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ペップと"常識"の狭間で ~16/17ペップ・シティの1年(1)ペップの選手起用
2017年05月31日 (水) | 編集 |
ペジェグリーニ時代のメンバーの面白さ等に惹かれて、マンチェスター・シティの試合は2,3年前から折に触れて見てはいたんですが、ペップ就任を契機に今季初めてフルに見る経験をしたので、ちょっと書いてみようかなと。


アンリとペップ

"ペップ"こと元バルセロナのレジェンド選手ジョゼップ・グアルディオラ(ペップWiki)が、引退後バルサB指導経験を経てトップの監督に就任した時は、正直あんまり期待感はありませんでした。
テクニシャンタイプの"レジェンド"選手が若くして監督に就任することに伴う、避け難い「名選手必ずしも名監督ならず」感、悪い予感もありましたし、また前任者のフランク・ライカールト自体が既に「成功した"名選手"監督」であり、かつ長らく低迷していたバルセロナを立て直した"改革者"でもあったわけで、なにぶんハードルは高いし、ペップが使いたそうな(笑)イメージはライカールトが使ったばかりで、"新鮮味"の"二番煎じ"みたいな変な状態で、まあなんか色々と大変だよなという感じ。"いつか"は監督やるんだろうけど、"今"じゃない方がいいんじゃないかなというか。

これから書くように、ペップはそんな細かいことを気にするようなタイプの人では結果的に全然なかったわけですが、とにかくそういう感じで、やる前からむしろ「失敗」に備えるような構えで、幾分冷ややかに見ていました。

そんなペップの「監督」としての力量に初めて僕が注目したのは、就任初年度、前政権から引き継いだ、大物な分限りなく"厄介者"に近い余剰戦力であったティエリ・アンリを、不動のセンターFWエトオの脇の左FW/ウィングとして、「何事もない」かのようにフィットさせて組み込んでしまったことでした。
「左利き」の「俊足ドリブラー」であるアンリを左ウィングとして使うというのは、一見すると理に適っているようでもありますが、しかしそれは勿論机上の議論で。アンリが元々はドリブラー、ウィンガーとして伸び悩んでいたところを"ストライカー"にモデルチェンジすることで一気にスーパープレイヤーに大開花した選手であること、またバルサに来た時点で既にキャリアの終盤に差しかかっていた"功成り名を遂げた"選手であって、エトウとポジション争いをするならともかく露骨に二番手以下でかつはっきり言えば空きポジションに便利遣い的にコンバートされることに唯々諾々と従うには、最早ハングリーでも柔軟でもいられない"出来上がった"選手であったことを考えると、常識的にはほぼ無理筋の起用であって、実際前年にはそれで失敗もしていたわけです。(アンリWiki)

それをあっさりと、ペップは成功させた。"無頓着"という印象を受けるくらいに。(この印象は正しいと後に判明)
アンリもさすがに"生き生き"というわけにはいかないですが、しかし確かに前向きに、それなりに元気に、1シーズン役割を全うしていました。(チームもリーガ制覇)
どんな魔法を使ったのかは分からなかったですが、とにかくさすがの説得力、意外な豪腕で、戦術以前の部分での監督としての非凡さを、まず感じさせられた出来事でした。

勿論その後はその"戦術"でも、シャビ・イニエスタを軸としたパスサッカーの異次元のクオリティでも、我々を、僕を(笑)、完璧に説得してくれたことは言うまでもありません。"天才"的な監督であることを、というか。


ヤヤとペップ

バルセロナでの栄光に満ちた4シーズンの後、続くバイエルンでもペップは、まずは大成功の部類と言っていい成績を上げるわけですが、この時期については余り興味が無くてほとんど見ていなかったので、割愛します。

とにかくこの二つの名門クラブでの成功の後、次の"名門"を目指すマンチェスター・シティに拝み倒されて、充電する暇もあらばこそ割りとヌルーっとした感じ(印象です(笑))でイングランドにやって来たペップでしたが。
そこでペップは、バルセロナ時代の"アンリ"問題の縮小版のようなものに、再びぶつかります。ご存知(?)ヤヤ・トゥレ問題です。
これについては昨今はすっかり、「代理人が余計なことを言ったからペップがへそを曲げた問題」として説明されるのが通例となりましたが、元はと言えばそもそもヤヤ・トゥレ自身のプレイスタイルなりコンディションなりの理由から、ペップが積極的に使おうとする素振りを見せなかった、それに対する代理人の牽制ないし寝技(笑)があの「ウチのヤヤ使わないで負けたら、それはベンチがアホやからということになるよね?どうですか皆さん!」(意訳)という発言であったわけで、結果的に言うとむしろ"代理人"が悪役として全ての問題を引き付けることによって、ヤヤ自身はチームに入り易くなった、バルサ時代からしっくり行ってなかったらしいペップに頭を下げ易くなった、そういう面が大いにあるような気がします。そこまで計算していたのなら代理人優秀過ぎますが、さすがに違うだろうと思いますが。(笑)

ともかく辛うじて「忘れられた存在」になることは免れて"チーム"の一員として再出発することになったヤヤ・トゥレでしたが、バルサでのペップとの一回目の邂逅の後、シティですっかり"王様"化してますます余白の大きくなったプレイスタイルのペップ戦術との適合性の問題、及びしかしそれでもいればいたで否応なく"王様"としての存在感をまき散らしてしまう扱いの難しさと、依然その起用法には悩ましいものがある・・・はずでした。(笑)

でも実際のペップのチーム作りを見ていると、どうもあんまり悩んでいる様子が無いんですよね。建前でなく本当に、ヤヤをいち選手としか見ていない感じ。「規律」「管理」としてあえてそういう態度を示す監督はよくいますけど、ペップの場合は余りにそれが自然体なので、ヤヤの方も身構えることも特に自己主張することもなく、具体的なプレイ上の困難はそれはそれとして、結果的に凄く普通に、時間と共にチームに馴染んで行った感じ。
アンリのところで言った"無頓着"という印象が、ここでもペップから伝わって来るものとして当てはまります。アンリが「左利き」の「俊足FW」でしかなかったように、ヤヤも「強さ・高さ〇 速さ× 上手さ◎ 体力△」のMFという、そのスペック通りにただ使っている感じ。細かいニュアンスとかは、あんまり気にしていない。

凄く"気にしていた"(笑)僕の内的葛藤と照らし合わせて言ってみると、まずヤヤがベンチにも入れてもらえなかった開幕直後の時期、順調に勝ち星を積み重ねながらもストーンズが期待外れなプレーを繰り返し、コラロフのコンバートはいいんだけどその場合逆に左サイドが弱くなっちゃうんだよなとあれこれチームの悩みの種であった(組み立ての出来る)CBの穴埋め要員として、体と足元はともかくあるヤヤを、何とか活用出来ないかということをつぶやいた記憶があります。自分でもあんまり現実的とは思っていなかったですけど、ただその時点ではそうでもしないとヤヤの居場所は全く無いように見えていたので、それくらいなら駄目もとでという、そういう話。

その後"代理人"をめぐるひと騒動が一応内々には決着し、じゃあそろそろということでペップがヤヤをプレミアの試合で送り出したのは、それまでシルバやデブライネが素晴らしいクオリティで務めていた、アンカーの前の二枚のインサイドハーフの位置。無茶だろうという大方の予想通りの緩慢なプレーでチームを混乱に陥れたヤヤでしたが、そのすぐ後の試合ではトータルではともかくとして最終的には、正に"王様"ヤヤにしか出来ないスーパーなプレーで2得点を挙げてチームの危機を救い、メディアの称賛も浴びました。

その不条理プレーにやっぱすげえなと専ら爆笑(笑)しつつも、ただそれでもこれからどう使うんだろう、"機能"しないまま存在感だけ増してしまったこの怪物を、どう使えばチームを壊さないで済むんだろうと、僕は悩んでいました。
一つの方法としてはまずは、上の"活躍"試合のようにスポット的にスーパーサブ的に使って、彼の"いいところ"だけを利用して行く方法。もう一つは、「組み立ての出来るCB」同様に足りていなかった前線の"高さ"を補う目的も兼ねて、いっそ(左)FWとしてでも使えばいいんじゃないのか、それならチームへの(悪)影響も中盤起用と比べて最低限で済むしと、だいたいこんな案。

実際にペップがやったことは・・・特に、無い
無いというのも変ですけど、取り立てての"工夫"はしなかったと思います。"技術が売りのMF"であるヤヤがプロで最もやっているポジション、中盤のやや下がり目、4-3-3のインサイドか、4-2-3-1の第2ボランチか、だいたいそこらへんで普通に先発要員として使い続けて、いつしか(アンリの時同様)特段スーパーではないけれど十分に使える駒として、フィットさせてしまいました。彼の短所に配慮した様子も、逆に長所を引き出そうとあえてした様子も、僕の見る限りではない。自分のチームの中のただの一人の選手として、要求を伝えて機会を与えただけ。ヤヤが適応に苦労して、見る者をハラハラさせていたそれなりに長い時期も含めて。


まとめてヤヤを、とにかく特別視しなかった。極端に言うと、"ヤヤ・トゥレ"としては見ていなかった。("アンリ"を"アンリ"として見なかったように)
それは単に「公平」というよりは、言い方はあれですが「無視」に近い感じで、正に「無頓着」、地球上でヤヤ・トゥレをこんな扱い出来るのは、多分ペップだけだと思いますね。使うにしろ使わないにしろ、どうしたって意識するでしょう、あんな特別特殊な選手。
そこからすると、例えばUCL決勝トーナメントモナコ戦の2ndレグで、何人かの論者が疑問を呈していた得点の必要な試合でヤヤ・トゥレを使わなかった理由も、ヤヤの何かを危ぶんだというよりは、"特別"な選手だと思っていなかった、そういう意味合いが強いのではないかなと思ったりしますが。(リアルタイムでは見てないので、漠然とですが)

シーズン終盤でのヤヤは、バルセロナ時代(ライカールト)にもやっていたアンカーのポジションに、ほぼ落ち着きます。
これ自体はまあ分かるというか、これならぎりぎり僕の"選択肢"にもあった(笑)というか。
ただその前段階でのもっと上がり目、インサイドあたりでの起用は繰り返しますが僕には考えられなくて、そこでのフィットがあった上での、最終ポジションですよねこれは。
別な言い方をすると、ヤヤの危うさも、攻撃面のスペシャリティも、どちらも適度なところで"収めた"上での、コンバートというか。そこそこ強くてそこそこ配れる。フェルナンジーニョ程のフィット感は無いけれど、フェルナンドの"棒"プレーよりはだいぶ上という位置。ライカールトの時に(当時の)ヤヤの強さに託されたチーム改革の期待や、ペジェグリーニがかけていた攻撃面での特別な期待は、そこには無い。ただそれなりに体も張れる34才の技巧派MFが、そこにいるだけというか。


ペップの選手起用の光と影

こうして「まあ出て行くんだろうなあ」という大方の予想を覆して、難物ヤヤ・トゥレを戦力化して見せたペップでしたが。
その"手腕"の程はともかくとして、"効果""意味"については、疑問が無いわけではないんですね、僕は。
端的に言って、それが嬉しかったか、今年のヤヤ・トゥレを見ていて楽しかったかというと、うーんという感じ。
手前味噌になりますが、例えレギュラーでなくても"スポット"起用で輝いたり、変則起用でもFWで新味を出したりしてくれた方が、サッカー的な"意義"はあったような気が、未だにしています。
・・・いや、だってどこかの国のJリーガーじゃあるまいし(おい)、別に1ペップに嫌われようが首切られようが、ヤヤ・トゥレは生活に困窮するわけでも前途が閉ざされるわけでもないわけじゃないですか。さっさと別のクラブに行ってまた王様やるか、少なくとも"ヤヤ・トゥレ"として扱ってくれるチームでプレーした方が、見てる方も幸せなはずですよね。そうするだろうと、みんなも思ってたろうし。

上のアンリも、"適応"こそはしましたけど"輝"いたり"新境地を開く"ところまではいかなくて、結局翌年以降再び下降ラインに入ってチームを去ることになりました。ヤヤ・トゥレもそうなる・・・とは別に思いませんけど、一方で"輝く"ともまた思えなくて、なんか凄いことは凄いけれど、若干機械的に機能する"罪"な手腕だなと、思わなくもないです。
ペッブだからこそ出来た、でも実は"出来ない"方が良かったんじゃないか?的な。

シティ的にはまあ、"助かった"部類なのかなとは思いますが。意外と中盤人がいるようでいなかったので、人数合わせには非常に助かった。ただそれ以上でもなかったので、「シルバ・デブライネ頼み」という状態は最初から最後まで変わらなくて、それが今季のシティの限界にもなっていました。(ギュンドアンが無事だったとしても・・・)
逆にヤヤが戦力化出来なかったら、具体的には分かりませんが新たな別の戦力がその要求に応えて、チームをもう一つ上に持って行けたかも知れない。最初から"本領発揮"に蓋をされたヤヤ・トゥレで、"お茶を濁す"のではなく。"濁"せてしまったのが、ある意味運の尽きというか。

こういうアンリやヤヤ・トゥレに向けられたペップの"収拾"力、悪く言えば「陳腐化」力みたいなものは同様にアグエロにも向けられていて、こちらは今のところは、前二人とは違うキャリアピークのアグエロの元気さもあって、そんなにつまらないことにはなっていない。"進化"と言えないことはないというか。
でもそれでも結構、ギリギリのラインだと思います。これ以上、アグエロの「特別」を「一般」の方に寄せて行ったらもたない、特にジェズスとの2トップ構想というのは、出来ないことはないだろうけれど、来季へ向けての"希望"よりは遥かに"不安"ないしは"不満"要素だと思いますね。はっきり言って、別に「見たく」ないし。(笑)

同じ"難度の高い強引な適応"でも、「銀河系」的な誇大妄想的快楽が無いんですよね、ペップのには。余りに「日常」のものとしてやってしまうので。今のところ確度は凄く高いんですけど、実は"プラスアルファ"も余り生んでいない。結局は構想に適した選手を、最初から連れて来るにしくはないという、当たり前な話にしか。

対してより積極的な構想である例の「MF的サイドバック」ですが、まずそれ以前に("守備職人"と考えられていた)フェルナンジーニョを、中盤の底、"ブスケツ"の位置で"足らせた"のは見事だと思いました。フェルナンジーニョ自身の潜在能力もさることながら、やはりペップの指導力フィット力あってのものだったでしょう、あれは。
ただそのフェルナンジーニョに、"ラーム"まで求めたのはどうだったのか・・・。元々の構想であったのは分かりますが、ようやく"ブスケツ"という新境地を開いたばかりのフェルナンジーニョに、結果として負担が大き過ぎたのではないかと僕は思います。どうもそれによってフェルナンジーニョが心身のコンディションを崩して、上手く行っていた中盤でのプレーまで不安定化して、またらしくない"ラフプレー退場"騒ぎまで起こした、そのように僕には見えました。それらが無ければ、優勝したとまでは言いませんが、もう少しチーム力は維持されて、長く優勝争い出来たのではないかと、そう思っているところがあります。

「フェルナンジーニョ」と「ブスケツ」の違和感、これについては持ち前のフィット力で埋めること、無視することに成功した。しかし続く「フェルナンジーニョ」と「ラーム」の違和感、こちらは埋め切れずに、言わば「フェルナンジーニョ」の個別性(の限界)に逆襲を食って失敗した、そんな印象。
"主要ポジション"(フェルナンジーニョ)と"補助的ポジション"(ヤヤ、アンリ)の違い・・・まで考え出すと収拾がつかなくなるので、とりあえずペップにも出来ることと出来ないことがあった、そういう例として出しておきたいと思います。(笑)


(まとめ)

要するにペップの選手起用の特徴、凄さは、凡人的"ニュアンス"への配慮をバッサリ切り捨てて、原理・原則や戦術的目的の一般的次元のほとんどそれのみで選手に対して、しかもそれを「強圧」ではなくてごくリラックスした「当たり前」として提示・説得出来るところにあると思います。
誰よりもペップ自身がその「当たり前」を生きていて、言わば"無私"の状態で選手に接するので、普通の意味でのエゴとエゴのぶつかり合い的な"反抗"や"摩擦"はほとんど起きない(イブラヒモビッチとの件は未研究なのでまたいつか(笑))、それがペップの独特のマネージング力、ペップなりの"豪腕"の正体かなと。
摩擦が無いゆえの薄味さ、浅さもたまにある、ということも書いてはおきましたが。

何ですかね、イメージとしては、ペップの"目"は生まれつきスカウターか何かになっていて、選手の「顔」ではなくてそのスペック、「数値」が、いきなり/直接見えるようになっているのではないかという、そういう感じ。(笑)
別に"切り捨てて"いるのではなくて、最初から"見えて"いるものが違うという。
そういう、"天才"。


好きとも嫌いとも言えないですけど、すげえなとはやっぱり思いますね、近くで見ていて。違うなという。
驚異の念に打たれる瞬間が、ちょいちょいあるというか。
次回「チーム」編で、そこらへんのことを更に。


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テーマ:欧州サッカー全般
ジャンル:スポーツ
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