2018年01月29日 (月) | 編集 |
Vリーグは昨日でレギュラーラウンド終了。次のプレーオフまで、少しだけお休み。
こちらは春高バレーシリーズの続き・・・とも思ったんですけど、なんかひと息つきたくて、バレーはバレーでもこっちのシリーズ。
結局サーブレシーブの上手い下手とは何なのか
シリーズ第一回からの宿題ですが。
小柄で俊敏な日本人は、スパイクレシーブ(ディグ)に関しては、大柄な欧米選手に比べて平均的に上手いと定評がある。
しかし一方でサーブレシーブ(レセプション)については、劣っているわけではないけれど特に優れているわけでもない、求めている精度が他国より少し厳しいのもあって、現代表でも国際試合で計算出来るのは、昨年の段階では新鍋理沙選手と内瀬戸真実選手のWSでは結局二人だけという、やや苦しい状況でした。
簡単に言うと、俊敏性と反応だけでは、レセプションは出来ないと、そういうことが言えるわけですが。
では何なのか。
一つのヒントとしては、レシーブの専門職である特殊ポジションのリベロの選手を除いた、近年の代表的なレセプションの名手二人木村沙織選手と新鍋理沙選手の二人が、揃って「バレーで一番好きなプレーはレセプション」と、インタビューで答えていることにあるかなと。(ちょっとソースは失念)
パワーと上背にやや欠け元々比較的守備的な選手だった新鍋選手はまだしも、185cmと日本人最高クラスの高身長のバリバリの攻撃選手で、若い時はむしろサーブの狙い目にされて苦しんでいたこともあるらしい木村選手まで最終的にそういう境地に至ったのは、なかなか興味深いことだと思います。
ここから推測出来るのは、誰にでも出来るわけではない難度の高いプレーであるレセプションは、一方で特有の魅力のあるプレーであり、レセプションの上手い選手は単にレセプションが"出来る"のではなくて、むしろ積極的に"好きな"くらいの選手だということです。(そしてそれが稀少だと)
ではレセプションの"快楽"とは何か。
ここからはほぼ純粋に想像ですが。
それは相手が勢い込んで打ち込んで来るサーブをふわりと受け止めて"殺す"快感、とっさの反応であるディグとは違って入念に配慮したポジショニングで"待ち構えて""嵌める"快感、更に言えば自分は"力"を使わずに相手(サーバー)にだけ力を使わせてかつそれを"無駄にさせる"快感。(笑)
まとめて言うと、"ドS"の快感、底意地の悪さの勝利。(笑)
ああ、と思う人は思うかも知れません。新鍋選手、Sですよね、意地悪ですよね(笑)。木村選手、ああ見えてSですよね。ちびのリベロの選手の届かないところにハイタッチの手を出すとか、よくやってましたよね(笑)。いつもにこにこはしてますが、あれは愛想がいいというより他人の事は気にしてないというタイプですね。
それ以前に、"受け"の快楽でもあるかも知れません。
Sが受けというのはよく分からないかも知れませんけど、受け、つまり一歩引いた状況で全体を俯瞰してコントロールする、掌中に収める、そういう快楽です。それがSの気質に合うわけです。相手の力を利用する、自分はなるべく汗を搔かない、そういうイメージも重要です。
その快楽に慣れちゃうと、必死こいて「攻撃」に行くとか、かったるくてやってられないというところはあるわけです。サッカーほどではないにしても、バレーの攻撃も成功することより失敗することの方が、ずっと多いわけで。そんなのSのプライドが許しません。(笑)
というわけで守備的な新鍋選手だけでなく、大エースの木村選手すらも、慣れてしまえばレセプションの方が楽しくなるわけです、気質に合うわけです(笑)。目覚めたわけです。(笑)
内瀬戸選手の性格はよく知らないですし、みんながみんなそこまで分かり易くそういう類型に当てはまるとは限りませんが、他にも代表にはそこまで縁が無かったですが、同年代の代表的なレセプションの名手、NECの近江あかり選手なんかも、独特の癖のある超強気な性格で知られていましたよね。だから何かしらそういう傾向はあるんだろうと思います。
技術的にはやはり、"ふっと力を抜く"というのが出来るか出来ないかが大きな分かれ目で、その為に"S"である必要は必ずしもないのかも知れませんが(笑)、ただ他人に気を遣ってばかりの真面目な選手にも、逆にただ大雑把な選手にもそれが難しいことなのは、何となく想像出来ると思います。
現役のレセプションアタッカー候補で言えば、石井優希選手は技術的には結構出来るように見えますが、プライドの高さと自信の無さが同居する神経質な性格で、"出来る"時と出来ない時が、心理状態でかなり出て来てしまう感じ。もう一人古賀選手は、ふわふわしているようでかなり融通の利かないところのある頑固な性格で、"一生懸命"上げるばっかりで余り力が抜けないので、だいぶ慣れては来ましたがまだまだ固い感じで、試合後は随分腕が疲れてしまうみたいですね。
役に立つかどうか分かりませんが(笑)他の競技の例で言えば、野球の中の「二遊間が守れる選手」、そういうタイプの"守備の達人"が、多分バレーのレセプション名人と共通するものがあるのではないかと思ったりします。(笑)
サードならバ〇でも守れるけど(笑)、セカンドとショートはね。ある種の飄々と受け流すような技術・感覚が無いと。そういう複雑微妙さが。
こんなところです。(笑)
まああんまり昔のことは分からないので、最近の例からの想像・推測ですが、満更的外れではないのではないかと、自分では思っています。



左から木村沙織、新鍋理沙、近江あかりの、日本が誇るドSレセプター三傑。(笑)
Vリーグに外国人は必要か。
こちらは新しいトピックス。
別に外国人選手を排斥しろと言っているのではなく(笑)、現行の「各チーム一人」という制度下における外国人選手の影響についてという話。来季からの新・Vリーグでは、そこにアジア枠が加わるということですが、中国のトップクラスでも来ない限りそれで大きく状況が変わるとは想像し難いので、変わらないという前提で話します。
簡単に言うと、一人だけ入れるくらいなら、日本人だけでやった方が、試合自体は面白くなる可能性が高いのではないかというのが、現時点での僕の見込み。
それは先だっての春高バレーの面白さであり、ラスト2戦で大砲カルカセスを思い切って外してみた時の上尾の、いきなりいいチームになったような妙な機能性であり、また昨季の爽やかな好チームが、"世界の"ミハイロビッチを入れたことにより見る影も無いク〇チームに成り果てた今季のJTの姿であり。
それでJTは現在2位につけている(昨季は最終的に4位)わけですから、"弱くなった"とは言いません。ただ魅力が無くなったつまんなくなったということ。ついでに「全日本の強化」にどちらがいいかという話は、いったん置いておいて下さい。あくまでリーグとしての魅力試合の面白みという観点から、話しています。
勿論面白い面白くないは人それぞれなので全くそう思わない人はそれでいいんですが、ある程度以上同意してくれる人向けに上記のような"現象"の理由を考えてみると、簡単に言えば「同質性」が高くなるということでしょうね。それによって戦術的な統一性徹底性が確保し易くなって、"いいチーム"感が出易くなるし、試合の展開もスムーズできちんとした"綾"が出易いものになる。だからそういう試合をいい試合と感じる人には、少なくとも面白くなる。
これだけだといかにも縮み志向というか、ただの低レベル均衡みたいに聞こえるところがあるかと思いますが、問題はバレーボールという競技の特殊性で。
シリーズ第三回でも"階級制"というアイデアに触れてみたように、日本バレーは欧米等の世界の競争相手と比べると、極端な体格的パワー的劣勢に置かれているわけです。スポーツの常識で言えば、本来戦うべきではないような(笑)。(だから"階級制")
だから外国人を排するというのは"低レベル均衡"というより"正常化"に近い性格を持つものであり、試合が面白くなる競技性が向上するのは、ある意味当たり前なんですよね。
そしてそのことは、"外国人"そのものの性格にも、関係して来ます。つまり助っ人として呼ばれる外国人選手が、日本人選手を上回るのは、"いい選手"であることよりも何よりもまず"デカくて強い"という単純な理由が大きいのであり、勿論見習うべき点のある選手も少なからずいるでしょうが、本質的にはそうです。
だから例えばサッカーにおいてJリーグが、リーグのレベルからするとオーバースペック的な大物外国人を呼んだとして、そこで戦力均衡は確かに破壊されますがしかし同時にその選手のプレー自体の素晴らしさや味方を活かす能力などにより、サッカーとしての魅力が増すことも十分に期待出来るわけです。(そりゃメッシとか呼んではそれはやり過ぎでしょうけど(笑))
しかしバレーの場合は、"個人技の足し算"性がサッカーより強いというのもあって、大物外国人を呼んでも単にデカくて強い女が小さくて弱い女をいじめてるだけみたいな事態に、なりがちなんですよね。なかなかそこに、バレー的な"豊かさ"は生まれない。・・・少なくとも一人では。
これが同レベルで複数いれば、そちらが新たな"基準"となって日本人だけでは生まれ難い新たなバレーボールの次元が浮上して来たりすることもあるでしょうが、一人では単に、「小人の国のカリバー」です。ただただチームバランスゲームバランスが歪むだけです。
別な言い方をすると一人だけいてもそれに合わせて"レベルが上がる"ということはまずないので、だったらいっそ日本人だけで、ゲーム性の内的な充実を目指すことに専念した方が、面白いリーグになる可能性は高いのではないかということです。
久光のアキンラデウォは凄い選手だし、トヨタ車体のネリマンはいい選手だけど、見てて楽しくは別にないんですよね。唖然としたりドン引きしたりするだけで(笑)。サッカーのスーパー助っ人たちのようには。
余りにも前提条件が違い過ぎて。
そりゃ熊は強いけどそれは熊だからでしょ。マス・オーヤマの強さと比べても仕方が無い。(笑)
まあミハイロビッチはともかく、ネリマンに"熊"は少し失礼かも知れないですけど。(笑)
「全日本の強化」については、普通二つの意見があります。「レベルの高い外国人とやることで訓練出来る」という意見と、「日本人選手のブレー機会が確保されることによって育成が進む」という意見です。
僕は原理的には特にどっちとも思いませんが、ただ上で言ったように"外国人が一人だけいても駄目だ"という意味で現状前者には否定的なので、消極的に後者かな。特に若手の出場機会は確実に増えるでしょうし、日本人だけになることによる戦術性の向上によるバレー脳の鍛錬効果も、期待出来ないことはないかと可能性としては思います。ならば試合としては面白いだろう国産リーグに、現状では一票。
ちなみに今季唯一国産チームで臨んで苦戦しているNECですが、"唯一"であることによって国産であるパワー的不利の影響が余りに大きくなってしまっているので、一チームだけで効果を判定するのは難しいですし、例えばカルカセス不在時の上尾との国産対決で苦戦したように、外国人抜きならNECが強いとも、単純には思いません。やはりまず基準を揃えるところから、始めないと。
まあNECについては、ファイナル6敗退後(笑)に、まとめて書く予定です。するでしょう?敗退。
続・バレーファンのファン気質問題 ~"党派性"という病
前回「バレーファンはサッカーファンに比べても限度を越えて口汚くて狭量で引く」という話をしましたが、その理由としては主に(男性ファンが)"異性"選手を応援することにより生まれるエロス的な愛憎の濃さというものを、挙げておきました。
それはそれでだいたいそんなところだろうと今でも思ってはいるんですが、一方で"狭量さ"の描写として少し足りないなとその後思うところがあって、それは一言で言うと「党派性」の強さ、単に個々人がいがみ合っているのではなくて。
代表的な例は、例えば5ちゃんの久光スレ。今季結局全勝で悠々とレギュラーラウンドを首位通過して、さぞかし皆さん上機嫌だろうと思いきや、まるで降格チームか何かのような殺伐とした雰囲気で、特に「新鍋」派と「石井優希」派が、日夜血で血を洗う争いを繰り広げていて笑います。
傍から見ればどっちもそれぞれいい選手だろうとしか言いようが無いわけですが、とにかくあちらを立てればこちらが立たず、必ずどれかの"派"に属して相手を撃滅するまで戦わないと気が済まないようです。
「新鍋」派はまあそれでも独立自尊なところがあるのでまだいいんですが、「石井優希」派はめんどくさくて、定期的にNECの古賀紗理那選手も巻き込んでこちらでも"どちらが上か"闘争をおっ始めます。「古賀紗理那」派というのは普段は特にいないと思うんですが、ただしそういう時には決まって擁護派が登場して、よせばいいのにまともにやり合って結局"古賀紗理那を認めることは石井優希を認めないことである"タイプのおかしな論にはまって行きます。
こういうのはバレーの世界の一つ伝統のようで、いち世代前には「江畑幸子」と「迫田さおり」という二人の名アタッカーをめぐって、"エバサコ論争"と呼ばれる超粘着質な叩き合いを、今でもたまに繰り広げています。他には全日本セッター宮下遥選手をめぐっても、似たような壮絶な言い合いが定期的に起こります。
いずれも内容はほとんどテンプレなんですけど、もうなんか全然僕には笑えないプロレスです。
"オタ"と"アンチ"という言い方はどの分野でも慣用的には使われますが、バレーの場合は文字通り"オタ"か"アンチ"かに、あらゆる事象について全ての人が分類されないといけないような、そんな雰囲気です。
これらは主には選手個人個人について繰り広げられることが多いですが、他にチームや監督についても、やはり特有の湿度の高い愛憎が、表現されることが多いです。軸となるのはやはり"巨人軍"的な憎まれ役の久光製薬で、それ自体はどこの分野でもあることでしょうが、それにしても"A"というチームが好きな人は漏れなく"B"と"C"は嫌いみたいな構図・物言いがあちこちで律義に聞かれて、かなりうんざりします。現全日本監督中田久美氏をめぐっても、好きな人は決め打ち的に賞賛し、嫌いな人はひたすら馬鹿にするの二極みたいな風景が、やはり目に飛び込んで来ます。
当ブログにコメントを寄せてくれた人にもナチュラルな感じにそういう人がいましたから、もうほんと"ファン気質"というか、"習慣"なんでしょうね。
僕自身の気質としては、人それぞれ意見があるのは当たり前だし、何なら悪口雑言にも質のいいものならそれ自体として言語的快楽を認めなくも無いんですが(笑)、一方で「党派」的な物言いは、徹底的に受け付けないんですよね。分かり易く言うと、僕の意見に真っ向反対して来るしかし特に党派的でない人と、僕に献身的に味方してくれるしかし党派臭を漂わせている人がいたら、僕は後者を出禁にして前者と仲良くします。そういう人です。
とにかく嫌なんですよ。党派を選ぶよう迫られるのも嫌ですし、増して勝手に僕を党派的にくくられたりしたら、冗談半分でも基本ブチ切れます。関係性によっては執行猶予はつけますけど。
"悪口雑言"との比較で言うと、それは要するに、"表現"の段階でのノイズでしかないわけですが、「党派」的な人は、そう振る舞う習慣のついている人は、"認知"の段階で既に歪んでいる、党派的に単純化しているので、議論の根っこが腐ってしまうんですよね。だから時間の無駄なので、出禁にするわけです。(笑)
ほんと困るんですよね。本来ほとんどチームの好き嫌いとか無い人なのに、誰かに党派的に好きを表明されると、その影響でついその対象が嫌いになりそうになるので。ハリルホジッチ熱烈支持派とかもほんと迷惑なので、黙って分析だけしてて欲しい、変に感情を出さないで欲しいと、これは余談ですが。(笑)
以上、ぼやくだけぼやいて、特に解決策とかがあるわけでもあるはずもないんですが。(笑)
少ないチーム数と薄い選手層の中で、何でそんな選り好みばっかりしてるんだろうと外野的には思わざるを得ないんですが、"少ない"からこそ、そうなのかも知れないですね。よく分かりませんが。
今回はこれくらいです。
なるべくぎりぎりまで、「はじめて」「外野」という立場を貫きたいですね。その方が楽しい。(笑)
当事者になっちゃうと、それこそ"党派"性なんかも。
こちらは春高バレーシリーズの続き・・・とも思ったんですけど、なんかひと息つきたくて、バレーはバレーでもこっちのシリーズ。
結局サーブレシーブの上手い下手とは何なのか
シリーズ第一回からの宿題ですが。
小柄で俊敏な日本人は、スパイクレシーブ(ディグ)に関しては、大柄な欧米選手に比べて平均的に上手いと定評がある。
しかし一方でサーブレシーブ(レセプション)については、劣っているわけではないけれど特に優れているわけでもない、求めている精度が他国より少し厳しいのもあって、現代表でも国際試合で計算出来るのは、昨年の段階では新鍋理沙選手と内瀬戸真実選手のWSでは結局二人だけという、やや苦しい状況でした。
簡単に言うと、俊敏性と反応だけでは、レセプションは出来ないと、そういうことが言えるわけですが。
では何なのか。
一つのヒントとしては、レシーブの専門職である特殊ポジションのリベロの選手を除いた、近年の代表的なレセプションの名手二人木村沙織選手と新鍋理沙選手の二人が、揃って「バレーで一番好きなプレーはレセプション」と、インタビューで答えていることにあるかなと。(ちょっとソースは失念)
パワーと上背にやや欠け元々比較的守備的な選手だった新鍋選手はまだしも、185cmと日本人最高クラスの高身長のバリバリの攻撃選手で、若い時はむしろサーブの狙い目にされて苦しんでいたこともあるらしい木村選手まで最終的にそういう境地に至ったのは、なかなか興味深いことだと思います。
ここから推測出来るのは、誰にでも出来るわけではない難度の高いプレーであるレセプションは、一方で特有の魅力のあるプレーであり、レセプションの上手い選手は単にレセプションが"出来る"のではなくて、むしろ積極的に"好きな"くらいの選手だということです。(そしてそれが稀少だと)
ではレセプションの"快楽"とは何か。
ここからはほぼ純粋に想像ですが。
それは相手が勢い込んで打ち込んで来るサーブをふわりと受け止めて"殺す"快感、とっさの反応であるディグとは違って入念に配慮したポジショニングで"待ち構えて""嵌める"快感、更に言えば自分は"力"を使わずに相手(サーバー)にだけ力を使わせてかつそれを"無駄にさせる"快感。(笑)
まとめて言うと、"ドS"の快感、底意地の悪さの勝利。(笑)
ああ、と思う人は思うかも知れません。新鍋選手、Sですよね、意地悪ですよね(笑)。木村選手、ああ見えてSですよね。ちびのリベロの選手の届かないところにハイタッチの手を出すとか、よくやってましたよね(笑)。いつもにこにこはしてますが、あれは愛想がいいというより他人の事は気にしてないというタイプですね。
それ以前に、"受け"の快楽でもあるかも知れません。
Sが受けというのはよく分からないかも知れませんけど、受け、つまり一歩引いた状況で全体を俯瞰してコントロールする、掌中に収める、そういう快楽です。それがSの気質に合うわけです。相手の力を利用する、自分はなるべく汗を搔かない、そういうイメージも重要です。
その快楽に慣れちゃうと、必死こいて「攻撃」に行くとか、かったるくてやってられないというところはあるわけです。サッカーほどではないにしても、バレーの攻撃も成功することより失敗することの方が、ずっと多いわけで。そんなのSのプライドが許しません。(笑)
というわけで守備的な新鍋選手だけでなく、大エースの木村選手すらも、慣れてしまえばレセプションの方が楽しくなるわけです、気質に合うわけです(笑)。目覚めたわけです。(笑)
内瀬戸選手の性格はよく知らないですし、みんながみんなそこまで分かり易くそういう類型に当てはまるとは限りませんが、他にも代表にはそこまで縁が無かったですが、同年代の代表的なレセプションの名手、NECの近江あかり選手なんかも、独特の癖のある超強気な性格で知られていましたよね。だから何かしらそういう傾向はあるんだろうと思います。
技術的にはやはり、"ふっと力を抜く"というのが出来るか出来ないかが大きな分かれ目で、その為に"S"である必要は必ずしもないのかも知れませんが(笑)、ただ他人に気を遣ってばかりの真面目な選手にも、逆にただ大雑把な選手にもそれが難しいことなのは、何となく想像出来ると思います。
現役のレセプションアタッカー候補で言えば、石井優希選手は技術的には結構出来るように見えますが、プライドの高さと自信の無さが同居する神経質な性格で、"出来る"時と出来ない時が、心理状態でかなり出て来てしまう感じ。もう一人古賀選手は、ふわふわしているようでかなり融通の利かないところのある頑固な性格で、"一生懸命"上げるばっかりで余り力が抜けないので、だいぶ慣れては来ましたがまだまだ固い感じで、試合後は随分腕が疲れてしまうみたいですね。
役に立つかどうか分かりませんが(笑)他の競技の例で言えば、野球の中の「二遊間が守れる選手」、そういうタイプの"守備の達人"が、多分バレーのレセプション名人と共通するものがあるのではないかと思ったりします。(笑)
サードならバ〇でも守れるけど(笑)、セカンドとショートはね。ある種の飄々と受け流すような技術・感覚が無いと。そういう複雑微妙さが。
こんなところです。(笑)
まああんまり昔のことは分からないので、最近の例からの想像・推測ですが、満更的外れではないのではないかと、自分では思っています。



左から木村沙織、新鍋理沙、近江あかりの、日本が誇るドSレセプター三傑。(笑)
Vリーグに外国人は必要か。
こちらは新しいトピックス。
別に外国人選手を排斥しろと言っているのではなく(笑)、現行の「各チーム一人」という制度下における外国人選手の影響についてという話。来季からの新・Vリーグでは、そこにアジア枠が加わるということですが、中国のトップクラスでも来ない限りそれで大きく状況が変わるとは想像し難いので、変わらないという前提で話します。
簡単に言うと、一人だけ入れるくらいなら、日本人だけでやった方が、試合自体は面白くなる可能性が高いのではないかというのが、現時点での僕の見込み。
それは先だっての春高バレーの面白さであり、ラスト2戦で大砲カルカセスを思い切って外してみた時の上尾の、いきなりいいチームになったような妙な機能性であり、また昨季の爽やかな好チームが、"世界の"ミハイロビッチを入れたことにより見る影も無いク〇チームに成り果てた今季のJTの姿であり。
それでJTは現在2位につけている(昨季は最終的に4位)わけですから、"弱くなった"とは言いません。ただ魅力が無くなったつまんなくなったということ。ついでに「全日本の強化」にどちらがいいかという話は、いったん置いておいて下さい。あくまでリーグとしての魅力試合の面白みという観点から、話しています。
勿論面白い面白くないは人それぞれなので全くそう思わない人はそれでいいんですが、ある程度以上同意してくれる人向けに上記のような"現象"の理由を考えてみると、簡単に言えば「同質性」が高くなるということでしょうね。それによって戦術的な統一性徹底性が確保し易くなって、"いいチーム"感が出易くなるし、試合の展開もスムーズできちんとした"綾"が出易いものになる。だからそういう試合をいい試合と感じる人には、少なくとも面白くなる。
これだけだといかにも縮み志向というか、ただの低レベル均衡みたいに聞こえるところがあるかと思いますが、問題はバレーボールという競技の特殊性で。
シリーズ第三回でも"階級制"というアイデアに触れてみたように、日本バレーは欧米等の世界の競争相手と比べると、極端な体格的パワー的劣勢に置かれているわけです。スポーツの常識で言えば、本来戦うべきではないような(笑)。(だから"階級制")
だから外国人を排するというのは"低レベル均衡"というより"正常化"に近い性格を持つものであり、試合が面白くなる競技性が向上するのは、ある意味当たり前なんですよね。
そしてそのことは、"外国人"そのものの性格にも、関係して来ます。つまり助っ人として呼ばれる外国人選手が、日本人選手を上回るのは、"いい選手"であることよりも何よりもまず"デカくて強い"という単純な理由が大きいのであり、勿論見習うべき点のある選手も少なからずいるでしょうが、本質的にはそうです。
だから例えばサッカーにおいてJリーグが、リーグのレベルからするとオーバースペック的な大物外国人を呼んだとして、そこで戦力均衡は確かに破壊されますがしかし同時にその選手のプレー自体の素晴らしさや味方を活かす能力などにより、サッカーとしての魅力が増すことも十分に期待出来るわけです。(そりゃメッシとか呼んではそれはやり過ぎでしょうけど(笑))
しかしバレーの場合は、"個人技の足し算"性がサッカーより強いというのもあって、大物外国人を呼んでも単にデカくて強い女が小さくて弱い女をいじめてるだけみたいな事態に、なりがちなんですよね。なかなかそこに、バレー的な"豊かさ"は生まれない。・・・少なくとも一人では。
これが同レベルで複数いれば、そちらが新たな"基準"となって日本人だけでは生まれ難い新たなバレーボールの次元が浮上して来たりすることもあるでしょうが、一人では単に、「小人の国のカリバー」です。ただただチームバランスゲームバランスが歪むだけです。
別な言い方をすると一人だけいてもそれに合わせて"レベルが上がる"ということはまずないので、だったらいっそ日本人だけで、ゲーム性の内的な充実を目指すことに専念した方が、面白いリーグになる可能性は高いのではないかということです。
久光のアキンラデウォは凄い選手だし、トヨタ車体のネリマンはいい選手だけど、見てて楽しくは別にないんですよね。唖然としたりドン引きしたりするだけで(笑)。サッカーのスーパー助っ人たちのようには。
余りにも前提条件が違い過ぎて。
そりゃ熊は強いけどそれは熊だからでしょ。マス・オーヤマの強さと比べても仕方が無い。(笑)
まあミハイロビッチはともかく、ネリマンに"熊"は少し失礼かも知れないですけど。(笑)
「全日本の強化」については、普通二つの意見があります。「レベルの高い外国人とやることで訓練出来る」という意見と、「日本人選手のブレー機会が確保されることによって育成が進む」という意見です。
僕は原理的には特にどっちとも思いませんが、ただ上で言ったように"外国人が一人だけいても駄目だ"という意味で現状前者には否定的なので、消極的に後者かな。特に若手の出場機会は確実に増えるでしょうし、日本人だけになることによる戦術性の向上によるバレー脳の鍛錬効果も、期待出来ないことはないかと可能性としては思います。ならば試合としては面白いだろう国産リーグに、現状では一票。
ちなみに今季唯一国産チームで臨んで苦戦しているNECですが、"唯一"であることによって国産であるパワー的不利の影響が余りに大きくなってしまっているので、一チームだけで効果を判定するのは難しいですし、例えばカルカセス不在時の上尾との国産対決で苦戦したように、外国人抜きならNECが強いとも、単純には思いません。やはりまず基準を揃えるところから、始めないと。
まあNECについては、ファイナル6敗退後(笑)に、まとめて書く予定です。するでしょう?敗退。
続・バレーファンのファン気質問題 ~"党派性"という病
前回「バレーファンはサッカーファンに比べても限度を越えて口汚くて狭量で引く」という話をしましたが、その理由としては主に(男性ファンが)"異性"選手を応援することにより生まれるエロス的な愛憎の濃さというものを、挙げておきました。
それはそれでだいたいそんなところだろうと今でも思ってはいるんですが、一方で"狭量さ"の描写として少し足りないなとその後思うところがあって、それは一言で言うと「党派性」の強さ、単に個々人がいがみ合っているのではなくて。
代表的な例は、例えば5ちゃんの久光スレ。今季結局全勝で悠々とレギュラーラウンドを首位通過して、さぞかし皆さん上機嫌だろうと思いきや、まるで降格チームか何かのような殺伐とした雰囲気で、特に「新鍋」派と「石井優希」派が、日夜血で血を洗う争いを繰り広げていて笑います。
傍から見ればどっちもそれぞれいい選手だろうとしか言いようが無いわけですが、とにかくあちらを立てればこちらが立たず、必ずどれかの"派"に属して相手を撃滅するまで戦わないと気が済まないようです。
「新鍋」派はまあそれでも独立自尊なところがあるのでまだいいんですが、「石井優希」派はめんどくさくて、定期的にNECの古賀紗理那選手も巻き込んでこちらでも"どちらが上か"闘争をおっ始めます。「古賀紗理那」派というのは普段は特にいないと思うんですが、ただしそういう時には決まって擁護派が登場して、よせばいいのにまともにやり合って結局"古賀紗理那を認めることは石井優希を認めないことである"タイプのおかしな論にはまって行きます。
こういうのはバレーの世界の一つ伝統のようで、いち世代前には「江畑幸子」と「迫田さおり」という二人の名アタッカーをめぐって、"エバサコ論争"と呼ばれる超粘着質な叩き合いを、今でもたまに繰り広げています。他には全日本セッター宮下遥選手をめぐっても、似たような壮絶な言い合いが定期的に起こります。
いずれも内容はほとんどテンプレなんですけど、もうなんか全然僕には笑えないプロレスです。
"オタ"と"アンチ"という言い方はどの分野でも慣用的には使われますが、バレーの場合は文字通り"オタ"か"アンチ"かに、あらゆる事象について全ての人が分類されないといけないような、そんな雰囲気です。
これらは主には選手個人個人について繰り広げられることが多いですが、他にチームや監督についても、やはり特有の湿度の高い愛憎が、表現されることが多いです。軸となるのはやはり"巨人軍"的な憎まれ役の久光製薬で、それ自体はどこの分野でもあることでしょうが、それにしても"A"というチームが好きな人は漏れなく"B"と"C"は嫌いみたいな構図・物言いがあちこちで律義に聞かれて、かなりうんざりします。現全日本監督中田久美氏をめぐっても、好きな人は決め打ち的に賞賛し、嫌いな人はひたすら馬鹿にするの二極みたいな風景が、やはり目に飛び込んで来ます。
当ブログにコメントを寄せてくれた人にもナチュラルな感じにそういう人がいましたから、もうほんと"ファン気質"というか、"習慣"なんでしょうね。
僕自身の気質としては、人それぞれ意見があるのは当たり前だし、何なら悪口雑言にも質のいいものならそれ自体として言語的快楽を認めなくも無いんですが(笑)、一方で「党派」的な物言いは、徹底的に受け付けないんですよね。分かり易く言うと、僕の意見に真っ向反対して来るしかし特に党派的でない人と、僕に献身的に味方してくれるしかし党派臭を漂わせている人がいたら、僕は後者を出禁にして前者と仲良くします。そういう人です。
とにかく嫌なんですよ。党派を選ぶよう迫られるのも嫌ですし、増して勝手に僕を党派的にくくられたりしたら、冗談半分でも基本ブチ切れます。関係性によっては執行猶予はつけますけど。
"悪口雑言"との比較で言うと、それは要するに、"表現"の段階でのノイズでしかないわけですが、「党派」的な人は、そう振る舞う習慣のついている人は、"認知"の段階で既に歪んでいる、党派的に単純化しているので、議論の根っこが腐ってしまうんですよね。だから時間の無駄なので、出禁にするわけです。(笑)
ほんと困るんですよね。本来ほとんどチームの好き嫌いとか無い人なのに、誰かに党派的に好きを表明されると、その影響でついその対象が嫌いになりそうになるので。ハリルホジッチ熱烈支持派とかもほんと迷惑なので、黙って分析だけしてて欲しい、変に感情を出さないで欲しいと、これは余談ですが。(笑)
以上、ぼやくだけぼやいて、特に解決策とかがあるわけでもあるはずもないんですが。(笑)
少ないチーム数と薄い選手層の中で、何でそんな選り好みばっかりしてるんだろうと外野的には思わざるを得ないんですが、"少ない"からこそ、そうなのかも知れないですね。よく分かりませんが。
今回はこれくらいです。
なるべくぎりぎりまで、「はじめて」「外野」という立場を貫きたいですね。その方が楽しい。(笑)
当事者になっちゃうと、それこそ"党派"性なんかも。
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