社会的に複雑なジャンルでもない(反対する人が少ない)ので、まあいずれそうなるのかなという感想ではあります。「不老」についての独自の見解、「体」ではなくて「脳」「精神」を老化させない為の著者の着目点・症例紹介は、かなり興味深かったです。

トータルで言うと、「コンピューター」の話と「社会思想」の話が、いささか無理やりに接合されている印象のある本で、"エクサスケール・コンピューティング"についてだけだったら、分量は半分もあれば十分じゃないかと、大部の本を読まされた恨みを含めれば、そういう感想です。(笑)
ちなみに後で"抜粋"版も出ているようで、さもあらんという感じです。(笑)



まあ面白かったですよ。少なくとも文系の僕には、刺激的な知見が多かったです。
・・・逆に"文系"部分については、苦笑いを禁じ得ないところが多かったわけですがそれはそれで。
ちなみに著者の"思想"的背景として、レイ・カーツワイルというコンピューター科学者、未来予測家の存在があるんですが、一応この本は別の内容(彼の予測"以前")について語られている本なので、今回僕からは特にコメントしません。

代わりに・・・というわけではないですが、今ちょっと言った"文系"的目線から、面白かったことを少し。


コンピューターの性能が良くなると、要するに何が変わるのか

これがピンと来ないから、かの蓮舫氏なども、「1番じゃないと駄目なんですか?」「2番じゃいけないんですか?」のたまってしまうわけだろうと思いますが。(笑)
いや、でも実際分かんないですよね、正直に言えば、蓮舫氏に限らず。
そりゃ遅いよりは速い方がいいだろうとは思いますけど。どれほどの違いなのか。


この本の中で述べられている事例で、僕がなるほどなと思ったのは、こんなあたり。

1.シミュレーションの速度

p.130

・これらの計算を実施するには、「京」で10~50年はかかると考えられ、ポスト「京」の使用が不可欠。
(中略)
ポスト「京」で占有日数は、最低でも80日程度必要。

文科省設置の検討委員会が出した、ポスト「京」スパコンの活用計画書的なものから。新エネルギー創出の為の大規模シミュレーションに必要と想定される時間。
・・・「京」というのは、現在動いている日本では最新最速の、"ペタ"スケールスパコンですね。
"10年"と"80日"というのは、凄まじい違いですねさすがに。速いか遅いかというレベルではなくて、貴重なスパコンを10年"占有"してしまうのなら、そもそも作業自体を始められるかどうかという問題になってしまうでしょう。

シミュレーションについては同じ項に、こんな記述もあります。

複雑な要素が相互に関連する複合系の微視的挙動を対象とした大規模、長時間のシミュレーションは、ポスト「京」を駆使して初めて可能である。

具体的には分からないですけど。
ただ例えば人間の脳、"コンピューター"でも、頭が"悪い"と一遍に視野に入れて保持して、関連付けて考えることの出来る情報が限定されてしまうので、どうしても「視野が狭く」なるわけですよね。領域を限定した演算にしか、対応出来ないというか。一方で頭が"いい"と、ほっといても色んな要素・情報が視野に入って関連付けられてしまうので、嫌でも視野は広くなるというか、逆に狭くなれと言われても困るというか(笑)。インテリの優柔不断とも言えますが。(笑)
そんなような話ですかね。実際これまでのコンピューターの「頭の悪さ」(という印象)は、"遅さ"ではなくて"狭さ"に起因していたわけで。一定以上の速さがあれば、それも克服されるという。


2.探索・検索能力

p.230-231

そうした,熱電変換効率の大幅な改善についても、エクサスケール・コンピューティングを用いたあらゆる物質の探索、化合物のナノ構造の理解、そしてナノ構造の制御、それらを用いた新しい合成方法の「総当たり戦」方式のシミュレーション、その合成・量産方法の検証を行うことで、数年のうちにも、大きな成果を期待できるだろう。

「総当たり戦」方式というのが、言い得て妙というか、笑っちゃうところで。
つまり今までの科学(者)は、あることをただ機械的に調べていても余りに運任せで一生かかっても何の成果も得られない可能性が高いからこそ、見当を付け「仮説」を立て、実験方式を工夫して競争していたわけですが、"機械"の速度があるレベルを超えると、そうしたセンスや直観や職人技が、全て不要となるかも知れないという(笑)。効率を考えている暇があったら、さっさとコンピューターを動かしてしまった方が早い
いいんだよ別に、宇宙に存在する全ての元素・物質・化合物、まとめて速攻で試しちゃうから。それで答えは出るでしょ。誰がやってもおんなじ。酷い。(笑)
まあ、そんなこともないのかも知れませんが。(笑)

ただ次の「医療」の分野における事例には、なるほどなと思いましたね。"意義"がよく分かるというか。

p.396-397

システム上に蓄積された膨大な画像データベースと教科書的、学会的、論文的データベースを参照して、同様の形状、性状を持った他の症例をすべて探しだし、さらにそれらの画像データ以外の臨床所見や検査所見を診療録から抽出することで、今回のケースとの類似性、関係性を徹底的に検証する。

p.397

こうした一連のプロセスは、診断医によって、日常的に臨床の現場で行われているものである。ただし、現時点では、それはおそろしく時間と労力を要する作業である。

"科学"としての"医学"の立場からは、本来当然なされるべきデータ的網羅的チェックが、物理的にほとんど不可能ごとであるという、現状。だからこそ「天才」的な診断医、"Dr.House"の物語



なども成り立つわけでしょうが。でも本来は、"天才"じゃなくても出来ないと困るわけです。それを、臨界突破したコンピューターの性能が、叶えてくれるという話。
まあこれは、やって欲しいと思います。人間か機械かではなくて、科学としての医学の徹底性の問題だと思います。現状は単なる"不完全な機械"に、僕らは診断を委ねているだけです。余程微妙な領域以外では。
医者の診断て・・・信用出来ます?(笑)


3."1番"である意味

以上はコンピューターの演算速度アップが、"誤差""相対"のレベルを遥かに越えて、絶対的質的な違いを生んで行く様子ですが、それが"1番"である必要性については、こんなことが書いてあります。

p.143

そうした次世代スーパーコンピュータによって高められた国力によって、その国はさらに高性能な次々世代スーパーコンピュータを開発するための大きな財政余力を持つことになるからである。また、そうした次々世代スーパーコンピュータは非常に複雑なものとなるため、その開発には次世代スーパーコンピュータを使用することが、当然、その大前提となる

p.144

国力の差は広がる一方であり、再逆転などということはまったくもって不可能となってしまうのだ。

昨今の技術の進歩が加速度的である、だけではなくて、"技術が技術を生む"という循環がますますあからさまになっているので、一度遅れたらもうほとんど取り返しがつかない、という話。"次世代"まで考えたら、ある世代で"程々でいい"などということは、あり得ない。だから「1番」。(笑)
急に「国」の話になって違和感があるかも知れませんが、この人は様々な理由から日本こそがスパコン開発をリードする条件を備えていて、かつすべきだと考えているので、こういう話になります。


だいたい、こういう本です。
まあ上では著者の「社会思想」をユートピア的と軽く馬鹿にしましたが、ただいずれにしても、技術は技術としてそれに対応してどのように「社会設計」すべきかということは、考えないといけないわけですね。そしてそれは勿論、"ディストピア"的であるよりは、"ユートピア"的である方が望ましい。・・・"目標"としてはね。"前提"がユートピアでは、困るわけですけど。どうもこの著者の素朴すぎる強制的性善説は、「地獄」への道を「善意」で敷き詰めそうで、怖いところがありました。まだまだ、文系も頑張らないとなというか。(笑)

ただし文系/理系ということで(笑)一方で言うならば、こんなに理系でやらなくてはいけないことが沢山あるのなら、ぶっちゃけ文系に回す予算なんてほとんど無いよなと、そういう感慨も、抱かせてくれた本でした。(笑)
やらなくてはいけないこと、またはやれることが、どんどん増えている感じ。
人工知能にしろ、ロボットにしろ、こちらが受ける知的刺激の"スケール"がぐっと上がった感じで、怖いけど楽しいですね、最近は。またなんかいいネタがあったら、書きます。


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テーマ:コンピュータ関連
ジャンル:コンピュータ
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