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歌詞で音楽を聴くということの衝撃 ~"乃木坂"世代の音楽の聴き方?
2018年07月24日 (火) | 編集 |
2016.11.27放送、『乃木坂工事中』#82「バナナマンに教えたい 乃木坂46「私の1曲」より。

動画はここらあたり。

https://n46v-doko.com/1884/(フルサイズ可)
http://nogizaka46variety.com/2130
https://nogizaka46n46.net/archives/4200

出来れば今回は、見ながら/見て、読んでもらった方がいいと思います。
リアルタイムではなくて動画でのキャッチアップでしたが、初見の時は本当に"衝撃"を受けました。今回見直して、少し冷静になりましたが。(笑)
特に洋楽ベースで音楽を聴く(世代の)人は、見てみた方がいいと思いますね。スタジオの雰囲気も併せて見ると、なかなかの"絶望"感が味わえると思います。(笑)


さて番組はタイトル通り、乃木坂メンバーが順番に、MCのバナナマンに「私の1曲」を勧めて行くという内容。

まずは西野七瀬

曲はザ・マスミサイル『教科書』
おすすめコメントは、"なんか共感できる感じの歌詞かなって"

「君にマニュアルどうりの教科書なんかは必要ないでしょ」

そもそも教科書って、"マニュアル"を集めたもののことを言うんじゃないかなあと緩くツッコミを入れつつ、まあ西野さんは魂は高貴だけどそんなに賢いタイプではないからと軽く受け流して次へ。

2番手、中田花奈
曲はCreepy Nuts『刹那』
おすすめコメントは、"歌詞がストレートで、情景なんかがすごく鮮明に描かれてて"
ん?また歌詞ですか。そもそもヒップホップ絡みのユニットらしいですけど。

「何もよけるな 何も恐れるな 何もためらうな 何も恥じらうな」(サビ)

まあ"フリースタイルバトルに向かう前のラッパーの恐怖心"という題材自体は、なかなか面白かったです。

続いて3番手、星野みなみ
曲はワンオクロック『69』(ろっく)
おすすめコメントは、"歌で伝えるというより言葉で伝えるという感じの曲"
んーーーー。
いやいいんですけどね。
ただ"原則"としては、「言葉」(散文)で伝えられないものを言葉の限界を越えて伝えようとするものが、韻文であったり歌であったり音楽であったりするはずなわけですよ。それがあえて言えば、音楽を聴く「理由」というか。
ある曲のたまたまの特徴が「"歌"というより"言葉"」ということはあり得るけれど、こうして"おすすめ"の理由として、つまり"褒め言葉"として「歌ではなくて言葉」というのが"音楽"に対して使われるというのは、どうもやっぱり顛倒したものを感じてしまいます。
それがどこかの"批評家"があえてとかではなく、"星野みなみ"ちゃんがふわっと使う、つまりはこういう言い方が普通に通用する状況があるらしいことには、少し引っかかるものを感じてしまいました。

「ただ一つ言えるのは誰よりも自分を信じてここまでやってきた結果 支えてくれるメンバーや大事な友達 求められる喜び その他諸々お金じゃ買えないものをこれまでに手に入れてきた」

サビの前はずーっと語ってるので抜き出すのが難しいんですが、とりあえず曲(詞)のトーンを分かり易く表していると思うところを抜いてみました。

4番手、生田絵梨花
曲はGLAY『LET ME BE』
グ、グレイ?!生田が?意外。(笑)
おすすめコメントは、まず"メロディがAメロもBメロもサビも全部いいというところ"
おお、やっと"音"の話が出て来た。さすがに乃木坂屈指の"音楽家"生田先生。
続いては、"私の為に歌ってくれてるのかなという感じがするところ"
これはやっぱり、歌詞の話だな。
まあ好意的(?)に解釈すれば、「おすすめの1曲」ということで"特別"な曲あるいは"紹介しやすい"曲という基準でチョイスした時に、こういう(言語的な)思い入れメインのチョイスになる傾向が出て来るのは仕方ないかなと。生田ちゃんだから思うことではあるけれど。(笑)

「LET ME BE かけがえのない 君からの手紙を読めば」

はいサビです。
グレイのピアノバラード。正直歌番組を見ている時だったら、イントロが流れた時点でトイレタイムですけどね(笑)。いい悪い以前の問題。紅白の演歌ゾーンの時の子供みたいなもので。ごめんね生(いく)ちゃん。(笑)

5番手高山一実
曲はUVERworld『Ø choir』
おすすめコメントは、まずUVERworld自体について、"曲がいい"。ほっ。
続いて"歌詞がいい。具体性があるのに比喩とか使ってて"
曲自体については、"ライブで一緒に歌って盛り上がる為の曲"

「(choir) Let's go !(oh oh oh... Hey!)」

かずみんに関しては少し注意が必要で、「歌詞」について語ってはいるけれどそれは単なる文字通りの意味内容ではなくて、"歌詞"としての技術的側面も込みで語っていること、それからおすすめの「ライブで一緒に歌って盛り上がる」曲も、強調しているのは"oh"の連呼の部分の快感なので、つまりは全体として十分に「音楽」的な聴き方をしているらしいことが分かります、最初の3人と比べて。

まとめて「西野・中田・星野」と「生田・高山」を比べると、やはり普通ないし賢くはない(笑)コと賢いコとでは、音楽の聴き方も少し違う傾向があるらしいことは、確認出来る気がします。前者は意味内容にストレートに、後者はより音楽的総合的に。


・・・そして次のコから、ある意味話は核心に入ります。
6番手、齋藤飛鳥
曲はEVANESCENCE『Going Under』
初の洋楽です。(僕は知らなかったですが)
おすすめコメントは、まず"歌詞が重め。ダーク。"
続いて"でも一番はPVが怖い"。なんだかよく分かりませんがとりあえず歌詞。

Now I Will Tell You What I've Done For You
(今から教えてあげる私があなたの為に何をしてきたのかを)
50 Thousand Tears I've Cried (数えきれないくらいの涙を流し)
Screaming Deceiving And Bleeding For You(叫び、偽り、そしてあなたの為に血を流した)
And You Still Won't Hear Me
(それでもあなたはまだ私の話を聞かないでしょうね)

一見して"歌詞"とは言っても、"メッセージ"ではないですね、最初の3人とは違って。「洋楽」という時点である程度想像はつきますが。"一番がPV"と言ってるように、イメージ的な聴き方でもあるでしょうし。
それ自体は"孤高"の飛鳥先生らしくてスタジオの冷めた反応もいつものこと(笑)と言えばいつものことなんですが、この後(僕にとって)衝撃の告白が飛び出します。
この曲を聴いたきっかけをバナナマンに尋ねられて答えていわく、
 「洋楽 歌詞 重め」で検索して見つけたと。
そんな聴き方あるんだと驚くバナナマン。僕もびっくり。

そしてその驚きは続く7番手若月佑美決定/確定してしまいます。
曲は平井堅『告白』

「もがき あがき 泣き喚き叫べど あなたに届かない芝居」

この曲を見つけた経緯についての若月佑美の説明も同じで、「私は歌詞検索で歌詞から入る人なので」
「歌詞検索」というのがどうやらツールとして存在・確立しているようですね。検索(笑)するといくつも出て来ます。当然ながら、"それで聴く"という聴き方も。

その「歌詞検索」で見つけた飛鳥・若月のおすすめの曲の"歌詞"と、しつこいですが(笑)最初の3人のおすすめの曲の"歌詞"とでは、ニュアンスや「音楽」の中での機能の仕方は結構違うと思いますが、ただ"歌詞から入る""歌詞を(最)重要視する"という意味では同じなわけで。ほへえという感じです。


なぜか。
まず歴史的経緯から言うと、"日本のロック"や"J-POP"が確立する前のある世代までにとって、"意識的""個人的"に聴くポップミュージックと言えば、それは圧倒的に英米の「洋楽」だったわけですよ。
当然英語ですから歌詞の意味はストレートには入って来ませんし、洋楽自体が日本の"歌謡曲"や"演歌"に比べて多くは音楽的な総合性を重視する構造になっている(ややこしいので説明は割愛)のもあって、"歌詞"というものも「言葉」というよりは響きやイメージ、あるいは音楽を総合的に機能させるためのパーツとしてまず存在した。文字通りの"意味内容"や"メッセージ"というより。

やがて日本でも"意識的""個人的"なポップミュージックを、バンドサウンドの総合性の中で表現しようという動きが起こって来ますが、そこで障壁となったのが、「日本語による歌詞」
"英語"を前提として発達して来たロック系のリズムやメロディに日本語を乗っける技術的困難、あるいは英米の文化的脈絡の中にあるロック系の歌詞世界をそのまま"翻訳"しても嘘くさいだけですし、さりとて「日本」に寄り過ぎると演歌になってしまうし(笑)。諦めて英語で歌うことにした人も少なくないですが、その場合は"発音"の問題がどうしても。勿論日本市場との距離も開きますし。

結果一つの妥結点として生まれたのが、はっぴいえんどや、あるいは井上陽水・中島みゆき・ユーミンらの"ニューミュージック"系の、RCサクセションとかも含めていいかもしれませんが簡単に言えば「演歌まで行かないように気を付けながら、"フォーク"的な『生活感』を日本語で歌う」というスタイル。
ただその場合でも、一部の例外を除いて結局はロック的なダイナミズムやバンドサウンドの総合性は犠牲にされがちなので、そこらへんをより本格的に追求しようとすると、例えば佐野元春や初期のサザンなどのように、「あえて聴き取れないように(英語のように)日本語を歌う」というような"奇策"も要求されたりしたわけです。

最終的には、"パンク"ムーブメント以降のロックの(往年のロックに比べた)ある種の「世界共通性」に援護を受けながら、1980年代後半あたりで「日本語によるロック」「バンドサウンド」は確立・定着したと言えると思います(参考)。翻訳調にもならず、直接演歌を想起させられることもないような、勿論バンドサウンドの邪魔もしない歌詞が、特別な才能が無くても自然に書かれるようになったというか。(理由は再び割愛)
ただその時点でもやはり「日本語でロックを歌う」ことの緊張感というものは多くのバンドが共有していて、その緊張感が逆に日本のロックを、僕が思うにある意味同時代の英米のバンドよりも"魅力的"にしていたと思います。

まとめてつまり「歌詞」は、いかに音楽を邪魔しないか、"自然"に響かせることが出来るかという観点で様々な人が苦心惨憺工夫して来た、そういう歴史が日本においてあると、そういう話です。

・・・という時代から遥かに下って。
僕はとっくに"現役"のリスナーからは退いているので、ほとんどはたまたま流れて来たのを聴いているだけですが、どうも随分「歌詞」について無頓着というか無造作というか、そういうアーティストが増えたないし一般化したなという印象を抱いています。
歌詞に気を配っていないという意味ではないですよ?気は配っている、むしろ気を配り過ぎて、「独立」的に扱っている、"意味内容"や"メッセージ"が剥き出しで存在している、音楽としての総合性や一体性から飛び出てしまっている、そういう印象を受けるものが多いということです。

別な言い方をすると、音楽が"意味"や"メッセージ"を伝える「手段」として扱われている、だから聴く方(西野・中田・星野)も、自然に「歌詞」第一で聴くような聴き方をするようになるんだろうと思います。
多分全然ピンと来てない人は来てないだろうと思いますが、例えば定期的に巻き起こる、「ミュージシャンが"政治的"な歌を歌うべきか」という問題も、背後にはこの対立があるんだろうと思います。つまりは音楽は音楽自体であるべきだという人と、音楽が何かの為の"手段"であっても一向に構わないという人との。前者は当然「政治」の為の歌を嫌がりますし、根本的には"メッセージソング"自体を嫌うでしょう。そして後者は、"手段化"の一つとしての"政治化"にも、特に抵抗は無い、むしろ社会的意義があって結構じゃないかくらいの考え。

僕はまあ前者ですね。音楽"が"何かのメッセージ性を持つことはあり得るし否定しませんが、メッセージの"為"の音楽、特に歌詞の運搬・説明・装飾として音があるタイプの"音楽"は、かなり嫌です。言葉の意味内容自体を問題にしたいなら、音楽なんて曖昧な手段を取らずにきちんと"文章"を書くべきだ、という意味も含めて。


・・・話戻して。
どうして今日のような状況になっているか正確なところは僕は知りませんが、見ていて(『乃木坂工事中』を(笑))一つなるほどなと思ったのは、スチャダラパー('88年結成)登場時にはとても日本に定着するようには見えなかったラップ/ヒップホップが、ここまで大衆的な形で日本化したのは、一つはこういうわけかということ。つまり"音楽"における"言葉"を意味ベースで独立的に扱う感覚が、かなり一般化しているということ。いつそうなったのか、そこにおいてヒップホップの普及が原因として機能したのか結果として出現したのかは、別にして。

僕の「歌詞」についての抑制的禁欲的感覚は、もう完全に古いのかなと。(笑)
あるいは"乃木坂"の中でも「西野・中田・星野」組と「生田・高山」組との間で隔たりがあるように、前者の感覚の強い人種や階層が、より積極的にポップカルチャーの担い手となって来たか。ある時期までのロックは、確かに幾分"エリート"的な側面が強かったですから。

「歌詞検索」の使用が一般化したのは、いつ頃なんですかね。"スマホで音楽を聴く"というカルチャーと随伴していることは、当然推測出来ますが。
昔、あるいは洋楽シーンにだって、「言葉」が先行することが無かったわけではないですけどね。あるアーティストのあるフレーズをキャッチフレーズ的に使って、ディスクを売ったりブームを演出することは、普通に行われていた。「ロックは死んだ」とかね。(笑)
ただ存在を知りもしない音楽を、歌詞一発で引くなんて真似は、やりたくても出来なかったから、技術的に。

正直に言うと、そういう「歌詞先行」or「独立」型の音楽・バンドサウンドが、僕にとってポジティブに見えるか聴こえるかというと、それはなかなか肯定的には言えません。自分が年を取ったこと、それぞれの世代にはそれぞれの感性やリアリティがあることに目一杯想像力を働かせてみても、到底「進歩」には見えないというか、むしろ退化しているように見えるというか。
「"歌手"+"バックバンド"」の完全分離で奏でられていた伝統的な歌謡曲に比べても、デリカシーが足りないというか音楽的な総合性に欠けるように、見えると言えば見える。

勿論ヒップホップ本体はまた別の話、そもそもの形態が形態ですから。だから"ヒップホップの影響で(引きずられて)ロックにおける言葉と音の関係が変わってしまった"というなら、「原因」論としてはすっきりしますけど。そういう単純な話なのか。
後は何ですかね、主たる収入源としての"ライブ"の比重が極大化しているらしい音楽界の状況とかも、関係しているとか?つまりライブで分かり易く煽れる曲が求められる。あるいはライブに来たがるタイプの客向けの曲が。


とにかくポップミュージックにおける「歌詞」の位置は、だいぶ様変わりしているようですよご同輩という、そういう話でした。何だよ!歌詞検索って。辞書でエロい言葉引いてる中学生かよ。(?)
冒頭で言ったように初見の時は相当絶望的に感じて(笑)、やっぱり話が通じそうなのはあしゅ(飛鳥)くらいだなと落ち込んで(?)たんですが、見返すと少なくともかずみんとかは、まだ通じるところもありそうですね。若月もそんなにおかしくはない、歌詞を検索しているだけ(笑)で。グレイは・・・ごめん。いくちゃん。(笑)


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テーマ:邦楽
ジャンル:音楽
コメント
この記事へのコメント
どうもです。とても、おもしろく、読ませていただきました。「肯定的には言えません」は私も理解できますが、「歌詞に意味なんてない」ことを宣うフリッパーズ・ギター教の崇拝者だったりもするので、そういうひねくれ者出ない方々は昔からたくさん存在していたなとも思う次第です。
2018/07/24(Tue) 22:54 | URL  | doroguba #-[ 編集]
まあ今回出した事例もそうですが、例えば普段の会話でも、言葉を文字通りに、実体的に捉える人とそうでない人というのは、割りと知性ないし教育という基準で、綺麗に分かれる気がします。だから要はどのタイプの"担い手"や"客"が、表面に出ているかという問題かなとも。
"ヒップホップ"の問題は、別に処理しないといけないでしょうけどね。
2018/07/25(Wed) 12:08 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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