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読書日記(’17.12.26) ~それぞれのお国事情
2017年12月26日 (火) | 編集 |
年末一挙放出。


『カナダ史』木村和男編



p.5

一八六七年のロシアからのアラスカ購入も、カナダを南北から挟み込んで併合に追い込むことが重要な動機になっていた。


今日経済的な密着性は高いものの、その独立不羈のリベラリズムでアメリカとは一線を画した存在感を確立している感のあるカナダですが、建国以来西へ南(テキサス、メキシコ)へ領土を拡張し続けて来たアメリカは、隙あらば北/カナダをも呑み込んでしまおうという意思は当然持っていたし、ある時期までは具体的努力も続けていたという話。
言われてみればいかにもありそうな話ではあるんですが、あんまりそういう領土的緊張感があの二国にある印象は日本人は持っていないですよね。ただ"アラスカ"には確かに違和感を感じるので、そういうことならばむしろ納得。

p.318-319

(一九六〇年の「カナダ権利章典」制定後)各州は人権規約、連邦政府は人権法を定め、それに基づいてそれぞれ人権委員会を設置した。
基本的人権や自由が憲法で保障されるには、一九八二年まで待たなければならなかった。


歴史を見ると、カナダも言うほどアメリカに比べていつも人権意識が高かったわけではないんですが、これはそういう高い低いというより、「連邦制」「地方自治」がいかに「全国」や「憲法」を遅らせるかという、そういう例。"1982年まで憲法で基本的人権が保障されていなかった"とかいうとどんな発展途上国かという感じですが(笑)、それまでは州ごとの規定でやってたということですね。
日本でも"淫行処罰規定"のような地方ばらばらの人権・人身保護タームもあるにはあるわけですが、やっぱりどうも全国一律じゃないと、不安なところはありますね慣れてないのもあって。今の状況でそこらへんが緩むと、酷いことをする自治体とかボロボロ出て来そうですし。"生活保護"とかはまあ、「運用」のレベルなんでしょうけど。


『スペインの歴史を知るための50章』立石博高・内村俊太編



p.64

北東部でも地中海に面した領域、かつてはタラコネンシス属州としてローマ化が著しい地域(現在のカタルーニャ自治州に相当)の状況も、固有の地政学的諸条件に規定されている。
(中略)
政治・外交関係においても文化面においても、とりわけ南仏地域との親縁性が強いままであり続けた。


カナダの次はスペイン。言われているのは8,9世紀、今しも"レコンキスタ"が始まらんとしている中世初頭の話。
最近もスペインからの独立問題で大騒ぎになったカタルーニャですが、"カタラン"のエキゾチックな響きもあって、割りとローカルで純民族主義的な内向きの運動の印象が日本人には強いと思います。
でもこの本で見るとカタルーニャの独自性というのは単にマドリードを中心とする中央政府(旧カスティーリャ王国)への"対抗"意識ということではなくて、そもそもの非イベリア性というか、"ヨーロッパ"との親近性が起源のようで、へえという感じ。かのペップグアルディオラがカタルーニャ独立を熱心に支持しているのも、"民族主義"というよりはそういうコスモポリタニズム的なニュアンスもあっての"非スペイン"ということなのかなと思ったりもしますが、具体的にはちょっと知りません。調べてみようかな。
ただ現在の状況でカタルーニャがスペインからの独立性を強めると、制度的にはEUから距離が出来て"非ヨーロッパ"化する気もしますけどね、そういうつもりかどうかはともかく。


『サッカーという名の戦争』平田竹男



平田竹男氏。元日本サッカー協会専務理事。
主な仕事はマッチメイク等の対外交渉で、これもまあ「国際関係」の本と言えばそう。(笑)

p.17

もし、当初の予定通り03年に最終予選が行われていたら、闘莉王は日本代表の一員としてプレーすることはできなかった。結果的に、SARSによる延期はアテネ五輪代表にひとつの福音をもたらすことになった。(中略)
平山相太、今野泰幸、徳永悠平などU-20代表組の加入も、SARSによって間に合った。


2002~2003年にかけての中国でのSARS流行でアテネ最終予選が2004年初頭に延びたことによる"影響"という話。
そうだったかな。全然覚えてないです。面目ない。
単に「無能な山本監督が"闘莉王の帰化"と"平山の飛び級"という大補強でようやくチームを形にした」事例としてしか。(笑)
じゃああれは実現しない可能性があったのか。
正直あの二人の"新加入主力選手"抜きで、あのチームがチームの態をなせたとは思えないですよね、じゃあ普通に予選敗退があり得たのか。
まあ負けた方が"警告"になって良かったかもしれないという、かなり色々と混乱したチームでしたけどねあのチームは。"谷間"とは思いませんが。

p.178

だが実は、日本も中東の人々から同じように見られている。
ラモスを帰化させ、呂比須を帰化させ、三都主を帰化させ、闘莉王を帰化させ・・・・・・。中東の人たちが、日本の帰化選手を見つめるときの厳しい視線を知ってほしい。


これはちょっと、虚を衝かれました。
たまにアジア外の国が日本とやって、"違う顔"の選手がいることに驚きを示していたことは覚えていますが、アジア内・中東の連中が日本の帰化選手のことをそんな風に(卑怯だ反則だと)思っていたとは。
根本的には日本人の方が、さんざん中東の「身体能力」「個人能力」を羨ましく思っていた、そういう歴史があるわけですけどね。うちにも一人くらい、そういう選手がいてもいいだろうと、そういう感覚。(笑)
まあ帰化は帰化なんですけど、言われてみれば。"助っ人"というか。


・・・ここからは「映画鑑賞」日記。(笑)

『将軍SHOGUN』



まり子「(日本には)プライバシーがないので自分で作らないと。(中略)
自分の周りに壁を築くのです。」
按針「壁とは?」
まり子「本心は壁に隠れています。しきたりの壁。
言葉もそうです。あいまいな表現で、答えをはぐらかせる。」


日本でも放送されて話題になった、1980年のアメリカのドラマ『将軍 SHOGUN』から。
島田陽子演じる英語に堪能な日本女性まり子と、リチャード・チェンバレン演じる"三浦按針"をモデルとしたイギリス人航海士の会話。
恐らくは原作小説由来の、「日本人の対人関係」についての独自説。
"部屋に鍵がかからない代わりに自分に鍵をかける"的な(笑)。なんか言われるとそんなこともありそうな気はします。あくまで気がするだけですけど。(笑)


『紳士協定』



ライター「すぐ調査部の資料をくれ。・・・起こった事件とか数字のだ」
社長「待ってくれ。資料を並べるだけの能なしなら社に18人もいる。わざわざ君に来てもらう事はなかった」
社長「頭を使いアングルを決め、劇的に書き是が非でも読ませるのだ」
ライター「月をつかめだな」
社長「ありきたりの過激論ではない暗示に富んだ物にしろ」


グレゴリー・ペック主演、エリア・カザン監督による、1947年の名作映画。(Wiki)
雑誌社社長の注文に応えて「反ユダヤ主義」をテーマにした連載記事の執筆にかかろうとしたペック演じる外部ライターと、社長の会話。
何が言いたいかというと、ここで語られているような「記事」が、"良心的""本物"の記事だという共通理解というか「正義」が割りと最近まであった気がしますが、最近はどちらかというとだよねと言うこと。
「資料を並べ」ない、(変に)「暗示に富んだ」ものを書くライターの方が、「能なし」呼ばわれされる。(笑)
"ロッキングオン的印象批評"への冷笑とかもそうですけど。

ある程度はまあ、"サイクル"だとは思います。保守とリベラルみたいなもので。
あるいは"その"スタイル(観)に慣れ切ったライターが増え過ぎたことに対する、当然の反動というか。
ただ時代の要請というか、"実証性"ということについての基本的な要求水準が、決定的に上がったというところも確かにあるようには思いますね。

とはいえ「ソースを示せ」馬鹿にうんざりしている人も少なからずいるでしょうし、僕が書くような横着なものにも意外としぶとく(笑)需要があるようにも見えますし、どうなることやらという。(笑)


ではまた来年。ネタが溜まったら。


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