ヴェルディ、代表、二次元、女子バレー 他
(仮説)スペイン人監督の"平面"思考 ~ロティーナ・ヴェルディの総括に替えて
2018年12月20日 (木) | 編集 |
シーズン中には"色々"あった気がするんですが、昇格プレーオフを"勝ち進む"過程で、内容的にも感情的にもあらかた発散・消化・昇華、最後には浄化(笑)されてしまった感じなので、あと何が残ってるだろうと探ってみたらこんなんが出ました。


ロティーナへの期待(予想)と実際

就任当初、2017年のシーズン前、プレシーズンマッチの見聞とその後の複数識者による"あれはポジショナルプレーというものなのだ"という教授を承けて、過去の("ポジショナル"関連の)経験とも照らし合わせて僕が予想・予測したロティーナ・ヴェルディの未来像は、「濃密な組織プレーを堪能しつつ、しかしその濃密さに時に窒息しあるいは密度ゆえの手詰まりに苦しむ状態が長く続く」のではないかというものでした。(『’17ロティーナヴェルディの幻想的予想』 '17.2.20)
クオリティは高そうだけどイライラもしそうだぞと。覚悟を、というか。(笑)

蓋を開けてみたらそれがどうなっていたかと言うと、異論もあるかも知れませんが広く浅く、むしろ「"淡白"な組織プレーの恩恵をそれ自体としては確かに受けつつ、しかし淡白ゆえの詰めの甘さに肩透かしを食らったり物足りなさを覚えることがしばしば」であった、まとめてみるとこんな感じが実際であったように思います。
イライラは確かにした。でもそれは、("予想"で参考にした)李国秀やハンス・オフトのような"頑固さ""融通の利かなさ"にではなく、逆に"意志薄弱"や"優柔不断"に対してという、そういうタイプのものであった。

これが一人ロティーナだけの話なら、ロティーナのいかにも真面目そうな人の良さそうな、目の前の状況にいちいち律義に対応したがりそうな"ケツをまくる"とかいう行動に縁の無さそうな(笑)性格によるものと、理解して済ませたかもしれないんですが。


リカルド・ロドリゲスの栄光と挫折

上のような感じで戦術家・発明家としてのロティーナに割りと早々に興味を失った僕が2017年に専ら熱中していたのが、同じく"スペイン人"監督を迎え入れた、リカルド・ロドリゲスの徳島でした。
ロティーナ同様に"ポジショナルプレー"の基本を踏まえつつ、そのより積極的意志的な活用とそれゆえのディテールの豊かさ、特に崩しのプレーの目を見張る効率性で、僕以外にも(笑)広くマニアを量産した注目の監督でした。かつてのベンゲルやオシムあたりと比べても、ほとんどJ史上ナンバー1クラスのクオリティのソフトを、瞬間瞬間において提供していたと思います。

またスタイルの柔軟性においても、上記識者たちが専ら"ポジショナルプレー"の紹介に用いていたコンテ・チェルシーを地で行く"後方ポゼッションからのハメ手"スタイルに始まり、一転してハイプレスからの攻め倒しスタイル、3バック専門かと思っていたら一夜にしてむしろそっちが専門かとも思えるくらいの熟(こな)れた4バックのチームを披露して見せるなど、ある時期まではほぼ無敵、出来れば今すぐにでもハリ〇ホジッチを追い出して日本代表監督にと、半ば本気で(笑)思わされるくらいの鮮やかな指揮ぶりでした。それが・・・

いつからでしょう、その"万能超人"ぶりが色褪せて見え出したのは。"瞬間"のクオリティは確かに圧倒的だけど、その割に最終結果は大したことが無い場合が多い、取りこぼしも少なくないし、サッカーという(点の入らない)競技の特質でもあるけれど大山鳴動鼠一匹みたいな印象を受けることもままある。あらゆるスタイルを上手にこなすのは確かだけれど、一方でチームの戦闘力の最高到達点は結局どれをやっても特に変わらない、逆に言えば一つしかスタイルが無くてもそのレベルに達することの出来るチームは過去にいくらでもいた気がする。
更に問題なのは、"変化"するのはいいんだけど、総じて拙速というか軽薄/尻軽(笑)にも感じて、なぜそのタイミングでその変化なのかが、見ていて余り納得が行かない。それは恐らくやっている選手たちにしてもそうで、ゆえに段々"変化"が陳腐化して反応が鈍くなって、手を加えれば加える程むしろチームのレベルが下がって行くようにすら、ある時期以降には見えた。最終結果も7位と昇格プレーオフ圏外で、僕が見捨てた(?)ロティーナ・ヴェルディの5位よりも更に下と、何とも予想外の結果となりました。

これは何度も言ってますが、J2の6位にも入れない、各クラブ共通の"第一の目標"としての昇格プレーオフ圏内を逃すというのはどんな運不運を持ち出したとしても言い訳の利かない成績で、とてもこれで"名監督"は名乗れないはず。日本代表?冗談言っては困るよ、やらせてみな?何が何だか分からない内にアジア予選で負けかねないから、と、まあ酷い手のひら返しですが。(笑)
今でも"ときめき"は忘れませんけどね(笑)。人間的にも、好きな監督ではありますけど。
翌2018年は11位、もうほとんどチェックはしてなかったですけど、まあ利かないですねえ、言い訳は。


ロティーナとリカルド・ロドリゲスの共通点

リカルド・ロドリゲスを評した文章の3段落目、特に「あらゆるスタイルを」から「手を加えれば加える程~見えた」あたりは、実はそのままロティーナにも当てはまる話になっていると思います。どっちに言ってるのか分からない感じで書いていたというか。(笑)
違いがあるとすればロティーナの"変化"がどちらかというと障害を回避しよう回避しようという動きであるのに対して、リカ・ロドの場合は挑戦を受けて燃え上がる、"もっともっと"と飽くなき「正解」探求に逸(はや)った末の結果と、そういうあたりでしょうが。結果チームが陥る混乱には、大差は無かった気がしますが。

そうした両者の"共通性"についての、僕のある種の"見切り"コメント。

まずはリカルド・ロドリゲスに対して。

・確かに全方位型全天候型でそれは純粋に凄いと思うんですけど、いくら何でも"秋の空"というか、次の瞬間どんな顔が出て来るのか、未だに予測のつかない感じ。
・いい瞬間は無敵なんですけど、果たしてこのチームがこの先「安定」したり「完成」したりするのか、少なからず疑問なところがあります。
・現在地はどこ?そもそもどこかへ向かっているの?
・(中略)ひょっとしてリカルド・ロドリゲス監督は、ほとんど完全に「理論」だけ「戦術」だけでやってる監督なのかも知れないですね。
(中略)
・だから"ケーススタディ"が延々続くだけで、落ち着きどころが無い。リミットレス。

(『"術"は術、"人"は人。/東京V-金沢(’17)、東京V-横浜FC(’17)』 '17.5.9)


5.9か。そんな早く見切ってたのか(笑)。"フィーバー"は2ヶ月で終わってた。
まあ当初から絶賛しつつも、いやにせっかちな人だなそんな前のめりで"次"に行くことばかり考える必要があるのかという疑問は、口にしてはいましたけどね。

続いてロティーナに対して。
(まあそれ以前から手を変え品を変え言ってはいるんですが)

・そういう人なんでしょう。「平面内思考」の人というか。"成長"や"飛躍"という、(立体的?)強迫観念を持たない人。

(『意外としぶとい。昇格するかも。(笑)/松本-東京V(’17)、東京V-名古屋(’17)』 '17.6.12)



"戦術だけでやっている"リカルド・ロドリゲスと"平面内思考"のロティーナというのは、ほとんど同じことを言ってます。
戦術があるだけでマネジメントが無い、"色々な状況"や"色々な戦術的要素"が並置されている一つの次元、一つの「平面」があるだけで、それらを俯瞰する視点やまとめ上げて一つの全体像やベクトルを形成するような「別の次元」ないし「立体」的な思考の局面が無い。
・・・まあ全然"無い"ことはないんでしょうけど、薄いというか"独立"した要素、監督の仕事の独立した局面とは、ほとんど考えられていない感じ。言い換えると「戦術要素」や「状況」の寄せ集まったものが即ち(サッカー)「全体」であり「チーム」であるという感覚。・・・やや揶揄的に例えると、グーとチョキとパーの閉じた円環(平面)を永久にぐるぐる回っているイメージ。それがリカ・ロドやロティーナのチーム(作り)から、僕が受けていた印象。

日本の、あるいは世界的に見ても通常のないし伝統的な「監督」の仕事とは、むしろ俯瞰する方まとめる方、まとめてチームをある方向に導いたり諸要素の雑多な集合体という以上の何かに"完成"させたりすることの方だと暗黙の裡にみなされていて、戦術的知識などはあるに越したことはないけれど無くても、あるいは多少粗くても出来る、逆に知識だけあっても監督は出来ない、それは"コーチ"の方の仕事だと、そういう認識がむしろ普通なのではないかと思います。
どれをするかというよりも、"最終的"にチームを仕上げるのが仕事で、責任を持つのもその部分、その為にある戦術要素が必要なら使うし、必要でなければ使わないし、必要であっても手元に無ければ別の要素で代用する、とにかく問題は仕上がりと。

"考え方"自体は色々あるでしょうし、"manager"や"coach"という用語法の問題含めて、現実に色々なケースはあるだろうと思います。また昨今のサッカーの理論的緻密化によって、"coach"ingの重要度が増す傾向にあるのも確かなんでしょう。
ただ問題はそういう一般論ではなく、現実のリカロド徳島やロティーナヴェルディを見ていて、僕が欠落している・足りないと感じたのが、そういう"まとめる"メタ的な要素だったということ。(彼らが専ら住まっている"平面"や"単一次元"に対して)

"勝つ"為に。より強くなる為に。優勝や昇格を勝ち取れるレベルにまでチームが成長する為に完成する為に。
逆に言うと、リカ・ロドやロティーナ程のソフト力があって、何であんなに徳島やヴェルディは弱かったのかという話でもあります。その違和感。もっとショボいソフト(笑)でもあの程度の強さのチームなら作れるし、逆に例えば岡田監督のような剛腕マネージャーや反町監督のような勝負師がリカ・ロドやロティーナ並みのソフトを手にしていたら、もっと悠々と勝っていた遥かに強いチームを作っていただろうと、身贔屓抜きで思ってしまいます。(日本人監督の範囲で言っても)

効率悪っ!という。やっぱり大山鳴動鼠一匹だなという。(笑)


[補]
何が監督の仕事の"通常"かというのを僕が決めてしまうのもあれなところもあるので、少なくとも二つの(or"二段階"の)別な職能があり得るという視点は、例えばこういう話。

浅野「そのアトレティコは西部さんの『シメオネは創業者後継者の一人二役をやっている』という視点が面白かった。クライフやサッキといった改革者よりも実はシュテファン・コバチやカペッロといった後継者が結果を出しているという法則。Jリーグも川崎フロンターレで風間監督の後の鬼木監督、サンフレッチェ広島でミシャ監督の後の森保監督が結果を出していますが、厳しく詰めた後にゆるめるといいバランスになる」
(『代表の森保は広島の森保に非ず。「世界」を追いつつ「日本」を見る』footballista)


"サッキの後のカペッロ"の印象は強烈でした。"勝たせる"ってなんだろうと、考えさせられました。
国内だと磐田におけるオフト("創業者""改革者")とその"後継者"たち(スコラーリ、バミール、桑原隆)の関係性が、印象的でしたか。
今回の文脈に引き付けて言うと、戦術で勝つのではなくて、戦術を"使って"勝つということ。戦術"も"と言った方が分かり易いですかね。監督の仕事は戦術を作ることではなくて、勝たせること。当たり前ですが。


話戻して・・・

「平面」ということ。

やや蛇足っぽいですが、もう少し説明しておきたいかな?

例えば"対処""対処"の細切れ的チーム作りと言えば、近年ではやはりハリルホジッチ元日本代表監督の印象が強烈かつ論争的であったわけですが、でもハリルに対して「平面」という印象は僕は受けないんですよね。さりとて「立体」でもない。
では何かと言えば・・・"要所"かな?彼にとっての。図形ではなくてポイント。そこを押さえることにしか関心は無くて、勝負に、ひいてはサッカーに必要なものはそれだけだと思っている。それで足りるというか。それ以外のディテールやニュアンスには興味が無いし、そもそもサッカーがどのような全体像を持っているか持ち得るかなどにも、特に関心は無い。

対してリカ・ロドとロティーナの両スペイン人監督については、上で「全体像(観)が無い」という意味の指摘(批判?)を僕はしましたが、ハリルに比べれば実はそうでもないところがあって、つまり少なくとも「平面」という形の全体像世界像は持っていると思うんですね。・・・球体だろうと亀の背中に乗った円盤だろうと、"地球"(大地)の全体的なイメージであるには違いないわけで、そういう意味でね(笑)。ハリルにはそもそも地球という概念自体が無さそう。(笑)
だから全体観自体は実は持っている、漠然とかも知れないですけど。ただそれが妙に限定的で不完全・・・というか包括性のレベルの低いものに、僕の目には映る。僕が当たり前だと思っていた、既知のそれに比べて。サッカーにおける。
「平面」内は丁寧に網羅的にやる(ハリルに比べて)、ただその"外"や"上"やそれ"以外"についての視点が無い。意識的には。



本当なのか?(なぜなのか)

ねえ?(笑)

以上、たった二例の観察結果から述べてはみましたが、そう感じたこと自体に嘘は無いにしても、さすがに情報量が少な過ぎてこれにて一件落着というわけには自分でも行かない感じ。

ちなみに僕の"スペイン"サッカー、リーガ・エスパニョーラの観戦経験はと言うと、正確なところは覚えていませんがJスポーツが放映権を持っていた最後の2,3年、00/01~02/03シーズンあたりは、バルサを中心に割りと毎節きっちり見ていたはず。WOWOWに移ってからはごくたまに、DAZNが手に入れてからは多少は増えたけれど大して見てはいない。
ともかくその範囲内で、スペイン人(監督)のサッカー観が"平面"的だなどと感じたことは特に無いです。あくまでJリーグという舞台で、直接的には主に日本人監督との比較の問題として、強く感じただけで。まあスペインだと当然ほとんどが"スペイン人監督"ですから、どのみち違いや不足に気付く機会もなかなか無いだろうことは、想定出来ますが。

余りに例が乏しいのでもう一つ足してみると(笑)、'98年に横浜フリューゲルスの監督を務めたカルロス・レシャックにも、強いて言えば似たものを感じないことは無かったですね。戦術自体は一本調子な人なので"じゃんけん"という感じは無いですが、永井秀樹三浦淳宏らの個人技を素直に活かしたと言えばそうなんですが、余りと言えば余りな"並べた"だけ、個人技の単純足し算でチームを作る感じは、日本人でも相当に"無能"なレベルの監督しかやらないような類のもので、レシャックの場合は"無能"というより"無頓着"、足し算で何が悪いそれが目に見える全てだろうと、気にも留めていない感じがカルチャーショックではありました。当時はスペインサッカー自体特に世界で一流という定評があったわけではないので、僕も端的に「何だこの単細胞の野蛮人は」と、どちらかというと軽蔑的にそのチーム作りを眺めていた記憶があります。(笑)
要は"チーム"という抽象レベルを、特に想定していない感じ、単一次元内の諸要素の合算しか考えていない感じが、リカ・ロド/ロティーナと通じると言えば通じる。

後はマリノスのアスカルゴルタという人もいましたが・・・。うーん、特に何も覚えてないんですよね。"マリノスの監督"らしい渋いチーム作りをしているという印象しか。なんかマリノスの監督をやると、日本人でもナニ人でもみんなおんなじ感じに見えます(見えました)。さすが伝統の力というか。

まあともかくリカルド・ロドリゲス、ロティーナ、レシャックの3例でとりあえず話を進めてみますが、まず民族というかDNA的な理由を想定しようとすると、新大陸に渡ったスペイン"系"のアルゼンチン人監督たち、アルディレスやエスナイデルには全くそういう上品な(平面的な)完結性は感じない、むしろ"野放図"な感じすらするので(笑)、却下かなと。
では文化レベルなのかなと考えてみると・・・あれなんですよね、レシャックはカタルーニャ、ロティーナはバスクという"異質"スペインの両巨頭出身で、一方リカルド・ロドリゲスはオビエド出身、こちらは"ザ・スペイン"のカスティーリャの大きくは一部のようで、3人ともバックグラウンドは全然違う

・・・で、逆にそれがヒントになるかな?とも思ったりします。
つまり"スペイン"自体がこのように、異質な諸要素異質な文化が常に並列的に拮抗し合う"グー・チョキ・パー"な世界で、そこにおいて専ら意識されるのは、それら"並列的な諸要素"を載せた一つの「平面」としてのスペイン世界。それらを俯瞰してまとめ上げた、"スペイン国家"というメタレベルではない
当然思考習慣としても、まず同一平面の隣人や他者との関係性をどうするかということに終始して、それ以上のことにはなかなか思い至らない。逆に日本人が(例えば)"日本国"という抽象レベルをすぐに考えられるのは、日本が統一性を常態としている国だからだ。・・・もっともらしいでしょ?らしくないですか?(笑)

「日本」と「スペイン」二国の比較で言えば、割りとこういうことは言い易いし、それなりの説得力も持つような気はしますが。
ただ実際に僕が感じたのは、なんだかんだと色々な国籍文化の監督たちがひしめき合って来たこのJリーグにおいて、"特に"スペイン人監督たちが感じさせた特有の「平面」性ということなので、さてどうか。

確かにスペインの"分裂国家"性というのは、(モロ内戦状態とかいうのを別にすれば)世界でもかなり際立ったものではあるので、それなりに立脚点として使えそうではあります。
問題はまず僕がスペインサッカーにそれほど馴染みがあるわけではないので、そういう特徴が歴史的にどのように表れてどのように影響しているのかという展望を、かりそめにも現状持っていないということ。
またそれと関連しますが、レシャックは置いておくとしても直近リカ・ロドとロティーナが示している閉鎖体系ぐるぐる性が、上でも少し言った近年のサッカーの理論的緻密化によって"閉鎖体系"の「中身」が充実した、それゆえに特に浮上している可能性があること。・・・つまり"ぐるぐる"だけでもそれなりに座が保(も)つようになったということ。(笑)

更に更に関連して別角度からの連想としては、逆に世界のサッカー自体/全体が、グローバル化によって常時"隣人""他者"を意識するようになり、言わば丸ごと"スペイン"化することによって"ぐるぐる"の比重が高まった、そういう可能性。
自己認識や自己鍛錬よりも、他人への直接的対処が優先されるようになったというか。

・・・まああんまり広げてもなんなので、これくらいにしておきますが。


どうですかね。どれくらい納得出来ますかね。(笑)
僕自身もまあ、ちょぼちょぼではあります。
自分の感じたことは感じたことだし観察自体がそう的外れとは思っていないんですけど、それとそのことについての"説明"が正しいかどうかは別の問題なのでね。(笑)
嘘から真も出るけど、真から嘘も出る。

とりあえず来年、セレッソという新たな環境を得たロティーナの仕事ぶりが、どのように目に映って来るのか、楽しみではあります。基本変わらないような気はするんですけど、でも予想外のことは常にあるので、期待しつつとりあえずさようなら。
リカ・ロドさんはどうすんの?


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テーマ:Jリーグ
ジャンル:スポーツ
コメント
この記事へのコメント
No title
ハリルに関して謝った認識をされているようなのでリンク先の記事を見て少しは学んだ方がいいですよ。

無知は恥ずかしいですからねえ。
2018/12/21(Fri) 08:41 | URL  | サッカーを知りましょう #-[ 編集]
No title
まず「無知」ということと「誤」(謝)っているということは少し違うと思います。ある知識からどのような認識・理解・解釈をその人が抱くかは、一義的には決まらないからです。

そしてガゼッタさんのブログも読みましたが、その内容のどこら辺がどのように具体的に僕がここで書いていることの「誤」りの指摘になっているのか、分かりませんでした。書いてある内容自体に、僕自身特にはっきり反対の部分も見当たりませんでしたし。
いずれにしても、それはあなた自身の言葉で説明すべきことのように思います。

要はあなたは「謝」ってもらいたいだけなんじゃないでしょうか、感情的に。僕がハリルホジッチをやや揶揄的なトーンで取り上げたことを。
ちなみに僕がここで書いていることは、直接的にはハリルホジッチの「批判」ではありません(リカ・ロド、ロティーナに対しては実効性の観点から一部批判になっているかも知れません)。単に色々な世界観サッカー観があるということを、言っているだけです。

以上マジレスでした。
2018/12/21(Fri) 12:19 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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