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加部究『日本サッカー「戦記」』より ~2000年代編
2018年04月19日 (木) | 編集 |
1990年代編に続いて。
思いの外内容が薄かった(単純に量的に)ので、"あとがき"も併せて。
それでもだいぶ薄め。(笑)



外れるのはカズ、三浦カズ

p.365

「でもフランス大会は、力がなかったかもしれないけれど、僕はスタメンじゃなくても、チームが勝つためには必要だったんじゃないかな、とは思います。ただしそれはあくまで監督が決めることですけどね。」


フランスでの"カズ外し"については、多分書いたことがあったと思いますが、せっかくなのでカズ自身の言葉に合わせて改めて。
僕は「入れておいた方が良かった」派です。
でもそれは「城中心で行く」という岡田監督の方針が間違っていたということではなく、むしろ"中心"で行く城のプレッシャーを軽減してあげる為にも、カズは入れておいた方が良かったということです。単純に"余計な波風を立てない"という意味でも。戦力的には、他に誰を入れても大差無かったはずなので。
"戦力"としてのカズは、この本でも告白しているように実際調子は良くなかったようですし、「中田ヒデのパスの受け手」という意味でも、そもそも余り適しているとは言えるタイプではなかったでしょう。だから"方針"は間違っていない。基本的には。
ただ既にジョホールバルでは「最初にゴン・カズのベテランをプレス要員として使い倒しておいて、その後相手が疲れたところに城・呂比須・岡野の"本物"の攻撃の駒を投入する」という用兵を成功させていたわけで、なぜそれじゃ駄目だったのかなと、聞いてみたいところではあります。予選で何の実績も無い平野(本大会でも結局)を入れてまで、わざわざカズを外して波風を立てる必要は、やはり無かった気がします。
要はまだ若かった岡田監督が、後に発揮される"老獪なマネジメント"の部分よりも、平野・伊東テルという若手を入れての"理論的な最大値"の方に走ってしまった、更に言うと「物事をはっきりくっきりさせたい」という若い衝動(笑)に溺れてしまったと、そういうことだと思いますけどね。
それで笑って許すには、カズや北澤の"傷"は余りに深いとしても。


名波のジュビロ

p.373

「一番楽しかったのは1998年。あまり守備をやらなくても、ポンポンとパスが回って来て、ゴール前には遊びが鏤(ちりば)められていた。ドゥンガと思い切り喧嘩をしながらも、阿吽のボール回しが出来ていました。」


1998年?いつだっけと改めてググる。

ジュビロ磐田#1990年代
ジュビロ磐田の年度別成績一覧

監督は'96年で辞めたオフトの後を承けた'97スコラーリ・・・の、更に後を承けたバウミール
そしてドゥンガのいた最終年
何となく思い出して来た。そういう監督や選手における"ビッグネーム"の比重が小さくなり、日本人中心のジュビロが本当に自信をつけてこなれて来た感じの年、だったかな。入団以来"浮いていた"ドゥンガが、逆に"消えた"印象のシーズンというか。
確かにあそこらへんで一回ジュビロは、"完成"していたような記憶は無くは無いです。
その後"爛熟"の桑原期と、「リベロ福西」の印象が強烈な"混乱"のハジェヴスキー期を経て、鈴木政一監督の手によって2001年"N-BOX"期に至るわけですが、この本では終始名波自身はさほど乗り気でなかった、難しいし、自分のコンディション的にもしんどいし、上でも語っているようにどちらかというともっと"自然"なサッカーがしたかったと、そういうことが書かれています。
それでもやはりハマった時には独特の高揚感はあって、目標としていたレアルと対戦予定のその年の世界クラブ選手権が中止になった時には、チーム全体が本気で落ち込んだ様子が描かれています。
"やる"気だったんですねえ。やらせてあげたかった。


反町ジャパン

p.383

「イビツァ・オシム監督が率いるフル代表と起ち上げが一緒だった。最初の中国遠征に出かける前にオシムさんに言われたよ。『毎試合どのポジションでもいいから、おまえが一番良いと思う選手を一人(フル代表に)連れてこい』」。(中略)
最初の遠征から帰って来た時は、青山直晃を推薦した。その後は本田圭佑を送り込んだ時もあるし、長友がいいから一度呼んでみてくださいと話したこともある。」


なるほどねえ、そんな関係性が。
オシムジャパンの一番最初の招集に青山直が含まれていたのは結構印象に残っていて、よく知らねえなあ、こんな選手までオシム見てるんだというのと、あとこれは後知恵ですが青山はスピードを中心とした守備力という点では日本のCB史上でも屈指だと僕は評価していますが、一方で足元はそんなに器用な選手ではないので、オシムジャパンの第一GKが結局山岸範宏だったことと併せて"いざとなったら守備陣にはやはり守備力優先の人選をするオシム"という僕の「オシム観」の材料にしていたんですが、そうかあれは反町監督の推薦だったのか。(笑)
ちなみに反町監督自身も北京五輪参加にあたっては、直前のトゥーロン国際で僕が見るにほぼ完璧な守備を見せていた青山を結局外して"攻撃的"なチーム編成をして、だから負けたとは言いませんが一つのチーム方針の分かれ目を画したというかこれも僕に言わせれば"タガを外してしまった"というそういう印象です。
まあビエルサの評価対象も森重の方だったようですけど。(笑)
なおトゥーロンについてはあれ以外書かれていなかったので、僕の"伝説の'08トゥーロン"説証明はお預け。(笑)


p.389

北京五輪を終えた反町は、もうサッカーを辞めようと沈み込んでいた。


そんなに落ち込んでいたのか。自業自得とはいえ。(こら)
"負けて"落ち込んだというよりも、既に大会中から精神状態がまともでなかったように、僕には見えましたけどね。
監督があんなに緊張していては、勝てませんて。

p.389-390

「たまたまスポーツ紙でホッフェンハイムの記事を見つけて、練習を見学に行った」
(中略)
湘南から松本山雅。日本のホッフェンハイムを夢に描き、若手を育てて代表に送り込もうという意欲は変わらない。


なるほどねえ、それで松本山雅にも、あんな長逗留しているのか。
ただ北京では醜態をさらしてしまったとは言え、恐らく国際的な水準での"駆け引き"の出来る数少ない日本人監督なので、やはりもっと国際的なコンペティションに参加するレベルのチーム、代表でもクラブでもいいですけどとにかくそういうところで指揮を執って欲しいというのが一つ。
もう一つは、基本的にモウリーニョ同様(笑)攻撃を創造する才能は欠如しているので、ある程度選手のクオリティが保証されるクラブ/チームでやって欲しいなというのと。そこでもって、北京のように出来もしない"攻撃的"な戦いを挑むのではなく、思う存分持ち前のプラグマティックな戦略の才を発揮して欲しいなと。
まあ「松本山雅」は凄かったですけどね。呆れるほど徹底した、効率的なチーム作り。
「ハリル」に至る前に「反町」を挟んでおけばもっとスムーズに行ったのではないか、というか普通に反町の方がハリルより結果が出るのではないかと、そう思ってさえいるところが僕にはありますが。
その為にも北京での戦いはありゃなんだふざけんな(以下略)



「あとがき」より

p.407

ところが日本では、契約した[代表]監督が実際に指揮を執り始めてから少しずつ航路図が明らかになっていく。現場の指導者は、そこからJFAの指針を読み取ろうとするのだ。


"育成改革"を達成したドイツとの比較という話ですが。
"現場の指導者"がどのレベルを指しているのかは確かとは分かりませんが、見えて来るのは"JFAの通達"とかではなく、我々と同じくテレビ中継でも見ながら「日本サッカーの方向性」を推し測ろうとするしている各地の指導者の姿。
恐らくは、"記者"としての経験から言ってるんでしょうけど。
それはちょっと、よろしくないというかいかにも混乱の元だなと。まあブンデスリーガ各チームの採用フォーメーションにまで口出しする(4-4-2にまとめろ)というドイツの徹底ぶりはいかにも特異ではありますが、"後進国"としては多分、そちらの方が正しい。
まあ"雑音"の多いフル代表は一つ別にして、育成年代においてはともかくも"方針"はまとめられているのではないかと何となく思っていたんですが、それはほんと上澄みのレベルなんですかねこういうのを見ると。実際に"仕上がった"選手たちを見ると、"弊害"も含めて(笑)結構洗脳・調教は徹底しているようにも見えるんですけど。指導者・選手双方に対する。

p.409

残念ながら、いつか日本がワールドカップを掲げる日を思い描くほど楽観的にはなれない。(中略)
だから贅沢は言わない。国際常識に照らして、良い意味で奇抜なチームが、日本の特性を十分に活かして世界を驚かす。せめてそんな光景が見たい。


流れ的に割りと突然飛び込んで来たなという印象の、"結論"。
"勝つ"ことは基本的に無いという前提。思い切りましたね。(笑)
ただまあ、ある意味正直な、少なくともある世代までの人の実感だろうと思います。

僕自身もこの前

"キャッチアップ"、出来るならいいですけど、出来ないとしたらどうするんですかという。諦めるんですか


ということを書きました。

・・・うーんそうですね、例えばこの"キャッチアップ"ないしはストレートな"グローバルスタンダード化"を、「経済成長」と置き換えてみたらどうでしょうか。
「経済成長」は、出来るかもしれないし目標として持つのも努力するのも否定はしませんけど、"出来ない"という可能性も十分にあるわけです。今後の世界経済の趨勢として。
ならば"出来ない"という可能性を前提とした制度設計はしておくべきであるし、あるいは"経済成長をしない社会"で「幸せ」になる為の工夫と準備も、一種の「自衛」としてやっておくべきだろうと。
そういう努力の方向性を、少なくとも同時に持っておくべきだと。(これ自体はよくある議論ですね)
それがつまり、"諦めるんですか?"という問いかけ、"前向きな後ろ向き"の主張ということですね。

その為に、"奇抜"という言い方は少しあれ(笑)な気はしますが、「普遍化」とは別の「個別化」の回路は持っておくべきだろうと。どのみち「普遍化」だけでやっている国なんて、あるわけないですし。

実際のところストレートな"キャッチアップ"型の議論というのは、実現可能性の方は問題にしていないと思いますね。あくまで"べき"論であって、出来なかったらただ"駄目だ"というだけの話だと思います。日本サッカーはクソだ、以上!そういう範囲での、(日本サッカーへの)「関心」というか。
そういう人がいてもいいとは思いますけど、"住人"としてはそれでは済まない面も大きいので、通りすがりの気まぐれな「革命家」の議論をそうそう律義に真に受けるわけにもいかない。

とは言え僕自身も元々は・・・という話は、また今度改めてしたいと思いますが。(笑)
加部さんの"結論"に乗るとすれば、そういう話です。

まあいずれ状況を見ての程度問題、その時どちらがどれくらい優先するのかという話ではあると思いますが。
それを言ってもね。(笑)


以上です。
'60~'80年代はまだ読んでいませんが、果たして僕が書くことがあるかどうか。
多分書かないので、興味がある人は自分で読んでみることを、改めておすすめしておきます。(笑)


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コメント
この記事へのコメント
No title
>カズ

 自分はそういう監督だぞと周囲はもちろん自分にも言い聞かせたかったのかなという印象もありますね。
 単純な試合結果というよりは、本人やカズが(もちろんどう思ってるかは想像でしかないにせよ)背負った十字架とか、カズの一周回った後の語られ方とか、そういう余波の部分でとてつもなく大きな決断だったんでしょうが。


>反町監督

 日本人監督が五輪監督やった後のキャリアの積み方という点でも、関塚監督含めて、停滞(あるいは後退)感あるのでどうにかなってほしい感じもしますね。


>あとがき

 それこそ経済の話ですが、地理的に世界のトップに触れるには状況的に手間がかかるアジアで、挙句にトップ連中は選手の移籍金が百億超えの移籍もボチボチみられる、トップの監督は数十億の年俸もらってるとかいう現況で、(例えバブル期の日本であっても)その市場とダイレクトにつながってるような連中に追いつきうるか? と考えるとしんどいなというのが正直なところですね。
2018/04/19(Thu) 22:59 | URL  | あかさたな #T5cQRYBo[ 編集]
No title
>自分はそういう監督だぞと周囲はもちろん自分にも言い聞かせたかった

そうですねえ、その「自己主張」の部分が、あの決断の"濁り"の部分というか、今振り返っても二人に対して残酷な出来ごとと感じるところですね。
その後のカズの妙な"神格化"については、カズ自身がこの本の中で、「アンチがいない時点で俺の人気は本物ではないと思う」と語っていて、さすがだなと思いました。(笑)

>五輪監督

まあ五輪監督の位置づけ自体が微妙ですからね、「実績を評価」されてでないこともないんだけど、一方で「就職斡旋」でもあるし。(笑)
キャリア的に「上」ってるのか「下」がってるのか。(笑)
その後Jの監督に招く時に、スポンサーを説得する材料にはなるんだろうけど、逆にサポに対しては必ずしも"実績"にならないという。
まあ反町さんの場合は世代的には結構古い(日本リーグ世代)人ですから、あくまで個人的な資質として"現役"感を保っているのであって、色々例外的な感じがします。

>キャッチアップ

今考えると2000年代途中くらいまでの"成長期"は、本格的なグローバル化資源集約化の時代開幕の直前の、一瞬の夢だったのかなとか悲しいことを考えてしまいたくなりますが。(笑)
ただ日本サッカーの努力に不徹底なところがあったのも確かなので、完全に諦めているわけではないですけどね。ただ「時間」は必ずしももう味方ではない感じはしますね。
2018/04/20(Fri) 02:16 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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