をつらつら読んでいておっと思って紹介せねばと思ったんですけど、web版にも載ってるんですね。
それで商売になるのかなと思いましたが、だから「特別公開」(web版文中冒頭)なのか。
「ハリルホジッチ解任の是々非々と彼のサッカーの是々非々は分けて考えるべきだろう。それらが混在した状況で議論してもまったく噛み合わないことになる」。
基本テーマはこれですね。
時期としては、ウクライナ・マリとやったベルギー遠征の後、つまり「ハリルホジッチでW杯を戦う」ことは、まだ前提である時期の対談です。
全体としては西部さんが主役で、知る限りこれまで比較的「ハリルホジッチ」(支持)や「ポジショナル」を中心とする近年の日本のサッカー論議に一定の距離を取っていた印象のある西部さんが、一気に踏み込んで語って来た(笑)、それがある種一番の見どころかなと。
ザックとハリルの戦術的葛藤とは?日本のカオス攻撃と欧州の秩序/[W杯座談会 前編]西部謙司×河治良幸×浅野賀一 ('18.4.12)
JFAは「消極的な勝利至上主義」オーダーなき発注者が誤解を生む/[W杯座談会 後編]西部謙司×河治良幸×浅野賀一 ('18.4.13)
多少恣意的になっちゃうかもしれませんが、"対談"ということで結構話が前後重複しているので、話の流れではなく「テーマ」別に、面白かった箇所を抜き出してみます。まあ全文が読めるようになってるからいいでしょう。
日本の"通じた"ところと"通じなかった"ところ(2014ブラジルW杯回顧)
一瞬今更?と思うかもしれませんが、"通じた"ところを改めて主張することによって、「日本サッカー全否定」的な"ハリル支持"思潮に対するくさびというか、議論の正常化"中庸"化を試みた内容だと思います。
西部「逆にコロンビア戦は初めて大久保がCFに入って無茶苦茶な動き方をした無秩序な攻撃だったけど、それまでのザッケローニのサッカーには全然ないやり方で攻撃そのものはかなり迫力があった。その代わり、どうやって守備するのか用意してなかったのでガタガタにやられた。ただし攻撃自体には素晴らしく見るべきものがあった」
(前編)
西部「前回大会について言えば、香川と本田を軸にしたチームがあって、それで2試合やったと。3試合目は大久保と青山を入れてまったく違うチームと言っていいほどになっている。評価の軸は1試合目2試合目と3試合目は実はそれぞれ違っていて、内容を見ないで一緒くたに『自分たちのサッカーはダメだった』という評価になってしまっているけど、技術委員会の人たちは1試合目、2試合目、3試合目は別物でそれぞれの評価をしてそれで次の代にどう繋げるかを考えなければいけなかったんだけど、結局まとめてしまった」
(後編)
"コロンビア戦"というのは、コートジボワールに負けてギリシャに引き分けた後の、3戦目ですね。
面白い、というか少し意外でした。
大きく言えば「日本の良さを見る」派の僕ですが、正直そこまであの試合に注目はしていなかったです。言ってみれば"本田・香川"に続く、「ザックジャパン的バランスの悪さ」の"新たなヴァージョン"、むしろ"悪あがき"という(笑)、それくらいの認識。
ただまあ対談(前編)の表題(↑)にもあるように、細かい&即興的なコンビネーションによってある種の"カオス"を生み出すのが日本の攻撃の特徴・長所であると、そういう論点ではあると思います。個別のヴァージョンの好み・評価は、ある程度人それぞれとはいえ。僕自身は「大久保」だったらまだ「本田・香川」を"活かす"(頼るのではなく)ことの方に、興味がありますが。
西部「でも攻撃が通用するのがわかったんだから、あの攻撃でどうやって守るかを考えれば良かったと思う」
(前編)
浅野「河治さんも言っていましたけど、日本のミクロな崩しの良さを出したいですよね。ポジションを崩して狭いエリアをコンビネーションで抜けるのは良さでもあると思うんですけど、そこでボールを失った時の守備バランスの悪さは裏表の弱点としてある」
(後編)
ふうむ本当に西部さんは、"3戦目"の評価が高いんですね。「通用するのがわかった」とまで言ってしまうか(笑)。まあ何か、"感動"したんでしょうね。例えば僕が、トルシエの年代別チームや2002年と2008年のトゥーロンのチーム(参考)に未だにインスピレーションを受け続けているように。
いずれ「可能性」のレベルの問題なので、それぞれに"心のチーム"はあるだろうと思います。(笑)
ともかく「いい所は既にあるのだからそれを活かす方向で考えるべきだ」という総論or論の立て方は、賛成。
浅野さんのこの"一段落"は、本当に見事に、ザックジャパン及びそこまでの日本サッカーの"現在地"をまとめていると思います。つまり
・ミクロな崩しの良さ
・ポジションを崩して狭いエリアを抜ける
・ボールを失った時の守備バランスの悪さ
の3つですが。
総体的特徴("裏表")である部分と、「本田・香川」的ザックジャパンが個体として行き過ぎていた部分が両方あって、僕は後者の"罪"を重く見てザックジャパンについては専らネガティブな評価をしているわけですが。
同じ「本田・香川」的コンビネーションを使うにしても、もう少し上手くやれるだろうしやれたチームも過去にあったろうと。こんなのを"代表例"にして欲しくないというか。(笑)
まとめると、全体(or結果)として良くなかったからといって、部分の良さを見落とすな、無視するなという話でしょうか。それぞれ別に、論じるべきであると。
ハリル下における日本代表の"ベース"の低下という問題
西部「でも日本代表チームに関して言えば、少なくともザッケローニ監督の時代は運ぶこと自体には問題はなかった。今は運ぶのも苦労しているけどね。」
(前編)
以前にも西部さんが同趣旨の発言をしているのは見たことがあるので、持論なんだろうと思います。
まあ"ハリル熱烈支持"に凝り固まっていない、真ん中から右(わらい)の日本代表ファンならほとんど誰もが感じている、あるいは疑問に思っていることではないかと思いますが。"世界"云々は別にしても、こんなに下手だったっけ?という。
これに関して例えばお馴染み(?)スケゴーさん(@sukego_fut)なんかは、「要は選手(パサー)の質が下がっているんだ、下手になっているんだ」という断じ方をよくされていて、それ自体はそうなのかもなあと思わなくもないんですが、ただそれだけとはどうしても思えない部分も。つまり「日本サッカー」という括りだと"世界"との直接比較の中でつい弱気にはなりがちですが(笑)、一方でカテゴリーを問わずクラブサッカーのレベルだと、"監督が代わった途端に上手くなる"チームはいくらでも、ほぼ毎年のように見ることが出来るわけで、やはり個々の監督の手腕・影響力の部分を、無視することは到底出来ないだろうと思います。
つまり"ハリルホジッチ下で"、下手になったということ。(可能性)
西部さんが暗に言っているのも、そういうことではないかと思いますが。
関連して。
西部「問題なのはハリルホジッチのチームに日本サッカーの平均的な選手を当てはめると弱いこと。
最終的に最後の3週間で整えて戦える形にして臨むにしても、1番大事なのはチームの力の7割8割を占めるのは素の状態[対戦相手の特別な分析を含まない・筆者注]での力。マリ戦、ウクライナ戦で見せたものです。その部分に何を上乗せしていくのか。
現在のチームは、監督が後で上乗せしやすいようにベースを作ったので、ベース自体が下がってしまっている。これに上乗せはするのでしょうが、いわば自作自演です」
(後編)
一つの流れの発言なんですが、情報量が多過ぎるので分けてみました。
前段の"素の状態"というのは、ハリル時代になって問題にしていいのかいけないのか、常々悩む部分ですね。
そこらへんを例えば僕は、「"チーム"を作るアプローチ」(従来)と「そうでないアプローチ」(ハリル)と分けてみたわけですけど。
西部さんは、分析・対策は分析・対策でいいとして、依然としてやはり"素の状態"≒"チーム"は重要で、それが「7割8割」を占めるという考え方。少し、安心しました。(笑)
更に言うとその"素"の中に、その前の「ボールを運ぶ」力も含まれるわけだろうと思います。
後段の「ベース自体が下がっ」たというのはなかなか強烈な言い方にも見えますが、ミニマムに言うと「ハリルホジッチのチームに日本サッカーの平均的な選手を当てはめると弱い」(前段)ので使える選手の絶対数が圧倒的に足りなくて、"背に腹は代えられない"選手起用を繰り返した結果妥協に妥協を重ねたある面要求水準の低い、競争が働いているようで働いていない、また人材的に"取りこぼし"の多いチームになってしまったという事でしょうね。
その直後には、こういう話題になってますし。
河治「だから結局、ザッケローニのメンバー固定と逆のように見えて、ハリルホジッチのサッカーの中で機能させられる人間は限られているんですよね」
河治「現時点のメンバーリストは35人と言っているけど、正直35人もいないんじゃないかな」
「自作自演」と言ってますが(笑)、この件に関してはハリルホジッチは被害者でもあり、加害者でもあり。使い易い選手が少ないのは気の毒ではありますが、一方でその国の「平均的な選手」を上手く使えないことに、その国の監督を引き受けた以上責任が無いとはとても言えない。こんなのはどのチーム(国)の監督についても言えることだと思います。ハリルホジッチについてだけ、特別に甘くする義理は無い。
あえて言えば「ハリルホジッチが認識・主張する日本代表の"弱さ"」は、「ハリルホジッチの日本代表の"弱さ"」でしかない面が何割かはあると思いますし、似たようなことですが「ハリルジャパンの"ポゼッション"時の弱さ」はあくまで「ハリルホジッチのチームの弱さ」であって、「"ポゼッション"一般の弱さ」ではない部分が、これも何割かはある。ここらへんのグルグル回ってる感じが、"自作自演"なのかな?(笑)。自業自得というか。
ただしそういう"ハリル向き"の限られた選手で構成されたハリルのチームが、強いか弱いか(強かったか弱かったか)については、何とも言えないというのが僕の答えです。それもあって、見たかったと。
これは"勝負はやってみないと分からない"という一般論だけではなくて(笑)、「鍛え上げられたエリート」か、「底上げ&総力結集か」という、"育成"方式の方の問題としても。
つまり、あえて"狙った"比喩(笑)を使うと、少数精鋭のハリルのチームが、「メキシコ五輪」的な成功を収める可能性。使える選手は1チーム分弱くらいしかいないし、後には余り繋がらないだろうし、釜本が肝炎になったらそこで終わり(笑)だろうけれど、でも銅メダルは獲るかもしれない。
・・・「東京」→「メキシコ」の流れに倣うならば、ハリルにはもう4年あげてもいい。勝負はカタール。
ごめん、言ったみたかっただけです(笑)。"釜本の肝炎"って(笑)。まあハリル支持派も非支持派("不"というより)も、望んでいるのは日本代表の一回限りでない根本的な強化でしょうから、あんまり皮肉を言うのはよしておきましょう。
ていうかそんなに言うならハリル、育成の方をやってよ。やる気無い?あ、そう。
"ハリルのサッカーの将来性"という話題については、また後で。
協会の"オーダー"
浅野「ハリルホジッチもサッカースタイルのリクエストはされていないですよね、おそらく」
西部「だから、オーダーがないから監督はそのサッカーで生産性を上げなければならない義理はないわけ。ある意味、ハリルホジッチの方向転換は的確であり同時に安易です。」
これはねえ、根本的な問題ですね。真の"コミュニケーション"の問題というか。
勿論就任要請にあたって、どういう仕事をして欲しいかについて全く何の話も無いということは考えられませんが、しかしどの程度スタイルや方向性についての具体的なオーダーがあるのか、更に言うとある種の"歴史観"の共有の努力がなされているのか、かなり疑問ではあります。
"歴史観"というと抽象的なようですが、例えば(恐らく"方向性"の混乱の始まりである)ザッケローニの就任時点で考えてみると、ジーコも一応含めてもいいですがオシム→第二次岡田と大きな流れとしては組織的かつ日本的(?)なポゼッションスタイルを模索する流れの中で、しかし結果として岡田ジャパンの挫折と緊急避難的な非ポゼッション的スタイルの"成功"があった。
その時ザッケローニに望まれたのは、"挫折"を踏まえることなのか"成功"を踏まえることなのか。つまり"挫折"を踏まえるならば非ポセッション的な"縦に速い"スタイルの追求・導入が求められただろうし、それまでのザッケローニの仕事としてはどちらかと言えばそちらの方に実績がある。一方で"成功"を踏まえるならば、慎重なスタイルである程度の成功を収めた、収められることが分かった以上、"より慎重に"ということはほぼあり得ないので(笑)今度はより大胆なスタイルで成功することが、当然望まれる。これは何も日本サッカーの"研究"なんかしなくても、直近の南アの試合を見るだけでも、分かるだろうレベルのこと。
それが世界で認められた日本のスタイルであったりそれで優勝したとかいうのなら、"維持"すればいいんだなと思うかもしれないですけどそうではないわけで。
招聘した原博実技術委員長が監督としてFC東京でやったスタイル、そしてその後招聘したアギーレやハリルホジッチや、更に言えば任命した手倉森五輪監督の得意スタイルというものを考えれば、大きな流れとしてはやはり"縦に速い"系のオーダーが、少なくとも意図としてはあったのは明らかだと思いますけど、それは当のザッケローニにはどのように伝わっていたのか。ともかく就任したザッケローニが最初にやったのは南アからアンカー(阿部)を外してCFを入れて"トップ下"(本田)を作ることで、これはどう見ても攻撃化大胆化ポゼッション化の方向。そしてそのチームの"成功"が後を引いて(?)、流れ流れてブラジルでの失敗に繋がって行くわけですが。
あれはザックの判断だったのか協会の敷いたレールだったのか。少なくとも"縦に速い"系のオーダーが、強く働いていたようには見えないと思います。結局ザッケローニもまた、協会のサポート・明確なサジェスチョンを得られないまま一人で選手と戦っていたので、あれほど流されてしまったのではないかという。
続くアギーレ監督も、(ザックの"失敗"を踏まえて)今度こそ誤解の余地なく縦に速くやってくれるのかと思ったら、遅くはないけど(笑)どう見てもパス回しを楽しむ方が勝っているサッカーで、それはそれで魅力が無かったわけではないけれど何じゃそりゃという感じにはなりましたよね。何の為に呼んだんだという。徐々にじゃなくていきなりですからね。ここらへんでかなり、どうも話が通じてないんじゃないかという疑問は高まった記憶があります。それぞれの監督が、要するに手なりでやってるのではないかという。
「田嶋憎し」で「原・霜田」コンビの株が上がった昨今ですが、そこらへんについてはハナから疑問はありますよね。
そういう"ディスコミュニケーション"がハリルホジッチの場合どのように表れていたかというと、"スタイル"については何も言わなければ勝手に縦に速くはやってくれるでしょうからいいとしても(笑)、ただ非常に"孤独"には見えました。例えば同じく"突然アフリカから呼ばれた変な監督"であるトルシエに比べても、余り異文化理解少なくとも日本の"空気"読みが得意そうではないハリルホジッチが、目の前の現象だけから一生懸命に「日本サッカー」を位置付けて、自分なりにコンテクストらしいものを構成して"仮想のオーダー"に応えようとしている感じは、とても気の毒でした。結果発せられる発言の、よほどの一般論以外は「大外れでもないけれどぴんと来ない」違和感自体は、抵抗を感じぜずにはいられなかったとしても。
この前の会見を聞く限り、"ノルマ"すら曖昧だった疑いが濃いですし。それは田嶋西野の罪なのか、原霜田の時点で既に存在した罪なのか。
まあ「スタイル」についても"問題ない"とは言いましたが、それは取り敢えずの話で、究極的にはやはり、"縦への速さ"と"日本的な細かさ・上手さ"の融合というのは、原・霜田体制も抱いていた希望だと思います。だから逆に、ザックやアギーレの"脱線"も、そんなに積極的には抑制しなかった。ハリルの場合は後者が極端に欠落していて、でも最初にオーダーしたわけではないから専らマスコミ等を通して伝えられる"雑音"として、ハリルは聴いたというか戦ったというか。そりゃあ、不本意だったでしょうね。
と、ここまで書いて来てじゃあ他の国はそんなに立派にコミュニケートしているのかと考えると、多分していないだろうなと(笑)。ただまあ絶賛スタイル模索中の、かつ強烈な個性が無い分意外と選択肢も多めの気がする日本の場合は、よそは気にせず(笑)オーダーを明確にする必要は、あるだろうなと。
なぜしないのか、そんなに外国人が怖いのか(怖いのかも)、よく分かりませんが。
ハリル(ジャパン)の"将来性"と西野(ジャパン)の"将来性"
河治「仮にハリルホジッチで結果が出せたとして、その後の日本サッカーがこういうサッカーをしようとはならないだろうと思う。相手の対策をしっかりやっていこうというのは教訓として得るかもしれないにしても、ハリルホジッチのサッカーが日本のサッカーになることは多分ないでしょう」
冒頭で言ったように、これは"ハリルホジッチでロシアを戦う"ということを当然の前提としている時点での、発言です。面白い。
面白いというのは、"解任ショック"後は「西野で勝っても将来には繋がらない」(だから負けろ)というのが、意味合いは違うとはいえ流行の意見になっているからです。
どっちで勝っても駄目なのか。どうしたらいいんだ。(笑)
混ぜっ返しはともかくとして、なぜハリルの勝利が"将来"に繋がらないかというとそれは簡単で、継承出来る人材の安定供給の当てが無いし、同じことですが"草の根"とも切れているからです。現象だけ見ると本当に"メキシコ"っぽいですけど。
だからどうせなら"草の根"から変える作業をやらなくてはいけないんだけど、当のハリルには断られちゃったしなあ。(妄想継続)
まあもっと直接的に、ハリルじゃないとやれない、少なくとも「日本」にはやらせられないサッカーだからでもありますね。だからこの前も、ハリルが去った今既に更地だろうから、西野監督のハードルは意外と低いかもしれないということを書きました。(笑)
一方の西野ジャパンの"将来"ですが、上で言ったように「うっかり勝つと日本の為にならないから負けろ」という類の意見が、ここのところ頻繁に見られるわけです。(主にtwitter上で)
ただ・・・ちょっと待って欲しい。W杯って、"うっかり"勝てるようなものなの?この場合は多分、"決勝トーナメント進出"あたりが一つのラインでしょうけど。日本てそんなに強いの?トルシエの長い準備やホームアドバンテージや、岡田の乾坤一擲の大作戦(の成功)は、あれは何一つ特別ではない例なの?
逆に言うと、急ごしらえだろうと(仮に)自分たちのサッカーだろうと、もしそれで今回決勝トーナメント進出以上の成果が出たのなら、それはどんなに気に入らなくてもそこに何かの妥当性や正当性があると、考えるべきなんじゃないの?それが日本の現在地なんじゃないの?選り好み出来る立場なの?
まあ僕も勝つと思ってるわけではないですし問題にされているのは協会のガバナンスの方だというのは分かるんですけど、どうも前提が余りにも感情的に感じる人が多いので、つい茶々を入れたくなります。
ともかくサッカー的には西野ジャパンにも、正当性や将来性を示すチャンスがあるのは、確かだと思います。一方でハリルホジッチジャパンの"将来性"への、疑問と共に。
まあ西野さんがポゼッションをやると、決まったわけでもないですしね。
やらないとすれば、こんなオチになる可能性も。(笑)
川端「古くは西野ジャパンのアトランタ五輪がそうだと思うんだけど、日本の比較的成功した世界大会ってそっち(カウンターサッカー)じゃない?」
浅野「そうだね。ロンドン五輪とかもそうだもんね」
川端「あともちろん南アフリカもそうだし」
浅野「ハリルさんもそこに乗っているからね。間違いなく」
(footballista'17.8.29『2006-17オシムから始まった「日本オリジナル」を探す旅 後編』)
そ、そう来たか。(笑)
なんか騙されてるような気もしますが。(笑)
ついでに言うと、トルシエも本番はカウンターでしたからね。"ハマってた"感はありませんでしたが。
果たして西野さんがハリルホジッチの結果的な良い継承者になっちゃったりなんてことがあるんでしょうか。それでも多分、嫌われたままだろうと思いますけど。(笑)
以上、予定していたよりも更に散漫な記事になってしまった感がありますが、伝えたかったのは対談中の個々の言及の是非そのものではなく、議論の"場"の際立ったオープンさみたいなもの。特にこのタイミング(ハリル解任よりは若干前ですが)で「日本人の長所」について堂々と論じているのは、ちょっとびっくりしました。(笑)
でも本当にディテールを問題にしたいなら、結局避けられない話題だと思います。全否定、もしくはイデオロギー闘争だけをしたい人には、関係無いでしょうけど。この対談を読んでも、「西部謙司はアンチハリル」とだけ烙印を押して済ます人も、確実に一定数いるだろうと思いますが。
とにかく僕にはこれくらいの議論が"正常"に思えるというか、"普通"であって欲しいと思うわけですが、なかなか実際には。
まあfootballistaの"対談"企画はいつも面白い気がします。そういう形式ならではのことが、語られているというか。これからも楽しみにしています。
ハリルホジッチ監督が不幸だったかなと思うのは、在任期間中にザッケローニ監督時代のコアメンバーがクラブでの不遇等で逆境にあったり、新世代の突き上げも今一つ弱かったり、主軸に座りつつあった清武がフェードアウトしていったりした事なのかなと。
まあ多分上記メンツは志向するサッカーに最適なメンツではなかったでしょうが、それを踏まえても組み込むにやぶさかではない選択肢が割と欠けていったというか、当てにしていいのかまずいのかわからないぐらいあやふやなコンディションだったというか。
全部が全部、ハリルホジッチ監督が主体的に選択した結果として、会心のオーストラリア戦の日本代表にたどり着いたかというと結構疑問というか、チームの流れを受けて選択した結果じゃないのかなとは思いますし。別にハリルホジッチが特別妥協したというより、監督が絶対の存在とは言ってみても、(クラブより選択に自由のある代表でも
)そんなにそんなに自由自在に、試合ごとに完全に全部フラットにしての運用はできないでしょうというか。
最後のベルギー遠征でも柴崎・森岡らを積極的に使っているように、ボールを持つ方向についても一応は考えていたのでそれでと考えた方が、健全ではある気がします。
"突き上げ"云々については一般的なレベルでの「成長」とハリルホジッチへの「適合」の間に少しギャップがあるので、他の監督の時ほど状況が外から見ていてもよく分からない感じです。他の監督ないしは例えばもっとポゼッション志向が強ければ、拾われる選手は増えたのか変わらないのか。
ハリルもそんなに信用していないけれどでもかといって日本人選手を信用しているわけでもないので、どっちと言われてもまあそうかなと思ってしまいます。(笑)
"妥協"というのは構造的な妥協ですね。選手層のむしろ"薄い"方から選ばれるので、能力(総合力)よりも希少性が勝ってしまって、使わざるを"得ない"という使い方が多くなるという。あるいはAをこなしつつ"B"もやるということになかなかならない。"A"すらやれてるのかどうか、怪しい場合が多いと思いますけど。レギュラーですら、本当は使われるレベルに達していないというか。