2005年09月12日 (月) | 編集 |
自民圧勝、与党327議席確保 民主伸びず惨敗
岡田民主党代表、辞任を表明
ちなみに昨日「それにしてもこのタイミングで首賭けることはない」と書いたのは、負けるからではなくて例え勝ち目があったにしても”漁夫の利”なんてらしくないからです。もっと愚直できれいごとの、民主党/岡田さんらしい戦いの時にこそ賭けるべき。
まあいずれにしても完全に自民党/小泉ペースで無惨な選挙でしたね。”漁夫の利”に見えたのはとんでもないトラップでした。「小泉の作戦勝ち」という言い方がされますが、それは作戦の上手い方(自民)と下手な方(民主)というよりは、作戦のある方と無い方の勝負だったとそういう言い方をした方がいいと思います。
あるいは「意志」のある方と無い方。表現した方としなかった方。まとめて言うと「作戦という形ではっきり意志を表現した方としなかった方」。そういう意味では妥当ですね、自業自得というか。
技術は高いとかセンスは垣間見えるとか、たまにいいパスを出すとかそんなんじゃ戦えない、問題なのは意志だと、戦う準備だと、持ってるものを表現し切る為の用意だと、普段大悟やヴェルディに呈している苦言が変な所で返って来たようなそんな感じ。
思えば先月の朝生の選挙特集の時から既に変な雲行きで。民主党劣勢、小泉戦略がマスコミを巻き込んで快調に進行中という状況に、マスコミがだらしないと批判・自戒するのはまあいいとしても、実際にはそれを通り越して何とかして小泉/自民党の意図を挫けないか民主党に勝たせられないかと、そんな判官贔屓・バランス感覚という次元を遥かに越えて偏向した空気が暗黙にその場を支配していました。
そのくせ当の民主党議員(蓮紡以下)にはろくに話が振られるわけでも期待が寄せられるわけでもなく。むしろ応援団たる論者・知識人の方が主体という感じで。
なんなんだこれは。選挙するのは誰なんだ。保護者つきの、その保護者の顔ばかりが見える政党っていくらなんでもそれはありなのか。こんなんで勝てたりするのか。さすがに保護者の端くれ(?)たる僕も、かなり不健康な印象を受けたものです。そして結果がこれと。
岡田民主党代表、辞任を表明
ちなみに昨日「それにしてもこのタイミングで首賭けることはない」と書いたのは、負けるからではなくて例え勝ち目があったにしても”漁夫の利”なんてらしくないからです。もっと愚直できれいごとの、民主党/岡田さんらしい戦いの時にこそ賭けるべき。
まあいずれにしても完全に自民党/小泉ペースで無惨な選挙でしたね。”漁夫の利”に見えたのはとんでもないトラップでした。「小泉の作戦勝ち」という言い方がされますが、それは作戦の上手い方(自民)と下手な方(民主)というよりは、作戦のある方と無い方の勝負だったとそういう言い方をした方がいいと思います。
あるいは「意志」のある方と無い方。表現した方としなかった方。まとめて言うと「作戦という形ではっきり意志を表現した方としなかった方」。そういう意味では妥当ですね、自業自得というか。
技術は高いとかセンスは垣間見えるとか、たまにいいパスを出すとかそんなんじゃ戦えない、問題なのは意志だと、戦う準備だと、持ってるものを表現し切る為の用意だと、普段大悟やヴェルディに呈している苦言が変な所で返って来たようなそんな感じ。
思えば先月の朝生の選挙特集の時から既に変な雲行きで。民主党劣勢、小泉戦略がマスコミを巻き込んで快調に進行中という状況に、マスコミがだらしないと批判・自戒するのはまあいいとしても、実際にはそれを通り越して何とかして小泉/自民党の意図を挫けないか民主党に勝たせられないかと、そんな判官贔屓・バランス感覚という次元を遥かに越えて偏向した空気が暗黙にその場を支配していました。
そのくせ当の民主党議員(蓮紡以下)にはろくに話が振られるわけでも期待が寄せられるわけでもなく。むしろ応援団たる論者・知識人の方が主体という感じで。
なんなんだこれは。選挙するのは誰なんだ。保護者つきの、その保護者の顔ばかりが見える政党っていくらなんでもそれはありなのか。こんなんで勝てたりするのか。さすがに保護者の端くれ(?)たる僕も、かなり不健康な印象を受けたものです。そして結果がこれと。
例えばアメリカ政治の常識として、リベラル過ぎる政党/候補者/法案は勝てない、通らないというのがあって、かなりリベラルな立場の米製ドラマ「ザ・ホワイトハウス」では、その苛立ちが随所で表現されて面白かったりするんですが。
そしてそれは”リベラル”という政策の具体的文言の問題であると同時に、究極的にはリベラル精神の担い手たるインテリ/知識人とその臭いに対する最終的なアメリカ選挙民の拒否の問題でもあるわけで。
なかなかそのまんまは日本人には理解し難いですが、ブッシュの「人柄」がアメリカ人には魅力である、政治家としての主要な武器であるというのも背景にはそういうことがあるわけで。切れ過ぎるよりは低脳に近いシンプルの方が断然マシ。むしろいいと。
そして小泉の人気、勝利、今回の選挙結果にもこういう要素は同じようにあると思うんですね。小泉の勝利はインテリ気質の敗北、大衆と知識人の宿命的乖離の一つの結果であると。もう気持ちいいくらい解散当初のマスコミ知識人の期待・予測は外れてしまったわけで。
勘違いしてもらいたくないんですが、これは小泉がポピュリストであるとか日本の有権者が馬鹿であるとか、そういう話ではないんです。馬鹿というなら知識人の方が馬鹿。そんな民主党や状況に対する細々とした配慮で大衆行動が決定されると考えた/期待したのが馬鹿。大きな規模の人の動きはもっと単純で力強いもので決定される。実際にはアメリカ人と比べても日本の選挙民は十分に理性的で、一人一人が総合判断をしているとも思いますし。
とにかく感じたのは文化の違いを越えて「知識人」「インテリ」というような要素が社会の中で占めている位置・比重の儚さみたいなものですね。そしてそのグループの中にはほぼ自分も入ってしまうわけですが。彼らの“馬鹿”はおおむね僕の”馬鹿”でもあると。
・・・・いや、もっと本気で関心のある領域についてなら、僕もそうそう簡単にグルーピングされてしまうようなタマではないという自信はありますが。ただ政治という領域についてなら、現状この程度であるとそういうことで。
ま、なんか寂しかったです。お前なんかマイナーだと、改めてそう宣言されたようで。
テレビの中の誰やかれやも今頃そう感じていることでしょう。(笑)
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そしてそれは”リベラル”という政策の具体的文言の問題であると同時に、究極的にはリベラル精神の担い手たるインテリ/知識人とその臭いに対する最終的なアメリカ選挙民の拒否の問題でもあるわけで。
なかなかそのまんまは日本人には理解し難いですが、ブッシュの「人柄」がアメリカ人には魅力である、政治家としての主要な武器であるというのも背景にはそういうことがあるわけで。切れ過ぎるよりは低脳に近いシンプルの方が断然マシ。むしろいいと。
そして小泉の人気、勝利、今回の選挙結果にもこういう要素は同じようにあると思うんですね。小泉の勝利はインテリ気質の敗北、大衆と知識人の宿命的乖離の一つの結果であると。もう気持ちいいくらい解散当初のマスコミ知識人の期待・予測は外れてしまったわけで。
勘違いしてもらいたくないんですが、これは小泉がポピュリストであるとか日本の有権者が馬鹿であるとか、そういう話ではないんです。馬鹿というなら知識人の方が馬鹿。そんな民主党や状況に対する細々とした配慮で大衆行動が決定されると考えた/期待したのが馬鹿。大きな規模の人の動きはもっと単純で力強いもので決定される。実際にはアメリカ人と比べても日本の選挙民は十分に理性的で、一人一人が総合判断をしているとも思いますし。
とにかく感じたのは文化の違いを越えて「知識人」「インテリ」というような要素が社会の中で占めている位置・比重の儚さみたいなものですね。そしてそのグループの中にはほぼ自分も入ってしまうわけですが。彼らの“馬鹿”はおおむね僕の”馬鹿”でもあると。
・・・・いや、もっと本気で関心のある領域についてなら、僕もそうそう簡単にグルーピングされてしまうようなタマではないという自信はありますが。ただ政治という領域についてなら、現状この程度であるとそういうことで。
ま、なんか寂しかったです。お前なんかマイナーだと、改めてそう宣言されたようで。
テレビの中の誰やかれやも今頃そう感じていることでしょう。(笑)
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