最近多いパターンですが、ニュースザップで紹介されていたのを半ば反射的に図書館の待機リストに入れて、回って来たので何となく読んでみた本。
基本的には日本のテレビ業界の黎明期を描いた本ですが、後半のBSとCSに関する部分が先日書いたばかりの『HBOの過去・現在・未来』の内容と微妙にリンクしたりもしていました。
ちなみにタイトルの"欲望のメディア"というのはズバリテレビのことで、"欲望を刺激する低俗番組を垂れ流す"的な、ややネガティヴでかつ紋切り型でもある猪瀬氏自身のテレビ観を表しているようです。割りとベタなんですよね、そこらへんが。後でも出て来ますが。だから所謂"表現規制"に関わった?
ただしそれはこの本の内容には実質ほとんど関係が無いので、構わず書いて行きます。
テレビ事業草創期よもやま話
p.54-55
昭和3年(1928年)のこと。早稲田大学理工学部教授川原田政太郎は、テレビの開発を、劇場で観る前提で進めていった男である。実際、その成果はある時期、高柳より華々しかった。人びとは、新しいメディアを劇場で観るものと信じはじめたのだった。
(中略)
スクリーンは「五尺四方」というから、縦横一メートル五十センチとなかなかの迫力だった。ブラウン管ではなく一種のプロジェクターで、スクリーンに投影する方法である。
"高柳"というのは高柳健次郎氏のこと。「ブラウン管」派の研究者ですね。後でも出て来ます。
"劇場"で"スクリーン"で見るということになったら随分テレビのカルチャーも違ったものになりそうですが、とにかくその語間も無くアメリカの方でブラウン管の技術革新があって、結局今日の「お茶の間」への道を、テレビは歩むことになるわけです。
ちなみにこの本によると、日本におけるテレビの研究は、ラジオとほとんど同時に始まっていたそうです。必ずしもラジオ→テレビという、技術的順番ではなかった。
p.78
昭和12(1937)年、NHKが初めて試作した"中継車"の話。指揮を執っているのは上の"高柳"博士です。青緑色の車体の胴体部分には、「テレビジョン」の黄色い大きな文字がくっきり浮かび上がっていた。車といえば黒が常識の時代、四台のバスは東京に着くと警視庁から、派手すぎるので塗りかえよ、と命じられる運命にある。
ここはむしろ、当時の"自動車"カルチャーと警察の権力の風景として、面白かった箇所。(笑)
p.99
"ニューメディア"テレビジョンをプロパガンダに積極的に活用しようとしていたナチス・ドイツが、試行錯誤の末にたどり着いた"最適"バランス。娯楽の優位。ナチス・ドイツのテレビ放送プログラムを調査したエドウィン・ライスは、つぎの数字をあげている。毎日六時間におよぶ主要なプログラムのうち、直接プロパガンダ二十三・七パーセント、娯楽プロパガンダ六十一・四パーセント、いずれとも定まらない放送十四・九パーセント。
(中略)
テレビのもつ散漫さ、である。人びとの顔を無遠慮につるりと撫でるが、内面まで達しない。ヒトラーの昂った声は、テレビよりラジオ向きなのだ。あるいは映画向き。
だからテレビは低俗なんだ、と猪瀬氏は言いたがってるわけですけど、僕はむしろ、「映像」と「音声」の違いの話として、捉えたいですね。そういう話としてなら、分かるというか。つまり確かに"ラジオ"は、"テレビ"とは違う独特の刺さり方をする。"内面"に達する。そういう感覚は、ある。
でも映画がテレビとそんなに違うかというと、それは疑問ですね。歴史的にも、テレビが一般化する以前はテレビの役割をも、映画が務めていたわけですし。
なんか猪瀬氏は、映画が好きらしいです。やけにハリウッドを、尊敬している。正直単なる世代的問題に見えますが。"分析"以前というか。
p.133
"菊田"というのは菊田一夫、元祖『君の名は』(ラジオドラマ)の原作者兼主題歌作詞者。菊田の回想をつづけよう。
「(中略)NHKの放送番組は終戦直後からいままでずっと、そのほとんどすべては、日本人の自由にはならない(中略)、アメちゃん番組だったのです」
GHQ管理下でのNHK"ラジオ"の実態についての証言。
「アメちゃん番組」という表現が面白くて。(笑)
p.205-206
これは割りと日本の特徴的なところで、ヨーロッパなんかはほとんど公共放送中心ですね。だからコンテンツ産業が発展しなくて、その空白にアメリカの映画と日本のアニメが入り放題みたいな、そういう面もあったようです。日本では、(中略)公共放送と民間テレビは、ほぼ同時期にスタートしたのだ。しかも実際には、日本テレビのほうが免許を得たのは早かった。NHKは民間テレビに引きずられるようにして開始を急がされたのである。
ちなみに「日本テレビ」というのは今見ると凄く偉そうな名前に見えますが(笑)、この当時は本当に民間の資本と技術を結集した唯一無二の"テレビジョン"プロジェクトで、だから上で「民間テレビ」と言っているのはそのまま日本テレビのことです。
その後しばらくしてTBSが出来て、次だいぶ空いてフジとテレ朝(の前身)が出来ると、そういう経緯。
p.275
"木村政彦"でピンと来る人は来るでしょう、この"小生"とはかの力道山のことです。(笑)「取組みの話ですが、リーグ戦でもタッグチーム試合でもどうにでもできますが、山口(利夫)氏が来ていろいろ話をしたことも想像できます。しかし、小生は彼たちが客に満足できる試合をやれないと思います。木村(政彦)なら名前もあるし山口よりは早いが、あんまり小さいので段が違いすぎると思います。(中略)一番大切な取組みのことですから、将来に影響することはできないと思います。」
日本での旗揚げを目前に控え、顔繋ぎも兼ねてアメリカ転戦中の力道山が、日本で段取りに走り回っている興行主がよこした経過報告に、クレームをつけた手紙。文体が・・・なんか意外な感じで面白いですね。(笑)
"山口利夫"というのは柔道家あがりの、日本で力道山より少し先にプロレス(まがい。力道山に言わせると)団体を立ち上げた人。それと既に柔道家として高名だった木村政彦が、力道山一座に合流して色々と勝手に仕切りたがっている、それに力道山が釘を刺している図です。
p.277
昭和29(1954)年、あくる二月旗揚げ公演のシャープ兄弟の初来日を控えて、でもさっぱり盛り上がらない前景気に業を煮やした力道山が、辛うじてプロレスの知識のあった毎日新聞の記者に書かせた記事。伊集院記者の署名入りの記事が載ったのは、一月二十九日付のスポーツ欄である。「血みどろで、打つ、ける---スリル満点 プロレスリング」
(中略)
ルールの説明が中心で、啓蒙的色彩が強い。
"血みどろ"はともかく、"打つ""ける"って、"レスリング"はどこへ行ったという感じですが。(笑)
まあ結果的に力道山の得意技は"空手チョップ"だったわけで、問題無いのかも知れませんが(笑)。とにかくこれが、この当時のプロレスの認知度。
p.334
大宅壮一の、"一億総白痴化"論。大宅壮一の"一億総白痴化論"で、テレビは初めて中身を問われた。その結果が、免許の制約条件に具現化されたのである。
「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。」
(『週刊東京』1957年2月2日号)
この論が与えた影響を猪瀬氏はかなり高く評価しているんですが、ただこれは基本的に猪瀬氏自身の持論でもあるようなので、多少割り引いて考えた方がいいかも知れません。
"免許の制約条件"とは何を言っているかというと、この後放送免許を取得したフジテレビ('57.6月)とテレビ朝日(同7月)に、それぞれ「民族の平和的発展に貢献」「教育局」という放送"内容"についての指定が条件として課されたことです。直接の影響とするには大宅の論からの期間が短過ぎる気もしますが、何らかそういうテレビの放送内容に対する厳しめの時代の空気が存在したことは、確かなようですね。
p.401
これは日本のテレビ事業について、上記高柳博士の主導するNHKが国産規格・ハードによる立ち上げを、正力松太郎の主導する日本テレビがアメリカ規格・ハードの輸入によるより手っ取り早い立ち上げを主張し、結果的に正力側が勝ったことを指しています。そしてアメリカと規格の互換性が高かったゆえに、逆に日本製テレビが後にアメリカ市場を席巻することも出来たと。高柳が正力に敗れなければ、日本は独自のシステムでテレビ放送を始めていただろうから、日本のテレビ受像機との間に互換性がなく、アメリカ市場を席巻する機会は遠のいたと思う。
まあそれだけが理由ということでもないでしょうけど、"歴史の皮肉"を感じさせる事案ではあるかもしれない。
CATV、BS、CS
HBOの歴史について書いた時も、"ケーブル"と"衛星"の関係で少し混乱してしまったんですが。広大な国土のゆえ、地上波での受信に限界があったため、一部の地域は静止衛星からの受信に頼るより方法がないのだ。こうしてアメリカではCATVと衛星受信が急速に普及していく。
各地域のCATV局は個人受信者へテレビアンテナではなくケーブルで配信するが、CATV局自身はパラボラアンテナで衛星を経由した電波を受けている。もちろんCATV局を経由せずに個人でパラボラアンテナを購入して受信する方法もある。
あるいは僕自身の人生何回目かの引っ越し先で、初めて「地上波テレビをケーブルで見る」という状態に遭遇した時も、何のことやらと戸惑ったものでした。
要は電波は電波で飛んでいるとして、それを直接"アンテナ"で受けるか、業者ないし集合住宅が建てたアンテナで一回受けて、それをケーブルで各家庭に流すかの、簡単に言えば二通りがあるわけですね。
更に「CATV局」と言った時に、まず地上波受信代行という業務と、そこに加えてその他の電波や番組を受信・購入して提供する業務と、更にHBOのように自家製作番組を提供する業務と、大きく分けて三つあるというか、この三つが混じったものがアメリカで(地上波難視聴地域に限らず)普及して、所謂"多チャンネル"時代が始まったということでしょうね。
自家製作番組で今や世界に知られるHBOも、「局」としては普通に地上波やよその番組も流している状態は、あったか今もそうなのか、しかとは分からないですけど可能性としては当然想定出来ますね。英語版のWikiを見るとだいたい'80年代前半から一気に製作本数が増えてるので、それ以前は少なくとも混在でやっていたんだろうなということは想像出来るかと。
p.392
(放送)衛星時代では放送も通信も、ほぼ同様のシステムになった。両者の相違をハードウェアの面であえて示せば、BSは出力が大きいので直径四十センチほどの小型のパラボラで受信できる。(中略)いっぽう出力の小さいCSは、ついこの間まで直径一メートルを越す大きなパラボラを必要とした。(中略)
衛星の機能の差が、そのまま放送と通信を差別化してていた。
音声・映像・文字などの情報を電気通信技術を用いて一方的かつ同時に不特定多数に向けて送信すること。
(通信)
有線、無線その他の電磁的方式により、符号、音響又は影像を送り、伝え又は受けること。
広くは全部(電気)通信なんですけど、その内の「不特定多数」を対象とするものを「放送」としているということ。
(BS)
Broadcasting Satellite。放送衛星。通信衛星(CS)の1つ。"放送"用の衛星。
(CS)
Communications Satellite。通信衛星。"通信"用の衛星。
概念としてはこちらも「通信」の方が広いんですけど、事業としての多くの場合の公共性の高さから、「放送」の方から先に考えられることが多くなって、それが事業者を振り回したりもします。
p.393
1990年時点での話ではありますが。BSの場合、いまのところトランスポンダ(電波中継器)は、三つしか取れない。うち二つの椅子にNHKが坐り、残りのひとつをめぐって民間企業が鎬を削り、結局、合従連衡してJSBが誕生した。
(中略)
CSの場合、出力が弱い分だけ多数のトランスポンダを用意できる。(中略)伊藤忠のJSCATは1号と2号併せて六十四本もある。
ここまでの話から推測出来るように、原理的に強い弱いがあるというよりは、「放送」は不特定多数を対象とする公共性から強い出力を許されないし課され、しかしその一方で"弱い"CSにチャンネル数では勝てないという、そういう状態があるということ。
"JSB"というのは、今のWOWOWの前身です。
p.395
通信なのでスクランブルがかかる、というよりも、通信なのでつまり"不特定多数"を対象としていないので、スクランブルを"かけても"いいということだと思いますけどね。その後の"視聴者の特定"というのも同じ文脈の話。CSの受信は、通信なのでスクランブルがかかる。本社の発した電波を営業所で受ける場合、競合他社にその電波を傍受されてはならない。そこで、電波を暗号化して送信し、受信する側はその暗号を解除するデコーダーをチューナーに組み込んでいればよい。
(中略)
スクランブルをかけることにより視聴者は特定される。(中略)したがって(中略)中身は放送だがシステムは通信といえる。
なるほど、だから受信料システムの難点がいくら指摘されても、そう簡単にNHKは"スクランブル"で対処することは出来ないのか。「放送」なので、(技術的条件さえあれば)誰でも見られるようにしておかなければならない。
まあここらへんはほぼ純粋に「放送」と「通信」を分ける法制度の混乱ないし古さの問題なので、時間の問題で解決はするはずですが。
p.396
アメリカでも分けられてはいるんですね。ただもっと単純で、従って対処も簡単。アメリカの場合はわかりやすい。衛星から電波を発する場合、暗号化しないと放送であり、スクランブルをかけて暗号化すれば通信と見做されている
日本でもこの論理で「放送」と「通信」の壁を突破しようとした、具体的には「通信」に「放送」を乗せようとした先達(スカイポート)はいたんですが、結局は政府及びNHK/WOWOW/地上波連合軍に阻止されて、しかしその後徐々に法整備が進んで最終的には今日のスカパーのような事業形態(通信衛星を使った放送業)も可能になっています。(日本における衛星放送Wiki)
p.406
"ハイビジョン"はNHKが世界に先駆けて開発に成功した次世代高精細度テレビ規格・・・のはずだったんですが結局世界規格化は出来ずに、ガラパゴスとは少し違いますがほぼ日本国内でのみ通用する名称・規格になってしまったもの。(Wiki)ハイビジョンでは、たとえばクイズ番組やバラエティ番組はいらない。視聴者が要求するものは映画館で観る本格的なソフトであり、美術館で鑑賞する名画である。
当の日本人にも、より馴染みのあるのは「HD」という一般名称ですね。「SD」に対する「HD」。特にスカパー視聴者には、お馴染みの区分(笑)。(高精細度テレビジョン放送Wiki)
で、「HD」時代にはとっくに突入しているわけで、「HD」になればテレビが変わるなんてのは、幻想なのが明らかになってしまっていますね。勿論視聴者が見たがるものも、別に変わらない。少なくともそんなことでは。
ここらへんは要するに、"映画への過大評価"と同様に、要は既存の(日本の)地上波テレビが大嫌いな猪瀬氏が、たっぷりな願望をこめて(笑)見誤っているということでしょうね。
そもそもこの本の前半の、どちらかというと情緒的な"テレビよもやま話"に対して、後半の延々続く技術的な話に違和感を覚えた人もいると思いますが、それも要するにそうした"新技術"に何とか地上波テレビを駆逐してもらいたいないしは変えてもらいたいと、そういう思い・動機で書かれているんだと思います。
まあ確かに変化は起きましたよね。"多チャンネル化"によって。
ただそれは映像のクオリティとは特に関係無いし、猪瀬氏が望むような"高級"化"上品"化という方向でもない。
むしろ地上波の"えせ"高級やえせ"上品"を突き破る方向というか。
まあ人の好みはそれぞれなので、猪瀬氏は要するにテレビを見なければいいんだと思います(笑)。基本的に向いてない。
・・・といいつつ少し考えているのは、例の「HBOドラマの"映画"化」に、何らか端的な映像技術的要因が大きく関係しているのではないかなということ。単純に「映画」の技術が流れ込んでいる("フィルム"で撮るとか)のか、あるいはもっと何か僕の知らない新しい技術か。
それくらい何か、映像自体が違って見えます、最近のは。
という余談で、おしまいにします。(笑)