2018年10月18日 (木) | 編集 |
とりあえず順調過ぎて怖い。(笑)
キリンチャレンジカップ2018 日本代表 〇4-3● ウルグアイ代表(埼スタ)
・細かいことは色々あるでしょうし"問題点"も現時点でいくつかあるわけでしょうが。
・それよりも何よりも、チームを"手の内に入れている"感が既に半端ないというか"珍しい"と言うべきレベルというか。
・代表カテゴリーで言えば個人的にはそうですね、ほとんどトルシエ以来ですね、サンドニで挫折する前までの。(ないしは年代別チームでの)
・スムーズ、選手の能力と融和的という意味では同じく初期、アジアカップ優勝時のザッケローニとかもそうでしたが。
・あれは正に"融和"というか"寄せて"いるというか、慎重に妥協点を探った結果の産物であって、比べると森保監督の場合は「本意」感が全然違う。
・かと言ってオシムやハリルホジッチのように、権威でやり慣れないプレーに"従わせている"わけでもないし、勿論逆に、アギーレのように遠慮し過ぎでもジーコのように期待し過ぎでもない。
・やりたいことをやって、それが選手個々の自己表現とほとんどずれなく重なってる感じ。
・プレーのクオリティなんてものにはどこまで行っても不満は尽きないものでしょうけど、監督選手関係含めた"チーム"としてのフォームは既にして出来上がってしまっている感じ。
・あと4年も要らないよというか。
・とにかくノーストレスですね、初戦でもこの言葉を使いましたが。
・西野監督との比較は少し難しい(似てるところも一見多い)ですが、あえて言えばあの方の場合は"やりたいこと"が別に無いので(笑)。そういう意味で、最初から比較の対象では余り無い、同じく選手といい関係を形成していても。
・森保監督はあると思います。先行するヴィジョン的なものが。後で言いますが。
・ただそれが選手のパフォーマンスと、ほとんど同時的に実現しているという魔法。
・従っているという意識無く従っているというか。(まあそう見えるだけでしょうけど(笑)。"監督"は監督ですから。)
・でもほんとに予想外で、困ってしまいますね。
・いや、困りは別にしないんですけど。(笑)
・既に何度も言っているように、去年12月のU-20立ち上げ以来のアンダー代表での森保監督の仕事には。
・いい人だし一応結果も出ているから厳しいことは言いづらいけど、正直見るべきものも褒めるところもほとんど無い、ぶっちゃけどこに興味を持っていいのか分からないという、そういう感想を僕は抱いていました。
・しょうがないのでブログを書く時(笑)は、前半は井上潮音、後半は渡辺皓太という自軍選出選手一人のプレーに専ら焦点を当てて、スペースを埋めていた。(笑)
・ところがその後立ち上がったフル代表では、アンダー代表の体たらくはなんだったのかと皮肉でも煽りでもなく(笑)言いたくなる、ほとんど別物の精彩を放つパフォーマンスがいきなり披露されて。
・それに対して僕もフォーメーションの問題やら攻撃の仕方の特徴やら、ようやく"チーム"についての、より正確にはチームの個別の具体的側面・要素についての言及を、えっちらおっちら始めたわけです。
・そして3試合目、"強豪"ウルグアイを大いに慌てさせたこの試合に至っては・・・
・そこらへんのレベルを更に飛び越えて、「森保一」監督とは何者なのか、いったいどういう監督なのか、何か凄く舐めていたかも知れない一回本腰を入れて改めてこの人のことをこの人の可能性を考えてみないといけないかもしれないと、"見るべきものが無い"というスタート地点から遥か遥か彼方に(笑)、いきなり関心が成り上がって来てしまって、まあどうしましょうという感じになっています。
・基本的に"第一印象至上主義"で世を渡っている僕としては、何とも不覚というかやっぱり困るというか。(笑)
・...いや、待てよ?本当の"第一"印象はサンフでの仕事だった、あれについては確かに内容は余りよく分からないけれどとにかく何か端倪(たんげい)すべからざるという印象を感じてはいたから、そういう意味では"至上"は揺らいでいないのかもしれないと自分を落ち着かせつつ。
・あくまでそれとの比較での、アンダー代表の"肩透かし"だったわけだから、うん。(まだ落ち着かせてる)
・とにかくひょっとしたら本当に凄い、少なくとも異例の監督かも知れないと、思い始めている今日この頃です。
・"評価"はともかくとして、そもそも森保監督が何をしようとしているかですが。
・答えは、"全部"。
・何だそりゃという感じでしょうが(笑)、言葉として出ているものとしては、例えばこういうことです。
“代表監督の言葉”が一人歩きする怖さと難しさ…森保監督からメディアへの「お願い」とは(サッカーキング)
代表の森保は広島の森保に非ず。「世界」を追いつつ「日本」を見る(フットボリスタ)
・全部必要だから全部やる、または全部出来た方がいいから全部やる。
・当たり前と言えば当たり前の話ですし、言うは易く行うは難しという類の話でもあるかも知れません。言葉の上では。
・あるいは「相手や状況に合わせたプレー」というテーマは、ハリルホジッチ時代に散々論じられたものでもあります。
・ただ何でしょうね、「発信していただきたい」という言葉の強さには、そういう常識的正論や直接的な実利以上の何かが、表明されている気がするんですが。
・"バル"の川端浅野対談も、森保さんの一種独特の人物像というか立ち位置を、言語的にはさほど明瞭ではないですが語ろうとしているというか。
・それを探る為に僕が注目したいのは。
・例えば南野、中島、堂安、伊東らが起用された森保ジャパンの1.5~2列目というか3シャドーというか、彼らを駆使して実現された、縦に速く、個人技とインテンシティ(の比重)が高く、ビルドアップやゲームメイクに余り趣向と時間を使わない攻撃スタイル。
・それをもって遅れて来たハリルジャパンだ更には西野ジャパン/JFAスタイルの否定だという言い方をする人も見かけるわけですが。
・確かに現象としては、あるいは現象の一つの側面としては、そういうことは言えると思います。
・ただその一方で僕はそうした彼らの姿に躍動に、何とも懐かしいというか慣れ親しんだというか、あえて言えば"日本的"なものを凄く感じるわけですね。
・"JFA的"と言ってもいい。(笑)
・それは恐らく攻撃のリズム感というかタイミング感というか、プロセスや経由ルートが違っても、共通して表れている何かそういうものだろうと思いますが。
・タンタンタターンと、ここでこういう感じでスピードアップするよね、うん分かる分かるこれ知ってる。(笑)
・何と"共通"するかと言えば、もうほんとに散々コスったネタでいい加減嫌なんですが(笑)、起源としては1999-2001年の西村U-20や2002年の小野トゥーロンU-21の、恐らくは初めて時の代表監督に丸投げではなく"日本"として作ろうとしたJFA"スタイル"。
・具体的には1トップ2シャドーの形を軸に縦に入れたボールに2シャドー+周りの数人が関与して、日本人選手の細かいスキルとアジリティを活かして高速ワンツーや切れ込みで一気に集団的にゴールに迫るスタイル。(参考。これも毎度お馴染み。(笑))
・その際に脈づいているリズム感が、グループベース(西村小野)、個人ベース(森保)という違いはあっても、結局凄く似てるんですよね。
・それは単にここ15,6年、日本人の身体特性生理特性が大きくは変わっていないということを意味しているのかも知れませんが、とにかく結果的に、「日本人の得意な」、昔から最初から得意としていた攻撃の仕方を、大きく言えば森保ジャパンもやっているということ。
・それで成功しているというか。
・ちなみに西村小野ジャパンの直接的な成果自体は、それを引き継いだ山本昌邦によって壊されてしまい、"1トップ2シャドー"の基本形も特にその後の日本の年代別代表サッカーに引き継がれはしませんでしたが。
・ある種の"ツボ"として定期的に、特に攻撃が上手く行っている時には顔を出すリズム感として生き続けているように僕には見えますし、また第二次岡田ジャパン(の前期)や西野ジャパンにおいても、賛否ありつつ顔を出しているものだと思います。
・森保ジャパンの場合は特に、1トップ+複数シャドーが中央狭目に寄って行くスタイル、それが所謂左右"ハーフスペース"へのポジショニングという効果もあるんだという指摘にはなるほどと思いましたが、とくにかく形的にも、オリジナルJFAスタイルに似通っているところがあるのも大きいのかも知れません。
・例えば高速パス交換のリズム時代はトルシエジャパンも持っていましたが、トルシエの場合は中央を経由しつつサイドへサイドへ展開して行く攻撃の仕方が、何より特徴だったので。
・俊輔や三都主をサイドから解放する為に少しだけ1トップ2シャドーもやりましたけど、何かぎこちないというかかえってスピードダウンしていた印象。絡みが遅いので、"1トップ"のゴール前の薄さの方が目立ってしまっていたというか。
・それはともかく森保ジャパンが実現している攻撃の面白さは、つまり"縦に速い"以下略のハリルホジッチ式というか「外来」志向、所謂"世界の潮流"に合わせる系のフォームと、「日本」的JFA的身体性、やり易さ自然性が、同時に実現していること。
・両方満たせればそれに越したことは無い、みんな幸せと、言うは易く行うは難し、しかしそれが妙にあっさり実現している。
・森保監督の"絵に描いた餅"は、何と食える!しかも結構美味しい!(笑)
・真面目な話、逆に言うとこれが、これが満たされなかったことが、ハリルホジッチの攻撃がなかなか成功しなかった身に付かなかった、いつまでたっても「翻訳」調であり続けた、大きな理由でもあると思います。
・所詮生理に裏打ちされない直観に落とせない論理なんて、現実では無力(非力)なわけで。
・言葉にすると同じようなこと(縦に速く云々)をやっているのに、片やハリルホジッチのそれは違和感満点で、逆に森保監督のそれは親しみ深い、"ドメスティック"ですらあるという、面白さ。
・観念は観念、行為は行為、言葉は言葉、意味内容は意味内容ということですか。それらは必ずしもいつも同じようには、"ペア"にはならない。
・観念だけで押し通しても、感性の橋渡しが不在の現実の中身は、いつまでたっても充実はしない。
・...待てよ、ひょっとして山本昌邦の"ダイレクト""15秒攻撃"(参考)というある意味の「正論」が機能しなかった、オリジナルJFAサッカーに対して破壊的に作用したのも、構図としては同じなのではないか、ハリルホジッチは山本昌邦の再来なのではないかないし山本昌邦はハリルホジッチの先触れなのではないか。
・どうでしょうこの新説。気に入ったら是非広めて下さい。(笑)
・まああえて言う必要は無いですが、意外と本気と言えば本気です。
・"違和感"二大巨頭。
・話戻してではなぜ森保監督はそんなことが出来るか、そんないいとこどりの総合(ジンテーゼ)が可能なのかですが。
・2003年まで現役選手だった森保さんが、1999-2002年の年代別代表チームを、見ていたかもしれませんが直接的に関わっているわけはないですし、またコーチとして西野ジャパンの"日本的"アタックのある程度の成功を目撃していた森保さんがその活用を考えているのは確かなようですが(上記"バル"対談)、でもそんな付け焼き刃というか試行錯誤的なものには、どうも実際の森保ジャパンのそれは僕には見えません。何か"一気に"実現している感じ。
・付言すると2002年トゥーロンを率いた小野剛氏は、その後すぐに広島の監督に就任していますが、残念ながら(笑)森保さんは入れ替わりに仙台に移籍してしまっています。広島という縁で何らか接点はあるかもしれませんが、直接的な指導は受けていないはず。
・西野ジャパン以前にも指導者として、ハリルホジッチジャパンの足りないところや改善法について、当然考えてはいたと思いますが、ただ"練りに練った新戦術"を披露しているという感じは、これもやっぱりしない。
・やはりどちらかというと、"その場"というか一発というか。
・結局まあだから最初に言ったように、「全部」という森保監督の姿勢が、それを可能にしているんだろうというのが、とりあえずの僕の答えです。
・その場にある「全部」を、それが何であろうと極力全て受け入れる包み込む、その先取り的覚悟。
・戦術的蓄積から選手の特性から状況的必然性から、"手持ちの材料全て"、とも言えるし逆に"あるものでやる"とも言えるし。
・とにかく何も否定せず全て活かして、全ての必要性を満たす。
・否定否定で入ったハリルホジッチとは対照的に。(「あの人駄目出ししかしない」by乾inダウンタウンなう(笑))
・現実問題として本当に全てを受け入れられるか全てを満たせるかは、また別でしょうが、とにかく前提的姿勢としてそういうものが強くある。
・だから「世界」と「日本」の見かけ上の(ないしある観点のみからの)対立に惑わされずに、今様ダイレクトサッカーと日本人選手の特質(のある部分)を、あっさり結びつけることが出来た。
・"違い"ではなく"共通性"の方に注目したというか。
・言い方としては"バル"の両氏は「バランス」を好んで使っているようですが、僕はどうもそれだとザッケローニがとろうとして失敗したあれ(笑)や、サンドニ後のトルシエが"とる"ことには成功したけれどなんか凄くつまらないものになってしまったあれとかを思い出すので、あんまり使いたくないですね。単に"中を取る"のとは別でしょというか。
・また今の二つの例でもあるように、"中を取った"ある特定のスタイルというニュアンスも、付きまとう気がします。
・「全方位」なら、まあいいかな?でもなんか右顧左眄している情けない感じも(笑)。それが"使い分け"になるともっと駄目というか、あらかじめ「分断」された"メニュー"の存在を感じさせるので、もっと嫌。それではハリルホジッチのジレンマに戻るだけというか。
・メニューはあってもいいけど、それは一回「全部」受け入れた後で自分で作るべきというか。
・その一つの成果が、例えば今森保ジャパンがやっている攻撃なわけですが。和洋瞬間接着の。(笑)
・だからもう、とにかく「全部」・・・と、森保さん自身が言ったわけではないですが、「発信していただきたい」という言い方の強さには、単に使い分けますよという以上の何か決意が覚悟が、やはり感じられる気がします。
・分断分裂をあらかじめ断固拒否する。
・関連して俄かに強く思ったのは。
・監督森保一が最初に広島でミシャ式改で名を上げた成功したのは、本当に単なる偶然なんだろうなということ。
・言い換えるとミシャ式(改)があったから森保監督の成功があったのではなくて、広島でペトロビッチのチームを引き継ぐという状況に"たまたま"置かれた森保監督が、そこにある「全部」から最も効率の良いものとして選び出した作り出したのが、あのサッカーだったのだろうと。
・全ては環境のなせる業でしかなくて、森保さん自体には何の偏りもこだわりも最初から無い、本当に何でもいい、全てOKの人なのではないか、建前でもかっこつけでもなく。
・そういう意味で、稀有な/珍しい人なのかも。
・勿論"縁"(えん)は"縁"なので、関わったチーム関わった監督からは、とりあえず「特定」の影響は受けてはいるでしょうけどね。ただ基本が圧倒的なニュートラル。底無しのというか。(笑)
・とにかくその森保監督が今、日本(代表)という"環境"に従って行っている作り出しているのが、今目の前にあるサッカー。
・それを党派性で推し測るのは、まるで無意味というか、森保監督に笑われそうというか。
・そもそもよく考えると、前任監督のスタイルを引き継ぐなんてこと自体が、限りなく不可能に近いことなのは、ある程度以上サッカーを見ている人ならば分かることだと思います。
・それが元"コーチ"だろうと"弟子"だろうと、時に"息子"だろうと。(笑)
・その時点で凄いと言えば凄い。普通じゃないというか。
・普通じゃない寛容性と、それによって生まれるそこにあるメカニズムに対する曇りの無い目と。
・勿論単に受動的受容的なだけではなくて、例えば現A代表で言えば、南野のようなハリルは積極的に使わなかった選手を重点的に使うことで、"メカニズム"の促進に成功しているわけです。
・ある意味ハリルより徹底して集中した選手起用というか。
・とにかく何というか、ちょっとしたコロンブスの卵が割れる風景を見せられているような気分になる、現時点の森保サッカー。
・単純で効果的な解決。
・メカニズムの"実体"が見えているから、そして日本人選手の能力を肯定しているから、こういうことが出来るんだろうなという。
・"常識"という傲慢や思想の直輸入という横着にとどまっていたハリルには思いつけない解決、ではありますが、僕自身"ハリル"を見ながら今のようなチームをイメージ出来たかというと出来なかったですから、あんまり偉そうなことは言えない。
・僕も僕なりに、ハリルに"洗脳"されていたんですかね。(笑)
・まあどこまで行くのか行けるのか、「全部」とは言っても単純に"満遍なく"ということではないので、具体的必要性が無ければハリルには無かったけれど森保さんのレパートリーにはあるだろう例えば"ポゼッション"なども、どのような姿で現れて来るのか、その時になってみないと分からない気がしますが。
・勝てるなら別に、今のスタイル一本でも一向に構わないとは思いますが。幸い現時点で既に十分に、僕の"愛国心"も満足しているわけですし。(笑)
・・・いやあ、どうなんですかねえ、"凄い"監督なのか"変わり者"なのか(笑)。今回の煽りを後で後悔することになるのか。
ただ"学ぶ"必要は沢山あるけれど一方で直接の"真似"の色々と難しい日本という国の監督としては、相当得難い人材を半ば偶然/幸運で手に入れてしまったのかもしれないという、そういう予感は無くは無いですね。別に協会が"勝った"訳ではないと思いますけど、でも我々は勝つかも知れない。
まあ偶然は大事ですよ。オフトもトルシエも、実際偶然です(笑)。事が起こる時というのはそんなもの。
見届けたいです。まあ僕ほど風呂敷を広げないまでも、おおかたみんな"見届けたい"気にはなって来たようで、良かったですね、本当に。
キリンチャレンジカップ2018 日本代表 〇4-3● ウルグアイ代表(埼スタ)
・細かいことは色々あるでしょうし"問題点"も現時点でいくつかあるわけでしょうが。
・それよりも何よりも、チームを"手の内に入れている"感が既に半端ないというか"珍しい"と言うべきレベルというか。
・代表カテゴリーで言えば個人的にはそうですね、ほとんどトルシエ以来ですね、サンドニで挫折する前までの。(ないしは年代別チームでの)
・スムーズ、選手の能力と融和的という意味では同じく初期、アジアカップ優勝時のザッケローニとかもそうでしたが。
・あれは正に"融和"というか"寄せて"いるというか、慎重に妥協点を探った結果の産物であって、比べると森保監督の場合は「本意」感が全然違う。
・かと言ってオシムやハリルホジッチのように、権威でやり慣れないプレーに"従わせている"わけでもないし、勿論逆に、アギーレのように遠慮し過ぎでもジーコのように期待し過ぎでもない。
・やりたいことをやって、それが選手個々の自己表現とほとんどずれなく重なってる感じ。
・プレーのクオリティなんてものにはどこまで行っても不満は尽きないものでしょうけど、監督選手関係含めた"チーム"としてのフォームは既にして出来上がってしまっている感じ。
・あと4年も要らないよというか。
・とにかくノーストレスですね、初戦でもこの言葉を使いましたが。
・西野監督との比較は少し難しい(似てるところも一見多い)ですが、あえて言えばあの方の場合は"やりたいこと"が別に無いので(笑)。そういう意味で、最初から比較の対象では余り無い、同じく選手といい関係を形成していても。
・森保監督はあると思います。先行するヴィジョン的なものが。後で言いますが。
・ただそれが選手のパフォーマンスと、ほとんど同時的に実現しているという魔法。
・従っているという意識無く従っているというか。(まあそう見えるだけでしょうけど(笑)。"監督"は監督ですから。)
・でもほんとに予想外で、困ってしまいますね。
・いや、困りは別にしないんですけど。(笑)
・既に何度も言っているように、去年12月のU-20立ち上げ以来のアンダー代表での森保監督の仕事には。
・いい人だし一応結果も出ているから厳しいことは言いづらいけど、正直見るべきものも褒めるところもほとんど無い、ぶっちゃけどこに興味を持っていいのか分からないという、そういう感想を僕は抱いていました。
・しょうがないのでブログを書く時(笑)は、前半は井上潮音、後半は渡辺皓太という自軍選出選手一人のプレーに専ら焦点を当てて、スペースを埋めていた。(笑)
・ところがその後立ち上がったフル代表では、アンダー代表の体たらくはなんだったのかと皮肉でも煽りでもなく(笑)言いたくなる、ほとんど別物の精彩を放つパフォーマンスがいきなり披露されて。
・それに対して僕もフォーメーションの問題やら攻撃の仕方の特徴やら、ようやく"チーム"についての、より正確にはチームの個別の具体的側面・要素についての言及を、えっちらおっちら始めたわけです。
・そして3試合目、"強豪"ウルグアイを大いに慌てさせたこの試合に至っては・・・
・そこらへんのレベルを更に飛び越えて、「森保一」監督とは何者なのか、いったいどういう監督なのか、何か凄く舐めていたかも知れない一回本腰を入れて改めてこの人のことをこの人の可能性を考えてみないといけないかもしれないと、"見るべきものが無い"というスタート地点から遥か遥か彼方に(笑)、いきなり関心が成り上がって来てしまって、まあどうしましょうという感じになっています。
・基本的に"第一印象至上主義"で世を渡っている僕としては、何とも不覚というかやっぱり困るというか。(笑)
・...いや、待てよ?本当の"第一"印象はサンフでの仕事だった、あれについては確かに内容は余りよく分からないけれどとにかく何か端倪(たんげい)すべからざるという印象を感じてはいたから、そういう意味では"至上"は揺らいでいないのかもしれないと自分を落ち着かせつつ。
・あくまでそれとの比較での、アンダー代表の"肩透かし"だったわけだから、うん。(まだ落ち着かせてる)
・とにかくひょっとしたら本当に凄い、少なくとも異例の監督かも知れないと、思い始めている今日この頃です。
・"評価"はともかくとして、そもそも森保監督が何をしようとしているかですが。
・答えは、"全部"。
・何だそりゃという感じでしょうが(笑)、言葉として出ているものとしては、例えばこういうことです。
“代表監督の言葉”が一人歩きする怖さと難しさ…森保監督からメディアへの「お願い」とは(サッカーキング)
「西野朗さんの代表はポゼッションというか、ボールを握って自分たちから攻める姿勢を出すサッカーだと言われていました。でもダイレクトにゴールに向かえるときには、ゴールに向かって素早く攻める。これはサッカーとして絶対にあるところです。そしてボールを保持して主導権を持って戦いたいけれど、ボールを保持する前にはボールを奪い合うところがある」
「守備も前からプレッシャーに行けることもあれば、相手にボールを保持される時間帯もある。奪いに行っても奪えないときは、守備を固めて戦わないといけないときもあります」
「サッカーは攻撃もあれば、守備もあり、速攻もあれば遅攻もあるんだと発信していただきたい」
代表の森保は広島の森保に非ず。「世界」を追いつつ「日本」を見る(フットボリスタ)
浅野「あと一つ言い忘れたのですが、今回の日本代表は『インテンシティ』とか『デュエル』とかわかりやすいキーワードがないじゃないですか。そこも面白いなと。あえて言葉にすれば、『全方位』とか『バランス』がそうなんでしょうけどね」
・全部必要だから全部やる、または全部出来た方がいいから全部やる。
・当たり前と言えば当たり前の話ですし、言うは易く行うは難しという類の話でもあるかも知れません。言葉の上では。
・あるいは「相手や状況に合わせたプレー」というテーマは、ハリルホジッチ時代に散々論じられたものでもあります。
・ただ何でしょうね、「発信していただきたい」という言葉の強さには、そういう常識的正論や直接的な実利以上の何かが、表明されている気がするんですが。
・"バル"の川端浅野対談も、森保さんの一種独特の人物像というか立ち位置を、言語的にはさほど明瞭ではないですが語ろうとしているというか。
・それを探る為に僕が注目したいのは。
・例えば南野、中島、堂安、伊東らが起用された森保ジャパンの1.5~2列目というか3シャドーというか、彼らを駆使して実現された、縦に速く、個人技とインテンシティ(の比重)が高く、ビルドアップやゲームメイクに余り趣向と時間を使わない攻撃スタイル。
・それをもって遅れて来たハリルジャパンだ更には西野ジャパン/JFAスタイルの否定だという言い方をする人も見かけるわけですが。
・確かに現象としては、あるいは現象の一つの側面としては、そういうことは言えると思います。
・ただその一方で僕はそうした彼らの姿に躍動に、何とも懐かしいというか慣れ親しんだというか、あえて言えば"日本的"なものを凄く感じるわけですね。
・"JFA的"と言ってもいい。(笑)
・それは恐らく攻撃のリズム感というかタイミング感というか、プロセスや経由ルートが違っても、共通して表れている何かそういうものだろうと思いますが。
・タンタンタターンと、ここでこういう感じでスピードアップするよね、うん分かる分かるこれ知ってる。(笑)
・何と"共通"するかと言えば、もうほんとに散々コスったネタでいい加減嫌なんですが(笑)、起源としては1999-2001年の西村U-20や2002年の小野トゥーロンU-21の、恐らくは初めて時の代表監督に丸投げではなく"日本"として作ろうとしたJFA"スタイル"。
・具体的には1トップ2シャドーの形を軸に縦に入れたボールに2シャドー+周りの数人が関与して、日本人選手の細かいスキルとアジリティを活かして高速ワンツーや切れ込みで一気に集団的にゴールに迫るスタイル。(参考。これも毎度お馴染み。(笑))
・その際に脈づいているリズム感が、グループベース(西村小野)、個人ベース(森保)という違いはあっても、結局凄く似てるんですよね。
・それは単にここ15,6年、日本人の身体特性生理特性が大きくは変わっていないということを意味しているのかも知れませんが、とにかく結果的に、「日本人の得意な」、昔から最初から得意としていた攻撃の仕方を、大きく言えば森保ジャパンもやっているということ。
・それで成功しているというか。
・ちなみに西村小野ジャパンの直接的な成果自体は、それを引き継いだ山本昌邦によって壊されてしまい、"1トップ2シャドー"の基本形も特にその後の日本の年代別代表サッカーに引き継がれはしませんでしたが。
・ある種の"ツボ"として定期的に、特に攻撃が上手く行っている時には顔を出すリズム感として生き続けているように僕には見えますし、また第二次岡田ジャパン(の前期)や西野ジャパンにおいても、賛否ありつつ顔を出しているものだと思います。
・森保ジャパンの場合は特に、1トップ+複数シャドーが中央狭目に寄って行くスタイル、それが所謂左右"ハーフスペース"へのポジショニングという効果もあるんだという指摘にはなるほどと思いましたが、とくにかく形的にも、オリジナルJFAスタイルに似通っているところがあるのも大きいのかも知れません。
・例えば高速パス交換のリズム時代はトルシエジャパンも持っていましたが、トルシエの場合は中央を経由しつつサイドへサイドへ展開して行く攻撃の仕方が、何より特徴だったので。
・俊輔や三都主をサイドから解放する為に少しだけ1トップ2シャドーもやりましたけど、何かぎこちないというかかえってスピードダウンしていた印象。絡みが遅いので、"1トップ"のゴール前の薄さの方が目立ってしまっていたというか。
・それはともかく森保ジャパンが実現している攻撃の面白さは、つまり"縦に速い"以下略のハリルホジッチ式というか「外来」志向、所謂"世界の潮流"に合わせる系のフォームと、「日本」的JFA的身体性、やり易さ自然性が、同時に実現していること。
・両方満たせればそれに越したことは無い、みんな幸せと、言うは易く行うは難し、しかしそれが妙にあっさり実現している。
・森保監督の"絵に描いた餅"は、何と食える!しかも結構美味しい!(笑)
・真面目な話、逆に言うとこれが、これが満たされなかったことが、ハリルホジッチの攻撃がなかなか成功しなかった身に付かなかった、いつまでたっても「翻訳」調であり続けた、大きな理由でもあると思います。
・所詮生理に裏打ちされない直観に落とせない論理なんて、現実では無力(非力)なわけで。
・言葉にすると同じようなこと(縦に速く云々)をやっているのに、片やハリルホジッチのそれは違和感満点で、逆に森保監督のそれは親しみ深い、"ドメスティック"ですらあるという、面白さ。
・観念は観念、行為は行為、言葉は言葉、意味内容は意味内容ということですか。それらは必ずしもいつも同じようには、"ペア"にはならない。
・観念だけで押し通しても、感性の橋渡しが不在の現実の中身は、いつまでたっても充実はしない。
・...待てよ、ひょっとして山本昌邦の"ダイレクト""15秒攻撃"(参考)というある意味の「正論」が機能しなかった、オリジナルJFAサッカーに対して破壊的に作用したのも、構図としては同じなのではないか、ハリルホジッチは山本昌邦の再来なのではないかないし山本昌邦はハリルホジッチの先触れなのではないか。
・どうでしょうこの新説。気に入ったら是非広めて下さい。(笑)
・まああえて言う必要は無いですが、意外と本気と言えば本気です。
・"違和感"二大巨頭。
・話戻してではなぜ森保監督はそんなことが出来るか、そんないいとこどりの総合(ジンテーゼ)が可能なのかですが。
・2003年まで現役選手だった森保さんが、1999-2002年の年代別代表チームを、見ていたかもしれませんが直接的に関わっているわけはないですし、またコーチとして西野ジャパンの"日本的"アタックのある程度の成功を目撃していた森保さんがその活用を考えているのは確かなようですが(上記"バル"対談)、でもそんな付け焼き刃というか試行錯誤的なものには、どうも実際の森保ジャパンのそれは僕には見えません。何か"一気に"実現している感じ。
・付言すると2002年トゥーロンを率いた小野剛氏は、その後すぐに広島の監督に就任していますが、残念ながら(笑)森保さんは入れ替わりに仙台に移籍してしまっています。広島という縁で何らか接点はあるかもしれませんが、直接的な指導は受けていないはず。
・西野ジャパン以前にも指導者として、ハリルホジッチジャパンの足りないところや改善法について、当然考えてはいたと思いますが、ただ"練りに練った新戦術"を披露しているという感じは、これもやっぱりしない。
・やはりどちらかというと、"その場"というか一発というか。
・結局まあだから最初に言ったように、「全部」という森保監督の姿勢が、それを可能にしているんだろうというのが、とりあえずの僕の答えです。
・その場にある「全部」を、それが何であろうと極力全て受け入れる包み込む、その先取り的覚悟。
・戦術的蓄積から選手の特性から状況的必然性から、"手持ちの材料全て"、とも言えるし逆に"あるものでやる"とも言えるし。
・とにかく何も否定せず全て活かして、全ての必要性を満たす。
・否定否定で入ったハリルホジッチとは対照的に。(「あの人駄目出ししかしない」by乾inダウンタウンなう(笑))
・現実問題として本当に全てを受け入れられるか全てを満たせるかは、また別でしょうが、とにかく前提的姿勢としてそういうものが強くある。
・だから「世界」と「日本」の見かけ上の(ないしある観点のみからの)対立に惑わされずに、今様ダイレクトサッカーと日本人選手の特質(のある部分)を、あっさり結びつけることが出来た。
・"違い"ではなく"共通性"の方に注目したというか。
・言い方としては"バル"の両氏は「バランス」を好んで使っているようですが、僕はどうもそれだとザッケローニがとろうとして失敗したあれ(笑)や、サンドニ後のトルシエが"とる"ことには成功したけれどなんか凄くつまらないものになってしまったあれとかを思い出すので、あんまり使いたくないですね。単に"中を取る"のとは別でしょというか。
・また今の二つの例でもあるように、"中を取った"ある特定のスタイルというニュアンスも、付きまとう気がします。
・「全方位」なら、まあいいかな?でもなんか右顧左眄している情けない感じも(笑)。それが"使い分け"になるともっと駄目というか、あらかじめ「分断」された"メニュー"の存在を感じさせるので、もっと嫌。それではハリルホジッチのジレンマに戻るだけというか。
・メニューはあってもいいけど、それは一回「全部」受け入れた後で自分で作るべきというか。
・その一つの成果が、例えば今森保ジャパンがやっている攻撃なわけですが。和洋瞬間接着の。(笑)
・だからもう、とにかく「全部」・・・と、森保さん自身が言ったわけではないですが、「発信していただきたい」という言い方の強さには、単に使い分けますよという以上の何か決意が覚悟が、やはり感じられる気がします。
・分断分裂をあらかじめ断固拒否する。
・関連して俄かに強く思ったのは。
・監督森保一が最初に広島でミシャ式改で名を上げた成功したのは、本当に単なる偶然なんだろうなということ。
・言い換えるとミシャ式(改)があったから森保監督の成功があったのではなくて、広島でペトロビッチのチームを引き継ぐという状況に"たまたま"置かれた森保監督が、そこにある「全部」から最も効率の良いものとして選び出した作り出したのが、あのサッカーだったのだろうと。
・全ては環境のなせる業でしかなくて、森保さん自体には何の偏りもこだわりも最初から無い、本当に何でもいい、全てOKの人なのではないか、建前でもかっこつけでもなく。
・そういう意味で、稀有な/珍しい人なのかも。
・勿論"縁"(えん)は"縁"なので、関わったチーム関わった監督からは、とりあえず「特定」の影響は受けてはいるでしょうけどね。ただ基本が圧倒的なニュートラル。底無しのというか。(笑)
・とにかくその森保監督が今、日本(代表)という"環境"に従って行っている作り出しているのが、今目の前にあるサッカー。
・それを党派性で推し測るのは、まるで無意味というか、森保監督に笑われそうというか。
・そもそもよく考えると、前任監督のスタイルを引き継ぐなんてこと自体が、限りなく不可能に近いことなのは、ある程度以上サッカーを見ている人ならば分かることだと思います。
・それが元"コーチ"だろうと"弟子"だろうと、時に"息子"だろうと。(笑)
・その時点で凄いと言えば凄い。普通じゃないというか。
・普通じゃない寛容性と、それによって生まれるそこにあるメカニズムに対する曇りの無い目と。
・勿論単に受動的受容的なだけではなくて、例えば現A代表で言えば、南野のようなハリルは積極的に使わなかった選手を重点的に使うことで、"メカニズム"の促進に成功しているわけです。
・ある意味ハリルより徹底して集中した選手起用というか。
・とにかく何というか、ちょっとしたコロンブスの卵が割れる風景を見せられているような気分になる、現時点の森保サッカー。
・単純で効果的な解決。
・メカニズムの"実体"が見えているから、そして日本人選手の能力を肯定しているから、こういうことが出来るんだろうなという。
・"常識"という傲慢や思想の直輸入という横着にとどまっていたハリルには思いつけない解決、ではありますが、僕自身"ハリル"を見ながら今のようなチームをイメージ出来たかというと出来なかったですから、あんまり偉そうなことは言えない。
・僕も僕なりに、ハリルに"洗脳"されていたんですかね。(笑)
・まあどこまで行くのか行けるのか、「全部」とは言っても単純に"満遍なく"ということではないので、具体的必要性が無ければハリルには無かったけれど森保さんのレパートリーにはあるだろう例えば"ポゼッション"なども、どのような姿で現れて来るのか、その時になってみないと分からない気がしますが。
・勝てるなら別に、今のスタイル一本でも一向に構わないとは思いますが。幸い現時点で既に十分に、僕の"愛国心"も満足しているわけですし。(笑)
・・・いやあ、どうなんですかねえ、"凄い"監督なのか"変わり者"なのか(笑)。今回の煽りを後で後悔することになるのか。
ただ"学ぶ"必要は沢山あるけれど一方で直接の"真似"の色々と難しい日本という国の監督としては、相当得難い人材を半ば偶然/幸運で手に入れてしまったのかもしれないという、そういう予感は無くは無いですね。別に協会が"勝った"訳ではないと思いますけど、でも我々は勝つかも知れない。
まあ偶然は大事ですよ。オフトもトルシエも、実際偶然です(笑)。事が起こる時というのはそんなもの。
見届けたいです。まあ僕ほど風呂敷を広げないまでも、おおかたみんな"見届けたい"気にはなって来たようで、良かったですね、本当に。
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