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"日本代表に求めるもの" ~「普遍」と「個」をめぐって
2018年05月22日 (火) | 編集 |
加部本やらfootballistaやら、他人のふんどしで相撲取ってばかりもなんなので、ここらで僕自身の「日本代表」観を、一回まとめて。



「サッカー日本代表」への関心

ある世代までの日本人男性のご多分に漏れず、普通に野球ファンとして育った僕がサッカーに積極的な興味を持った、特にJリーグ開幕と同時に割りと一気に野球からサッカーに乗り換えたのは、元々サッカーが好きだった・・・という部分も無くは無い(やるのは好きでした、見た経験はほとんど無かったですけど)んですけど、実際にはそのほとんどが、「日本代表」への興味でした。
だからWBC的なものがもっと早く出来ていたら、あるいは(同じ世界的メジャースポーツである)Bリーグ的なものが先に立ち上がっていたら、今僕はここにいなかったかも知れません。サッカーかどうかよりも、「日本人がチームスポーツ(球技)で世界と戦う」ことそのものが、興味の対象だったわけで。(まあでもやっぱりサッカーだったからかもなあ)

とにかく単なる「サッカー」でも勿論「地元クラブ」でもなく、「日本代表」こそが僕の当時の関心の中心だったわけですが、では僕が日本と日本人が好きだったか、つまり"愛国"的な動機で世界との戦いに情熱を燃やしていたのかというとそうではなく。
事実はむしろ逆で、僕は日本人の所謂"論理性"や状況を形式化して捉える能力、そこから来る他者(他国)とぎりぎりのかつ妥当で過不足の無い駆け引きをしたりする能力に絶望的なものを感じていて、そんな日本人がサッカーというひときわ広範な"世界市場"で劣位な状態からスタートしてどこまで行けるのか、"人並""他国並"になれるのか、そのことに興味があった。
更に言うと、これは"戦後日本"or"現代日本"という言い方の方がいいかも知れませんが、日本人の生命力や成長力に何か"終わった"ものを感じていて、ただその中でもサッカー界はかなり前向きに自己改革を進めようとしているらしい様子が見えたので、最後の希望というか駄目もとというか(笑)、そんな期待をかけてサッカー界特に日本代表を、注視することにしてみたわけです。

大げさと言えば大げさですし、ざっくりした分析と言えばざっくりはしているんですけど、まあハタチ前後のガキの考えること(笑)ですから。しかも今みたいに、情報や他者の知見に容易には触れられない時代の。
とにかく日本人、やれんのか!?というのが、何よりもの僕の関心だったということ。その為の実験場兼一縷(いちる)の望みとしての、サッカー日本代表。
"やれる"と思っていたわけではないですね。ひょっとしたら、くらいの感じ。


始まりは加茂ゾーンプレス

"日本代表史"そのものはオフトから始まっているんですが、オフトも、その次のファルカンも、本気の戦いはほぼアジアとしかやっていないので、いきなり"インターコンチネンタル選手権"でナイジエリア・アルゼンチンとやらされ(笑)、そこでの惨敗の経験を半年後の"アンブロカップ"でイングランド・ブラジル・スウェーデン相手に回収するというドラマチックな立ち上がり方をした(参考)、そして勿論"ゾーンプレス"というはっきりと意識された「世界仕様」を掲げていた加茂ジャパンこそが、そうした僕の問題意識の本当のスタートだと言えると思います。僕自身のサッカーの勉強も、ようやくその頃には少し形になって来てましたし。

加茂ゾーンプレスが"成功"したのかについては、多少の賛否はあるのかも知れません。(それを引き継いだ岡田ジャパンのフランスでの結果と共に)
とりあえず僕にとっての加茂ジャパンの"ベストゲーム"は、上でも言った"リベンジ"大会'95.6月アンブロカップの第3戦、スウェーデン代表との2-2引き分けのゲームです。

3-5-2でスタメンは

 GK下川、DF小村、柱谷哲、井原、MF山口素、名良橋、相馬、北澤、藤田、FW黒崎、カズ

黒崎、懐かしい。ちゃんと点も取ってる。

"ベストゲーム"が引き分け試合というのは少し寂しく思えるかも知れませんが、ある意味それが、このチームの身上というか、正に僕がこのチームにかけていた「期待」の実現でした。
つまり目的は「勝つ」こと、ではなくて、「自分たちのサッカー」をすることでも勿論なくて、とにかく恥ずかしくない試合をすること"サッカーらしい"試合をすること、その中でちゃんと列強と"やり合う"こと駆け引きをすること、その為にある種の「文体」を「国際語」を共有すること、それ自体が目的。
そういう意味で、多少メンバー落ちとはいえ直前のアメリカW杯3位国のスウェーデン相手に、2点は取られたもののこちらも2点を取り、終始緊張感のある戦いを繰り広げたこの試合は、十分に誇らしいものであり加茂ジャパンひいては日本代表の本格的な"世界デビュー"の試合であり、列強とうっすら「仲間意識」を(勝手にですが)感じられた初めての試合として、印象的でした。
まあ内容的には第1戦イングランド戦も悪くはなくて、今で言えばガレス・ベイル的なパワフルドリブラーアンダートンに手を焼いた以外は、概ね破綻の無い試合を出来ていました。とはいえ負けちゃった(1-2)んで、まだこの段階では自信は。

"インターコンチネンタル選手権"はね、恥ずかしかったですよ。半年前は。その場にいるのが間違いという感じでした。
そこからの、"進歩"。
ようやく"ダンスのステップ"を覚えた、こけたり足を踏んだりせずに舞踏会に参加出来るようになった、我らが日本代表。まあ"鹿鳴館"根性でないことはないんですけど(笑)、でも嬉しかった。

その為の基本のステップとしての、"ゾーンプレス"。それだけでとりあえずは、十分でした。


ゾーンプレスと「世界」

いみじくも"鹿鳴館"とか口走りましたが、ここまでで考えていたのは要するに100%に近い「西洋に倣え」タイプの思考なわけです。文明開化主義というか。"脱亜入欧"でもあるかも知れない。(笑)

ちなみに戦術要素としてのプレッシング自体は、オフトの時点でも"フォアチェック"という言い方で既に入って来ていたはずです。ただ自ら"本場"の人であり同時に日本リーグ(マツダ)時代から既に長く日本に親しんでいたオフトの場合は、それを噛み砕いてヨミウリ勢力等の日本側要素と擦り合わせる形で、ある意味部分的妥協的に導入していたとも言える。オフトのチームに、"過激"という臭いは無かった。

むしろ"日本人"である加茂周の方は、ストレートな憧れと盲目的な学習意欲で、外国人コーチの助けも得ながら(参考)"直輸入"的に完成された"パッケージ"として、フリューゲルス及び日本代表に「ゾーンプレス」を導入した。実行する日本人選手の能力的限界とは向き合わざるを得ないにせよ、そこにあったのは「革命」的な、言い換えるとそれ以前を全否定的に捉える(というか"捉えない"(笑))態度。「日本らしさ」とかは、基本的に考えていない。

そしてそれを僕も受け入れていたし、実際のところ"完成されたパッケージ"としていささか強引にでも"直輸入"されたからこそ、プレッシングを始点に全てのプレーが自動的にさっさと整理整頓され、"「文体」「国際語」の共有"が迅速にスムーズに行えたんだと思います。
ゾーンプレスで最終的に何が出来るか、勝てるか負けるかではなく、ゾーンプレスを"通じて"世界と"繋がる"こと、ともかくも同じ土俵に上がること、それが目的。他のことはその後後、それが当時の僕の心境で、概ねその目的は達せられたように、僕は感じていました。フランスの岡田ジャパンも大きくは含めてね。

で・・・こうした当時の僕の"文明開化"主義、脱亜入欧(?)主義、言い換えると「日本の固有性」のようなものを当面一切顧慮しない僕の態度は、実は現在の特にハリルホジッチをめぐる「"日本らしさ"全否定的」な、翻っての「ハリルホジッチ全面支持」的な少なからぬ一部の論調と、大きくは違わないものだと思います。
つまり、僕は今その立場は取りませんが、彼らの気持ちが分からないわけではないということ。多分ね。
"僕自身も通った道"とかいう言い方だと、ちょっと上から目線かも知れませんが。(笑)

とにかく彼らが考えていることも、まずは遮二無二ヨーロッパに"合わせる"ことで、それが全てに優先して、言い換えるとヨーロッパの文体を"学習する"ことが何よりも大事だと、そう思っているわけでしょう。
それは日本代表にそれが"必要"だという「判断」の部分も当然あるわけでしょうが、それと同じか場合によってはそれ以上に、そうじゃないと"恥ずかしい"から、勝ち負けや方法論的妥当性以前にとにかく恥を掻きたくないから"恥ずかしい"現状(とこれまで)をどうにかして欲しいと、そういう気持ちが主動因になっているんだと思います。・・・極端に言うと、"日本らしく"(仮)戦って勝つよりは、"ヨーロッパ風に"戦って負ける方が満足なんじゃないですかねそういう人は。

僕自身がかつて似たような感じ方をしていたのはとにかく文字通り現状が絶望的だったから、「日本らしさ」も何も何か通じるものがあるのかどうか事実的に手がかりがまるで見当たらなかったからですが、彼らの場合は更に、僕の世代には無かった海外サッカーのふんだんな視聴経験があるわけですね。その"モデリング"要素。"見習う"という以上に既に「正解」がそこにあるような状態。だからこそ"近づきたい""同化したい"欲望もまた強いわけでしょう。それは分かる。

分かるし、"方法論"的に最終的にそれが"正しい"可能性もそれはあるわけですが、ただそれは現状ではまだ分からない。少なくとも"分からない"という前提で問題設定すべき。その慎重さと視野が、少し欠けているように感じることはあります。「比較」と「判断」で言っているというよりも、欲望で言っているだけに見えることがあるというか。

では僕自身は今はどういう理由でどういう立場を取っているのかは・・・まあ"後編"で。(確定してしまった(笑))
とりあえず先に行きます。


中田ヒデの"速く鋭いパス"

加茂ゾーンプレスの次に日本に世界の"常識"を垣間見せてくれたのが、中田英寿と彼の"パス"の質・性格でした。・・・俗に言う"キラーパス"、味方の受け易さはしばし無視しても、の防ぎ難さを優先する、"通れば必ずチャンス"なパス。

それは単に速いパス、スピードや動き出しの遅いFWに"合わせない"パスということだけではなく、言わば"「日本」に合わせない"パスでした。日本国内的な標準や"やり易さ"に。
通る通らない以前に、どのタイミングやスペースに出せば、世界でもチャンスになるか、逆にそうしないとならないか。

それが単なる中田個人の念仏ではないということがはっきり分かったのが、2017年12月に初めて参加した「世界選抜」でのプレーで、それまでも同種の企画にカズ財前宣之が呼ばれて出場していましたが、正直"お客さん"でそこだけ明らかにクオリティが落ちるので、恥ずかしいなあ、いっそボール触らないで欲しいなあとか失礼なことを思いながら見ていたものでしたが、中田は違った。やり慣れない違和感が無いわけではないけれどクオリティ的には決して"恥ずかしい"ことにはならず、慣れてからはちゃんと流れに乗ってプレーを加速させることが出来ていました。当時どこかの記者も書いていましたが、中田のスルーパスにかの"大五郎"ロナウドが「おっ」という顔をした、「こんなパスが出て来るのか」と二度見(?)していた場面は、日本のサッカー史の中での隠れた/忘れられない"名場面"だったと思います。

まだW杯本戦やその後のペルージャ移籍前、本格的なプレー経験は日本・アジアのみという環境下で世界との"同時性"を自力で獲得していた中田の知的想像力の凄さはその後の多くの、要は"行ってみて考える"系の海外進出日本人選手たちと比べても特異なものだったと思いますが、それだけにやや突出し過ぎて結局最後まで日本サッカー全体がキャッチアップ出来ずに、中田を"活かす"形になかなかなれなかったのは、不幸ではありました。まあ中田にも悪いところが無かったわけではないというか、「突出」「孤立」そのものが及ぼす悪影響というものもありましたけどね。どんなにいい選手でも、やはり"1人"よりは他の"10人"の方が大事ですから(そして彼は旅人に)。最後には地味に力も衰えていたと思いますし。

ともかくも中田英寿とその"キラーパス"は、加茂ゾーンプレスに続いて、日本人という身分はそのままに日本人の手によって「世界」を垣間見せてくれた、そういう存在だったと思います。世界のサッカー"ダンス"についての新たな情報というか。
具体的には「タイミング」「スペース」ですかね。通る通らない上手い下手以前に、まずは"その"タイミング"でプレーを始めなければその"スペースにボールを運ばなければ、何も起きないよと。そういう"ヴィジョン"を想定しながら、プレーしなさいよと。味方の顔色なんて窺ってる暇があったら。あるいは卑近な敵の。


シドニー世代と加藤久"ナショナルトレセン"

こうした中田英寿の基本的には独自努力と伴走しつつもまた別に、協会としての国ぐるみの努力もこの時期それなりの成果を上げて行きます。具体的には、フランスのクレールフォンテーヌ国立研究所(1988年設立)に範を取ったとされ、加藤久強化委員(1993年副委員長就任)が主に音頭を取ったらしい、ナショナルトレセン制度(1993年設立)による一律指導です。

1993年というと、1973-76年生まれのアトランタ世代は17-20才1977-80年生まれのシドニー世代は13-16才ですね。現在言われるような"ゴールデンエイジ"よりは少し遅目ですが、それでもシドニー世代からその恩恵を全面的に受けるようになったことは、想像出来ると思います。ちなみに中田英寿は1977年生まれ、次いで中村俊輔1978年、小野伸二1979年、遠藤保仁1980年生まれ。

その指導の実際について僕は知る立場には無いですが、確かにここらへんで目に見えて日本人選手たちのプレーがスマートになったというかスムーズになったというか、判断や同じ"テクニック"の発動にも無駄が無くなった感覚はありました、直前のアトランタ世代と比べても。"思い付き"や個人的技能よりも、"訓練"の比重が高まったというか。

そうした全体的な洗練の中で、中心になっていた特に意識付けられていたと記憶しているのが、"パススピード"の速さ(強さ)と、同じことですがその"速い"パスを正確に受けて処理する技術と速さ。これは中田的なパスの"種類"としての速さというよりは、あらゆるプレーをより速くより正確にやるということで、そういう意味では永遠の課題ではあるわけですが。それはアトランタからシドニーにかけておっ速くなったなと感心させられ、そこからアテネにかけて更に速くなってどこまで行くんだろうと期待させましたが、それ以降は遅くなったとは言いませんが何か"意識"として曖昧になった感じで、余り目に見えて向上しているようには僕には感じられません。今のもっと速く(強く)出せるだろうと、シドニー世代の時には感じなかった不満を現在の代表レベルの選手のプレーに感じてしまうことも、無きにしもあらず。

余談ですが中田が得意とした"スペース"への速く鋭いパスは、その後のバルセロナ&スペイン代表による「足元」パスサッカーの大進化による席巻で、"プレーモデル"としては相対化されてしまったところがあると思います。一時のように、"絶対正義"ではなくなったというか。そう言えばオシムも、"足元"パスの人でしたし。色んなサッカーがあるものだなと。
今でも原則的には正しいというか、多くのチームで確率的には正しいことの方が多い選択だとは思いますが。バルサやオシムの真似は、そう簡単には出来ませんし。

ともあれ一方でシドニー/加藤久トレセン的な「速さ」というのはこれはもう上でも言ったようにオールタイムオールケースの課題なので、その意義は時代を経てもほとんど何も変わっていないと思います。そういう違いはありますね。


以上が僕の「日本代表」史の前半部分というか、"世界"に学ぶ・倣う・真似ることに一心になっていた、それで"済んで"いた時代。
サブタイトルから引けば、「普遍」(主義)の時代というか。
それだけ前提となるレベルが低かったということであるし、右肩上がりの成長期であった、それを信じていた信じられた時代でもありました。
レベルが低かったのでとにかく学ぶしか無かったし、また比較的容易に"学べる"程度の課題でもありましたし、良くも悪くも情報がそんなに無かったので迷うことも余り無かった。それこそ「フランス」なのか「スペイン」なのか「ドイツ」なのかとか(だからこその学習効率というか)。低レベルで見れば、いずれにせよ"課題"には共通性の方が多いでしょうし。

いや、今でも低レベルだと「海外」派の人は言うでしょうしそれも否定はしませんが、では当時と今と全く同じ状況なのか同じ見方同じ態度で"済む"のかというと・・・。どうでしょうというのが、"後編"の主題になりますか。
加茂ゾーンプレスを"信じた"ように、(例えば)ハリルホジッチを"信じ"ていいのか。それで済むのか。


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テーマ:サッカー日本代表
ジャンル:スポーツ
コメント
この記事へのコメント
No title
>95年

 本気度はともかくブラジル戦もあったりで、日本サッカー史上でも多分最も対戦相手が豪華だった1年だったんだなという感じはしますね。当時のナイジェリアのスーパーイーグルス感も含めて(笑)
 世界へのログインボーナスというか。
 まあ代表監督としてはかなりなレベルの上がり目で終わった岡田物語のプレリュードとして終わらせるのは雑だと思いますし、誰か本格的にまとめてくれないかなとは思いますね、加茂ジャパン。

>中田

 「突出」「孤立」がスポーツ的ではなく、イメージ的にはプラスだったであろうことは、日本サッカー界には不幸だったのかもしれないですね。
 年齢的にはシドニー世代だけどシドニー世代が本格化する頃には、立場的には代表のエース+ほぼ唯一の海外組として突出していたというのは、突出する事ができた全盛期はともかく、海外組が増えて相対化/衰えた後は立場を複雑にしたと思いますし。
 スペースを見つけてそこを突くというよりは、スペースを作るためにどうポジショニングするかみたいな事を争っている(そこを争点にしている)のかなと傍目に見ていては思います。


>加藤久

 代表の中心選手だったとか、学閥的な補正もあったのかなかったのかと考えたりもしますが、現役選手がそういう立場にあったという事は今考えるとえらい事をしてたんだなと感じますね。後のじゃあ協会的に出世したのかと言われるとどうにもなってない事を考えると特に。

2018/05/24(Thu) 21:35 | URL  | あかさたな #T5cQRYBo[ 編集]
No title
アンブロカップってよく考えると、なんだったんですかね。(笑)
当時は多分、世界のスケジュールも、そこまで過密ではなかったんでしょうけど。日本代表の地理的ハンデを考えると、ぶっちゃけ毎年に近くあれくらいの対戦相手が欲しい気はしますね。

中田に関しては、"合流"後のトルシエの割り切った"頼り"方含めて、代表での存在感をどう評価すべきなのかは、難しい期間が長いですよね。"リーダー"よりは"最強の末っ子"みたいな位置の方がいいような気もしますし。最後に手放しの賞賛を送れたのは、サンドニの"悲劇"の中での孤軍奮闘の勇姿ですかね。

久さんに関しては、結局だからある種の"草創期"だったということでしょうね。若くしてそういう地位につけたのも、その仕事が"当たった"のも。久さん個人の見識がそれほど突出していたものだったとは、後の監督としての仕事を見ると余り思えないところがありますし。
・・・そう言えば一時中田に会長やってもらおうとかいう話もありましたね(笑)。今ならば名波とかは、"政治力"もありそうな気がしますけど。宮本はどうなんでしょう。そもそも見識もよく分からないですけど。
2018/05/25(Fri) 16:23 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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