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「高校」バレーの「プロ」性
2018年01月25日 (木) | 編集 |
春高バレーをヒントに(その2)

春高2018

(その1)はこちら

前回の終わりに"育成"について書くと予告しましたが、それはまた次回になりそうです。


春高 > Vリーグ?

とにかく面白かった春高。
それは単に、"青春"だからということではなく。
純粋にバレーの試合として、今まで見て来た(と言っても僕の場合ここ数年というレベルですけど)ものとは異質の、時には何ランクか上とも思える、面白さを感じました。
つまりは"Vリーグ"より上ということですけどね。
勿論個人レベルではさすがにVリーグの方が強い弱いで言えば強い、平均レベルは上なわけでしょうけど、ただそれと「試合」としての充実度、「チーム」としての完成度凝縮度は、また少し違う問題なので。
はっきり言って僕が見た範囲では、春高と比べるとVリーグの試合はスカスカだし、Vリーグの各チームはバラバラに感じます。元々感じてはいましたが(笑)それをある程度"日本人""日本"の問題として諦めていたところが、春高を見ておやそうでもないぞ?やれば出来るじゃないか日本人どうしによるバレーの試合でも、こんな面白いものになるんじゃないかと、目を覚まさせられた感じです。

具体的に例えばどこらへんにVリーグとの違いがあるかというと、一つには劣勢のチームの試合中の"修正"の確実さ、このまま一方的かなあと思って見ていても、次のセットでは確実に何か変えて盛り返して来る、必ずしもトップクラスのチームじゃなくても。そこに現れている「試合」への取り組みの真剣さと、修正を可能にするそもそものそれぞれのチームの完成度、"脈絡"の堅固さ。
比べると何となく勝ってダラダラ負けることの多いように見える、Vリーグとは違う。

もう一つおやっと思ったのは、所謂"二段トス"、サーブやスパイクで崩されて無理やり上げた、苦しい状態のトスに対する、スパイカーの強打率フルスイング率の高さ。Vリーグならまず軟打に逃げるか返すだけになりそうなボールでも、高校生は出来る限り全力で決めに来る。そしてそれらは必ずしも一発では決まらなくても、少なくとも一か八かのギャンブルや無様な失敗には終わらずに、流れの中での一つのプレーとして、ほとんどの場合はちゃんと成立している。"当たり前"のプレーとして機能している。
あれ?やれば結構出来るものなの?なのにVリーガーはやらないだけなの?と、ちょっと"納得"の基準が変わって来そうな感じでした。

一つにはこれは、敵ブロッカーの単純な高さの違いというものは多分あって、流れの中ではそんなに優秀でないMBでも、物理的な高さがあれば苦しい状態から限られたコースに打って来るスパイクに対しては、立派な"壁"になれるわけです。代表的には、久光の岩坂選手とかがそのタイプですが。それに関しては、選手の身長に関しては、さすがに高校に比べてVリーグの方が、確実にそういう選手は各チームいる。
ただそれだけでもないだろうと僕は思っていて、では何かというと要するに"真剣味"の違い、一本一本、その一打に懸ける気持ち、チームの勝利の為に最後の血の一滴まで絞り出す準備が整っている度合いが高校生の方が圧倒的に上なので、"失敗"を恐れる気持ちよりも苦しくても可能性を求めて決めに行く気持ちの方が勝つ、そういう風に僕には見えました。


"最高峰"の輝き

こうしたチームの凝縮感や、選手の勇気や真剣味がどこから生まれて来るかと言えば、それは春高ないし高校バレーという"舞台"自体にあるのだと僕は思います。
そこにあるのは何か(例えば"プロ")に至るただの「過程」ではないし、ただの高校生の大会、「年代別」の大会ではない。そういう相対観の中に、春高や高校バレーは存在していない。

そうではなくて高校バレーは高校バレーで一つの独立した世界でありその中の"最高峰"であり、完全燃焼するに足る、そこでの勝利に本気のプライドを抱いてしかるべき目標であるのだと思います。
そういう意味で彼女たちは、年齢とは別にその世界では「一人前」であり「成熟」していて、変な言い方をすると"プロ"なんですよね。・・・いや、真面目に、「これはゼニの取れる試合だ」と、僕は思いました。現行のVリーグより遥かに。目の前のものが何らか"最高"のものだと信じられるから、少なくとも"玄人"がベストを発揮していると感じられるから、客は納得して金を払うわけで。
Vリーグは勿論ですけど、Jリーグにも現在その納得感があるか、僕は大いに疑問ですが。

勿論いったんVリーグに入り直せば、そこでは彼女たちはやはり"子供"なわけですけど、それはまた別の話違う「世界」の話。

ここらへんで参考になるかと思うのは、これまでインタビューを読んで来たたいていは全日本にも選ばれているクラスの女子バレーボール選手の多くが、最終目標や遠大な計画の下に競技を続けて来たのではなくて、ふとしたきっかけで始めてみる→たまたま認められたりたまたま誘われたのでその上でも続けてみる→特に続けるつもりも無かったけどまた誘われたので続けてみる→気が付くと全日本に選ばれて五輪にも出たりしたみたいな、至って行き当たりばったりな(笑)選手生活を送っていることです。

一言で言えば「プロ」の無い競技の悲しさなわけでしょうが、とにかくこういう若干刹那的になりがちな宿命の競技において、また実際実業団や大学バレーの世間的存在感が薄い中で、春高を筆頭とする高校バレーは分かり易い目標であり、一つの"集大成"であり、最高レベルではないにしても「最高峰」なわけですよね。
まずそこまでたどり着く。そっから先はまた別問題。そんなピリオド感が、存在していなくはない。
分かり易く言えば、「Vリーガー」になることを夢見てバレーを始めるバレー少女はほとんどいないでしょうけど、「春高バレー」に憧れてバレーを始めるバレー少女なら、普通にいるだろうというそういう話。(笑)

とにかくだから、高校バレーは「過程」でも「子供」でもないから、そこに向けて全てが集約して行く一つの「最高」の舞台であるから、大人同様の"プロ"同様の、ゼニの取れる成熟したプレー・試合が、そこで成立するんだと思います。
・・・余談になりますが、アメリカで大学スポーツがプロ並みに売り上げを上げる立派な興行になっているというのも、春高バレーを見ていると何となく想像は出来る気がしましたね。あちらは大学ですが、やりようによっては所謂"アマチュア"スポーツ"学生"スポーツも、プロ並みの風格を備えることはあるんだろうなと。
逆に言うと「プロ」がプロであるのは年齢や経済的法律的仕様によるとは限らなくて、僕がJリーグの試合に余り"プロ"を感じられないのも、何かそれなりの理由はあるんだろうと、勝手に"納得"してしまいましたが。(Vリーグは一応"プロ"ではないので、また別の話に(笑))

「子供」と切り捨てられない立派な競技的成熟を備えつつ、しかも同時に年齢相応の純粋さや無心さ、"青春の輝き"も注がれている、一粒で二度美味しい(笑)高校バレー。
いやほんと、ゼニ取れると思います。


「高校」という単位

高校バレーの競技的充実の理由の一つには、「高校」という母体そのものの性格もあると思います。
基本的には選手の帰属感、忠誠心の濃密さがVリーグとは段違いということですが、特に「教員が担当する」という関係上、"監督"の在任年数の長さとヌシ度、そこから来る求心力戦術的徹底度が、何かVリーグとは別次元という感じ。
そういう事情はどの学校スポーツでも多かれ少なかれ見られることでしょうが、春高を見た限りでは、サッカーよりも更に、バレーの監督の"終身"感は強い感じ。流動性が低いとも言えますが。
"雇われ"度で言えば、(高校)野球 >>>>>>>>> サッカー >>> バレー くらいの印象ですかね。

それはそれで弊害はあるでしょうし、だいだい僕は(サッカーでは)どちらかというとすぐ監督を替えたがるタイプなわけですが(笑)、ただ"ベンゲルの長期政権"になら文句は言いやすくても、"アレックス・ファーガソン"くらい突き抜けちゃうと、もう何も言えないというか「そういうもの」だとして考えるしかなくなるじゃないですか。(笑)
そういう凄みです、バレーのは。"アレックス・ファーガソン"が、あっちにもこっちにもいるというか。

そして多分、それはバレーボールという競技の特性にあっているんですよね。狭いコートに6人しかいなくて、そんなに華麗な戦術があるわけでも多様性があるわけでもなくて、むしろいかにある方向性プレー原理を徹底させるか骨身に染みさせるか、理論的にという以上に職人的に研ぎ澄ますか、そちらの方に成否の比重が大きくかかる。サッカーに比べてね。求められる"正確性"も、サッカーより厳密だと思いますし。
だから長期政権があっている、監督がその部に"根を下ろしている"ことの効用は弊害より大きくて、例え古臭くても徒弟的でも、選手たちがある意味盲目的にそれに従う、信じてやり切ることから発生する力が、理論的選択や柔軟性よりもしばしば比重が大きい。

逆にそれが、多分Vリーグに圧倒的に足りないところ。Vリーグの試合が"スカスカ"で、Vリーグのチームが"バラバラ"に見えてしまうところ。例えばサッカーなら意外と成り立つレベルであっても、バレー基準だと到底足らない感じになる。
高校の監督に比べれば"腰掛け""通りすがり"の、しかもサッカーと比べても必ずしも能力や実績で選ばれているわけでもない監督では、どんな戦術も方向性も、ろくに徹底出来ない。増して選手は高校生のように純真ではないし(笑)、高校のように期限が切られているわけでも逆に("プロ"として)10年20年などという長いキャリアを見据えて自分の生活の為にやっているわけでもない。結局そのつもりはなくても、"ダラダラ"やっているような感じにはなってしまう、高校バレーと比べて。

まあ高校生が誰もかれも監督に心酔しているはずは無いですし、繰り返しますが当然"弊害"や"悪い例"も、あちこちにあるのはあるんでしょうけどね。
ただ一方で、仮に監督の個人的資質という要素を差し引いたとしても、今度は名門校のブランド・伝統への憧れやそうでなくても共に青春を過ごす仲間に対する忠誠心という形で、少なくとも"3年間"という限定の中でなら、やはりVリーグとはレベルの違う集中した帰属意識というものが高校生バレーボーラーを衝き動かしているのは想像に難くなく、それが独特なプレー密度の高さを、また担保するわけですね。

そうして積み重ねられた、名門校を頂点とする、堅固で分厚い"ピラミッド"という。(前回)


「高校」という単位 part2

ここからはほぼほぼ妄想ですが。

思うんですけどね、もしバレーを本気でプロ化したいなら、実業団(Vリーグ)ではなくて高校の方を、母体にしたらいいのではないかと。
プロよりもプロらしいアマをそのままプロに・・・なんていうと、皮肉っぽいorややこしいかもしれませんが(笑)。"ゼニの取れる試合"で本気でゼニを取る。(笑)
単純に"名門校"の数だけで言っても"ロマン"の対象となるような歴史を持ったチームが片手あるか怪しいようなVリーグより、よっぽどスタート時点のバックグラウンドが厚かろうというか。リーグとしてはそれなりの歴史があるのに、"オリジナル10"神話すら形成出来ない現状。ほんとただの"企業スポーツ"というか。

まあいきなり「高校(生)をプロに」なんて言うとただの暴論ぽいですが、つまり「クラブ」ということですよ、それ以前の問題として。
野球式に大企業がバンバン金を入れてくれる形態など望みようが無い社会状況である以上、何らか「クラブ」方式で行くしか恐らく選択肢が無いわけですが、その母体として何が相応しいのか。

既に"セミプロ"としての実業団がある以上、それを母体にプロ化を目指すのが自然というかイージーなのは、Jリーグの草創期などを見ても明らかではあるんですけど。一方ででも"日本リーグの名前変えただけじゃん"感とか"トップダウンの不自然な地域密着"のような、Jリーグの悪い部分は見習う必要は無いわけで。(笑)

"高校"ベースの"クラブ"という発想の、モデルとしては一つは勿論、ご存知イングランドの(プロ)フットボールの基礎となった、"カレッジ"フットボールという実在の歴史ですね。現実にそれを基にイングランドのフットボールの全国組織・リーグは形成されたのであって、「企業」(初期には主に工場)や「地域・自治体」("教区"など)がアイデンティティとして参入して来たのはその後だったよう

(参考)


ですが、それだけではなく。

何と言いますかね。そもそもフットボールやバレーボールなどという、遊びの"カルチャー"の醸成に向いているのは、むしろ「学校」の方なのではないかと。「部活」こそがスポーツの本流なのではないかと、言い切ってしまうと今日の状況では反論がいくらでもあるでしょうけど。(笑)

ただ野球も含めて多くのスポーツの、普及・発展の基に"学校"があったのは紛れもない事実。
その学校スポーツの今日でも根強い独特の魅力と、そして味わったばかりの春高バレーの各校が漂わせる濃厚な「文化」の薫りが、僕をそういう発想に導くわけですね。Vリーグではおよそ微かにしか感じられない
それをわざわざ一回解体・劣化させて実業団に主体を移して、その後改めてクラブ化プロ化するなんて、何の意味があるの?どういう二度手間?という。だったら既に濃厚に存在しているアイデンティティ・文化の方を母体に、クラブを作ってしまった方がいい。

と言って勿論、いきなり高校生をまとめてプロ選手にするわけにはいかないので、年齢的には現役「高校」生であることには重きを置かないというか実力的にもやはりそれは補助的なケースになるでしょうが。
じゃあどうするのかということについての一つのモデル的なイメージとしては、実はイングランドフットボールにおいても初期においては普通に見られた形態なんですが、今日ではラグビー(これも"フットボール"ですけど(笑))の方でよくお目にかかる、「全早大」とか「全明大」みたいな、現役・OB混成の形態。あれ面白いですよね。味のある"文化"だなと、いつも思います。そのもっと/ぐっと"OB"寄りの編成。

最終的には「高校」"クラブ"という根からトップチームが「生えている」状態を目指すとしても、せっかくある実業団を潰すのも勿体ないので(笑)、そこらへんは上手く関連付けるようなことが出来たらいいですね。
例えば今でも、"速い"バレーを標榜する東九州龍谷から同じく速いバレーの久光に有力選手が輩出されて(岩坂名奈、長岡望悠、栄絵里香ら。今年は恐らく中川美柚選手が入団)いたり、一方でパワフルなオープンバレーの下北沢成徳からは、同じくオープンバレーの東レに同様のルートが出来ていたり(大山加奈、荒木絵里香、木村沙織、黒後愛ら)というような関係性は存在していますね。今年優勝の金蘭会は・・・バレー的には強いて言えば、いい時のNECに似てるかな?(それを言うなら誠英の方かも知れない)

こうやって高校や企業からだけ"クラブ"の話をしていると、"地域"はどうしたと言う人がいるかも知れませんが・・・
高校こそ、学校スポーツこそ、最初から"地域"には密着してるでしょう。何せ「〇〇県代表」ですからね。校名にもたいてい、地域名("東九州"や"下北沢")が既についてますし。特に考える必要も無いくらいだと思います。ちなみにサッカー式に"市町村"にこだわるべきだという根拠は、全く無いと思います。純然たる単なるヨーロッパの慣習でしょう、それを何も考えずに、Jリーグが輸入しただけです。


実際にこれを実行するには、相当の政治力が必要となるはずなので、まあ妄想は妄想です。
とりあえず僕が、ビットコインでビリオネアになるのを、待ってもらわないといけないかも知れません。(だいぶ周回遅れ)
細かいことは、それまでに考えておくとして。(笑)
以上、Jリーグの"プロ化"の構想・プロセスに、未だに納得の行ってない僕の、別のキャンバスに描いてみた夢でした。(そうだったのか)

次回は今度こそ、もっとサッカーに関係した話になる予定。(笑)


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テーマ:バレーボール
ジャンル:スポーツ
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