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"術"は術、"人"は人。/東京V-金沢(’17)、東京V-横浜FC(’17)
2017年05月09日 (火) | 編集 |
J2第11節 東京V ○2-1● 金沢(西が丘)
J2第12節 東京V △1-1△ 横浜FC(味の素)

アーンド"国"は国


・あんまり試合の感想という感じでもないんですけど。
・だいたい状況が見えて来た気がするので、ここらで一回まとめておこうかと。
"スペイン"狂騒曲"コンテチェルシー"イデオロギーの、沈静化というか落とし前というか。

・結論から言うと、"ポジショナル"よりも"ポゼッション"よりも何よりも、"イタリア"をコンテチェルシーの背後に見た、自分の直観は正しかったというか、一貫したというか。
・使われているメカニズムはメカニズムとして、コンテチェルシーがコンテチェルシーである、後方ポゼッションで相手を"ハメ"る、限りなくノーリスクで自分のところの果実だけを極大化するイヤらしくも厳密に効率的なチームであるのは。
コンテがコンテである、あるいはイタリア人であることに、その大部分を負っているのだなということ。
・理論的親近性はあっても、それを用いるのが"リカルド・ロドリゲス"や"ミゲル・アンヘル・ロティーナ"であると、あるいは少し遠いけれど(笑)"ファン・エスナイデル"であると、結果出て来るものは全く違ったものになる。
・"色合い"が違うとかだけでなく、"目標"そのもの、"目標"の持ち方そのものが、変わって来る。
・従ってその為の"手段"であるメカニズム/術も、その使われ方・位置付けが変わって来て、あるいは時には使われなくさえもなる。
・"教養"としては存在しているから、ゼロにはならないとしても。

・ことは結局、その監督がどのように"チーム"や"ゲーム"を、全体的なイメージとして把握するか認識するかという問題で。
・個々の術やメカニズムについてなら、選手もあるいはコーチ(日本的な意味での)も、それぞれに持っているし持てるのであるけれど。
・しかし「全体」としてイメージする、それを決定するのは監督であり、またそれこそが監督の仕事であって。
・そしてその「全体的イメージ」は、「戦術」と重なる部分も多いけれど、イコールではない
・イコールであるならば、(一通りの説明が出来れば)誰でも/どんなネット評論家でも(笑)監督が出来ることになるし、あるいは監督そのものが、要らなくなるかもしれない。
・実際イングランドにおける初期のカレッジフットボールにおいては、"キャプテン"しかいなかったという歴史的事実があるようですし、現在でもブラジル人の一部などには、そのようにサッカーを認識している人もいなくはないようですし。(笑)
・ただ現実問題としては「監督」がいないと、「全体」を「全体」として認識してある種独占的に"担う"人がいないと、ある程度以上のレベルのサッカーではほとんど戦闘力という点で太刀打ち出来なくなるわけで。
・それは恐らくは、"チーム"としての動きの"機動力"の問題だろうと思いますが。
・とにかく"誰か"の全人格的関与というのが、無人格的理論・論理とは別に、決して見落とせない要素として存在しているわけです。

・今のはある種の「集団力学」的な問題ですが、より理論的にもそういうことは言えて。
・つまり"ショートカウンター"か"ポゼッション"か"ロングカウンター"か的な大雑把な「全体戦術」的なレベルについては。
・そんなにヴァリエーションがあるわけでもないというか誰がやっても大して変わらないので。
・"違い"が出る/出せる、"新戦術"が提案提示されるのは、ほとんどはより局面というか、「グループ戦術」的なレベルなわけで。
・そのレベルじゃないと、"厳密さ"も出せないというか。
・従ってそうして出された戦術やアイデアを胸に抱いてある監督がチームを全体として構成しようとする時は、どうしてもそれ以外の、それを含みこんだ別の構造を用意しないといけない。
・「理論」だけでは、チームを作れない。
・まあ"戦術"によっては、その"局面"を論理的に延長・展開して行くだけでも、ある程度の全体像を形成出来なくは無い場合もあるとは思いますが。
・ただ結局は"単純延長"以上の積極的意志や工夫を加えられて、初めてそのチームは動き出すというか戦闘力も極大化するというか、そういうプロセスは避け難いように、経験的には思います。
・その時込められる「意志」というのはそれ自体は理論ではなくて、むしろ"好み"とか"体質"とか"生理"とか、そういうものに近い、あるいは由来するものだと思いますが。
・正に人格というか。
・それが無いと、理論が示す"可能性"の中から、何かを選んで決定することは困難。
・色々言って来ましたが要するに、出発点や立脚点がどこだろうと結局は、監督の「個性」がチームの形を決定するという酷くありふれた結論。(笑)
・同じくポジショナルなポゼッション、同時代にコンテチェルシーという完成度の高い好例を目の当たりにすることが出来るそのコンセプトを基にしていても、リカルド・ロドリゲスはリカルド・ロドリゲスらしいチームを作るし、ファン・エスナイデルはファン・エスナイデルらしいチームを作るし、ミゲル・アンヘル・ロティーナもまたしかり。
・そしてそれらは結果的に、素直に見れば別に/あんまり(笑)、コンテチェルシーとは似ていないし、参考になったのかどうかもよく分からない、それぞれをそれぞれに虚心に受け止めた方が、むしろ実り多かったかもしれないとそんなことも思ったりはしますが、まあいいです。(笑)
・あれが無かったら、少なくとも徳島をあんな熱心に見ることは無かったでしょうし。
・ただより広く、それこそ虚心に視野を広げて見てみると、少し前からの"3バック"ブームとも相まって、J2の他のチームでもあるいは日本人監督のチームでも、多かれ少なかれ似たようなことをしているチームは結構あるんですよね。
・だからもう、"スペイン"にこだわる必要はあんまり無いというか、かえって思考を硬くするかなと、そんなことも最近は感じていますが。
・勿論その中で、特にリカルド・ロドリゲス監督のそれのクオリティが柔軟性含めて突出しているのは確かで、そういう意味で「本場」のアドバンテージというのは、依然存在はしているわけでしょうが。
・ただ"チェルシー"はもういいと、チェルシーの試合自体も最近特に興味は持てないと(笑)、そういう現状ではあります。

・ちなみにロティーナ監督については、本当はもっと"チェルシー"なチームを作ってもおかしくないはずだと、色々な監督が今J2にいる中では、思うんですけどね。
・ただ資質的問題か能力的問題かで、余りそこらへん、突き詰めてやっている感じは無い。やった方が強そうなんですけどね。
・勿論ヴェルディの選手の方の能力的限界という問題は当然にあるんですが、しかしそれを"限界"まで試してみた気配、それによって与えられるチームの緊張感みたいなものも、どうも僕には感じられないんですよね。
・だから最近は、'06ギド・レッズの方に、"手本"を切り替えているわけですが。(笑)


・関連しての、付帯的な総括&"反省"としては。
「ポジショナルなポゼッションサッカー特有の膠着感にイライラさせられるだろう」という予測(当該記事最下部)については、ほぼ完全に外れましたね。
・ロティーナ単体についてだけなら、上で言ったように逆に"徹底"されてないゆえという理由付けも可能かと思うんですが。(笑)
・リカルド・ロドリゲスも(広くはファン・エスナイデルも)含めて考えると明らかに何か予測の前提に誤りがあった、あれのどこに"膠着"があるんだという、そういう話になるかと思います。
・まあ前節の数的不利で引きこもったケースなどでは若干それらしい姿も見られなくは無かったかも知れませんが、それはちょっと典型とは言えないし。
・ハンス・オフトや李国秀や、あるいは日韓予選のオランダ代表時のファンハールなどが"毎試合"に近く与えてくれたそれ(参考)(参考)とは、比較するわけには行かない。
・結論はこちらも酷くあっさりしたもので、要はあの"膠着"感の源は、"ポジショナルなポゼッション"そのものではなくて、それを実行している"オランダ"(系)のサッカー文化の方に、大部分が存在していたのだろうということ。
・オランダ人の、重厚長大な身体特性や広義のゲルマン的論理性や、あるいは"埋め立て"文化?(笑)
・何だか分からないですけど、とにかくオランダ人がやることで、あの"糞詰まり"状態の常態化が、発生していたらしい。
・それが"スペイン"(系)人がやると、全然テイストの違うものになる。
・オランダ人なら立ち止まってうんうん考え込むところを、スペイン人はささっと通り抜けてしまう。
・"解決"するというよりも、半ば問題を無視するんだと思いますが。「情熱」で。(笑)
・あるいは軽量な体で。
・その分安定感は無いけれど、流れるはとりあえず流れる。
・グアルディオラとかは、ちょうど"中間"な感じですけどね(スペインとオランダの)。流れるけど、逼塞もする。
・...実は今更言いますが、"コンテチェルシー"を最初に学習材料として見た時も、なんか違うなとは思ってたんですよね。
・意外と素軽いなというか。
・「手本」にあんまりグラグラされても困るので(笑)、無視して黙ってましたが。(笑)
・結局はこれも「監督の個性」の問題と同じで、オランダはオランダ、スペインはスペイン、そしてイタリアはイタリアと、それぞれのお国柄で同じようなことをやっても、生まれて来るものは相当に違って来ると、そういう話です。
・これも結論は、当たり前ですけどね。(笑)
・なみに日本はまだ、この"土俵"に乗っかれてないですね。
・"個性"以前の、"出来る/出来ない""正しい/間違ってる"の次元の話に、終始しがち。
・それは実際に"出来ない"というのと、出来ないゆえに"間違う"ことを恐れ過ぎているのと、両方だと思いますが。
・「習う」のではなく、「手の内に入れる」というプロセス、アティテュードが、もっと必要。
・まあこれは余談。



ヴェルディ

・●○○○○〇●●〇●の後の、○△。
・ミッドウィーク金沢戦は連戦の疲労もあったんでしょう、弱い相手にかえってボケボケの試合をやってしまいましたが、続く"首位"横浜FC戦では福岡戦で思い出した(想像)「受けてナンボ」のロティーナヴェルディの本領を、より充実した形で実現出来ていたと思います。
・何より違ったのは選手たち一人一人の落ち着きで、これは"5連勝"時以来のもの、やはり選択肢が限られて頭の整理が出来る状況が、このチームには現段階では必要なんだなと。
・そして恐らくは、監督自身のキャパ的にも。
・横Fがある意味"手頃"な相手だったのは確かなので、あの落ち着き感が偶然のものではなく、監督の意識転換を伴ってのものであるその結果であることを、望みたいです。
・全方位型のリカ・ロドの真似は無理。コンテの真似なら・・・真面目にやるなら止めませんが。(笑)
・"ストライカー"三男の「再発見」は、朗報ですね。
・ただチームが固まれば固まるほど、梶川の"運動量"が浮き気味になるのは、これは開幕当時から持ち越しの課題。
・相性良くないっぽいですねえ、監督と。まあ何とかやってもらうしか無いですが。

ヴォルティス

・○●○○○●△△○●の後の、○2-1福岡●2-3岡山
・こちらはなんか、混沌とした感じ。
・福岡戦は出たとこ勝負の殴り合い、岡山戦も"3失点"という結果から分かるように、試合の中でいい時と悪い時の差がかなり大きい感じでした。
・"守備"が緩んでいるのか全体が不安定化しているのか。
・確かに全方位型全天候型でそれは純粋に凄いと思うんですけど、いくら何でも"秋の空"というか、次の瞬間どんな顔が出て来るのか、未だに予測のつかない感じ。
・いい瞬間は無敵なんですけど、果たしてこのチームがこの先「安定」したり「完成」したりするのか、少なからず疑問なところがあります。
・現在地はどこ?そもそもどこかへ向かっているの?
・...どうも今日書いたことをまとめてちゃぶ台返しするようですが(笑)、ひょっとしてリカルド・ロドリゲス監督は、ほとんど完全に「理論」だけ「戦術」だけでやってる監督なのかも知れないですね。
・根底に"情熱"や"勇敢さ"という、豊かな「人格」はあるにしても。
・だから"ケーススタディ"が延々続くだけで、落ち着きどころが無い。リミットレス。
・更に更にひょっとすると、そういう意味ではハリルホジッチのお仲間、"高級なハリルホジッチ"である可能性もある。ガクブル。
・まだ徳島を見切れそうに無いなあ。(笑)


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
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