2019年02月03日 (日) | 編集 |
カタールは"オフト"ジャパンなのか"トルシエ"ジャパンなのかということを言っていましたが、どちらかというと"トルシエ"の方のようでしたね。
アジア杯2019決勝 日本代表 ●1-3〇 カタール代表(Zayed Sports)
せいぜい"オフト"ジャパン程度のものだろうと、正直そこらへんについては、僕も舐めていました。
・この感じだとあれですね、準決勝0-4負けのザックも、要するに「時代遅れの監督」としてボコられたくさいですね見てませんが。
・勿論我が軍も。(笑)
・カタールが"トルシエ"だと言うのは、要するに(W杯自国開催を前提として)一人の監督による育成年代からの継続的な強化に基づいた、「アジアの中の欧州」という2000年アジア杯でトルシエジャパンが受けた評価を同様に受けたチームという、そういうことですが。
・その、他のアジア諸国とはあからさまに違った、水際立ったオートマティックな機能性と共に。
・ただ正直言うと、もう少し"差"は大きいかなと、あの時に比べても。
・あの時は要するに"スムーズ"で"効率的"過ぎて速度的に他国の対応が追い付かないという、そういう感じでしたが。
・でも今回の、相手が"何"をやっているのかそもそもよく分からない、どう対処していいか分からないという"立ち往生"感は、極端に言うと遥か遡って、昔"フジテレビ739"(懐)で見た、74年W杯でオランダトータルフットボールと対峙させられた時のブラジル代表の哀れな姿とかの方を、体感的には思い出しました。
・その中でも散発的にはチャンスを作り出してしまう"個人技"の威力も含めて、日本が「アジアのブラジル」になった瞬間というか。(笑)
・...とまあ、つい悲観的になりがちではありますが、ただじゃあカタールの上位互換であろうW杯のベルギー代表に、西野ジャパンがそこまで立ち往生したかというとそんなことはないわけで。
・やはり森保ジャパンの方の準備・対処の失敗、あるいは(西野ジャパンには無い)森保ジャパン特有の問題が存在するはずと、論理的には考えられるはず。
・もうちょっと多分、やりようはあったんでしょう、手持ちのカードでも。
・それにしても、それに関連して、
・と、この記事に見られる「監督」と「選手」の余りにも"対等"な関係は、どういうことかと思ってしまいますが。
・選手の自主性も意見具申も独自対処もそれ自体は必要なことだとは思いますが、この書き方乾の言い方だと、余りに監督と選手の責任が「対等」過ぎる、そんな馬鹿なと思ってしまいますが。
・チーム修正の責任も権限も、明らかに本来は監督のもので、選手側の発露はそれを補うなり監督が決定し切れない間の緊急的時間限定的性質のものだと思うんですが、このチームではそうではないのか。
・加部究『日本サッカー「戦記」』より。
・前に紹介した柱谷哲二"キャプテン"による、キャプテンの限定的職責論ですが、これくらいのバランスが正常だと僕も思うんですが、そうではないのか。
・これがいわゆるザックジャパン的な、「監督と選手の関係の崩壊・混乱」の風景として描かれているのならまだ分かるんですが、見たところ至って"平和"な感じなのが悩みどころ。(笑)
・まあ乾は割りと勝手に喋っちゃうタイプではありますけどね。
・森保監督が"寛容"な性格であっても、結果的に選手の意見をよく取り入れたとしても、それ自体は別にいいわけですけど。
・ただ選手が試合やチームに対して監督と全く同等の、あるいは同"質"の責任を引き受けてしまっているとしたら、それはやはり違うだろうと。
・監督の"寛容"は、あくまで「監督」としての寛容であるべきで、そこにある一線については選手監督双方が意識しているべきだと思います。
・勿論全く新しい組織論として、チーム運営論として、それが意図されているのなら僕もとやかく言いませんし、その帰結を見守るだけですけど、ただそう"なっちゃって"るんなら問題な気がしますね。
・森保ジャパンがよく言われるように、部分部分を選手に"委ねる"「方法」を特徴としていたとしても、"どこ"を"どのように"委ねるのかは、ちゃんと意識されているべき。
・そうじゃないと監督がいる意味が余りにも薄い。
・増して森保ジャパンの根幹は森保監督の"戦略"性だと言われているわけですから、ある部分ではむしろ、"鉄の規律"が必要なんですよね、選手が監督の駒として動く。
・そこらへんはどうなんだろう、森保監督自身、「方針」と「性格」の間で揺れていたりするのかなと、少し心配な部分も。
・まあこの試合は特に、監督が"やられ"ちゃった試合だからなのかもしれませんが。
・...いやあでも、上の記事の前後も見ると、乾を筆頭とする欧州選手たちのサッカー知識・見識が、監督と同等かそれ以上であることが、何やらチームの中で公認の事実であるように読めたりもするんですが。
・そうであるなら監督の最高権限、そもそもの"戦略"の決定自体に今後選手の意見が常時対等の重みで入って来る、そんな光景も見えて来なくはないと思うんですが。むしろ論理的には。(笑)
・そんなんありなの?そんな組織論、そんなチーム運営。
・更に言うならば、そんな"革命"すらも「寛容」で森保監督が呑み込めてしまったりとか。
・それは新し過ぎる。独自過ぎるというか。正にジャパンウェイというか。
・天皇制ですかという。(笑)
・それで結果強かったら、全然笑い事ではないですけどね。その時こそハリルホジッチ排斥が、完全に正当化されるというか。
・どうなんでしょう(笑)。どうなるんでしょう。
・気を取り直して(笑)、この"惨敗"後の森保ジャパンがどうすべきかということを一応考えてみると。
・まあ大部分は、「何が出来るか」という方の問題な気がします。
・スカウティングについては引き続き丁寧にやる、ただやったとしても、戦"術"的にストレートにはそれに対応出来ない、そういうケースが今後相手のレベルが上がると増える、そういう可能性も低くないと思います。
・監督が替わらない限りね。どんなに批判されても、無い袖は振れないわけですから。
・まあその"袖"を選手が代わりに"振る"可能性を、上では示唆したわけですけど・・・。とりあえずそれは忘れましょう。
・ともかく術で対応出来ないなら略でやる、つまり割り切った戦いで相手の土俵に極力乗らない、そういう方法が一つある、というかまあそれが一つの常識。
・例えばシティと対する時のプレミア中下位のチームのように。
・実際出来るのはそれくらいだろうと思うので、後はまあ頑張って下さいとしか。個別のケースについてはまたその時考えましょうというか。
・それこそサウジ戦は、それに"成功"したと言えばしたんでしょうし。
・で、それはそれとして、森保ジャパンが森保ジャパンとしてやるべきこと考えるべきことも、まだあるにはあると思います。
・"任せる"のはいい。ただ"任せる"領域の確定・制御については、もう少し詰める必要があるでしょう。
・どこからどこまで任せるのかが分からなくて結果それがなし崩しに広がってしまったのかザックジャパンの"崩壊"だったと、それはまあ今まで何度も示して来た認識ですが。
・それはやめてくれと。
・そしてプレーの細部についても、もう少し詰める必要があるというか"詰める"領域を広げるべきだと思いますね。
・具体的には、"縦に速い"のはいいんだけど、その縦パスの出し方、パサーとレシーバーの関係が、余りにてきとー過ぎると思います。
・毎度毎度即興でえいやーでは、結局"必殺スルーパス"に頼った中盤サッカーと同じことになって、「縦の速さ」が本来持つはずの"リスク回避"のメリットが無くなってしまう。
・結局はだから、「組み立て」の問題になると思いますけどね。
・中盤サッカーではない、ポゼッションサッカーではない、それはまあいい。
・ただそれはそれとして、チームとしてのビルドアップ、縦パスを出す受ける通すメカニズムの構築自体は、必要だしする余地があると思います。
・このサッカーであっても。
・局面のプレーがチームとしての良さを裏切っているようで、凄く見ていて勿体なく感じるんですよね。
・あるいはせっかくの個々の選手のスキルの高さを、"活かす"のではなく"頼る"形になっちゃってるのか。
・それなりの発射台を用意してあげれば、たいていの相手を破壊出来る威力の武器を、いくつも持っているわけですから。
・そこらへんで多分、当初から「青山敏弘」の起用に僕は難色を示していたんだと思います。嫌な予感を感じていたというか。
・そこは"任せ"ちゃいかんところだと思うぞ森保監督という。致命的な歪みの元になりかねないところというか。
・むしろ青山も柴崎も"使わない"前提で、組み直してみるべきではないのかなと。少なくともフラットに。
・はっきり言って、ボランチのところが一番駄目というか"古い"んですよね、ある種突出して。
・上で書いているようにU-22の時はそれほどそういうことは感じなかったので、注目度が高くてなるべくすぐに結果が欲しいフル代表が始まって、少し焦ってしまったのかなと思わないでもないですが。
・だから初心(&虚心)に返ってアンダー代表で一回頭の整理を・・・とまた言いかけましたが、それぞれの次の試合が両方とも3/22からなんですね。(キリンチャレンジコロンビア戦とAFC U-23選手権タイ2020予選)
・良くない日程だなあ、その場合は当然フル代表の方に行くんでしょうし。
・何の為の「兼任」だよ。
・まあコパアメリカもあるので手は抜けないんでしょうけど。
・最後にこの試合のエキストラな感想。
・ポジショナルって、やっぱりちゃんとやれば効くのね?(笑)
・いや、こういうことを書くとまた緑サポの機嫌を損ねるかもしれませんが(笑)、ロティーナに二年付き合った後だと、逆にどうも有難みが分からなくなっているところがあったので。(笑)
・万能でも究極でもないとしても、とりあえず手がかりとしてやはり十分に頼れるものではあるらしいと、少しほっとしました。
・いざとなればハイプレスショートカウンターやっとけば格好がついたように、いざとなればポジショナルやっとけばとりあえず形にはなるらしいと。
・色々一緒にするなと言われそうでけど。(笑)
・サウジやカタールに出来る程度のことは、日本だって状況が整えば出来ますよね当然。そんな大騒ぎするほどのことでは、本質的にはない。
・その"状況"の一つについて。
・確かに日本は"ハリルホジッチ"を拒絶しましたが、一方でハリルの「縦に速く」「相手に合わせる」という発想自体は、クオリティに不満はあれど今の森保ジャパンにも受け継がれてはいるわけです。"提言"は受け止められたというか。
・どこまでが「計画」なのかどこからが「森保監督」個人の資質なのかは、おくとしても。
・ただスルーされたのはそのハリルホジッチのサッカーの"背後""前提"にあった、ポジション中心のサッカーの捉え方で、ではそれを直接的に日本サッカー(とあえて言いますが)が拒絶したのかというと、そんなことは別に無いと思うんですよね。
・単に隠れていた、よく分からなかったんですよ。
・その後ペップの英名と共に「ポジショナルプレー」という形で主題的に入って来た時に、初めて理解する経路が開かれたということでもありますし。
・またハリルホジッチ自身、"常識"だと結論的に臭わせるだけで、主題的にこちらに分かるように語っていたとは思えない。
・更に言うと世代的にも(ペップより)一回り古い監督ですし、理解や位置づけもより限定的なものだったのではないかと、思ったりもします。
・あるいは"相手に合わせる"というあえて言えばハリルの個人的"好み""目的"に対して、従属的手段的な範囲での理解・位置づけ。
・ここらへんについては正確には詳しい人に聞いてみないと分からないですが、とにかく別に「主題」的に、日本人は"ポジション"を拒否したわけではないと思います。
・当座出来なかったから何言ってるかよく分からなかったから、スルーしただけで。
・分かるように言ってくれれば、分かる。(笑)
・だから「今」なら、「これから」なら、また話は別ではないかなと。
・それでどうなる、やるのか出来るのかどうやるのか、やったら何が解決するのか、それはまた別として。
・誰かの明確な"悪意"を想定しなければ、そういうことではないかと。
・"嫌悪"はあったでしょう、感情は。反発は。ハリルホジッチ個人に対して。それを感じるから、しつこく(協会を)恨む向きも未だ絶えないわけですけど。
・ぶっちゃけどちら側の気持ちも僕は分かってしまうんですが。反発もしたし、一方で恨んでもいる。(笑)
・でもまあ、そんな動機でいつまでも物事が動くとは思えない。
・そういう少し、楽観的な話です。
アジア杯2019決勝 日本代表 ●1-3〇 カタール代表(Zayed Sports)
せいぜい"オフト"ジャパン程度のものだろうと、正直そこらへんについては、僕も舐めていました。
GK 権田
DF 酒井宏、吉田麻、冨安、長友
MF 塩谷(→84'伊東)、柴崎、堂安、原口(→62'武藤)
FW 南野(→89'乾)、'大迫
・この感じだとあれですね、準決勝0-4負けのザックも、要するに「時代遅れの監督」としてボコられたくさいですね見てませんが。
・勿論我が軍も。(笑)
・カタールが"トルシエ"だと言うのは、要するに(W杯自国開催を前提として)一人の監督による育成年代からの継続的な強化に基づいた、「アジアの中の欧州」という2000年アジア杯でトルシエジャパンが受けた評価を同様に受けたチームという、そういうことですが。
・その、他のアジア諸国とはあからさまに違った、水際立ったオートマティックな機能性と共に。
・ただ正直言うと、もう少し"差"は大きいかなと、あの時に比べても。
・あの時は要するに"スムーズ"で"効率的"過ぎて速度的に他国の対応が追い付かないという、そういう感じでしたが。
・でも今回の、相手が"何"をやっているのかそもそもよく分からない、どう対処していいか分からないという"立ち往生"感は、極端に言うと遥か遡って、昔"フジテレビ739"(懐)で見た、74年W杯でオランダトータルフットボールと対峙させられた時のブラジル代表の哀れな姿とかの方を、体感的には思い出しました。
・その中でも散発的にはチャンスを作り出してしまう"個人技"の威力も含めて、日本が「アジアのブラジル」になった瞬間というか。(笑)
・...とまあ、つい悲観的になりがちではありますが、ただじゃあカタールの上位互換であろうW杯のベルギー代表に、西野ジャパンがそこまで立ち往生したかというとそんなことはないわけで。
・やはり森保ジャパンの方の準備・対処の失敗、あるいは(西野ジャパンには無い)森保ジャパン特有の問題が存在するはずと、論理的には考えられるはず。
・もうちょっと多分、やりようはあったんでしょう、手持ちのカードでも。
・それにしても、それに関連して、
「なかなか外から指示も出せなかった。でも、もっと言うべきやったかなというか、2失点目が入る前に言うべきやった。ベンチメンバーも甘かった」(乾)。
「ベンチメンバーが俺も含めて『あのプレッシャーのかけ方じゃダメ』ってことを気付いていたのに言わなかったのは自分たちのせいって言いましたし、監督は逆に同じことを『自分のせいだ』と言っていました」。(ゲキサカ)
・と、この記事に見られる「監督」と「選手」の余りにも"対等"な関係は、どういうことかと思ってしまいますが。
・選手の自主性も意見具申も独自対処もそれ自体は必要なことだとは思いますが、この書き方乾の言い方だと、余りに監督と選手の責任が「対等」過ぎる、そんな馬鹿なと思ってしまいますが。
・チーム修正の責任も権限も、明らかに本来は監督のもので、選手側の発露はそれを補うなり監督が決定し切れない間の緊急的時間限定的性質のものだと思うんですが、このチームではそうではないのか。
・加部究『日本サッカー「戦記」』より。
取り敢えずリーダーが[例えば]引いて守らせる。それからワンプレー、ツープレー終わった後に、監督が引かないでプレスをかけろと言うなら、それでいいんですよ。とにかく間違ってもいいから同じ方向を向かせる。それが大切です。
・前に紹介した柱谷哲二"キャプテン"による、キャプテンの限定的職責論ですが、これくらいのバランスが正常だと僕も思うんですが、そうではないのか。
・これがいわゆるザックジャパン的な、「監督と選手の関係の崩壊・混乱」の風景として描かれているのならまだ分かるんですが、見たところ至って"平和"な感じなのが悩みどころ。(笑)
・まあ乾は割りと勝手に喋っちゃうタイプではありますけどね。
・森保監督が"寛容"な性格であっても、結果的に選手の意見をよく取り入れたとしても、それ自体は別にいいわけですけど。
・ただ選手が試合やチームに対して監督と全く同等の、あるいは同"質"の責任を引き受けてしまっているとしたら、それはやはり違うだろうと。
・監督の"寛容"は、あくまで「監督」としての寛容であるべきで、そこにある一線については選手監督双方が意識しているべきだと思います。
・勿論全く新しい組織論として、チーム運営論として、それが意図されているのなら僕もとやかく言いませんし、その帰結を見守るだけですけど、ただそう"なっちゃって"るんなら問題な気がしますね。
・森保ジャパンがよく言われるように、部分部分を選手に"委ねる"「方法」を特徴としていたとしても、"どこ"を"どのように"委ねるのかは、ちゃんと意識されているべき。
・そうじゃないと監督がいる意味が余りにも薄い。
・増して森保ジャパンの根幹は森保監督の"戦略"性だと言われているわけですから、ある部分ではむしろ、"鉄の規律"が必要なんですよね、選手が監督の駒として動く。
・そこらへんはどうなんだろう、森保監督自身、「方針」と「性格」の間で揺れていたりするのかなと、少し心配な部分も。
・まあこの試合は特に、監督が"やられ"ちゃった試合だからなのかもしれませんが。
・...いやあでも、上の記事の前後も見ると、乾を筆頭とする欧州選手たちのサッカー知識・見識が、監督と同等かそれ以上であることが、何やらチームの中で公認の事実であるように読めたりもするんですが。
・そうであるなら監督の最高権限、そもそもの"戦略"の決定自体に今後選手の意見が常時対等の重みで入って来る、そんな光景も見えて来なくはないと思うんですが。むしろ論理的には。(笑)
・そんなんありなの?そんな組織論、そんなチーム運営。
・更に言うならば、そんな"革命"すらも「寛容」で森保監督が呑み込めてしまったりとか。
・それは新し過ぎる。独自過ぎるというか。正にジャパンウェイというか。
・天皇制ですかという。(笑)
・それで結果強かったら、全然笑い事ではないですけどね。その時こそハリルホジッチ排斥が、完全に正当化されるというか。
・どうなんでしょう(笑)。どうなるんでしょう。
・気を取り直して(笑)、この"惨敗"後の森保ジャパンがどうすべきかということを一応考えてみると。
・まあ大部分は、「何が出来るか」という方の問題な気がします。
・スカウティングについては引き続き丁寧にやる、ただやったとしても、戦"術"的にストレートにはそれに対応出来ない、そういうケースが今後相手のレベルが上がると増える、そういう可能性も低くないと思います。
・監督が替わらない限りね。どんなに批判されても、無い袖は振れないわけですから。
・まあその"袖"を選手が代わりに"振る"可能性を、上では示唆したわけですけど・・・。とりあえずそれは忘れましょう。
・ともかく術で対応出来ないなら略でやる、つまり割り切った戦いで相手の土俵に極力乗らない、そういう方法が一つある、というかまあそれが一つの常識。
・例えばシティと対する時のプレミア中下位のチームのように。
・実際出来るのはそれくらいだろうと思うので、後はまあ頑張って下さいとしか。個別のケースについてはまたその時考えましょうというか。
・それこそサウジ戦は、それに"成功"したと言えばしたんでしょうし。
・で、それはそれとして、森保ジャパンが森保ジャパンとしてやるべきこと考えるべきことも、まだあるにはあると思います。
・"任せる"のはいい。ただ"任せる"領域の確定・制御については、もう少し詰める必要があるでしょう。
・どこからどこまで任せるのかが分からなくて結果それがなし崩しに広がってしまったのかザックジャパンの"崩壊"だったと、それはまあ今まで何度も示して来た認識ですが。
・それはやめてくれと。
・そしてプレーの細部についても、もう少し詰める必要があるというか"詰める"領域を広げるべきだと思いますね。
・具体的には、"縦に速い"のはいいんだけど、その縦パスの出し方、パサーとレシーバーの関係が、余りにてきとー過ぎると思います。
・毎度毎度即興でえいやーでは、結局"必殺スルーパス"に頼った中盤サッカーと同じことになって、「縦の速さ」が本来持つはずの"リスク回避"のメリットが無くなってしまう。
・結局はだから、「組み立て」の問題になると思いますけどね。
・中盤サッカーではない、ポゼッションサッカーではない、それはまあいい。
・ただそれはそれとして、チームとしてのビルドアップ、縦パスを出す受ける通すメカニズムの構築自体は、必要だしする余地があると思います。
・このサッカーであっても。
・局面のプレーがチームとしての良さを裏切っているようで、凄く見ていて勿体なく感じるんですよね。
・あるいはせっかくの個々の選手のスキルの高さを、"活かす"のではなく"頼る"形になっちゃってるのか。
・それなりの発射台を用意してあげれば、たいていの相手を破壊出来る威力の武器を、いくつも持っているわけですから。
・そこらへんで多分、当初から「青山敏弘」の起用に僕は難色を示していたんだと思います。嫌な予感を感じていたというか。
それにしても、青山本気で使う気なんですかね。
歳も歳だというのと、U-21ではああいう形で"キープレイヤー"を想定するようなチーム作りをしていなかった気がするので。ボランチはあくまで、"コンビ"として考えていたというか。
たまたま監督との個人的繋がりもあって、青山が目立っただけなのかな。
ちょっとそこは違和感がありました。良くないタイプの"属人"の臭いというか。
(森保ジャパン初戦コスタリカ戦記事)
・そこは"任せ"ちゃいかんところだと思うぞ森保監督という。致命的な歪みの元になりかねないところというか。
・むしろ青山も柴崎も"使わない"前提で、組み直してみるべきではないのかなと。少なくともフラットに。
・はっきり言って、ボランチのところが一番駄目というか"古い"んですよね、ある種突出して。
・上で書いているようにU-22の時はそれほどそういうことは感じなかったので、注目度が高くてなるべくすぐに結果が欲しいフル代表が始まって、少し焦ってしまったのかなと思わないでもないですが。
・だから初心(&虚心)に返ってアンダー代表で一回頭の整理を・・・とまた言いかけましたが、それぞれの次の試合が両方とも3/22からなんですね。(キリンチャレンジコロンビア戦とAFC U-23選手権タイ2020予選)
・良くない日程だなあ、その場合は当然フル代表の方に行くんでしょうし。
・何の為の「兼任」だよ。
・まあコパアメリカもあるので手は抜けないんでしょうけど。
・最後にこの試合のエキストラな感想。
・ポジショナルって、やっぱりちゃんとやれば効くのね?(笑)
・いや、こういうことを書くとまた緑サポの機嫌を損ねるかもしれませんが(笑)、ロティーナに二年付き合った後だと、逆にどうも有難みが分からなくなっているところがあったので。(笑)
・万能でも究極でもないとしても、とりあえず手がかりとしてやはり十分に頼れるものではあるらしいと、少しほっとしました。
・いざとなればハイプレスショートカウンターやっとけば格好がついたように、いざとなればポジショナルやっとけばとりあえず形にはなるらしいと。
・色々一緒にするなと言われそうでけど。(笑)
・サウジやカタールに出来る程度のことは、日本だって状況が整えば出来ますよね当然。そんな大騒ぎするほどのことでは、本質的にはない。
・その"状況"の一つについて。
・確かに日本は"ハリルホジッチ"を拒絶しましたが、一方でハリルの「縦に速く」「相手に合わせる」という発想自体は、クオリティに不満はあれど今の森保ジャパンにも受け継がれてはいるわけです。"提言"は受け止められたというか。
・どこまでが「計画」なのかどこからが「森保監督」個人の資質なのかは、おくとしても。
・ただスルーされたのはそのハリルホジッチのサッカーの"背後""前提"にあった、ポジション中心のサッカーの捉え方で、ではそれを直接的に日本サッカー(とあえて言いますが)が拒絶したのかというと、そんなことは別に無いと思うんですよね。
・単に隠れていた、よく分からなかったんですよ。
・その後ペップの英名と共に「ポジショナルプレー」という形で主題的に入って来た時に、初めて理解する経路が開かれたということでもありますし。
・またハリルホジッチ自身、"常識"だと結論的に臭わせるだけで、主題的にこちらに分かるように語っていたとは思えない。
・更に言うと世代的にも(ペップより)一回り古い監督ですし、理解や位置づけもより限定的なものだったのではないかと、思ったりもします。
・あるいは"相手に合わせる"というあえて言えばハリルの個人的"好み""目的"に対して、従属的手段的な範囲での理解・位置づけ。
・ここらへんについては正確には詳しい人に聞いてみないと分からないですが、とにかく別に「主題」的に、日本人は"ポジション"を拒否したわけではないと思います。
・当座出来なかったから何言ってるかよく分からなかったから、スルーしただけで。
・分かるように言ってくれれば、分かる。(笑)
・だから「今」なら、「これから」なら、また話は別ではないかなと。
・それでどうなる、やるのか出来るのかどうやるのか、やったら何が解決するのか、それはまた別として。
・誰かの明確な"悪意"を想定しなければ、そういうことではないかと。
・"嫌悪"はあったでしょう、感情は。反発は。ハリルホジッチ個人に対して。それを感じるから、しつこく(協会を)恨む向きも未だ絶えないわけですけど。
・ぶっちゃけどちら側の気持ちも僕は分かってしまうんですが。反発もしたし、一方で恨んでもいる。(笑)
・でもまあ、そんな動機でいつまでも物事が動くとは思えない。
・そういう少し、楽観的な話です。
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